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私のお嬢様はとても可愛いです。

作者: 朧幻影




 私の一族、ライラルトンは代々この国の大貴族、エルビス公爵家に勤めている。


 父様はそうだった。母様もそうだった。もちろん私も例外ではない。ライラルトンの者は古来より常にエルビスと共にあり、皆この世に産声を上げる前からすでに運命は決まっていた。

 生まれたときから忠誠を誓い、時には諌め、時には助言し、主君と共に輝かしい未来を切り開く。


 両者の結束は鋼よりも固く、神々の呪いよりも深い。


 エルビスが空で輝く太陽とすれば、ライラルトンは闇夜に浮かぶ月。

 ――とまあ、一族最年少の私、ナファリア・ライラルトン個人の意見を述べさせて頂くと、そんなことはどうでも良かった。




 エルビスの屋敷で産声を上げた私は、言葉を覚える前から将来の主に恥をかかせないために過酷な訓練を毎日受けていた。

 逃げ出したい気持ちは常にあるが、それは許されない。

 幸い、私は要領が良かった。逃げ出せないなら、叱られないように厳しい日課を適当にあしらいつつ、こなしていた。


 そしていよいよ成果を確かめる日が来て、私はようやく自分の主と初対面した。

 使用人として名高いライラルトンの一族は、みんな生まれたときからすでに仕えるべき主が決まっており、忠誠を捧げる運命にある。


 父様は現エルビス公爵家の当主カルタラ・エルビス公爵様に仕えている。

 母様は公爵夫人のカテリア・エルビスの専属侍女として活躍している。

 そして私の主は――公爵様の末女、エレアノーラ・エルビス。


 が、正直微塵も興味はなかった。


 初対面の時の光景は、今でも鮮明に思い出せる。

 当時十歳の私は、目の前に連れてこられた当時六歳のエレアノーラを見て――このチンチクリンのために、十年間も厳しい訓練をしてきた私の人生は一体何だったんだろうという感想を、抱かずにはいられなかった。


 当時六歳のエレアノーラお嬢様は、お人形のような整った顔立ちと、上品なドレスを身に纏っている。

 しかしその天使と見紛う見た目に反して、顔に感情の一欠片も宿っておらず、無言で私を見つめて、どこか暗い雰囲気を漂わせている。


 使用人の鑑として大陸に名を馳せているライラルトン一族は、優秀な補佐役だけではなく、他人の感情を読み取る力も長けていた。だから、私もその時、本能的にわかった。

 この子は、どこか欠如していることを。


 それから十年。

 その間、エレアノーラお嬢様と私の関係は一言でいうと、事務的対応。


 表面上は完璧な侍女と、高貴な令嬢。そんな二人に見えるのだろう。

 しかし実際は最低限の会話しか交わさず、仲良さそうな主従を演じ、淡々と各自の日々を過ごしている――互いになんの関心もない二人。





 そんな中迎えたのは、お嬢様の十六歳の誕生日パーティー。

 同時に、エレアノーラお嬢様の婚約パーティーでもあった。


 すでに他国へ嫁いだ二人の姉は時折帰ってきて、まだ婚約の決まっていないエレアノーラをイビ……からかって遊んでいた。

 傍から見ても姉妹関係は良好とは言えないが、私には関係のない話だ。


 国中から貴族と要人が集まり、エルビス様は私にパーティーの間面倒を見なくて良いと告げる。


 生まれてはじめて、自分の時間。

 四六時中お嬢様に付きっきりの私にとっては、文字通り初めての休暇だった。


 ウキウキと心を踊らせながら何しようかなと考え、屋敷の後方にある庭園までブラブラと歩いたら、それを見つけてしまった。

 見覚えのある上品なドレスを着たその人は、生い茂る花壇の中に入り、自分の姿を隠そうと縮こまっている。しかし、隠しきれないドレスは花壇の中からはみ出てしまい、顕になっている。


 正体は考えるまでもなく、視界に入った瞬間本能的に理解する。


 なぜなら、彼女が生まれたその時から、私は一刻も傍を離れたことがないからだ。一刻も、傍を離れることを許されてないから。


 普段の私ならば見なかったことにし、そそくさとその場から立ち去るのだろう。

 彼女がここに隠れてなければならない理由は興味ないが、想像はつく。――だがどの道、私には関係のないことだ。そう、関係ない。

 主従関係にあるが、実際のところただの他人に過ぎない。だから、立ち去る理由はそれだけで十分だった。



 ――普段の私ならばね。


 この時は彼女の姿を目にした瞬間、僅かな怒りが私の中に生まれた。

 初めての休暇、ウキウキと喜んでいた矢先に一番会いたくない人物が現れ、私の気分は最悪だった。


 だからだろう、その姿に若干の怒りを覚えた私は、普段では決して取らない行動をしてしまった。

 息を大きく吸い込み、あらん限りの音量で声を上げる。


「エレアノーラお嬢様ぁぁあぁあぁ、こんなところで何を――!」

「わ、わぁ、わあああ!」


 会場にまで届くような大声で、わざとらしく隠れているその姿に尋ねると、お嬢様は矢に撃たれたイノシシのように花壇から慌てて飛び出し、私の口を塞ごうと手を伸ばしてくる。


「シー、シーッ!」


 人差し指を口の前に立てて、大声出さないでと慌てるお嬢様。

 もちろん、私はその反応を見て、ニコリと微笑んだ後に――


「エレアノーラお嬢様ぁーーーーーー、こんなところで何をーーーーー」


 再び声を上げた。


「わぁあぁああぁ!」


 ホッとしたのも束の間、また大声を上げた私にビクッと驚いて、エレアノーラお嬢様は私から離れようと逃げだした。

 逃げられると追いかけたくなるのは人間の性。その姿に嗜虐心をくすぐられた私は、


「お嬢様、どこへ行かれるんでしょうか。会場はそちらでは――?」

「わぁあああ!!!」


 当然それでお嬢様が止まるわけなく、むしろ狙い通り逆効果だった。お嬢様は更に速度を上げ、私から距離を取ろうとする。


 だが所詮は貴族令嬢。速度を上げたところで、身体能力は完璧な世話役としての教育を受けた私に敵うはずもなく、今にも追いつかれようとしている。


 しかし私はあえて付かず離れずにエレアノーラお嬢様を背後から追いかけている。


「お嬢様ぁーーーーーーーーーー?」

「もう、ついてこないで。何なの、貴女!?」


 追いかけながらわざとらしく尋ねる。

 仕えるべき主の反応を見て楽しくなる。


 やがて走り疲れたお嬢様は、ぜぇはぁぜぇはぁと激しい呼吸を繰り返しながら、よろよろと立ち止まる。


 汗だくになり、ドレスと髪は乱れ、今にも大の字になって倒れそうなお嬢様を見て、私は満足した。

 ささやかな仕返しと日頃の鬱憤を晴らし、十分楽しんだ私はくるりと踵を返し、彼女に背を向け、その場から離れようとした。――彼女のその一言を聞かなければ。


「……貴女、首にされたいの?」


 額から汗を滴らせ、エレアノーラお嬢様は呼吸を整えながら、立ち去ろうとする私に言葉を投げかける。

 踏み出そうとした足はピタッと止まり、私はくるりと振り返り、すっとぼけた笑顔を浮かべて、お嬢様に、


「はて、一体何のことでしょう? 私はただお嬢様に、会場の位置を善意で教えて差し上げようとしただけです」


 と、笑いながら言う。


「もう一度尋ねるわ、貴女、首にされたいの?」

「コホン。十六歳のお誕生日おめでとうございます。エレアノーラお嬢様ぁぁああ」

「わあ……!!!」


 私の声をかき消すように、お嬢様は慌てて大声を上げ、両手はせわしなく止めようとしている。

 それで自分の不利を悟り、根負けしたのか、お嬢様はぺたんと膝を抱えて座り込み、ボソっと漏らした。


「……お願い、この事はお父様に言わないで。参加したくないの。誕生日パーティー……」


 まあ、大体そんなところでしょうね。予想そのまんまなので、さほど動じない。

 私には関係のないことだ。正直首に首にされようがされまいが、それほど興味ない。むしろ首にされたほうが好都合。

 この生活から解放されたい気持ちは、常にある。


 だから、会場から逃げ出した主役を探している公爵様に知らせて、ここに来てもらうのも、一つの手だが。

 あいにく、お嬢様を追いかけ回した私は十分満足した。

 膝を抱えて涙目になっているお嬢様に背を向けて、うーんと大きく背伸びしながら、


「……休みの時間もそろそろ終わります。この後お嬢様の部屋で勉強を教えなければなりません。エレアノーラお嬢様、十六歳のお誕生日、おめでとうございます。……この場にお嬢様がいないのが幸いですね。聞かれてたら恥ずかしいです」

「……貴女……」


 私の背後から、お嬢様が驚いたような声を上げる。

 軽くストレッチを終えた私は、屋敷に戻ろうと歩き出す瞬間、


「……待って、貴女、貴女の名前は……ッ?」


 立ち去ろうとする私を慌てて呼び止め、エレアノーラお嬢様が尋ねる。

 私は思わず苦笑を漏らし、小さくため息を吐き、


「……ナファリア・ライラルトンですよ。エレアノーラ・エルビスお嬢様」


 と答えた。


 考えてみればおかしな話だ。専属侍女の私の名前を知らないというのは。まるでこれまで私達の関係性を表しているかのような質問だった。


 その後屋敷に戻り、お嬢様の部屋で待機していた私の前に現れたのは、少し照れた様子を見せるエレアノーラお嬢様。

 どうやらなぜパーティーにいなかったと公爵様に叱られたらしい。


 コホンと咳払いをし、私の隣に着席したエレアノーラお嬢様は、


「……ナ、ナファリア、さっきは、ありがとう」


 小声でボソっとつぶやいた。


「……はて、なんのことやら? それよりお嬢様、勉強を始めましょう」

「え?……あ、うん……」


 素っ気なく返すと、お嬢様は戸惑いながらも頷き、教科書に手を伸ばし――。


「……どういたしまして」


 直後、私の口からボソッと漏れた言葉を聞いて、


「あ……!――二人の秘密ってことね」


 クスと破顔一笑し、元気を取り戻した。


 それがきっかけとなり、私達の関係は少し変化した。





「ナ、ナファリア……おはよう」

「えぇ、おはようございます。もうお昼ですが」

「うぐ……ッ」



「ナファリアって、休暇ないの?」

「専属侍女ですから」

「大変だね」

「全くですね、誰かさんのせいで」

「……ごめんなさい」



「ナ、ナファリア、はい、これッ」

「なんですか、これ。新種の暗器……?」

「失礼ね! 確かは見た目はちょっと焦げているし、硬そうだけど、きっと美味しいわよ、多分」

「……お嬢様、大変です。明日世界は終わりを迎えるかもしれません」

「もうッ! 食べないなら――」

「いいえ食べます。その両手の傷を見ると食べないわけにも行きません。例えお嬢様は私のことが気に入らなく、毒で殺そうと恨み言は言いません」

「違うってば!」

「さいですか。パク。んー、もぐもぐ……ハッ! これは……? やはり、毒殺――急いでダイイングメッセージを書かなければなりません。犯人はお嬢様……っと」

「だから違うってば」

「驚異的まずさでした」

「あの時のお礼だけど、失敗だね」

「はい。全部食べた私の気分は空前絶後これ以上ないくらい悪くなってしまいました」

「……ありがとう」

「どういたしまして」



「ナ、ナ、ナ、ナファリアァ……! い、一緒に寝ていいいぃ?」

「枕と布団を持ってこられた時点で私に拒否権があるとでも?」

「あ、ありがとう……ッ」

「それにしても、昼の話そんなに怖かったのですか。トイレに出没する幽――」

「わぁあ、わあぁあぁあ」



「お嬢様? どうされました?」

「……お父様がね、諦めてないの。次の婚約相手探すって」

「さいですか」

「私、ここを離れたくないの。ナファリアと一緒にいたい」

「さり気なく愛の告白はやめてくださいまし」

「そういう意味じゃないってば」



「ナファリア、お父様から聞いたわ」

「ッチ」

「ありがとう、私のためにわざわざ」

「はて、なんのことですか」

「クスッ。そうね、婚約の話は当事者の私が頑張って説得するわ。だって、ナファリアと一緒いたいんだもの」


 そう言って、笑顔を見せるお嬢様。

 しかし、その願いは叶わなかった。





 その数日後、婚約相手は決まり、当時は二十歳のお嬢様は遠い国へと嫁がされた。


 屋敷の使用人総出で見守る中、お嬢様を載せた馬車は出発する。


 行きたくないと、馬車の窓から私へと訴えてくるお嬢様の視線と伸ばす小さな手。

 それに応えることは、ない。

 私はただ、かしこまりながら一部始終を黙って見ていた。


 主を載せた馬車は徐々に遠くなり、やがて完全に見えなくなるまで、私は見守っていた。


 知っている。

 これは貴族の定めだということを。最初から理解していた。

 たかが専属侍女の私が公爵様に意見したところで、聞き入れてもらえるはずもなく、当事者のお嬢様だって同じだった。


 同僚の皆が、屋敷に戻っていく。





「ナファリア? 最近元気ないね」


 仲の良い同僚が気遣うように尋ねる。


「そう、ですね」


 私は、ただぼんやりと気の抜けた返事しかできなかった。





 お嬢様が屋敷を去ってから一年が経過した。

 その彼女が嫁いでから数カ月後は、我が国は隣国と戦争状態になった。




 戦況はよろしくない。

 最初は拮抗した状態だったが、徐々に敵国に押され始め、今やすっかり敗戦色濃厚になっている。


 敵国の兵士がここ――王都を目指し、勢いよく進軍している知らせが何回も来た。


 このままでは敗北し、国が滅ぶ。

 なんて噂が出始め、現実味を帯び始める。

 それと比例するかのように、逃げるように王都を出た民の数は増えていく。


 その中、国王様はついに王都を放棄し、別の領地に新しく首都を構え、要塞化し、反撃する構えを見せていた。


 その一員として、国の主要貴族エルビス公爵様は国王様に前線へと招集される。


 使用人は屋敷の広間に集められ、公爵様から十分な退職金を渡され、自由にしていいと告げられた。

 故郷に帰る、平和な国に避難する、新しい雇い主を探す。同僚が一人、また一人、戦火を逃れるように屋敷を去っていく。


 公爵様も、新しい首都に赴いた。


 みんなが離れていく。

 そして最後は私だけ、一人屋敷に残っていた。





 一緒に来ないか誘われたこともあるが、それを断った。


 ここはお嬢様の家だ。いつお嬢様が帰ってきてもいいように、ここに残ろうと決めた。


 私以外にも、王都を離れられない民は大勢いた。

 城下町は以前の賑やかさを失っているが、住民が全員いなくなっているわけではない。





 更に一年経った。


 この一年間、戦争に巻き込まれたくない商人は旧王都を迂回し、来なくなっている。

 市場から野菜や肉が消えた。仕方がないので、もらった退職金で苗を買い、簡易家庭菜園を作った。これで食料には困らなくて済む。


 育つのが楽しみ。


 



 毎日朝起きて屋敷を見回り、残っている住民に戦争の状況を聞き、お嬢様の部屋と屋敷を掃除し、菜園の様子を見てそのまま一日を終える。

 慣れてしまえば案外楽しい。





 お嬢様が嫁いで二年が経過、新しい首都で粘られたせいか、敵国は最初の快進撃の勢いをなくしている。


 戦争は、まだ終わらない。





 今ならわかる。公爵様がお嬢様の婚約相手を探し、しつこく嫁がそうとしていた理由。

 事前に、戦争になることを知っていたんだ。だからお嬢様を国外へと避難させた。





 お嬢様が嫁いで、五年目。

 戦争は、ようやく終りを迎える。


 敵国と休戦条約を締結した。


 王都には人が少しずつだが、戻ってきている。

 その中に安否を尋ねてくる昔の同僚の姿もあったが、お嬢様の姿はなかった。





 お嬢様が屋敷を去ってから、七年。


 新王都は目覚ましい発展を遂げ、民はそちらへ移動し始める。逆に旧王都は治安が悪くなり、盗賊まで出没し始める有様。


 金目の物目当てで、屋敷に侵入を試みる不届き者もいたが、全員ことごとく私に撃退された。貴族の教育係をなめては痛い目を見るわよ。


 住民との交流で余った野菜を配ったことがきっかけで、屋敷の周りに人が集まり始め、いつの間にか自警団まで出来上がっていた。


 暇な時間は屋敷で一人本を読み、菜園を収穫し、または近隣住民と交流をする。困ったことといえば、よく近隣住民に盗賊退治を頼まれることぐらいくらい。


 お嬢様の消息は、未だに聞かない。





 十年が経った。


 一人で屋敷をメンテナンスするのも限界があり、外観は昔と比べて明らかにボロくなっている。


 すっかり今の生活に慣れてしまった。


 エルビス侯爵様からはたまに、王都で働かないかと誘いの手紙が来ているが、まだ返事はしていない。

 色々と忙しい公爵様が手紙を送ってくださったことを、嬉しく思う同時にその誘いを断り、申し訳なく感じる。


 返信の手紙にお嬢様の現状について尋ねてみたが、公爵様でもわからないようだ。


 ならば尚更、いつお嬢様が帰ってきてもいいように、今日も菜園へと足を向ける。





「ふんふーん」


 鼻歌を歌いながら、野菜と花に水をやる。

 この後は屋敷の掃除、お嬢様の部屋の掃除、住宅地の治安維持が待っている。


 エルビス公爵家所属ではなくなって久しいが、一日の仕事の量は昔とさほど変わらない。

 給料はもちろん出るはずもない。だから生活費は育った野菜を市場に持っていき、売りさばいて得ている。


 そう言えば今日は久しぶりに商人が旧王都に来る日だった、前回頼んだお嬢様が好きな本、持ってきてくれるのでしょうか。


 菜園で作物の様子を見ていると、屋敷の庭の方からタッタッタと、駆け抜ける足音が響いてくる。


 足音は複数。

 ……また盗賊退治してほしいと要請しに来た近隣住民の誰かでしょうね。


 慌ただしい足音は菜園の入り口で止まり、ぜぁはぁぜぇはぁと、呼吸を整えている。

 背中向けている私は、そんなに慌てているとは、今度のはよほどの大物だろうか? と心の中で考えながら、柔らかな笑みを浮かべ来客を出迎えようとし、振り返り――


 ――その人を見た瞬間、息を呑んだ。


「ファリア?……本当にナファリアなの?」


 その人は、信じられないようにわなわなと震えながら、私の名を口にしていた。


 風に揺蕩う小麦畑のような黄金色の髪、森の緑を連想させるエメラルドの瞳、水晶みたいな透き通った白い肌。

 十年の歳月はお互いの姿を変貌させたが、私は確信している。


 ――エレアノーラお嬢様。

 彼女は、七歳の男の子を連れていた。


 私を見つめる瞳は今にも泣き出しそうで、様々な感情は言葉にならずそのまま顔に現れている。


 怖いのだ、彼女は。


 目の前にいるのは自分に都合の良い幻、声をかけたら消えてしまうのではないかと、そんな恐怖と必死に戦っている。


 もし違う人だったら。

 もし忘れ去られていたら。

 もし本当に幻だったら。

 ――どうしよう。


 ――それは、私も同じ。


 お嬢様がそう思うように。私も怖かった。

 十年の月日が生み出した幻ではないか、と疑ってしまう。


 でもそんな涙で濡れたぐちゃぐちゃの泣き顔を見てしまったら――だから、お嬢様を安心させるように、私は優しく微笑んで――、

 ――彼女は、ようやく幻ではなく現実だとホッと胸を撫で下ろし、せき止めていた涙はとめどなく溢れ出し、私の胸へと飛び込んでくる。




「おかえりなさい、エレアノーラお嬢様」

「うん、ただいまぁ……! ナファリアっ」



 

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