グロリア森林とオルトロス
食事を終えると、マルスは我王のみを町の外へと連れていく。宮はかえって足手まといだし、ヒカリは役立つものの、己を知るという点ではヒカリのスキルは逆効果だと言う。ヒカリには宮のお守をさせて、我王とマルスの二人で魔物を倒しに出向く。
「言ったように、二人で魔物の生息域に足を運ぶなんて、常識で言えば自殺行為だ。だが俺のスキルは攻に見えて、実のところ守に向いてる。勝てねぇ相手でも逃げ切ることができるからな」
「それは、相手を重くして鈍化させるということか?」
「それもそうだ。あとは自重を軽くしちまえば、遥か上方に逃げることだってできる。高所が怖えなら先に言っとけよ。てめぇの心配をしてるんじゃねぇ、団員にもそれで怯えた奴がいてな。自衛の為だ」
「自衛の為、だと?」
「助けた恩を、上空からの小便で返しやがったんだよ。堪ったもんじゃねぇぜ」
やれやれといった面持ちをながらも、笑いを交えて語るマルス。下品な話だが、思わずお堅い我王の顔にも、幼い笑みが零れたのだった。
一見すれば警戒心に欠けた様相に、けしからんという声も上がるかもしれない。だがマルスは知っている。人間の集中力など長くは続かず、もって一・二時間が限界だ。遥か遠くまで見渡せる道中で、無闇に集中力を削ることを良しとせず、然るべき場面で最大の集中力を発揮できればそれで良い。昔気質の無骨に見えて、マルスは気合いでなんとかなるとは思っていない。
町から一番近い魔物の生息域。リヴァーの南西に位置するグロリア森林。通称、番犬の森と呼ばれるその森は、双頭の怪犬オルトロスが生息する。自然発生的に生まれた魔物ではなく、元は突然変異を量産した愛玩動物。それが飽きて放逐されたもの。しかし愛玩といっても、生みの親は魔人。主従は強いが、魔人でなければ到底従わせることなどできない。おまけに気性も荒く、図体もでかい。
しかし双頭で思考を持つ性質上、連携を取れない個体は自然を生きるのが下手くそだし、何より個体数も少なく繁殖力も弱いので、いずれは滅びゆく運命であることは間違いない。突然変異故その寿命も短いが、魔物としては短くとも、人から見れば寿命は長く、絶滅するにはまだまだ時間を要するだろう。
そんな浅く、悲しき歴史を歩むオルトロスが今回のターゲット。マルスが得意とする相手は多いが、その中の一体でもある。
「なぜ、今回はオルトロスという魔物をターゲットにしたのだ?」
「近い、やりやすい、それだけだ。オルトロスは双頭故に混乱に弱い。重力の変化という理解不能な事態に晒されると、あっという間に連携が瓦解する。てめぇが勝てない場合、俺も勝てないじゃ話にならんからな」
なるほどそれはその通り。教える立場の人間でも敵わない敵を相手にする訳にはいかないだろう。しかしもう一つ、我王の頭には疑問が残る。それはターゲットが何者か云々という以前の問題であった。
「もう一つ質問があるのだが、なぜいきなり実戦なのだ。怖いと言ってる訳じゃない。だが、鍛錬を行った後でも良かったのでは?」
マルスの教えは、今のところ全て座学か実戦。初心者に対して座学は良い、しかし鍛錬を行わずに実戦とはこれ如何に。しかしそれにはマルスの考えがあったのだ。
「そりゃあ鍛錬は大事だ。だがこれは儀式でもある。てめぇがこれから学ぶのは勝つ為の技術じゃねぇ、殺しの覚悟だ。殺害経験の有る無しで、その後の鍛錬の熟練度は大きく変わる。であれば効率的にも実戦を先にした方がいいだろ」
経験を踏まえた上での鍛錬、効率が良いのは明白だ。だが、今回の内容は殺害だ。試合のように気軽に行えるような事柄ではない。それは我王をして、平和な世界を生きてきた者にとっては大きな抵抗があるというもの。
「どうしても、相手を殺さなければならないのだろうか」
強くはなりたいと、その願いは本物だが、しかし殺しは気が引ける。前の相手は機械であり、それならば破壊に対して抵抗はない。だが今回は魔物とはいえ一生命体であり、命を奪うことには重い責任が伴う。
「ほらな、その気持ちだ。儀式はそれを取っ払う為にある。いいんだよ、相手は構わず殺しにくるからな」
「しかし、無意味な殺生というのは……」
我王の心境は理解し易いだろう。しかし、その一言でマルスの眦は吊り上がる。
「無意味だと? じゃあよ、どんな殺生には意味があるってぇんだ」
「それは……食う為だろうか。命に感謝して食べること。とにかく、殺すだけというのはあまりにも惨くはないか?」
これも近代的な倫理からすれば正論に違いない。ビーガンからすればその限りではないが。その心根は清く、尊いとされる道徳であるはずだった。
「感謝――か。ではてめぇ、緊急避難って知ってるか? 窮地に陥り、やむをえねぇ場合には罪や責任を免除されるっつうもんだ。転生前のてめぇの国にも、似たようなもんはなかったか?」
緊急避難規定。それはもちろん我王の世界にも存在した。最も有名な話で言えば、カルネアデスの板だろう。
紀元前のギリシャでのこと。難破した船から海へと投げ出された乗組員達。その内の一人の男が、命からがら海に浮かぶ板にすがりついたのだ。なんとか溺死を免れたが、そこにもう一人、男の掴む板に縋らんとする者が現れる。板切れは男の体重でギリギリだ。もう一人掴まれば、間違いなく重さに耐え切れずに沈んでしまう。そうして男は――
近寄る者を突き飛ばした。死にたくなかったから。二人助かる方法なんて、なかったのだから。そこに理性はなく、企みや悪意も存在しない。あるのは純粋な生存本能のみであり、だからこそ罪には問われない。ナイフを振り回す暴漢を相手に、命を気遣うことなどできないだろう。
「それは、あるな」
「よし。ではてめぇが窮地に陥り、やむをえず友を殺し、肉を貪ったとする。餓死寸前まで追い込まれていた。そうすることでしか生きることはできなかった。命を繋げた友の肉。では果たして、てめぇはそれを友に感謝するのか? 墓前や家族の前で、命を有難うと、食わせてくれて有難うと感謝するのか?」
「それは――」
「違ぇだろ。すまなかった、そうしなければ生きれなかった、どうか許してくれと、謝罪するのが普通じゃねぇのか?」
緊急避難は仕方がない。それ故罪には問われない。しかし、罪に問われないからといって、人の心まで抑制させることなんてできやしない。板を掴むことができず、男に突き飛ばされた者は恨みを残して死ぬだろう。遺族も男を許すことはできないだろう。そして男自身も罪悪感に苛まれ、その後の余生に苦しむことになるだろう。
「惨くねぇ死なんてねぇんだよ。感謝する方がよほどおかしい。てめぇが命を奪う理由は強くなる為だ。でなければこの世界は生きられねぇ。それは緊急避難にも似る、仕方のねぇ行いだ。食うことと強くなること、どちらもこの世界を生きる上では欠かせねぇ事柄だ」
マルスはこれまで、数多の命を葬ってきた。それは仕方のないことと割り切っているし、躊躇うことだってしやしない。しかしだからといって、何も感じてない訳ではなかったのだ。
「なにも殺すことに無感情だとか、快楽を感じろとは言わねぇよ。それではただのサイコキラーだ。罪は背負って、それでも前に進んでけってことだ。そうすりゃてめぇは強くなれるし、人であり続けることだってできるんだ」
勇者や英雄と呼ばれる者達。彼らは殺すことに前向きだった訳ではない。屍は捨て置くのではなく、その上に立つ者達。人の法ではなく神の法に従う者達が、勇者と称され、英雄と讃えられるのだ。