魔の意味するところ
その後は空き地を離れて、街中へと引き返す。これからの話でもしながら、朝飯を食おうというマルスの提案が発端だった。
「第一てめぇら、来るのが早ぇんだよ。朝飯くらい済ませてから来いっての」
「す、すまない。どうにも気持ちを抑えられなくてな」
「はっ! そのナリで言う台詞かよ。年相応なのかもしれねぇけどよ」
マルスは無愛想かつ面倒臭がりに見えて、意外にもお喋りだった。黙りがちな我王にも”何か喋れよ”と、逐一話題を催促する。あまりのしつこさに、さすがの我王も辟易としていたが、話の端々では珍しく噴き出す様子を見ると、存外相性は悪くなさそうにも見える。
もっとも、あくまで契約上の関係であり、仲良く馴れ合いなどするつもりはなかった。しかしそれがかえって、愛想という気遣いを抜きにした、気楽な関係性をもたらしたのかもしれない。
「ここが俺の行きつけの飯屋だ。つうか、ここしか使わねぇ」
マルスが足を止めたのは一件の小洒落たレストラン。といっても、レストランと分かるには、門から店へと繋がる庭を通らなければならない。歩道を囲う花々は色彩豊かに咲き誇り、手前から低く角度を付けては、帯状に植えられている。さながら英国式のガーデンスタイルの先には、隠れ家的レストランがひっそりと構える。
まずは視覚から楽しませようと、そんな店主の遊び心には目もくれずに、先へ先へと進むマルス。どうやら美的センスで選んだ訳ではないようだが、であれば理由は味だろうか。
「それほど美味しいお店なんですかね?」
宮の質問は至極真っ当。この店しか使わないと言うならば、特別味が良いのか、安いのか、若しくはマルスが面倒臭がりなだけなのか。しかしそのいずれも、マルスの行きつけの条件にはなりえない。
「旨さなんざ求めちゃいねぇよ、安全が第一だ。俺は顔が広いからな、死んで得する奴もいるだろうよ」
治安国家では考えられない店選びだが、この世界に於いてはマルスに限らず選択肢の一つとなる条件。穏やかならぬ様子に宮は些かの不安を見せるが、対して我王は納得できた。危険度は格段に落ちるとはいえ、元いた世界に於いても、不良や筋者に手を出せば報復を企む者は少なからずいた。その全てを、我王は返り討ちにする力を有していたのだが。
「てめぇら育ちが良さそうなお坊ちゃんだからな。だが安心しろ、不味くはねぇ。何より食材のバリエーションは豊富だし、リクエストに合わせた料理も作ってくれる。もっとも、団員の経営する店だからよ、当然といえば当然だがな」
宮の不安を味への心配と捉えるマルスだったが、結果としてなぜ安心に繋がるのかは理解できた。それは仲間の作る料理だから。その仲間が裏切れば話は別だが、裏を返せば、それほどに信頼できる者が営んでいるに違いない。
自然と一体になるように佇む石造りの一軒家。小綺麗に整った店内は、数客入れば満席といった素朴な店装。これもまた武器屋と同じく、儲けを意図した店ではないように思える。
「いらっしゃい、マルス。今日は早いのね」
「訳ありでな、ユリア。いつもの四人分頼むぜ」
「はいはい」
黒の垂髪を靡かせて、ユリアは厨房の奥へと姿を消す。軽い口調ではあったが、彼女の身に纏う漆黒の衣装に隙はなく、端麗さも相まってお堅い印象を我王に与えた。
「せっかくなら、注文を選ばせてあげれば良かったのに……」
「聞いたところで分からねぇだろ、どうせよ」
ヒカリの忠告も半分に、ずかずかと店内を闊歩するマルスは、目に付いた椅子にどかっと腰を落とす。続いて我王らも、マルスの着いたテーブルに腰を下ろした。
「マルス達は、リヴァーを拠点に自衛団を組織しているようだが、街を離れて旅に出たりはしないのか?」
我王の問いは、転生の神ミラノアの言うところの、魔物や魔人を倒す旅のことを指す。それが転生者に課された使命とはいえ、現地の者でも同様の思想の持ち主はいるかもしれない。そう鑑みての発言だった。
「チームとしての遠征はする。だが、あてどない旅のことを言ってんなら、そんな馬鹿な真似はしねぇよ。医療も食料もままならねぇ中で死のリスクを高めるだけだ。つぅかてめぇらこそ、この先どうするつもりだよ。俺に強さを習うのはいいとして、まさか神さんの言う通りに、正義の味方ごっこでも始めるつもりか?」
「それは――」「えっとですね」
我王が言いかけたところで、唐突に宮が口を挟む。しかしそこに悪意はなく、単に得意とする話題が上がったからに他ならない。
「冒険者ギルドですよ! まずは生活できるようにしなきゃいけないことは分かってるんです。どこに行けば、ギルドに登録できるんですか?」
我王は自衛団への入団を考えているが、そのことをまだ宮には伝えていない。宮は宮で、これからの生活の糧をギルドというシステムに頼ろうとしていた。しかし存外、宮の言葉を聞いたマルスは首を傾げて疑念を表す。
「ギルド? なんだそれは」
ファンタジーの定番ともいえる冒険者の拠り所、ギルド。その言葉をさもはじめて聞くかのようなマルスに、宮はまさかと一抹の不安を覚える。
「ぼ、冒険者ギルドですって、やだなぁ。魔物を倒して、その成功報酬や素材を売って生活する職業ですよ! この世界では呼び名が違うのかな?」
するとマルスはようやく合点がいったのか、納得したような面持ちを見せた。宮もほっと一安心といったところだが、続くマルスの言葉は、そんな宮の安心を土から根こそぎ取り払ってしまう。
「なるほどな、そういう事なら山ほど依頼はあるだろうよ。だが気になるのはそのギルドってシステム、よもや単独でやるような仕事じゃねぇよな?」
「――――え?」
間の抜けた宮の面をみて、呆れたマルスは肩を竦める。
「あのな、てめぇらは重大な勘違いをしてるかもしれないが、そもそも魔物は単独で倒せるような相手じゃねぇんだよ。魔力という強大な力を備えているからな」
「ま、魔力って、あの――?」
その魔力、それで正しい。だが宮の思う魔力と、この世界に於ける魔力。それは内容というより、概念的な部分での相違があった。
「魔物だけが持つ特別な力、それが魔力。魔力は恐ろしいぞ、その力をあらゆる力に変換できる。スキルと違い体力のような容量はあるが、代わりにスキルにある能力の縛りは存在しねぇ。肉体の強化からはじまり、炎を生み出せば、毒も生み出す。治癒もすれば、重力だって操れるかもしれねぇな」
マルスはさも恐ろし気に話したが、魔力なんてそんなもの。そういう風に考えるのが一般的な現代人の思想。しかし最も大事な部分は、言葉のはじめにあったのだ。
「ちょ、ちょっと待って! 魔物だけが持つ特別な力ってどういうこと? 人類に魔力は使えないんですか!?」
「おいおい……”魔”物が使うから”魔”力だろ。何か変なこと言ってるか? 人類が魔力を使ったら、それはもう魔物と一緒じゃねぇのか?」
開いた口の塞がらない宮だが、それもそのはず。魔力や魔法の魔の意味するところ、魔界や魔物と違ってポジティブなイメージを持ちがちだ。恋の魔法、魔法の国と聞いて、おどろおどろしいイメージを持つ者はいないはず。反面、魔物や魔界と言われてプラスに捉える者はいないだろう。しかしこの世界に於ける”魔”は、統一してネガティブな意味合いを持つ。
「話は逸れたが、とにかく魔物は危険な存在だ。自慢じゃねぇが、俺は界隈でも相当な実力者だ。転生者を除けばAスキル持ちなんてそうそういねぇからな。そんな俺をして、魔物は危険だと言っておく」
「それでも、魔物の中にも雑魚敵とかはいるんでしょ?」
この考えも一般的で、現代を生きた宮に非はないのかもしれない。スライムにゴブリンとか、そういう類を連想して然るべきだ。しかし魔物という言葉の本来の意味合いを鑑みれば、宮の発言は荒唐無稽で、まったく矛盾したものだった。
「てめぇ、さっきからおかしなこと言ってるぜ。てめぇの思う魔物がどんな存在かは知らねぇが、簡単に倒せるような奴を人は魔物とは呼ばねぇ」
例えば魔物という言葉がまだ出来上がっていない時代。赤子の手を捻るように倒せるスライムを、ゴブリンを、人は魔物と称するようになるだろうか。化物に置きかえれば分かりやすいかもしれない。人食いのヒグマを化物と称する人はおれど、兎や鼠を化物と呼ぶ人間はいないだろう。宮の言っていることは、動物という言葉を化物に置きかえているようなもので、ヒグマを強い化物、兎を弱い化物とする、化物という本来の言葉の意味を喪失した使い方と同様のものだった。
「魔物の語源は魔力じゃねぇ、魔性の化物が名前の由来だ。てめぇの言ってることは、弱い強者はいるか? って、そのくらい馬鹿げた発言なんだぜ」
それを聞いて宮は口を噤んだ。言いたいことはあるのかもしれない。しかし、この世界の常識に口を出したところで意味を為すとも思えない。口の悪いマルスは責めるような言い種だが、それに対して我王も助け船を出すことはしなかった。知りたいのは正確な情報で、案じて優しく諭すより、ズバッと真実を述べてくれた方が遥かに有益なのだから。
「だからよ、単独で世界を回ろうなんて風変りは存在しねぇ。自殺行為に等しい」
これで我王は、この世界の常識の一端を知ることができた。それを踏まえた上で更なる意見を述べることに。
「しかし、それでも俺は強くなりたい。魔物を単独で撃破できるほどに」
「夢見がちな小僧だが、てめぇにはそれが叶う。そんなてめぇは俺の眼鏡にも叶う訳だ。それにはまず、魔物と戦うことから始めよう」
「マルスさんは、さっき魔物は倒せないって――」
「簡単には――な。絶対とは言ってねぇよ」
話の区切りがついたところで運ばれる朝食。偶然ではなく、計らってくれたのであろう。それだけで、お堅く見えたユリアという女性の人柄が推して知れた。
「はぁい、朝御飯食べて元気を出しましょ。自己紹介は生きて帰れたら、ね。きっとできると信じているわ」
並べられるマルスの”いつもの”。豪快な朝飯を想像した我王と宮だが、存外その皿の上は、肉も野菜も交えたバランスの良い盛り付けだった。体調の良し悪しも、マルスの言う戦略には不可欠なことなのかもしれない。
「飯を食い終えたら行くぜ。なに、朝飯なら最後の晩餐にはなりえねぇよ」