スタート地点
もう、駄目かもしれない
だけど、こんな最後は認めない
私は決して挫けない
必ずあなたを
救い出してあげるから
――――――――
「――起きて――」
その者は記憶が混濁していて、呼声は草木のさざめきのように微かに耳に届いた。
「――起きて! 我王!!」
我王と呼ばれるその男、耳に馴染んだ声を辿り、ようやく意識をその身に戻す。
「そ、その声は宮……か?」
虚ろ眼の滲む視界、そこに動く者は光野 宮。まるで幼子のようにつぶらな瞳、それを丸めて顔を寄せると、大きく安堵を漏れ出したのだった。
「よ、良かったよ……生きてて……」
宮の言い種では、さも今の今まで生死を彷徨っていたかのように聞こえる。だがこの男、六帝 我王は柔じゃない。名は体を表すとはよく言ったもので、決して名前負けすることなく逞しく育ち、無敗の人生を歩み続けた。それはスポーツ、勉学、小競り合いから死闘に至るまで。我王の人生に負けはなく、突き進むは勝利の覇道ただ一筋。
それが六帝我王という男の、あくまで――――生前の生き方だった。
「くそ……頭がうまく働かん。一体何が起きて――ッ!?」
巨躯を起こした視線の先、そして周囲に渡ってのこと。見渡す我王は言葉を失ってしまった。いかなる相手にも揺るぎない、そんな強靭な我王ですら口を閉ざす、現実離れした夢まぼろし目の当たりにしたのだから。
地平いっぱいに広がる、果てしなく続く雲海。まるで天地を返した終末を物語るが、そこに混沌は皆無で、静けさと差す天道は、寧ろ創世を表しているようにも思える矛盾。唐突な場面に心は揺らぐが、それを抑えて冷静に、今に至る経緯を思い返す。
(最後の記憶は――そう、修学旅行だ)
振り返る我王の脳は、今朝の記憶にまで遡る。その日は皆が待ちに待った、しかし我王にとっては興味の薄い、来たる修学旅行の当日の朝。集まれば、我王はクラスメイトと共にバスに乗り、隣の座席には親友の宮。そして通路を挟んで右側には、幼馴染の闇代 閏がいて、我王は騒がしい車内で腕を組み、一人黙して座していた。
生まれもっての強者だが、まあ人間であることには違いない。騒ぎ声が耳に障るも、揺れる車内は眠気を誘い、次第に我王は微睡んだ。そして気が付けば――
「ここは、どこだ? 俺達はバスに乗っていたはずだが……」
「ぼ、僕にもよく分からないよ。けど、我王はまったく覚えてないの? 僕達は一度、死んだはずなんだ」
一度は死んだなどと、宮は今こうして話しているのが幻想だとでも言いたいのだろうか。それを肯定するなど馬鹿げている。
「くだらん。死ねば意識もないだろう。そんな証拠が何処に――」
「証拠なんかないよ! でもこれを見れば分かるでしょ? 普通じゃないんだよ!」
宮の反論に我王は言葉を詰まらせる。返そうにも、まず現状を説明できないし、その不可解が、宮の空論に信憑性すら持たせてしまう。
「怒鳴ってごめん……でも、僕達の乗っていたバスは確かに事故に遭ったはずなんだ。我王も、閏も、みな死んだ。僕は偶然に即死を免れたけど、その後すぐに息絶えた。あの時の痛みは、決して夢なんかじゃ……」
思い返し肩を震わせる宮。項垂れては黄金の髪を我王に向ける。宮の言うことに根拠はない。しかし今一度、宮の人となりを知れば、真面目な彼が嘘を吐くとも思えない。であれば勘違いともとれるが、死という概念を改めるに、次第に思考は宮の説に傾く。なぜなら、その世界観は、まるで死後の世界を表しているようで――
「我王!」
我王を呼ぶ、涼やかな声音。振り返ると、そこには潤む黒髪が靡いている。そんな雅な大和撫子。幼馴染の闇代 閏は、安堵に表情を緩ませた。
「良かった。あの時は、もう駄目だと思っていたから」
「閏か、お前も無事で良かった。この世界には俺達だけなのか?」
「私だけじゃない。各々少し離れていたけど、クラスの皆がここにいるわ。見つからないのは先生だけ。あと、バスの運転手もか。とりあえず、私の後に付いてきて」
つかつかと、足早に歩を進める閏を追い、二人は雲海の先へと進んでいく。暫くすると人集りが見えてきて、そこには見慣れたクラスメイトの顔ぶれが揃っていた。
「が、我王くん……生きていたのか……」
「なんだ、その台詞は。まるで死んでいた方が良かったみたいに聞こえるぞ」
「そ、そんなつもりは……」
たったそれだけの会話、しかし浮き彫りとなる関係性。つまり我王は、皆に恐れられている。決して我王が不良だからという訳ではなく、むしろ類稀なる正義感に溢れる男が六帝我王という人間だ。
しかし……いや、だからこそと言った方が適切か。我王は恐れられてしまうのだ。過ぎた正義感に、強すぎる肉体。不良共を一人で蹴散らし、果ては筋者すらも薙ぎ倒す。そんな過剰な正義に向けられる念は、羨望よりも畏怖が勝るというもの。加えて我王の態度は尊大であり、目付きも鋭く、人並み外れて馬鹿でかい。我王に口出しすれば殺される。誰が言わずとも、生物としての本能がそう伝えるのだ。
「レディイイイス&ジェントルメェエエエン!」
それは突然だった。どこからとなく響く声。喜劇でも開催するような、活気溢れる陽気な声に、一同は驚きながらも、それに恐れを感じることはなかった。
しかしそれは誤りで、実際には危機は迫っていたし、かといって危険を感じたところで、何の意味すら持ちえなかったのだが――
「――って歳でもないかぁ。改め、ようこそ! 健全なる少年少女の諸君! 私は君達をこの場に招待した者なのだよ」
このふざけた声の主だが、恐らくは女性。凡そ活発な少女を連想させる、甲高くもせわしいない口上。高校生でも、もう少しは落ち着きを孕むに違いない。声主はそれ以下の年齢とするのが妥当だろう。
そしてそのことがより、一同に安堵感をもたらした。声色や年齢が安全に繋がる保証などないのだが、チンピラ風情のドスの利いた声と比べてしまえば、無害を感じてしまうのも仕方はなかったのかもしれない。
「あ、あの! 招待したって、どういうことですか?」
「死んだような気がしたんだけど……」
「これってまさか、転生なんじゃ!?」
と、場の生徒達は各々勝手に声に出す。それを耳にしても分別できず、謎の声主は堪らんと、すかさず皆の騒ぎを鎮める。
「タァアアイム! 私の耳は二つっきゃないんだってば。説明すっからさぁ、ちょっと待っててよ。今そっちに行くからさぁ!」
その者曰く、この場に来ると言う。しかし周囲は雲の海で、訪れまでに暫くの時間は掛かるはず。その間に騒めきを取り戻す生徒達、しかしその合間にふと、微かな音を耳にする。布を扇ぐようなはためく音が、一定の感覚で連なり、そして次第に大きなものに。迫り来る音の源は、周囲三百六十度に影もない。しかし音の正体に気付いた者は一人静かに天を仰ぐ。それを真似て、残りの者も頭上を見上げた。
舞い降りる使者。その者は純白の装束を身に纏い、滾る炎翼を羽ばたかせる。その揺らめきは、煌めく残像を残しながらに、降り立つ雲海への軌跡を標した。
一般的なイメージと相違はあるが、一同は総じてその者を天使だと感じた。しかしそれは間違いで、その者は天の使者などではなく、主に値する最上位の冠を持つ。
「待たせたな。私の名はミラノア。転生を司る神様だ」
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