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闇代閏とその目的

 個や集団ではなく、全ての魔物の存在を守る。その為に戦い続けた魔人テュポーン。人類を苦しめ続けたのも事実であれば、易々と許す訳にはいかない。しかし――


 我王はテュポーンを討とうとしていた。人聞きこそすれ、彼がどのような者かを自らの目で確かめもせず、テュポーンを倒すと決めたのだ。イゴールから頼まれたのだから仕方ない? であれば、テュポーンも未来の為に仕方なく、だ。


 争いに善悪などなく、誰とて自分が正義だと思っている。そしてテュポーンは己の正義の為に戦ったと、それだけのこと。


「頼む、この通りだ。アーリマンに会ってくれ」


 誇り高き双角を地に向け、テュポーンは深々と頭を垂れる。そこに見え透いた嘘偽りはなく、誠意を見せてくれていることも理解できる。何が合理か、そんなことも言わずもがな分かっている。しかしそれでも我王は人の子だ。悩み、即答し兼ねていると、背後の閏が口を開く。


「行きましょう。我王」

「う、閏……しかし……」

「迷うなら、会うべきよ。自分の目で見極めるべきよ。会ってから決めても遅くない。選択を後悔しない為にも、共に行きましょう」


 これまで、知りもせずに決めたのなら、次こそ全てを知るべきだと。我王は一つ頷いて、そしてテュポーンに連れられ東の海へ。辿り着いた港には、イゴールのものに劣らぬ巨大な帆船が泊められている。それに乗り込み、海を隔てて更に東へ。


 イゴールの船の推進力は魔物であるレヴァイアだったが、この船は単に風力を使うもの。しかし力の源は魔力であり、風の精霊、エルフの風力をもってして前へと進む。風向きが自在であれば、船の構造は順風時の高速性を追求したものとなり、帆船とは思えぬ速度で白波を立てる。


 それでも幾日かの日は跨いだ。その間テュポーンと話はおろか、顔を合わせることもしなかった。世話役は小姓の魔物が、機械的にこなしてくれるのみ。そしていつしか水平線に限りが訪れ、その先にはアーリマンの住まう土地、ムスペルヘイムが姿を現す。


 近付くごとに鮮明になるその大地は、死の世界というに相応しい。これまでの魔界は生命が住めばこそ、思い描く魔界とはまるで異なる、自然溢れる楽園だった。しかしムスペルヘイムにはそれがない。乾いた大地がただ広がる、ある意味で幻想の中の魔界を体現している。


 荒廃した土地に生物は住めるのか。その答えは当然ノーだ。要因は環境だけを指しているのではなく、この土地の番人がそうさせる。ムスペルヘイムの至る箇所にはゴーレムが起動しており、旧世界の殺戮兵器が生ける者を抹殺する。しかしそのゴーレムも今となっては――


「安心しろ。今のゴーレムに攻撃性はない。スリープに陥り、二度と目覚めることはないだろう」

「テュポーン……」


 船首から大陸を望む我王、その横に並ぶテュポーンが、ここでようやく口を開く。


「しかし後継者を産んだところで、また次の世代は必要だろう。その時には再び、ゴーレムは動き出すのだろう?」

「いや、それはない。そのようなことは二度ない。ゴーレムはこのまま朽ち果てる。次なる子には、もう後継者を求めるようなことはさせないからだ」

「なぜ……そう言えるのだ」


 視線は大陸から、疑問を浮かべる我王の瞳へ。テュポーンの黄金の眼差しは、広がる大陸より更に先、遠くの未来を見据えていた。


「次なる子。それもまた母と同じく、長い寿命を得ることだろう。そして命が潰える頃には、既に人類からも転生者の力は取り払われている。恐らくスキルという力は、完全に途絶えてしまっているだろうな」


 後継者が潰えれば、魔力も同時に滅びてしまう。しかし同時にスキルもなければ、一方的な虐殺はありえない時代となっているはず。


「とはいえ争いは生じるし、むしろ起きない方が不自然だ。しかし百パーセントの、絶対の魔物の敗北は免れる。その中で、どう折り合いをつけるかが重要だ。しかしその時には俺も墓の中。選択は遠い未来の者達に任せるしかないというのは、少々無責任ではあるがな」


 船を泊めると、タラップとなる渡り板を繋いで、テュポーンの先導の下に死の大陸を進んでいく。草木も生えないひび割れた大地。道中には眠れるゴーレムを見掛けるが、しかし動かず。ただただ静かに沈黙するのみだった。


「アーリマンの土地は、なぜこうも荒廃しているのだ」

「生命体が寄りつかぬようにだ。自然がそうさせたのではなく、緑は一部を除いてゴーレムが焼き払った。土地の持つ魅力をして、侵攻されるのは厄介だったからな。アーリマンと戦うことに見返りはなく、正義の使命を帯びた者のみが訪れる。そして辿り着いた勇者は魔王を見て、驚愕することとなるのだ」


 何に対しての驚愕だと、しかしそれは行けば分かること。伝聞よりも己の眼で、閏と共に先へと進む。そうして死地の果てが見えてくると、疑惑の意味は目に見える形で、理解することができたのだった。


 世界樹、ユグドラシル。焼き払われた大地の養分が集約する、天高く聳える巨大な樹木。そして樹中には四大精霊の力が脈動している。精霊の加護を受ける根元には、手つかずの自然が残されており、まるで死地に残された最後の楽園を表しているよう。魔法の力は闘争の為のものではなく、むしろこれが本来の、あるべき精霊としての姿といえるだろう。


 緑豊かな楽園の最奥、そこに忌まわしき魔王の根城はなく、木材で組まれた小さな小屋が、ひっそりと佇むのみだった。それこそがアーリマンの住処にして、転生者と魔王が僅かなひと時を過ごした土地。そして魔王とその娘が、外界との繋がりを断ち切って、狭住を余儀なくされた小さな世界。


 木の温かみを帯びた素朴な扉。とてもじゃないが、その先に魔王が控えているとは思えない。確かに訪れた勇者は、その暮らしぶりに驚愕を禁じえないであろう。


 先導するテュポーンの後に続けば、中も変わらずありふれた民家の一室だった。そこには玉座にふんぞり返り、絢爛豪華な衣装を纏う典型的な魔王はなく、布に身を包む貧相な女性が、寝床から腰を起こして窓外を見つめている。


「こ、この者が――」

「アーリマン。俺の母だ」


 肌は色白を超えて蒼白で、四肢は枝のように病弱だ。気配に気付いて向ける碧眼は、淡く柔らかな光を灯す。その穏やかな佇まいに、魔人を冠する禍々しさはない。頭上に覗かせる双角を除けば、我王にはただ一人の少女としか思えなかった。


「あなたが転生者。父と同じ、伝説の救世主」


 すんなりと耳が受け付ける、玉を転がすような澄んだ声色。何の前触れもなしに天使と言われれば、誰しも疑いなく信じるはず。


「そうだ。俺も、後ろに控える閏も。この世界の住人ではなく転生者だ」


 それを聞くと、アーリマンの幸薄な顔にもようやく笑みが零れる。遠い眼差しは仄かに虚ろで、我王に亡き父の姿を投影しているようだった。


「良かった、間に合って。これで力を遺すことができます」

「ま、待て……まだ協力するとは一言も――」


 戸惑いを見せる我王を前に、アーリマンはテュポーンへと目を移す。まだ承諾は得られていないと、テュポーンの首は左右に振られる。


「そうでしたか。ですがお願い申し上げます。力の継承は私と母、そして転生者であった父の使命でもあるのです」

「父の、だと?」

「父は母と出会う前から、一人の人間と愛し合い、既に子を身籠っていたとのことです。そんな父は母と関係を結び、そしてこの地に捨て置きました。一時はそれを恨んで、転生者を呼び込むこととは別にして、人類に牙を剥いた過去もあります」

「それは――」


 惨いことだと、残された母子が憐れだと。我王は同情し、喉までその言葉が出掛かった。強者である転生者は、好き放題に世界を冒したと、そう捉えて然るべき所業だろう。だが過去の転生者は、悩みに悩んで、そしてこの決断をするに至ったのだ。


「ですが、いま思えば転生者である父は、魔物の実態を知ることで、滅ぼすことに迷いを感じたのでしょう。それでも父と母は戦いましたが、母を殺せば魔力は消えると、それを知った父は母を殺すことができなかった。しかし戦いによる傷は大きく、魔王である母の力は大きく削られておりました。父が手を下さずとも、近い内に母の命は潰えてしまうと」


 魔王の命が潰えれば、魔物からは魔力が消え失せる、それ自体は良い。しかし転生者には愛する人間がおり、その者は既に子を宿している。


「転生者の実子、恐らくすぐに魔物の力を超えてしまう。己が死した後、その強靭な血筋は、魔力なき魔物たちを討ち滅ぼしてしまうのではと。しかし愛する妻とその子供、殺すことなどできはしない。であれば、残される道はただ一つ」


 もう片側、魔物にも強力な血筋を残す。力を均衡させ、世界の調和を保つ為。


「父は転生者ですが、寿命は人類と変わりません。余生は人類と過ごすことを選びます。そして母と私はこの地に残され、間もなく母は天寿を全うしました。両親亡き後、私は私の血筋を多くこの世界に残しました。ですがいずれも力を遺伝することはなく、そして父の意図を、母の想いを、私の使命を知るに至ったのです」


 そしてアーリマンは再び、人類に牙を剥いた。だが目的は恨みではない。転生者である父がこの世界に訪れた理由。それは人類の窮地であり、再び転生者を呼び込むには、それを再現するしかないのだと。


 だが、それは本意ではなかった。父が望んだものは調和であり、それを知ったアーリマンにとって、人類の根絶は願うところではないのだ。仮初めの窮地を作り出し、神を騙して、転生の力を再び迎え入れることが真の目的。


「お願いです。もう、人類に害を為すことは致しません。あなたがこの世界を訪れた今、テュポーンには人類の保護をさせると約束しましょう。ですから、どうか、魔物にも生ける未来を――」

「う、うぐ……」


 我王の手には、魔物の未来が委ねられる。獣のように害を為す者もあれど、ただ平和を生きる者が大多数。彼らはその力ゆえに個体数も少なく、魔力を失えば兵力はもちろん、兵器にも魔力が必要不可欠。スキルをして人類に攻められれば、絶滅するのは時間の問題。


 一度は闇に堕ちた我王の心。しかし輝いていたあの頃、マルスやイゴールと共に巡った、魔物たちの尊い世界。それを想うと心苦しく、全てがどうにでもなれと、そんな決断を下すことは到底できるものではなかった。


「分かった……だが、必ず約束してくれ。人類には危害を加えないと」

「それは俺が、このテュポーンが、責任をもって約束する。何があっても人類は守り切ると、神に誓ってこの俺が――」


 手を胸に誓いを、テュポーンの頬には一筋の涙が伝う。長年に渡る親子の宿命、それを全うしたテュポーンの心に、もはや悪意も企みも存在しない。


 寿命という名の、忍び寄る死神の影。その訪れの前に転生者の下へと辿り着けた。安堵に笑みを零すアーリマンは、その手を我王へと差し伸べる。


 我王はその手を受け入れる。このような結末は、我王の本意とは言えない。しかしそれが過去より続く、転生者の宿命であったのなら、残る余生はその運命の下に――


 

 パチン



 指を弾く小さな音は、我王の背後から微かに鳴った。直後に響くのは破裂音で、何世代も生き抜いたとは思えない、清くあどけない、アーリマンの妙なる微笑みは――


 針を刺した水風船の如く、木っ端微塵に消し飛んだ。


「あ……あぁ……」

「か、母さん……?」


 詰まる水の代わりに、混じり気のない純血が、素朴な部屋を凄惨な赤に染め上げる。長き思い出の詰まる親子の家は、この一瞬をもってして、悪夢に塗れた地獄絵図へと移り変わる。


「それで、許されるはずがないでしょう。魔物の為などと、今まで殺めた人をどうするつもりよ」

「う、閏……お前は、はじめから……」


 アーリマンを殺すつもりであったのか、しかし続く文言を遮って、テュポーンの絶叫がこだました。


「うぅ、うぁああああああああ!」


 絶望に膝を落とし、テュポーンは嘆き叫ぶ。脇では憐れな様を冷たく見下ろす、そんな閏は再び指を重ねると――


「や、やめろ! うる――」


 再びの爆音と、無残に転がるテュポーンの頭。胴は跡形も無く消し飛んで、返り血は閏の白肌を、艶やかな紅色に染め上げた。


「か、母さん……か……ぁ……」


 光を失うテュポーンの瞳は、亡き母の首を見上げたままに。そうして長きを生きた母子の生涯は、ここで遂に幕を閉じた。


「閏、お前は――」

「私は……この世の力、全てを消し去る」


 殺意をばら蒔く、闇代閏の強固な意思。彼女の曇りなき眼には漆黒の闘志が宿る。


「イゴールは死んだ、ミネルヴァも。テュポーンを殺し、アーリマンも息絶えた。マルスも、宮も、その他大勢の転生者も皆、死に絶えた」


 閏の口から語られる、この世界に於ける死者の数々。しかしその中には、我王の知り得ぬ犠牲者までもが含まれる。


「ま、待て閏……大勢の……転生者とは――」

「はじまりの町、リヴァー。ゴーレムの襲来を待たずして、先に町を出た転生者。それをね、皆殺しにしたの。その帰りに、我王はちょうど目覚めたのだったっけ」


 この世界へ訪れて、最初の我王の目覚めの時。そのタイミングで部屋へと訪れた閏の衣服には、幾つもの赤い斑点が残されていた。そのとき閏は、軽薄な輩を返り討ちにしたと濁していたが。


「では……あの血はまさか……」

「そうね、あれはクラスメイトの返り血。そして町に残る転生者、一部はゴーレムが片付けてくれたけど、大半は私が殺したの。戦いに紛れて、それとなくね」


 その後に閏はリヴァーを発った。バルカンの転生者を粗方仕留めた、閏の次の行き先はシャマル王国。


「我王がリヴァーにいる間、私は世界の転生者を殺して回った。カルネージの転生者はイゴールが始末したようだけど、シャマルの転生者は私が殺した。張り切る男子に比べると、女生徒が厄介だったわね。戦うでもなく、ひっそり暮らす者が多いから」


 シャマルに仕える傍らで、陰で転生者の暗殺を謀った閏。しかしカルネージには、イゴールの手を逃れた転生者がいたはずだ。


「く、黒野は……カルネージには黒野がいた。閏は黒野も、殺してしまったのか?」

「黒野? あぁ、あの男、まだ生きていたのね。噂では挑んだ輩は皆殺しと聞いていたから。なら、黒野も殺しに行かなくちゃ」


 思わず安否を聞いてしまったが、我王は今の発言を後悔する。知らねば黒野は、隠れて生き残れたかもしれないというのに。


「な、なぜだ……なぜ閏はそんなことを!」


 聞けば邪悪に堕ちた閏だが、そんな閏は、想いに馳せる様に穏やかに瞳を閉じる。


「我王、あなたも思わなかった? この世界は全て、転生者の存在によって歪んでしまったのだと」


 思っていた、我王も確かにそう感じた。転生者はあってはならないものとし、子孫は残さないと一度は決めた。消極的ながら、滅びゆく運命であるべきだと。


 しかし閏は、”いずれ”という選択を捨ててしまった。直ちに転生者は根絶させる。同じ考えながらに至りながらに、閏のものは積極的で、かつ非人道的だった。


「転生者の血筋は根こそぎ殺す。人類はいずれ力を失うけれど、未だ強い力を残す魔人、そして新たな火種となる転生者は、全て私が殺してやるの」

「全てとは、まさか――」


 閏の言う全員。それは紛れもなく全ての者。幼馴染の情から後に回したが、閏の殺戮の標的は、この世の転生者全てに及ぶ。


「あなたもよ、我王。あなたを殺して、黒野も殺す。そして最期は私自身も」

「やめろ、閏……」

「なぜ? 私たちはこの世界に不必要よ。そして黒野は一度、あなたを殺そうとした人間。殺してしまっても構わないでしょう?」


 黒野には確かに恨みはあった。しかし話せば人間で、正義でもなければ悪でもない、環境に流されてしまっただけの、苦しむ一人の被害者だ。


「駄目だ、閏。人の命を冒す権利など、俺たちは持ち合わせてはいない」


 これほどの絶望に堕ちながら、なお人を想う我王の心。呆れた閏は息を漏らすが、殺意の渦巻く瞳には、僅かばかりの光が宿り――


「お人好しね、我王。昔から変わらない」


 直後に、閏の瞳は闇に沈む。以降は話は通じない。閏を止める方法は、忌むべき転生の力を使うのみ。


「閏、お前をここで止めるぞ!」

「やってみなさい、我王――」

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