決着の在り方
司令塔を一つにしたオルトロスは、痛む体を引きずりながらも隙を伺いにじり寄る。対して我王は動かない。間合いを取ることで変わる相手の位置取りは、我王をして予測はできず、ならば相手の動きだけに集中する。そうすれば、我王は後手でも対応できる自信があった。
詰まる間合い。ここぞというタイミングで、オルトロスは我王へと飛び掛かる。その動きは一つの意志からなる統制された動きで、無駄な動作など一切ない。人間の反射速度を優に超える一連の動作が我王に迫る――ことはなかった。
オルトロスの踏み込む前足、その前足から地面にかけて、氷の錠が掛けられる。足が出なければ体も出ない。自重がそのまま前方に寄り、前のめりに地面に向かうオルトロス。そして激突した地面の先には、槍のように鋭く尖った氷の柱が立っていた。
全体重が地に生える氷針にのしかかる。それはオルトロスの巨体をして折れることはなく、ずぶりと眼球を潰し、深々と顔面に突き刺さった。大量に溢れ出る血液。オルトロスは呻き暴れるが、氷針と眼球だった穴ぼこは、溢れ出た血液が瞬時に凝固することで地面と一体化し、その場から動くことはできなくなる。
繋がれた前足では爪を使えず、俯く頭では牙も使えない。野生の武器を失ったオルトロスに、もはや為す術は残されてはいなかった。
「闘争とは思考の連鎖だ。知ってる者と知らない者が戦えば、結果はこうも圧倒的なものとなる」
その言葉はマルスの教えだが、しかしマルス自身もこの結果には驚いた。もう少しの苦戦を強いられると踏んだ戦いは、こうもあっさり決着を迎えようとしている。
だが勝敗はまだ決していない、なぜなら相手は生きている。我王は項垂れるオルトロスに拳を振り上げる。氷針を使って止めを刺すこともできたが、しかし我王は自らの手で決着を。そうすることが相手への敬意であり、けじめであると踏んだのだ。
「さらばだ、オルトロス。言い訳染みた綺麗ごとは言わん。俺の強さの為に、死んでくれ!」
そして振り下ろされた我王の拳は、オルトロスの脳天を叩き割り、痛みも、苦しみも与える間もなく、瞬時に内に命の糸を絶ち切った。オルトロスの巨体は、轟音を立てて崩れ落ちる。
亡骸を見る我王の心中に勝利の歓びはない。かといって、後悔に苛まれるような後ろめたさも今はない。覚悟して、決断したこと。罪は背負うが、圧し潰されることも手放すこともしない。より強靭になって背負い続けること、それが六帝我王の覚悟であった。
「やるじゃねぇか」
骸を見つめる背後には、いつの間にかマルスの姿が戻ってきていた。
「てめぇの戦法、氷塊を素早く固く精製した。それは分かる。オルトロスの巨体をして破壊しないほどの足枷や氷針、見事だったな。しかし踏み込むオルトロスより早く錠を作り出すとは、俺の目ですら追うことはできなかったぜ」
「それは俊敏によるものだ。動きを早くしたのではない、反射速度を速めたのだ。先の先を読み、動き出す前の力みに反応する。マルスの言った、考え方一つの違いだ」
「なるほどな、ちゃあんと理解してるじゃねぇか。殺害の意志も問題ねぇ。てめぇは最早、立派なウォリアーだよ」
その後、マルスはオルトロスから必要な部位を剝ぎ取った。二人で持つには重すぎる量に見えるが、重力を操るマルスに重量は関係ない。ふわふわと、綿菓子でも持つかのように素材を担ぐマルス。
「殺すだけではなかったのだな」
「なに、事のついでだ。もったいねぇしな。命の有難みってやつよ」
笑って話すマルスの皮肉は不謹慎なものだが、それでも我王にとっては少し浮かばれるような気がした。独り善がりとは知りつつも、奪った生命には責任を持たなければと。そのように感じていたからだ。
リヴァーに戻ると、マルスは素材を仲間に預けるといってその場を離れた。激動の一日だが、それでも時間は未だ夕刻を回ることはない。そもそもこの世界の一日が二十四時間とも知れないが、これまでの感覚ではほぼ同様の周期に思える。
マルスと落ち合う場所を決めていなかったことを思い出し、我王の足はとりあえず武器屋の裏のアジトへと向かう。恐らくそこに、宮とヒカリもいるだろう。記憶を頼りにアジトへと歩き出す我王。するとそこに、一つの人影が姿を現す。
「あなた、血塗れではないですか。怪我をされてるのでは? よければ診察だけでも如何でしょう」
心配するような、気遣うような、そんな面持ちで我王を見上げるその男。銀の頭髪を後ろで束ねる、丸眼鏡をかけた優男。発言からして恐らく医者なのだろう。
我王を濡らす血は返り血で、我王自身の怪我によるものではない。よって、医者の診察に掛かる必要などなかったのだが。ふと、我王は今までの戦いの歴史を思い返す。黒野に蹴られた胸、そしてゴーレムから浴びた爆風。どれも自然治癒で全快できたものの、果たしてそのまま放置して良いものなのか。実は目に見えぬ異常が、体を冒しているのではないのかと。
これまでの我王ならば、その程度の不安など抱かなかったに違いない。しかし今は、恐るべき力を有する魔物を相手にする。せめて自身のコンディションくらいは万全を期しておかねばなるまいと、そう感じた我王は診察くらいならと。そして、我王はその男の提案に乗ることにする。どうせマルスも、もう少しの時間は掛かるはず。
しかし、その男は我王の常識からみればヤブ医者で、この世界の常識を知ることになる、重要な出会いとなるのであった。