果て
空と、海、不思議と海は輝いて、境界が分からない。いや、もしかしたら最初から境界なんて無いのかもしれない。もしくは、そんなものに意味はなかったのかもしれない。この世界は美しく、そして果てしない。雲は早送りのように流れ、日が落ちては上っていく。ああ、こんな世界なら、僕の鼓動も、呼吸も、存在も、溶かして、世界と、一つになりたかった。僕を引き留めるものが一つ。空と、海の境界に浮かぶ影、見たことがあった筈の女の子。海に、波紋を残すもの。何度も伸ばした手を、また伸ばす。届くはずもなく、届かせるつもりもない。ただこの手をずっと伸ばしていたい。僕が消えるまで。君が、消えるまで。
はっと、我に帰った。最近よく白昼夢のようなものに襲われる。不思議な世界で、誰かに向かって手を伸ばす夢。あまりにも心地よくて、ずっと見ていたくなるような夢。
(もう何回目だ?)
あの夢を見ると、決まって酷い頭痛に襲われる。悠真は頭を押さえながら、今の状況を確認した。
今は日曜の昼下がり、特に予定もなくぼんやりとして過ごしていたはずだ。いや、そういえば、もう少ししたら、幼なじみの恵美が来る予定だった気もする。どうにも記憶が曖昧だ。あの夢を見た後だといつもそうだった気がする。
「♪」
チャイムがなった。多分恵美だろう。悠真は、だるいからだを引っ張って、玄関へ向かった。
「やっほー、あ、また酷い顔してる。今日もあの夢見たの?」
「ああ。最近は特にしつこい程見る」
「夢って、記憶の整理らしいよ。なんか思い当たるものとかないの?」
「ない」
いや、本当は、おぼろげに、記憶の底に、触れるものがあった。幼いころ、どこかに行った時の記憶と、誰かが笑っている記憶。だが、具体的には何もわからなかった。
「それじゃあ、やっぱり何かの前触れとかかな?」
「おれも、もうそろそろお陀仏か」
「なに言ってんのよ。たかが夢で」
たかが夢。そう、たかが夢なのだ。気にする方がおかしいのかもしれない。
とりあえず恵美をリビングにあげた(リビングと言っても、家は和式なので、どちらかと言うと茶の間と言う方が正しいのだが)。
親は日本人らしく土日出勤で、家にいない。二人きりだ。風通しがいいので、夏と言えど涼しいものだ。悠真は夏らしく、麦茶を二人分、用意した。
「夏だねぇ。悠真ん家の麦茶が、一番夏だなって思うな。静かだし」
静かだろうか。外では、命の限り鳴いている蝉がいるし、町の外れにある家と言えど、車の音が聞こえないわけではない。
「そうか?」
「そうだよ。少し自転車こいでくるだけで、こんなに違うなんてね、驚いちゃう」
恵美の家は、昔はこの近くにあって、恵美は毎日のように悠真の家にやってきていたのだが、5、6年前に町の中の方へ引っ越して、ここから自転車でも20分くらいはかかるようになった。当然だが、家にくる回数も減った。悠真は、恵美が毎日やって来るのが、別段嫌でもなかったが、来なくなっても、そんなもんだろ、と特になにも考えなかった。
「最近の調子は?うまくいってる?」
「なにがだ?」
恵美が何を聞きたいのかわかってはいたが、わざとわからないふりをした。
「就活」
悠真は就職浪人というやつで、今でも一応就活中ということになっている。対して恵美は2つ年上なのも合わさって、もう社会人4年目だ。
「まあ、ぼちぼち」
「どうみてもぼちぼちって感じじゃないよ。ま、たしかにわたしに出来ることなんて限られちゃいるけどさ」
辛いなら辛いって聞かせてよ。恵美はそう言ったような気がした。
本当のところ、ここしばらく面接や研修会に行っていない。同じことを何度も繰り返すうちに、目的も意味も、分からなくなっていた。恵美には言っていないが、気づいているのかも知れない。
二人の間に沈黙が流れた。
「そういえば何の用なんだ?わざわざ先に連絡するなんて。」
沈黙を振り払うように、悠真は話題を切り替えた。
「あ、そうそう、じゃじゃーん」
恵美が取り出したのは何かのチケットだった。
「・・・・なにこれ」
「あなたを、ここではないどこかの世界へと誘う夢のチケット。その名も、最果てチケット!」
「・・・・・あー、そういうの、間に合ってるんで・・・・」
「あ、怪しいと思ってるでしょー。私も思ってる!!!」
論外じゃないか。
「でも調べたらちゃんとあったんだよ。このチケット使ったら、この世のものでは無いものが見れましたー、とか、不思議な世界に行けたー、とか」
「怪しさ以外にピックアップできるところが見当たらないな。どこで調べたんだ?」
「オカルトサイト」
やっぱり論外じゃないか。
「でもさ、思わない?今いる世界じゃなくて、どこか遠い所に行ってみたいって。何もない、ただただどこまでも繋がっているだけの世界。」
もうきっと、忘れちゃってるんだろうけどね。と、恵美は小声で付け足した。
「そのチケット、どこで使うんだ?」
悠真は何気なく聞いた。
「あれ?そういえば書いてないね、これ」
「それじゃあ、どこにいけば良いのかも、何に乗るのかも分からないのか。使おうと思っても使えないな、これじゃ」
そもそもの話、使い方がわからなければどうしようもない。行く、行かないの話にすらならなかったのだ。
「ちぇー、なんだよ、せっかく貰ってきたのに。ダメかー」
「まぁ、大人しく諦めるんだな」
恵美は2枚のチケットを丸めてゴミ箱に放った。
「寝る」
「ここでか?」
「当たり前じゃん」
畳の上に横になった恵美は、すぐに寝てしまった。大の字になって、いびきをかいている。色気の欠片もない。
悠真はため息をついたあと、恵美がゴミ箱に放ったチケットを取り上げて眺めた。
(結局なんだったんだ、これ。)
しばらく眺めていると、不思議な文があることに気付いた。
「果ての果ての果ての果てに、夢と共に、、、?」
その瞬間、体が落ちるような感覚に襲われた。いや違う、実際に落ちているのだ。あった筈の地面に穴が空いて、遥か下に見えるのは、、、、、
「空!?」
何がどうなっているか分からない。なんでおれは空に向かって落ちているんだ?家は落ちてないのか?恵美は?周りを見渡しても、もう、空に囲まれていて、自分がさっき居た場所は跡形もない。
「これ、死ぬよな、、、、?」
いままで経験したことがないほど落ちている。何かに当たったら間違いなく死ぬだろう。
「なんか、よくわかんねぇ死に方だったな」
悠真が諦めて、考えるのをやめても、一向に、何かにぶつかる気配がなかった。
しばらく落ちた後、悠真はあることに気付いた。
「日が、落ちてる?」
その光景を悠真は見たことがあった。空に見えたのは、鏡面のように光る海だった。
「あの夢・・・・」
その光景は、夢に見ていたあの景色と同じものだった。
そして悠真は海に落ちた、あんなに高い所から落ちたのに、体はなんともなかった。
悠真は、なんの違和感もなく、海の上に立った。夢でもそうだったからだ。
しばらくの間、立ち尽くしていた。ただ、その人智を超えた光景に魅いられていた。太陽に向かって流れる雲、鮮烈に輝く夕日、それを映す、波紋一つ無い海、何もかもが、あの夢の通りだった。そして、そして――
「あの少女は・・・・・・・・・」
辺りを見渡したが、地平線に、夢の少女の姿は見つからなかった。その事に少しだけ安堵した。
しかし、それはあっけなく裏切られることとなる。
「ねぇ」
背後から声がした。驚いて振り向くと、そこにはあの少女がいた。
「恵美・・・・・?」
その姿はさっきまで共に居た、幼なじみの、幼い頃の姿によくに似ていた。でも、何故か別人だと確信していた。
「あなたはだれ?」
「え・・・・?」
唐突な質問に、悠真は戸惑った。そんな悠真はを、少女は淡々と見ていた。
「えっと、名前のことか?」
少女はふるふると首を横にふった。
「あなたはだれ?」
「・・・・・・・・・」
なんと答えれば良いのだろうか。
少女はただじっとこちらを見ていたが、ふと、残念そうな顔をした。
「そうだよね。ここにくる人はみんな知らないもの」
悠真は耐えられなくなって質問をぶつけた。
「ここはどこなんだ?君は?なんでその姿をしているんだ?」
「ここ?ここは果ての世界。あなたの、果ての場所」
少女は少し間をおいてから、続けた。
「わたしは・・・・、『あなたと約束した人』」
「は?」
少女はそれ以上何も言わず、空を見上げた。風に髪がなびいている。その横顔があまりにも遠くて、悠真は無意識に手を伸ばした。
少女がこちらを見たことで、悠真ははっと、我に帰った。
「あなたの手を、わたしはとっていいの?」
少女は悠真をまっすぐに見た。悠真は咄嗟に目をそらした。
「どういう・・・・」
少女は視線を、今度は水平線に移した。
「きれいだね。あなたの世界は。」
悠真もつられて視線を移した。水平線に日が落ちている。海はほとんどそのまま空を映している。いや、そもそもこれは海なのだろうか。広いからこそ海だと思っていたが、 そもそもたてている時点でおかしいし、鏡のように空を映すのも海だと有り得ない。他にも・・・・。
「ねえ」
気づいたら少女が目の前に居た。悠真は思わず飛び退いた。
「なに考えてるの?それって今大事なことなの?」
心なしか、ちょっと不機嫌そうに見えた。
「知りたいことは、いずれわかるよ。今はただ、この景色、あなたの果ての景色を、いっしょに見よう?」
「え?あ、ああ」
少女に言われた通り、この不思議な世界を、改めて眺めた。
まるで絵のようだった。次々に形を変える雲に、透き通っていて、吸い込まれそうな空、不思議と空を映す、鏡のような海。それらを黄昏で包む太陽。そして、隣にあの少女がいる・・・・。
記憶の底で、なにかが触れた。幼いころ、親につれられていった、絵画展。そこで一枚の絵に魅いった。輝くような、一枚の風景画。この世のものとは思えない景色。ずっとずっと、長い時間見ていた。一人じゃなかった。隣に、誰か居た気がする―――
不意に、涙が出た。止める気にも、拭く気にもなれなかった。
「この世界はあなたの世界。こんなにもきれいで、そしておぼろげな、あなたの世界。あなたの涙も、この世界はしってるんだよ。」
悠真は黙って聞いた。
「あなたは、臆病なんだね。こんなきれいな世界を望んでいても、怖くて、手をのばす事しかできない。自分が触れてしまったら、別のものになってしまいそうで、触れられない」
あの時隣にいた人を、思い出した。
「世界に溶けてしまいたいって、そう思うかな?美しいものになりたいって。本当にそうなのかな。あなたの願いの、望みの果ては、本当にそうなのかな。」
どうして、忘れていたんだろうか。幼いころに見た、一枚の絵。この世界のような、美しく、輝くような絵。恵美と一緒に見た絵。あの時、いつかこんな景色を二人で見に行こうって、約束した、あの絵。でも、あの絵には人はいなかった。
「あなたは世界に、居たかったんだよね。あなたの、大事な人といっしょに。」
少女は悠真の方を振り返って、
「わたしは、だれでしょう」
ちょっといたずらっぽく笑った。
「そんな姿をしといて、いまさらなに言ってるんだよ、恵美」
「今まで気付かなかったくせに。でも、ここにいるわたしはあなたの中のわたし。そして世界を形作る人たちの案内人。本当の恵美は、まだ寝てるんじゃないかな?」
「かもな」
二人で声をあげて笑った。
「それじゃあ、そろそろ行かないとな。ありがとう、君のおかげで、大切なものを思い出した気がする。」
「よかったね。今なら分かるんじゃないかな。ここが果ての世界であり、あなたの世界であるということが。」
悠真は少しだけ考えた。
「そうだな。おれの望みはきっと、なんだって一つにつながっていたんだろうな。」
少女は笑った。あの時の恵美の笑顔と同じ笑顔だ。
「いつか、あなたが誰かも、分かるといいね。」
「そうだな、あいつとなら、いつか分かるんじゃないかな」
悠真は、宙に浮くような感覚を覚えた。
「この景色と、君ともお別れか。名残惜しいな」
「大丈夫だよ。あなたがあなたであるかぎり、あなたの世界はあなたのなかにあって、あなたが忘れないかぎり、わたしはあなたといっしょにいる」
少女の声音は、今までの中で、一番優しかった。
体を上に引っ張る力を感じた。
「じゃあな。ありがと――――」
悠真は目にも止まらない速度で空へと落ちて行った。あっという間に、悠真の体は、少女から見えなくなった。
少女は見えなくなってからも、悠真が消えていった所を見続けた。そして、小さく呟いた。
「次はあなたの番だよ、チケットは一人一枚。あなたたちが持っていたチケットは何枚だったかな?」
少女は振り返った。
「バイバイ、悠真」
美しく果てしない、誰かの果ての世界には、もう、誰もいなかった。
思えば、あの絵を二人で見たときから、あの約束のためだけに生きてきたのかもしれない。いつか二人でって、そのためだけに。でもそれは、いつしか忘れて、あるいは歪んでしまった。その先に行きつく果てもあるのだろう。だけど、それは最初に望んだものではないのだろう。根源の願いの果てでは、ないのだろう。だからあの世界は夕暮れなのだ。すぐに変わってしまう、うつろってしまう空なのだ。それでいい、それが好きだ。最初から、望んでいたのは夕暮れなのだから。
恵美はきっと覚えてるんだろう。だからずっと側にいてくれた。
帰ったら、話をしよう。今までの話と、これからの話を。そのためにも、まずは帰らなくては。
「それにしても、この移動方法、もう少し何とかならないのかな」
これに慣れることは絶対にないと思う。すごいスピードで移動しているのに、変に体がぶれないので、感覚的に気持ち悪い。もう二度と無いだろうが。
見慣れた家が視界に入った。もうそろそろだろう。
周りの景色とも、本当にお別れだろう。
「果ての世界か、そしておれの世界でもある。」
きっと、全ては繋がっているのだろう。根源から、果てへ。果てから、根源へと。きっとその繋がりは人を、世界を形作る。根源から果てへと至って、人は誰かとなる。あの少女は、知っていたのだろうか。
「おはよう、世界」
起きたときには、夕方になっていた。今日の夕暮れはいつもより美しく見えた。
「あ、起きた?もう夕方だよ。ご飯なにか作るけどなに食べる?」
奥から恵美の声がする。どうやら、うちの両親から頼まれているらしい。
悠真は起き上がってから背伸びをし、キッチンに向かった。
「何か手伝おうか?」
恵美はぎょっとした顔をした。
「え、なに、どうしたの?大丈夫?」
本当に心配しているようだ。まことに心外である。
「なんでもないよ」
「う、うん」
二人で夕食を作った。今日のメニューはカレーらしい。
大体を作り終わって、カレーを煮込んでいる間に、悠真は恵美に話しかけた。
「明日、空いてる?」
「明日?うん。なんもないはず」
「じゃあ、二人でどっか出かけないか?」
恵美は訝しげな目をこちらに向けてくる。相変わらず表情が豊かなやつだ。
「あ、分かった。私まだ寝てるんだ。悠真がそんなこと言い出すはずないもん。」
一発はたいてやりたい気持ちを抑えて、悠真は続けた。
「一緒に、あの景色を見に行くんだろ?」
「え・・・・?」
恵美は本当に驚いた顔をしていた。
「ごめんな。ずっと忘れたままだった。」
「・・・・やっぱり?」
恵美の声は、今にも泣きそうだった。
「私、あの約束、ずっと覚えてて、でも悠真はどんどん変わっていって、私だけずっとかわらなくて、でも覚えてて、忘れられなくて、忘れようとしたけど、どうしても無理で、悠真はもう面影もなくなって、こんなんで私これからどうやっていきていこうかって、」
恵美の声は途切れ途切れで、最後には悠真に飛び付いていた。
カレー、焦げるだろうなぁ。
しばらくして、恵美が落ち着いたころ、お待ちかねのカレーを食べ始めた。
「・・・・ごめん。」
「ん?焦げてるけど、美味しいよ」
「そうじゃなくて!いやそれもあるけど!」
一瞬間をおいて、二人は吹き出した。
「そうだね。カレー美味しいし、それでいいか」
「そうだよ、こうして二人でご飯食べれるんだから、それでいいよ。それより明日の予定でも考えよう」
「そうだね、あ、私見たい映画あるんだけど、明日やってるかなー?」
「そりゃ調べてみないと――――」
悠真はふとゴミ箱を見た。
「どうしたの?」
「―――いや、何でもない。」
悠真は微笑んだ。
ゴミ箱の中に入っているはずの、もう片方のチケットは、最初からなかったかのように、なくなっていた。
「なぁ」
「ん?」
「ありがとな、一緒にいてくれて」
恵美は少し笑って
「どういたしまして」
その笑顔は、幼いころに見た笑顔と同じだった。
その笑顔を見て、悠真はあることを思い出した。
「なぁ」
「また?今度はなに?」
悠真は手を伸ばした。
「おれの手をとってくれないか?」
「えー?」
「頼むよ」
恵美はしぶしぶてを伸ばした。
「この手を私はとってもいいのね?」
「ああ、もちろん」
―完―




