send my best regards
これが間違いだと言うのは分かっているつもりだ。倫理的であれ、社会的であれ、生物的であれども。
それでも、たとえ誰の糾弾を浴びようとも、やめるつもりは毛頭無かった。やめてはいけないと、僕自身が叫んでいた。
「やめて……、お願い、やめてよ」
透明なガラスケースの向こうで君は崩れて膝をついていた。届かない向こう側、もどかしいその壁を叩きすぎて、雪のように白い手は赤く熱を帯びているのが分かる。そんな思いを、痛みを、憶えて欲しいわけではないのに。握りしめたくて、抱きしめたくて、けれどやっぱり僕もケースの壁に阻まれるのであった。僕が作った、君だけを救う、その箱に。
「ねぇ、こんな事を望んでいるわけではないの……」
切れぎれに、涙を飲みながら君は嘯いた。綺麗な栗色の長い髪を揺らして、留まり切らなかった滴は頬を伝って足下に溜まっていく。このままだと彼女は溺死してしまうのではないだろうか。はらはらと散っては美しい水面を描いた。
君は、自分が犠牲になって世界を救えれば良いと言う。
僕は、世界を犠牲にして君を今救おうとしている。
建物の外では、今頃幾人もの追跡者が厳重過ぎるこのセキュリティに業を煮やしているだろう。まさか自分達が作ったガードに手足を括られるとは思っていなかったに違いない。自身が内に入って改めて実感する。ここは地上のどの場所よりも安全な場所である。
「エマ」
すっかり腫らしてしまった大きな瞳をガラス越しになぞって声を掛ける。ぱちぱちと音が聞こえるかのように錯覚する、彼女は瞬きをして必死に耳を傾けていた。
「ごめんね、ごめん。でも君を傷つけたくはないんだ」
この手で抱きしめられないのはどれほど口惜しいだろうか。この声で君を呼べなくなるのはどれほどに悲しいだろうか。それでも僕は、君を、君だけを愛しているんだ。
「いやよ……」
「エマ、」
「いやよ。あなたが居ない世界なんて、振り向いても誰もいない世界なんて! 生きてたって意味なんてない!」
「エマ」
理解を期待してはいなかった。分かっている。これは、全くもって、只の、自身のエゴなのだ。失くしたくないものを無くしたくないだけ。ただそれだけのために、僕はこの世界を傷つけようとしている。
分かっている。どこかの名も知らない少女は両親をなくし、どこかの顔を伏せた青年は肩を抱いたばかりの婚約者を失うのだろう。例えば、それが自分であったら。激昂してその首謀者をまつりあげるだけでは気が済まないかも知れない。
それでも。
「僕は、君に生きていて欲しいんだ」
例え、何を犠牲にしても。次に君が目を覚ました時、幸せに笑えるように。そんな世界が必ず来ると信じて。
「このまま終わらせるわけにはいかないんだ」
「……!」
ガラス越しにキスをして、そうして最後の砦であるレバーをあげる。プログラムは済んでいる。もう後戻りはできない。この水槽に浮かぶ彼女を残して、殆どの人類は塵となりこの世界へ還り逝くだろう。そうしていつか静寂が訪れた後ゆっくりと目を覚ましてほしい。緑が溢れる世界で、一人の人間として幸せを掴むために。
ごぽり。音が聞こえた。
それが、自分が溶けていく音なのか、彼女が沈む音なのかはもう、判断がつかなかった。視界の端では、目を腫らした奥、朝焼け色の瞳が此方を捉えて悲しく揺れている。そんな顔をしないで欲しい。次に目を覚ます時はどうか、笑っていてはくれないだろうか。
ーーーー愛している。
その一言を伝えようとして、遂には言葉にならず宙に霧散した。
けれど、ただその言葉だけが真実だった。
君に残したい、言葉だった。
ガバガバ設定だけど、こんな雰囲気の話もいつか書いてみたいなと思っています。




