神さま御不在
いつもは澄んだ空気が少し淀んでいるのを感じました。
鳥居の脇の石の駒狐からひょいと白い狐が飛び出しました。
すんすんすん。
匂いと気配を探ります。
あれ?社の主、居なくなっているんじゃね?
10月に入った時、寂れた神社の眷属が気付きました。
「神様、居ないんじゃね?」
御使い狐のあーさんです。
「え?まさか。」
同じく御使い狐のうーさんが、お社の周りを回ってすんすんと嗅ぎまわり探しました。
すこし空に飛び、上からも確認します。
お社は小さな山の中にあります。
昔は周りは農地だったので、お百姓さんが季節ごとにお酒やお餅を持ってきてくれました。
今は、誰も来ないので、神様の力も小さくなってしまいました。
眷属の狐は、年々小さくなっていく神様を悲しく悔しく、なにより寂しく感じていました。
次の日も、その次の日も神様の御姿はありません。
「なあ、消えちまったのかなぁ」
あーさんが呟きます。
「いいえ。それはないはずです。眷属の私たちが居るのが、その証拠でしょう」
うーさんがハッキリと答えました。
しかし、神様が留守のお社には、良くない事が多く出てきました。
中学生くらいの子供たちが集まって、お菓子を食べながら、漫画やエッチな本を読みまわして、ゴミもそのままに帰ろうとするのです。
あーさんも、うーさんも怒って、帰り際の階段を降りていく子供たちの背中を、下から5段目になった時に突き飛ばしました。
子供たちは、皆転んで落ちていきました。
膝を擦りむいた子、手と肘を怪我した子。他の子に蹴られた子。お尻を打って数日後に青あざになった子も居ました。
「痛ってぇ~」とみな、口々にしながら立ち上がった時、最後のオマケに、あーさんとうーさんが、階段の両端に立ち上から勢いをつけて降りてきました。
それは、神社からの冷たく、どこかヒリヒリするような風で、子供たちは、神様を怒らせたことに気付いて、鳥居の脇に各々《おのおの》が停めてあったあった自転車に乗って慌てて逃げていきました。
もちろん、鞄には神社に置いていったお菓子の袋に紙袋、空のペットボトルを入れるのも忘れません。
他にも、神社の境内で朝の犬の散歩で糞をさせる男も居ました。
神様がいれば、犬は鳥居を入ることも出来なかったはず!
狐たちは怒り、風を回し、犬と男の周りを枯葉の渦で取り巻きました。
犬は尻尾を足の間に入れ、震えています。
男は恐怖で走り出しました。固まっていた犬が引きずられています。
「待てい!」
あーさんが叫びました。
ギョッとした男が振り向いたとき、ぽんと何かが胸元に当たりました。
それは、上着の内側を落ちて、お腹のあたりで止まりました。
犬の落とし物です。
「ひゃーーーっ!」
男は逃げていきました。
その様をふんっと見送っていたうーさんが呟きました。
「神様がいないと、ここまで如実に変わってしまうのですね」
もっと、大きな力を持った神様なら、その威光はすこし座を離れてもしばらくは続きます。しかし、このお社では翌週から不浄や穢れを伴う出来事が起こり始めました。
「どこいっちまったのかな。神様」
あーさんが、空を見上げます。
眷属の戦いは、それはそれは大変なものでした。
朝から、神社で犬の糞をさせようとするのは、一人二人ではありませんでした。
日中は、学校をさぼった中学生がたむろをしようとし、追い返しました。
夜は若者が肝試しに、来たりもしました。
「この場を何だと思うておる!神の座する場ぞ」
二匹の狐が怒り狂って若者たちの周りをグルグル回りました。
風が自分たちの周りで回り、若者は身を寄せ合いました。
「痛てっ」「あっ!」「きゃあっ!」
小さい悲鳴が時々上がります。
若者たちを取り巻く、つむじ風はかまいたちのように薄くではありますが、皮膚を切っていくのです。
二匹の狐は、大きく息を吸い、頭上から低い声を(うーさんは頑張って)出しました。
「かーえーれーーーーー・・・・かーえーれーー」
悲鳴を上げて逃げていきます。
二匹は仕方なしに、階段をほんのりと照らしました。
夜の階段で動揺して走り降りては、大きな怪我になるかも知れません。
若者たちは、悲鳴を上げながらも、それでも無事に降りていきました。
最後の一人が階段を降り切って、鳥居を超えました。
怖い気持ちはありながらも、後ろを振り返りました。
その時、薄明るい階段が、ザンと音を立てるように暗闇に転じました。
再度、恐怖で悲鳴を上げ、仲間を追い車に乗り込みました。
「階段が、明るかったんだ!それが消えたんだ!」
若者の言葉は、周りから「訳わかんねぇ事いってんじゃねぇ」などと言われて黙りましたが、それから、各々が家に帰った時に思い出すのです。
逃げ帰ろうとした瞬間、暗闇で階段が見えなかったこと。そして、淡く階段が姿を現したので、降りることが出来たのだと。
そもそも、来た時から懐中電灯で足元を照らしながら行ったじゃないか。
あの時から、暗闇だったのだ。と。
なんとなく、周辺住民の間でささやかれだしました。
「あそこの小さな神社は怖い」
「怖いね」
「怖い場所だから、行っちゃあダメよ」
「あそこって、ヤベエよ。マジで」
「あー。兄ちゃんの友達が肝試しに行って、顔をカミソリでやるみたいに切り裂かれたんだって!」
「俺も聞いた!腕とか、足とか出ている部分を切り裂いていくんだ」
「怖いね」
「怖い場所だね」
眷属は、見下ろす民の「恐怖」「不信」「興味」などの感情を感じ始めました。
「うるせー。お前らが神様に罰当たりな事をしたんだろ!」
あーさんは、叫びます。
その夜、最も恐ろしい事が起きました。
人の小さな恐怖と悪意が呼び寄せました。
いえ、それは探していたのです。
自分の居場所を。
それらは、一つの身体に沢山の頭を生やした穢れ。
戦国時代からの恨みが固まって、現代の自殺者なども取り込んだ恨みの集合体でした。
「ああ、いい場所を見つけたぞ」「あそこじゃ」「うむ。神は居ぬな」「人の悪い気も入っておるぞよ」「へぇー。人に嫌われている神社なんだ」
一つの身体から、沢山の生首が言います。
眷属の狐が声を荒げます。
「ここは神のおわす場所なり。まつろわぬ忌むモノたちよ。即刻に立ち去れい!」
あーさんです。
うーさんも言います。
「ここは我らが守る土地なり。神は所用にて不在なれど、我等眷属が主に代わりし、この地を守る。さっさと立ち去るがいい。禍きモノどもよ」
「おや、眷属を置いてどっかに行っちまったのか?」
「捨てられ狐だの」
「眷属から野狐へ堕ちるのはいつかな?」
禍きモノは嘲笑います。
「貴様らーーっ!!!」
二匹の眷属は全ての力を持って排除に向かいました。
しかし、禍きモノはズリズリと近づいてきます。
そして、結界であるはずの鳥居に近づきました。
二匹の眷属は祈ります。
きっと結界が奴を跳ね除ける。
しかし、鳥居は最初だけ白く光ったり、稲妻をだして拒んでいましたが、次の瞬間にパリンと何がか壊れる音がして、禍きモノが入ってきました。
「おのれーーっ」
狐は風になり、石を降らせて禍きモノの侵略を止めます。
それは何日も何日も続きました。
静かな朝に、穏やかな日中。しかし、陽が落ちると戦いが始まるのです。
そうしているうちに、少しずつ変化が起こりだしました。
禍きモノの顔が減っていくのと同時に、狐は空を飛ばなくなり、直接噛みついたりしています。白い狐の毛に少し茶色が入りだしました。
「くっそう!」
「諦めないで!」
「当たり前だ!」
二匹の狐は声を掛け合います。
この地は、ほんの百年前まで見渡す限りの広大で豊かな田んぼが広がっていました。
毎年の秋口には、稲荷山から見下ろす世界の全てが金色に実った稲穂でした。
そして、収穫のお祭りには、お社に沢山の野菜や米やお酒が捧げられました。
その夜は、夜を通して笛や太鼓が鳴り、人々が躍るのです。
その姿を、もう見ることが出来ないのは残念ですが、それでも、この地で豊かな生活を人々はしているのです。
生活は様変わりしても、田んぼがなくなっても、お祭りがなくなっても、参拝者が居なくなったとしても、それでも、この大好きな地を守ると決めて眷属になったのです。
諦めない。
諦めてたまるか。
ガルルルルルッ!
グルルルッルルゥッ!!!
もう、人の言葉の話せなくなった二匹のただの茶色の狐が、黒いモノに噛り付いています。
「はっはっはぁっ!神の力が抜けて野狐になり下がったぞ」
「だから、何だって言うの?お前が気に入らないのは変わらないわ」
モノノ怪の言葉でうーさんが言い切りました。
「あんただって、そうでしょう?まさか、あたしの毛皮が白いから好きだなんて言わないわよねぇ?」
「あ、当たり前だい!お前はいつだって奇麗だ。それに俺だって、この地が大好きだ。こんな奴に座に居座られてたまるか!」
あーさんが慌てて言いました。
なりふり構わずに襲い掛かってくる獣二匹を、押し戻す禍キモノ。
もう、抑え込む力も、追い出す力もありません。
神さま。
神さま。
この地を守ってください。
この地の人々の生活を守ってください。
こいつに居座られたら、人々は狂ってしまう。
お願いだ。
お願い。
二匹の獣になり下がった狐は、それでも祈りました。
「待たせたの」
シャリン♪
と
空から鈴の音と共にお社にドン!っと光の柱が降りました。
ああ、帰られた。
戻られた。
「無理をさせたの」
傷だらけの茶色の狐は、白く戻り、それから金色に輝きました。
狐は、すうっと清浄な空気を吸う。
もう、大丈夫だ。
追い払える。
「下がると良い」
「我が主よ?如何なされた?もう、我だけでも散らせます」
「うむ。しかしな。
まつろわぬ者よ。業苦の道を辿る者よ。もう終わりにすると良い。
鎮まりなされ」
静かな、お社からの声で、恨みで固まった怨念で動いていた禍きモノは、粉々に霧散していきました。
金色になった眷属の二匹は、口が空きっぱなしです。
神さま、居ない間にパワーアップです。
いや、これはバージョンアップくらいでしょうか。
「「あ、あるじ?」」
「留守にしてすまなかったの。ちょっと出雲に行ってきたのだ。
末席ではあったが、参加させて頂いた。
これからな、少し力が必要になるのだ」
「少し旅の疲れがあるのでな、休ませてもらおう。お前たちも留守をよく守ってくれた。
あの禍つ者は予定外だったの。お前たちが絶望しなかったおかげだ。礼を言おう。
良くやった。良くやった。もう、お前らを悩ませることは起こらない。
しばらくは休みなさい。その時には、また働いてもらおう」
「わかりました。おかえりなさい。主」
「かしこまりました。お帰りなさいませ。次がありましたら、ちゃんと前もって伝えて下さいませね」
あーさんと、うーさんは、鳥居の両脇の駒狐に乗り移って動かなくなりました。
お社に戻った神様は、これからの未来を視ました。
その世界は、病み、疲れ、狂い、爛れた世界でした。
「儂が座すだけでは救えない者たちが出る。だから力を求めたのだよ。
昔の村人と信仰と共にあった力を戻してもらいに出雲に出向いたのだ。
気を清めて長年の穢れをとってもらったぞ。
ずいぶんと探させてしまったな。すまなんだ。すまなんだ。
もう少しで、自分の戻る場所までなくなりそうだったわい。
もう、大丈夫だ。
天と地の約束の柱として、儂はこの地と共にあろうぞ。
健やかに命よ育て。命を慈しめ。そして、生きよ」
お社の主は、力を貯め続ける。
そして、時折目を開けては、見える範囲のこの地の浄化をする。
静かに静かに
いずれ来る、未曾有の災害に備えているのです。
力が正しく回りだしたお社は、山の下の街にまで影響を与えました。
街は活性して、いつでも人の声で溢れています。
社の主はつぶやきます
「命に光あれ」




