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第8話 地味ぽちゃ系アラサー女子の私がイケメン付喪神に甘い仕返しをされた件

 《ふわ、ふわ、ふわり》

 

(あぁ……気持ちいい……)


 桃色の雲の中を、くるくると浮かんでは跳ねてゆく。先程までの暴走列車さながらの自分は、すでに私の中から退場したらしい。夢心地の中、柔らかな真綿の霧が体全体を包み込み、より深く、悠久の楽園へと誘われる。


(入社初日から、最悪だ……)


 頭の片隅で、冷静に考えている自分がいた。

 あまり限界まで酔った事が無かったが、ここまで本音を公の場で曝け出すとは……色々と、拗らせるにもほどがある。


 人は、愛に飢えすぎると自発的に壊れるものなのかもしれない。

そんな事を今更ながら自覚したが、後の祭りだった。すでにやりたい放題やってしまったのだから。


 (人魚姫のラストみたいに、このまま跡形も無く消えて、イケメンを遠くから見つめるだけの存在になれないかなぁ……)


 自暴自棄を経て、考えが大分後ろ向きになってしまったが、せめて今だけは、現実逃避させてほしい。

 あと、もう少しだけ――――




 * * *




 《ぎゅうう》


「…………んん……?」


(あれ? これ、何? 握ると、力が……)


「お目覚めですか、伊縄城(いなわしろ)さん」

「ふ、ぁ?」


 寝ぼけた目をゆるゆると開くと、私を見下ろすイケメンの姿――――――


「!!!!!!」


 さっきまで私がよそよそしい態度で避け続けていた思兼(おもかね)さんが、今、ベッドに横たわった私の枕元に座っていた。

 そして、私が無遠慮に握っていたのは、思兼さんの手のひらだったのである。


 「えっ?! な、なんでっ……」


 驚いたのは、それだけではない。

 どういうわけかジャケットとネクタイを外しており、第一ボタンを開けた逞しい首筋がちらりと見え、溢れんばかりの大人の色気が爆発していた。

 シャツの袖は捲り上げられ、引き締まった腕が露出している。ワイシャツ一枚の、どシンプルな格好なのに、やけに妖艶だ。着痩せするタイプなのか。

 広い肩幅や腰のラインがより強調され、服を来ているはずなのに目のやり場に困るというのは一体どういう原理なんだろう。

 普段の清廉な思兼さんの印象とは対極すぎて、酔っ払って頭が働かなくても、ついつい立派な肢体に釘付けになってしまった。


(思兼さんが、目の前に、いる…………!?)


 顔はよく見えないが、月光を背に微かな明かりが縁取る輪郭や長い睫毛が煌めいている。

 普段の思兼さんとは違い、何処か危うげな男らしさを感じた。


「あの、私……」


 テンパり過ぎて、舌がうまく回らない。

 まだ体に力が入らず、すぐに起き上がる事は困難だった。

 

(そういえば私、あの後、こんな状態でどうやって帰ったんだっけ?)


 私が知りたい事を全て察したらしく、思兼さんがゆっくりと口を開く。


「伊縄城さんが倒れた後、医務室に運ばれてしばらくお休みになられてました。皆、翌日の業務がありますので僕が残っていたのですが、呼吸が安定し帰宅して問題ないとの判断が出ましたので、お部屋までお送りした次第です」

「ひぃ……」


 迷惑以外の何者でもない。

 そして、絶望的なのは前にもこれと全く似たような状況になった事である。


「二度目ですね。こうしてお部屋にお邪魔するのも」


 グサリ。


 口調は丁寧だが、明らかにお怒りだった。

自業自得の結果なのだから、仕方がない。

それでも、一切容赦しない姿勢がひしひしと伝わってくる。怖い。怖すぎる。


「あ、の、すみません。私、ちょっとお手洗いに……」


 駄目元でどうにかベッドから脱出しようと試みるが、両肩をがっちり掴まれ、思兼さんの顔が目前に迫る。


「伊縄城さん。もう、お分かりだと思いますが。

ご自分のされた事について、よーく覚えてらっしゃいますよね?」

「う…………」


 ゼロ距離で見つめ合う。


(怒ってるけど! ごめんなさいだけど!!

 な、何、この状況?! 死んじゃうってば!!)


 こんな事をされたら、一瞬で酔いも吹っ飛ぶ。


 間近で見る思兼さんの顔は、文句なしのイケメンという感想しか出ない。ただ、直視し続ける事は率直に言って拷問である。どんな良薬も、分量を間違えれば毒にしかならない。このままでは心臓が止まる。


 そんな心の葛藤などいざ知らず、思兼さんの表情は硬化したままだった。キリリとした目線を外さないまま、数分が経過した。

 

 《むにっ!》


「お、おもひゃねひゃん……?!」


 思兼さんは唐突に、私の頬を両手で引っ張った。

 力は強くなかったが、むにむにと頬を摘まれてしまい、間抜けな顔を晒している事に赤面する。


「はへ、ご、ごめんにゃひゃい、ゆるひてっ、」

「仕返しです。観念しましたか?」

「ひゃい、しゅみまふぇんっ!」


 パッと手を離されると、体勢が不安定になった私を抱きかかえ、そのまま力強く腕の中に包まれた。


「!?」

「……すみません」

「ふぁっ……あ」


 この感触は。

 さっき起きる直前に感じた時と同じ。


 厚く、固い胸板が私の胸元を圧迫し、恥ずかしさに顔が熱くなる。耳元で思兼さんの吐息を感じて、くすぐったい。身を捩ると、また逃げられると思ったのか、もっと強い力で抱きすくめられる。

反射的に余った腕を思兼さんの広い背中に回してしまったが、不思議だ。何故だか、無性に泣きたい。


「伊縄城さん」

「……っ、は、はい」


 心臓の早鐘が止まらない。

 多分、ダイレクトに伝わっているだろう。

 私の初心な反応に気付いた思兼さんは、いつの間にか甘い眼差しへと変化していた。


「俺の事を嫌いでも構いません。ただ、ご自身を傷付ける行為はやめていただけませんか。俺は、貴方には誰よりも幸せになってほしいので」

「しあわせ……。私の?」

「そうです」


 (どうして、そんなに優しくしてくれるの?)


 まだ、胸の高鳴りが治らない。

皆、私になんて見向きもしてくれなかったから。

真っ向から叱られて、さっきまでのぐちゃぐちゃで澱んだ気持ちが嘘みたいに霧散した。


「明日は無理をせず、伊縄城さんのペースで動いてください」


 まだ離れ難かったけど、思兼さんが私の頭に手を添え優しく枕に寝かせてくれた。


 心のつかえがとれ、眠気がどっと押し寄せる。


「ありがとう……ござい、ま……」

「……おやすみなさい。伊縄城さん」


 私が完全に眠りに落ちた事を見届けたのだろうか。

 静かに、扉が閉まる音が響いた。

最後までご覧頂きありがとうございます。


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