紫陽花が咲いた朝
よければ最後の1行まで読んでください。
渋谷のハチ公を見ると憂鬱な気持ちになる。今日もまた雨。六月のこの季節雨は付き物だ。地面に落ちる雫の音は嫌いじゃない。寧ろそれが私のこの憂鬱な心を癒しているかもしれないと思うほど。私にはもう時間がなかった。今日も外出が許されてるのはほんの二時間。そんな中わざわざハチ公まで来たのは理由がある。毎日欠かさずに来ている。待っている。中学二年生の時にここで会う約束した君を待っている。六年間片思いし続けた君を。
病院に帰って横になる。
「今日も来なかった。今頃もう覚えてないかな。」
看護師さんが優しく言った。
「男ってのはいちいち細かいものを覚えてないのよ。紬ちゃんも忘れて楽しまないと!」
忘れられるわけが無い六年間片思いした彼を。それからもう三年が経つ。三年間毎日私は通い続けた。今日みたいな雨の日も。いつか来るんじゃないかと。しかし一向に来る気配はなかった。
「私、いつ死ぬの?もう長くないんでしょ?」
「そうね。詳しいことは私も知らないからお医者さんに聞いてみて!でも覚悟してから聞くのよ?」
覚悟はとっくにできている。でもせめて最後に日向くんに会ってから死にたい。
中学に入学してもう二ヶ月も経つ。私の身の回りは驚くべきスピードで成長しているというのにぽつんと取り残された私はまだ小学生のあどけなさが抜けずにいた。そんななか私と同じく成長し遅れている日向くんと話をする。日向くんは私と同じ小学校から来た。小学二年生のとき気づいたら私はもう日向くんのことが好きだった。しかし生まれた頃から奥手の私はその事を打ち明けずに中学一年にまでなってしまった。けどまだ二ヶ月しかたっていないというのに日向くんは物凄いスピードでモテ始めた。そりゃ顔も良くて性格も良くて経験少ないなんてモテるに決まってる。
「日向くん、すごいね!そんなにモテるなんていいなぁ!」
「え?そうなの?全然知らなかった…僕、女の子と付き合ったことないし好きになったこともないからまだわかんないや!」
「優しいからだよ!」
私の気持ちはしまっておこう。きっと出すタイミングが来るから。
体育祭、文化祭、球技大会などの学校行事をこなしていった私達はすこし大人になった気がしていた。二月、寒さの真っ只中、私は自転車を急がせた。遅刻しそうだった。すると後ろからものすごいスピードの自転車が私を追い越した。そして振り返って私を呼んだ。
「紬?遅刻するぞ!急げ!」
「分かってる!」
日向くんは急げば間に合ったはずなのに私を待って一緒に遅刻した。なんで?仲がいいから?それとも…
二月末、私はついにこの気持ちを打ち明けることにした。
「私、日向くんのこと好きです。ずっと好きです。付き合ったりってよくわかんないけど、恋人になって欲しいです! 」
頭の中が真っ白になる。初めて人に告白をした。
「あぁ、僕でよければ!僕も紬のこと前からその気になってた。宜しく!」
それから私達は付き合うことになった。付き合うって言っても何をしていいのか分からなかった。三月卒業式、先輩たちは号泣だが私は泣かなかった。そんなに先輩との深い関わりがなかった。
初めてのデートで水族館に行った。でも正直魚なんてどうでもよかった。あれを話すために今日ここに来た。
「日向くん、実は私転校することになったの。親の仕事の事情でさ。近くなんだけど、電車で三十分あれば来れるくらいのところ!だから学校では会えなくなっちゃうけど…」
「そうなのか。そんなこともっと早く言ってくれても良かったと思うけど、言ってくれてありがとう!会いたくなったらすぐに会いに行くよ。」
「うん!いつでも来てね!」
その日のデートを終え私はとうとう転校することに。
まだ中学一年生の私達は携帯電話なんて持っていなかったから、連絡の取りようがなかった。だから口頭で約束した。
「四月一日に渋谷のハチ公前で待ち合わせをしよう!時間は十時。」
その日なぜ彼が来なかったのかは分からなかった。それっきり結局彼の連絡先すら知らないままこんな状態になっていた。心臓病でもう先の長くない命だ。そんな焦りと憂鬱と悲しみの中一人の少年と出会った。私と同じ心臓病を宿らせた少年。少年と言っても私の二つ下の中学三年生だ。病室で隣になったため自然と私はその少年と話をした。
「君、名前はなんて言うの?」
「僕は陽翔って言います。」
「陽翔くんかぁ。あきちゃんって呼んでもいい?」
「もちろん。よろしくお願いします。」
「あきちゃんも私と同じ病気なんだってね。しんどいよね。なにかやりたいこととかってある?」
「そうですね。僕、遊園地に行ってみたいです。行ったことなくて…」
「遊園地ね、私も行きたいなぁ。観覧車が好きでさ、よく観覧車から見える景色を絵に描いてたのよ。」
「絵、描けるんですね。すごいです。僕なんて特技のひとつもありませんよ…笑」
初めて笑った。可愛い顔してるなぁ。
「私だって絵は好きだけどとても人に自慢できるものでは無いしこれといった特技なんてないよ!でも生きているだけでそれだけでいい気がする。」
なんかあきちゃんって話しやすい人だな。
「そう言えば名前なんて言うんですか?」
「あ、紬といいます。」
「珍しい名前ですね。あんまり聞かないはずなのにどっかで聞いたことあるような気がします。紬さんはやり残したこととかってないんですか?」
「そうだねぇ。私は彼にもう一度会ってデートがしたいかな。」
「彼って彼氏さんですか?」
「今はもう違うのかもしれないけど、中学一年生の頃に付き合った子がいてその人とハチ公前で待ち合わせをしたんだけどそれっきり会ってもなくて連絡も取ってないの。でもまだ忘れる訳にはいかなくてさ。死ぬまで覚えといてやるって思って、毎日ハチ公通ってるんだよね。いつか来てくれるかなって思って。」
余計な事まで話しちゃったかな。
「なんかロマンチックですね。僕なんて恋愛したことないです。せめて恋を知ってから死にたいですよ笑」
可愛い。こんな少年が死んでいいものなのか。絶対に絶やしてはいけない命の一つだ。と言っても私にどうこうできる問題でもないが。
「あきちゃん、漢字はどう書くの?」
「太陽の陽に、翔ぶって書きます。翔ぶは難しい方のやつです。由来は陽に向かって翔ぶようにってことらしいです。」
陽に向かって…日向くんも日に向かって行くようにって由来だった。そんなことを思っているとあきちゃんが口を開いた。
「紬さんって何歳なんですか?あ、女性に歳を聞くのは失礼かもですが歳が近い気がして。」
「いいの。私は十七歳。高校二年生よ。」
「そうなんですね。僕のお兄ちゃんと一緒です。僕のお兄ちゃんは僕と同じ変わり者なんですよ。血液型はAB型。二人とも。」
お兄ちゃんいるんだ。私は一人っ子だから羨ましいや。
「高校二年生なんだね。」
私まだ死にたくない。この少年の命を救ってあげたい。自分の命に変えてでも。
次の日、またハチ公に行った。10分ほど前で待って帰ろうとした時、彼が来た。
「なんでここに?何しに来たの?」
あきちゃんはにっこり笑って
「後を追って来ました!」
と言った。この子の笑った顔がどうも懐かしく可愛く思う。
「ダメでしょ。戻らないと。」
私達は二人で病院に戻った。途中でアイスを買ってあげた。美味しそうに食べてくれて嬉しかった。
「あきちゃんのお兄ちゃんってどんな人なの?」
「あいつはめんどくさいやつなんです。でもすごく頼りになる人なんです。いつも励ましてくれたり、お菓子買ってくれたり、僕の面倒を見てくれる、優しいやつなのに。なのに…」
あきちゃんは急に泣き出した。私は黙って背中をさすりながらきっとこの子には信じられないほどの悲しい出来事があったのだろうと、察した。
またしても病室のベッドに横になる。学校という場所はどんな場所だったのかすらもう忘れてしまった。トイレに行こうと立った瞬間、物凄く苦しくなった。発作が起きて私はその場に倒れた。すぐに看護師が駆けつけてお医者さんが来た。しばらくして私の発作は治まって、お医者さんが目を覗いていた。
「私、いつ死ぬの?もう長くないんでしょ?」
お医者さんは優しい顔で言った。
「君は死なない。死なせない。約束しよう。僕は君を必ず助ける。」
そんな嘘に耳を傾けるはずがなかった。今の医療で私は助からない。ドナーが現れない限り。正直、手術はしたくなかった。怖いもの。でもそれで自由に生きれるなら?
次の朝、私の体調は驚くほど良かった。そしてまたハチ公に行く。やっぱり今日も来ていない。もうどこかへ行ってしまったのかな。二度と私の前には現れないのかな。
「今日も来なかったよ。」
「紬さんも凄いですね。三年間も通い続けるなんて、すごいです。僕も何かに夢中になれる日が来ますか?僕も紬さんみたいになれますか?」
正直に言うと私達は夢を見れない。もう消えてしまう火をどうにも出来なかった。今はただ風から身を守り火を絶やさないようにするしかない。それでも私はこの少年にそんなことは言えなかった。
「きっと夢中になれるものは見つかるよ!私みたいになっても仕方ないけど、あきちゃんはもっといい人になれる!」
あきちゃんは無邪気に笑った。いつの間にか私はその笑顔に惹かれていた。
一週間がたった。私はもう死へのカウントダウンを心の中で始めていた。そんな時あきちゃんが私に言った。
「夢中になれるもの、いや、夢中になってしまいました。紬さんに夢中です。恋をしました。お互い置かれた状況なんて関係なくあなたに夢中です。」
人生で初めてこんな愛の告白をされた。すごく嬉しかったけど私達はもう長くない。
「そうか。夢中になれるものあってよかったね!」
「その、もし良かったら遊園地デートしませんか?!お医者さんの許しを得たら。」
「そうだね。許しを得たらね!」
多分無理だろうけど。私はそれだけ言って横になった。
あきちゃん、ほんとに可愛いな。こんなに顔が赤くなってるのあの時以来かも。全てを忘れてあきちゃんとデートをしたい。何もかも忘れて二人だけの。
次の日。
「紬さん!許しを得ました!行くだけなら、いいとの事です!心身に刺激を与えるものに乗らなければいいそうてす!」
ほんとに許しを得てきた。あきちゃんのあの輝いてる目。
「そうなのね!行こうか。じゃあ!」
私とあきちゃんは一緒にあらかわ遊園に行った。入ってからベンチに座り色々な乗り物を見て乗った気分になりながらあきちゃんとお話をした。
「紬さんは遊園地に来たことありますか?!」
「あるよ!前に家族で来たの。でもね、あんまり記憶が無いけどね。楽しかったっていうのは覚えてるわ!」
「そうなんですね。僕も今日初めて来たけど楽しいものですね!乗り物に乗らなくても楽しいです!」
「ねぇ、あきちゃん!観覧車ならいいんじゃない?乗っても!」
私は久しぶりにはしゃいでいた。自分でも恥ずかしいくらいに。
「そうですね!行きましょう!」
私とあきちゃんは観覧車に乗った。観覧車から見下ろす景色はいつも見る景色とは違いどこか色鮮やかに見えた。この鮮やかさを絵に描きたい。
「あきちゃん、もうすぐ頂上だよ!」
「はい!」
頂上に達した。振り返ってあきちゃんの顔を見ようとした瞬間、唇が重なった。二人で同時にあやまった。
『ごめん!』
そして笑いあった。あとは降りるだけ。下観覧車をおりてしばらくたつと急にあきちゃんが苦しみだした。私はどうしていいのか分からず、
「助けてくださいっ。」
と、叫ぶことしか出来なかった。周りの人達の迅速な対応のおかげで救急車が間に合い私とあきちゃんは病室に戻った。あきちゃんは意識不明の重体だった。もしかしたら観覧車での出来事が心臓に負担を?そんな罪悪感に苛まれて私は気が気じゃなかった。
あきちゃんは一刻を争うとのことで手術をすることになった。でも、手術ってなに?私と同じ病気ならドナーがいなきゃ手術なんて出来るはずがない。
「先生、手術って、あきちゃんのドナーはいるんですか?」
先生は静かに頷いた。そして私は看護師に連れられ病室に戻った。そして色々と聞かせてくれた。
「陽翔くんはね、生まれた時から心臓が悪くてほとんど学校にも行ってないし、病院から遠くに行ったことがないの。それで陽翔くんのドナーはもう四年前から決まっていたの。」
「ドナーがいたのならはやく手術をすればよかったのにどうして?」
「陽翔くんが嫌がったのよ。でももしほんとに命が危ない時はお願いしますって本人が言ったからその意志を尊重して今日まで手術はしなかったのよ。四年前、とつぜんこの病院に運ばれてきた少年。今の陽翔くんより若かったかな。交通事故に遭ったらしくて。脳死状態だったのよ。そして、その少年が陽翔くんのお兄ちゃんだったの。」
だからあきちゃんは手術を嫌がったのかもしれない。だからあきちゃんはあの時泣いたのかもしれない。
「彼が運ばれてきた時に持っていたバッグの中にはハンカチと手紙と贈り物が入っていたの。おそらく彼女に向けてだと思われるものが。」
そんなに悲惨な話があるものなのかと私は思わず涙を一滴流した。
「その手紙って何が書いてあったんですか?」
「まだとってあるから読む?」
「はい。」
『転校先でも頑張れよ!僕はずっと応援してるよ!そして会いたい時はいつでも会いに来いよ!紬の事が大好きだ 今までもこれからもずっと。また会おう。
『日向』
私は混乱した。どういうこと?間違いなく彼の字で彼の名前。私の名前すら書いてある。無意識に泣いていた。ものすごく泣いていた。あきちゃんのお兄ちゃんが日向くんだった。
「あら、紬ちゃん?どうしたの?」
私は急いで廊下を走った。そして手術室の前に立ち窓を覗いた。横になったあきちゃんと日向くんの姿があった。日向くんは当時より成長していた。身長さえも伸びていた。私は涙が止まらなかった。そのまま床に座り込んだ。ただ泣き叫んだ。
病室に帰って私はもう死にたくなった。あの日、来れなかったのは事故に遭ったから。私が呑気に待っている間に。
手術は無事に成功したらしい。あきちゃんはベッドで回復を試みている。今朝やっと目を覚ました。
「紬さん…僕どうやら死んだみたいです。」
「生きている。あなたは今生きてる。立派な大人になってね。いつまでも応援してる。」
また泣いた。
六月二十八日の朝私は静かに息を引き取った。私の横には紫陽花が活けてあった。さて私はこれからどこに行こうかしら。そんなに悪いことはしてないから天国にでも行けるのかしら。どちらにせよ日向くんには会えない。彼は今も尚あきちゃんの中で生き続けている。この瞬間も心臓を動かして生きている。
生まれ変わったらまた会えるかな。
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