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お母さんの手 ふたつの手

作者: なまくら

エロこわい話を書くつもりが何故にこうなった・・・・・・

「 麻衣子ちゃんは、亡くなったお母さんに似て、ほんと美人だね。こりゃあ、もう、将来はすてきな花嫁さんが約束されたようなもんだ 」


 それは親戚のおじさんのいつもの決まり文句でした。褒め言葉のつもりなのでしょうが、私は苛立ちが抑えられず、眉をしかめました。


「 ・・・・・仏間を片付けてきますので 」


 私は不愉快な表情を隠そうともせず、踵を返して応接間を出ました。

 目上の者にとっていい態度ではありませんが、不愉快な気持ちがどうしても押えられませんでした。

 幸いこの気のいい叔父はほろ酔い加減のまま、また話にうち興じています。

 私の態度に目ざとく気付いた祖母のため息を、私は聞こえないふりをしました。


 ごめんね、おばあちゃん。私だっていつもだったら愛想笑いのひとつくらいします。でも、母の話が出たときは、とてもそんな気分にはなれないというだけなのです。


 視界の隅に桃色がちらちらかすめます。また桜の花びらが舞うこの季節が巡ってきました。

 母が亡くなった日も、こんな桜吹雪が、蒼灰色の道路に散乱していました。だから不本意ながら、桜を見るたび、私は亡くなった母のことを思い出すのです。あんな人のこと思い出したくもないのに。


ろくでもないぞろいの母の記憶の中でも、特に私は母の手が大嫌いでした。大多数の子供の拠り所であるはずのその手は、幼い私にとって恐怖の対象でした。いつその手がとんでくるかと、常にびくついて、怯えたねずみのように様子をうかがっていました。母はとても厳しい人でした。私にとって母の手は守ってくれる手ではなく、私に罰を与えるための手だったのです。


 なにかに急かされるように、母は容赦なく私を躾けました。失敗するとすぐに手がとんできました。


「 自立しなさい。ひとりで生きていけるようになりなさい 」


 それが母の口癖でした。

 幼い私はもっと母に甘えたかった。

 それなのに、母はいつも眉に皺を寄せた怖い顔で、私を睨むのです。

 寂しさに膝を抱える日々を送るうち、私の母を求める心は、磨り減って消えていきました。


 私の家は母子家庭でした。

 父は私がまだ物心つく前に亡くなりました。

 だから私は、大嫌いな母なのに、いつも二人きりだったのです。


 母は常に目を光らせ、私だけでは友達と遊ぶことも許しませんでした。

 幼い私に逃げ場はなく、私はいつも母の躾けに怯えていました。

 母は、私を座敷牢に閉じ込め懲罰棒をふるう看守のようでした。

 私は常に孤独感に苛まれる、そんなみじめな子供時代を送りました。


 あまりのつらさに、

〝 マイコは、ほんとはよその子なんだ 〟

 いつしか、そんな空想のなかに、私は現実逃避するようになりました

 本当の母親はどこかべつにいて、いつか私を笑顔で迎えに来てくれるのではないか。

「 今までほおっておいてごめんね。これからはずっと一緒だよ 」と笑いながら。


 そう空想することは、幼い私にとっての唯一の救いになっていました。


 つらい現実から逃れる為の、無力な子供の夢想癖。

 それを後押ししたのは、折りにふれては視界をかすめる不思議な手でした。

 目に入るたびに恐怖をおぼえた母の手ではありません。


 母とはべつの誰かの手。

 その手が何度もおいでと優しく手招きしていた思い出がたしかにあるのです。突き放すばかりだった母の手と対照的に、いつも私に差し伸べられたその手。私は何度その手にすがろうとしたことか。


 闇に浮かぶ白い花のようなその手。


 でも、その手は母を恐れるかのように、ある一定以上は決して私に近づいてこないのでした。

 いつも遠巻きに私の様子をうかがっているのです。それでも、私を誘おうとしている意志のようなものは、絶えずたしかに感じていました。


 母は常にぴりぴりしていました。一分たりとも気を抜きませんでした。

 その張り詰めた雰囲気は、いつも私を息苦しくさせました。

 私には、母の手に抱きしめられた記憶も、頭をなでてもらった思い出さえないのです。


 いつもお母さんに手をひいてもらう子供たちの後ろ姿を、じっと唇を噛み締めてにらんでいる、そんな陰気な子供が私でした。手を繋いで幸せそうに笑いあう親子連れが恨めしかった。それは、私には望むべくもない光景だったからです。


 だから私は、いつも、その不思議な手を心待ちにしていました。。


 その手は、母が私の側にいないときは、常よりもずっと近くに現れました。

 実際に私はその手に触れる直前まで近づいた事があるぐらいです。


 なにぶん幼い頃の記憶で、そのときの詳細は定かではありません。

 ですが、そのあと鬼の形相の母に怒られたことで、〝間違いなく事実だった〝ということだけは、皮肉にもしっかりと記憶に焼きついてしまったのです。


 私を荒げた声で叱責する母、その手に激しく頭を叩かれながら、

〝 ああ、こんなお母さんなんか死んじゃえばいいのに 〟

 と私は心底願っていました。


 ・・・・・そんな私の暗くゆがんだ望みは、私が六歳の頃、あっさりと叶えられました。


 交差点で暴走した車が、信号待ちをしていた人達の中にまともに突っ込んだのです。最後までブレーキを踏むことのない悪質な事故でした。

 不幸なことに夕方前の人の混む時間帯であり、家路につこうとしていた人達は、予想もしない凶悪な鉄の固まりに、ほぼ無抵抗のまま巻き込まれました。


今も現場に献花が絶えない大事故でした。

その中に私と母もいたのです。


 轟音、絶叫と悲鳴。タイヤの焦げる臭い。人の肉と骨が固いものに粉砕される、くぐもった鈍い音。

 たくさんの人をはね飛ばしながら、さらに加速して迫る車。

 車のぐしゃぐしゃに潰れた前面に、巻き込まれた髪の毛がところどころ生えていました。

 私はどうすることも出来ず、ただ呆然と立ち竦んでいました。


 そのとき、がくんっと背中に衝撃がありました。息が止まるかと思いました。

 すくんでいた幼い私を、母はあろうことか車に向かって突き飛ばしたのです。

 揺れる私の黒髪。

 激しく振られる母の手。

 あまりの恐怖に気を失う寸前、私の見たのは、嬉しそうな母の笑顔でした。


 たぶん母はどさくさにまぎれて、うとましかった私を殺したかったのです。

 母はまだ若く美しかった。

 邪魔な娘さえいなければ、いくらでも人生をやり直せたはずでした。


 でも、結果死んだのは、私でなく母のほうでした。


 よろけて転倒した私の鼻先を車はかすめ、母はまともに車の突進を受けました。皮肉なことに車は、私ではなく、母のほうに向かって飛び込んできたのでした。


車は母ごと歩道沿いの店の壁にめりこんで、そこでようやく止まりました。転んだ私が起き上がったときには、すべては終っていました。私は砂のようにかわいた気持ちで、足元に流れてきた母の血を観察していました。コンクリートの歩道に、血と桜が点々と飛び散っていました。


長くニュースで取り上げられるほどの大事故だったのに、奇跡的に私は無傷でした。


 そして、不思議な事に、私を殺そうとした母の右手だけが、事故現場からは見つかりませんでした。

 きっと、たぶんいつも私を手招いていたあの手が助けてくれたのだと私は信じました。あの手が私を守ろうとして、天罰を与え、母の手を持ち去ったのだと思いました。突き飛ばした母の手とは違う、私の手首を掴んで引っぱる感触を覚えていたからです。

 そうとでも考えなければ、あれだけの大事故の至近で、非力な私が無傷だったのはあまりにも異様でした。逃げまどう人混みに押しつぶされて怪我した子供だって大勢いたのですから。

 


 そして、私は祖父母の家に引き取られました。

 ひとりぼっちになった私を抱きしめ、かわいそうにと祖父母は泣きました。

 散りかけた桜がはらはらと風に舞っていました。


 でも、私はあのおそろしい母から開放されてせいせいとしていたのです。

 遺影の母は綺麗で若々しくにこやかでした。

 でも、私にとって、母とは顰め面で私の一挙手一投足を監視する看守でした。

 そんな母が綺麗といわれることが許せませんでした。


 なのに、祖父母も叔父も叔母も、母を知る人達は皆、母は私を一生懸命育てた立派な人だったと、口をそろえて涙したのです。

 私は子供心にみんな騙されていると不満に思いました。

 そして、余計に母への恨みをつのらせました。


 きっと、私に優しいあの手の持ち主だけは、私の無念をわかってくれるだろう

 私はそう思い、自分を慰めました。

 けれど、あの手はそれきり現れることはなかったのです。

 きっと、私を助けるという目的を果たしたから、姿を見せなくなったに違いない。

 私はあの手に感謝しながらそう思いました。


 それから十年が過ぎ、私は高校生になりました。

 皮肉なことに母のほどこした厳しい躾けは、私を優等生にする糧となりました。

 母の監視がなくなり、自由に友達と会話出来るようになり、すべては好転したように思えました。


 でも、母の呪縛はまだ私を解放してはくれませんでした。

 成長した私は、大嫌いな母の学生時代と瓜二つといわれるようになったのです。

 私の通う学校は母の母校でもありました。

 母はとても優秀な生徒だったらしく、古参の先生方は母のことをよく覚えていました。

 私にとって母にひき比べられる日々は拷問でした。

 鏡を見るだけでも母を思い出すので、憂鬱な日々が続きました。

 私は苛立って、よく仏頂面で黙りこんだものです。


 そんな対応の繰り返しが友人達の不興を買いました。

 自分の顔を見るたび不機嫌になる、わけのわからない人間など、誰も友達になろうなど思うはずがありません。そのうえ他人に容姿をほめられるたび、きつい目つきで睨むのですから、母と私の事情などわからない他人には、気分屋の思いあがりと勘違いされるのも当然でした。


 気がつくと私はクラスで孤立していました。

 もともと私は人付き合いがそれほど得意ではありませんでした。

 陰湿ないじめをかわす術も、大人に相談することも満足に出来ませんでした。

 母に虐待された私は、他人を心から信用することが苦手でした。

 そして、通学が嫌になり、ついには登校拒否をするようになったのです。


 私に甘かった祖父母は、登校拒否を咎めはしませんでした。

 でも、口にこそ出さなくても、

〝 友達同士ゆずりあえば仲直りできるのに。この子はどうしてこうも頑ななのか 〟

 と内心思っていたのは明らかでした。


 私は、結局ひとりぼっちでした。真の理解者など誰もいませんでした。

 毎日を寂しさを胸に抱えたまま過ごしました。

 まるで母に怯えていた幼いあの頃のように。


 そんなとき、思い出すのは私を優しく手招きしていたあの手のことでした。

 きつい母のものではない、私のすべてを理解し、受け入れてくれそうな手のことでした。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 その日は家で法事がありました。母の十回忌でした。

 お坊さんが帰った後の後片付けをしながら、私は深いため息をついていました。

 もう日が暮れかけていました。


 祖父と祖母は応接間で親戚一同と話しこんでいます。

 母に私が似ているという話題が、また出るのはわかりきっていました。

 だから、私はそれを避けるように、一人でこの仏間に逃れたのでした。

 いつまで私は母に振り回されればいいのでしょう。

 母似のこの顔と一生つきあっていくのだと考えると、憂鬱でしかたありません。

 私は仏壇の母の遺影を睨みつけました。


「 あの手についていけばよかった 」


 幼い頃見たあの手を思いながら、私はつぶやいたのです。

 そのとき、私の手首に鋭い痛みが走りました。


 見下ろすと小さな白い手が、私の手首を握り締めていました。


 それは幼い私が何度も見た、記憶どおりのあの誘う手でした。

 私ははじめてその手に触れました。

 それは、予想していたのと違う、ぞっとするような冷たい感触でした。

 耳の奥がきいんと鳴りました。

 まれに夜に背中に感じるあの嫌な感じが何百倍にもなったような悪寒がしました。


 白い手の持ち主は、たぶん小学生ぐらいの女の子でした。たぶん、となってしまうのは、その顔は目深にかぶった防空頭巾でほとんど見えなかったからです。

 背筋がぞわっとしました。

 もんぺに防災頭巾、教科書でしか見たことがない、古いいでたち。

 現代の子ではありえない格好。胸の悪くなる焦げた臭いがします。女の子の体のあちこちから、煙があがっているのに気付き、私はぞっとしました。

 そんなものが突然現れ、私の手首をぎゅうっと握り締めているのです。


 私は悲鳴をあげようとしました。

 なのに金縛りにあったように指一本動かせません。


 女の子のくわっと歪ませた口元から、ぼろぼろになった歯がのぞきました。

 その異様な雰囲気は、どう見てもこの世のものではありませんでした。


 ばあんと音をたてて仏間の窓が勝手に開きました。

 生臭い吐き気のするような風が吹き込みました。

 それは死臭でした。熱風でした。私の皮膚がちりちりとつっぱりました。窓の外に炎が見えました。黒い人形が何体も炎の中で踊っていました。地面を転がりまわっているものもありました。


 私は吐きそうになりました。人形達には意志がありました。絶対に逃げられない袋小路の灼熱地獄の中で、のたうち、逃れようともがいているのです。それが踊り狂っているように見えるのです。それは生きながら焼かれていく人間たちでした。


 女の子は無表情のまま、もの凄い力で私を窓のほうに引きずっていこうとします。

 まるで熊にでも掴まれたかのような人間離れした力でした。

 そして抵抗しようにも、私は硬直したまま声ひとつ出せないのです。

 庭先に集まってきたカラスたちが、げたげたと人間のような声で笑いました。紅蓮の炎に照らされ、黒い鳥影はさらに禍禍しく、とても不吉なものに見えました。



「 ・・・・・家の娘ごの、とあまりななとせ・・・・・ゆるすまじ とあまりななとせなるまえに・・・・ なにして捨てよ だまして捨てよ もやして捨てよ あたしが、そうされたよに 」


 女の子が金魚のように口をぱくぱくさせます。ひびわれ、ぼろぼろの唇が、言葉をつむぎます。

 しゃがれた老婆のような声でした。


 窓に鈴なりになったカラスの群れが狂ったようにがなりたてます。

 もう日が落ちたのに昼間のように動き回るカラス達。

 私は総毛立ちました。

 窓まで連れて行かれたら、たぶん生きては帰れない。

 そう直感したのです。


〝 助けて !! だれか !! お願い !! 〟


 声も出せないまま必死に私は助けを求めました。


 応接室で談笑している祖父母と親戚の声がここまで響いてきます。皿を片付ける、ちゃりんちゃりんという音も聞こえます。

 応接室とこの仏間はそれほど離れていないのです。

 なのに、こちらの騒ぎはまるで届いていないようでした。


 私は絶望で目の前がまっくらになりました。

 けっきょくどこにも救いなどなかったのです。

 あんなに待ち焦がれていた手も、私を傷つけるための手だったのです。

 私の手首を骨が砕けるかと思うほど締め付ける、希望だったはずの手。

 希望どころか害意に満ちた小さな手。


 私の絶望を敏感に嗅ぎ取り、女の子が私を引きずる速度が増していきます。猛獣に巣に引き込まれる気がしました。


〝 もう・・・・・だめ・・・・・〟


 絶望と恐怖で私が気を失いかけたとき、


 ごうっと私の背後から風が吹きました。

 女の子の防空頭巾が吹き飛ばされました。おかっぱ髪がざんばらに乱れます。


 私は声なき悲鳴をあげました。


 女の子には顔がありませんでした。異様にふくれあがり、青や黒に色取られた風船のような塊がそこにありました。いえ、やはりそれは顔でした。腫れあがったまぶたから覗くまっかな目と、ぼろぼろの血のにじむ唇が、たしかにそれが人の顔であることを示していました。


 女の子が目を細めるようにして、たじろぎます。

 なにかが仏壇から畳の上に飛び出しました。

 女の子の企てを妨げようとするかのように、それは私の足元に滑り込んできました。

 女の子の握る力が怯んでゆるみます。私は思いがけないものに驚き、目を見開きました。

 私を守るように割り込んできたのは、母の遺影でした。


 私の手首をつかんでいた女の子の手がひねりあげられました。女の子が獣のように絶叫し、私から手を離しました。女の人の白い手が、女の子の手を高くねじりあげていました。

 そして、女の子がばっとあげた顔を、続けざまにその女の人の手が鷲掴みにし、私から引き剥がすように思いきり突き飛ばしたのです。

 女の子は勢いあまって、どたんばたんと畳を転がり、素早く跳ね起きて唸りました。呪詛のような唸り声でしたが、驚きを隠せないでいました。


「 娘の身代わりに死んだはず ! なぜ、おまえの手がこの世にある !? 」


 浮かんでいるのは、何度も私が怯えた手でした。

 幼い私を躾け続けたその手を、私が忘れるはずはありませんでした。


「 おかあ・・・・・さん ? 」


 行方不明になっていた母の右手がそこにありました。

 母の手はこれ以上一歩も近寄らせないというふうに、女の子に向け指を広げていました。


「 手だけになっても、娘を守る !? 口惜しや ・・・・・ずるい ! ずるいよ ! なんで、なんで、あんただけ・・・・・!! あたしなんか、誰も助けてくれなかったのに !! みんなで寄ってたかってひどいことしたのに ! あたしだけ、どうして ! 」


 女の子は地団駄踏むように喚きたてました。意味はわかりませんでしたが、身を震わせて叫ぶ声は、しゃがれ声から、童女のような口調と甲高い叫びに変わっていました。私はなぜか女の子をとても憐れに感じました。


 女の子は、まだ未練がましく、暫くこちらの様子を窺っていました。

 ぎょろぎょろと死んだ魚のようにまっかな眼が動きます。


 けれど、母の手の威圧感に耐えかねたように、やがて後ずさりし始めました。

 私は恐怖に身を震わせました。

 女の子の顔が内側からはじけるように、黒こげに縮みだしたのです。


「 ・・・・・ずるいよ。呪いも引き受けてもらって、死んでも守ってもらえるなんて・・・・・あたしだって、こんなふうに誰かに思ってもらえれば、きっと・・・・ 」


 彼女は、諦めたように、ぽつりと呟くと、開いた窓から外に飛び出していきました。

 窓の上方に吸い込まれるようにその足が消えました。

 空を飛びでもしない限り不可能なその消え方。

 それは、やはりその子がこの世の人間ではない事を示していました。


「 ・・・・・おかあ、ちゃん・・・・・ 」


 炭化した唇からむきだしになった歯列で、最後にそう呟いた女の子のまなじりに光っていたものが涙だったのかどうか、私には判断できませんでした。


 カラス達も蜘蛛の子を散らすように一斉に飛び立ちました。窓の外の紅蓮地獄が、拭ったようにさあっと消え去ります。かわって、蛙の声が押し寄せてきました。熱風が涼しげな夕方の風に変わりました。


 あとには日常の喧騒が戻ってきました。夕方のさまざまな気配が運ばれてきます。

 祖父母の話し声や往来の車の音が明瞭になりました。


 金縛りは解けましたが、私は呆然と立ち尽くし、宙に浮かぶ母の手を見つめていました。


〝 麻衣子 もうだいじょうぶだから 〟


母の声が私を安心させるかのように、そう耳元でささやきました。

力が抜けた私は畳に膝をつくように崩れ落ちました。唇を戦慄かせたまま動けませんでした。


 私ははっきりと思い出したのです。

 脳裏に稲妻がひらめくように、あの事故の記憶がはっきりよみがえったのです。

 私が六歳のとき、母が死んだあの瞬間、ほんとうはなにが起きたのかを。


 あのとき、私が見たもの、それは「突き飛ばされた私の姿」と「それを行った母の手」だと、私はずっとそう信じてきました。


 でも、よく考えれば、そんなはずはなかったのです。


「背中を突き飛ばされた私自身」が、背後で私を押す手を見ることは、決して出来ないはずなのです。


 私は両手で自分を抱きしめるようにして震え続けました。


 ・・・・・私は大きな勘違いを犯していたのです。


 母が死んだ十年前の交通事故。

 あのとき、母は私を殺そうとしたのではなかったのです。

 私を助けようとしたのです。

 母が車に向かい突き飛ばしたのは私ではなく、今の防空頭巾の女の子だったのです。

 幼児の私の記憶は混乱し、私自身が突き飛ばされたと勘違いしていたのです。


 女の子は、私の手首を掴んで、迫る車の真正面に、私を引きずり出そうとしていたのです。

 この防空頭巾の女の子は、私を守るどころか、悪意をもって、私を車に轢き殺させようとしていたのです。ちょうど今、嫌がる私を無理にさらっていこうとしたように。


 私を傷つけようとしたのは、母でなく、手招きしていた手のほうだったのです。      

 私が待ち望んでいた手は、私をあの世に(いざな)う邪悪な手でした。

 

 逆に母は私を守ろうとしていたのでした。


 殺意に気付いた母は私を守ろうとして、この子を逆に車に突き飛ばしたのです。     

 そして、そのまま続けて、迫る車から守ろうと、私の背中を力いっぱい押しのけたのでした。        

 自分はそのまま車に轢かれるのも構わずに。

 

 それがあの事故の真相でした。


 六歳の私が最後に見た、母の嬉しそうな笑顔。

 それは邪魔な私を排除できたから浮かべたものではなかったのです。

 私の無事を見届けて安心してのものだったのです。

 そんなことも気付かずに、私はずっと母を恨んで・・・・・・・


「 ・・・・・お母さん・・・・ごめんなさい・・・・・! 」


 私は嫌われてなどいなかったのです。

 それどころか母はためらいなく命を投げ出して私を救おうとしたのです。

 私は長い誤解の年月を経て、やっとその真実を知ったのです。


 目の前の母の手がさよならを告げるようにゆっくり振られ、すうっと消えていきます。


「 まって !! お母さん ! いかないで !! 」


 謝りたいことがたくさんありました。

 冷静に思い返せば、母の厳しい態度もすべて私を思いやってのことでした。


 思えば母にも私とおなじように、あの女の子が見えていたのでしょう。

 そして、あの子の私への害意にも気付いていたのでしょう。

 だからこそ母はいつも張り詰めた雰囲気をまとっていたのです。

 私を守るために懸命だったのです。


 母へのわだかまりが氷解した私の目に、床に転がった遺影がうつりました。

 遺影の母の笑顔は、前とはまったくちがう、限りなく優しいものに見えました。


「 聞かせて・・・お母さん・・・・もしかして、私を愛してくれてたの ? 」


 母の手は私を抱きしめようと背中にまわりかけ、片手しかないことに気付いたように悲しげに動きを止めました。けれど、消える寸前、母の手は、そっと私の頭を撫でてくれました。

 それは、どんな言葉よりも雄弁な仕草でした。母の優しさがじんわりと頭から胸に伝わってきました。

 私がずっと切望していた、私を愛してくれる母の手でした。


「 お母さん・・・・・ごめんなさい・・・・・」


 祖父も祖母も間違っていませんでした。

 母はたしかに立派な人間でした。

 一番身近にいた私だけが、母を見誤っていたのです。


 零れ落ちる私の涙を受け止めながら、母の遺影は優しく微笑んでいました。

 私は母の遺影を胸に抱きしめ、涙を流しました。嗚咽がいつまでも止まりませんでした。胸にぽっかり空いていた空しさは、今はあとかたもなく、悲しさとあたたかさだけが胸を満たしていました。


 別れを告げるように桜の花びらが外から舞い込んできます。


 母は私を守るため、きっとあの世から駆けつけてくれたのでしょう。

 母の手だけが事故現場から見つからなかったのは、きっといざというとき私を守る為に、この世との絆を断つまいと、わざと母がそうしたのではないか。

 私は今はそう信じています。


 後日、本棚の奥からまるでもう役目を終えたといわんばかりに、母のつけていた日誌が転がり落ちてきました。

 それは十年前の事故で亡くなる数日前に、母がこっそり実家に隠しておいたものでした。

 母はやはりなにかを予感していたのでしょう。

 そこに綴られていたのは私の詳細な成長記録でした。

 読み進めた私は涙が止まりませんでした。


 そこには私への愛と、私を置いて死ななければならない母の無念が、綴られていました。

 母は不治の病におかされていました。自分がもう長くないことを知っていました。

 頼みの綱の祖父母ももう年でいつ何が起きるかわかりません。

 だから、母は私が一人になっても生きていけるよう、心を鬼にし、私を厳しく躾けたのです。

 日誌の最後の頁は、私の名前と、愛している、ごめんね の言葉で埋め尽くされていました。


「 お母さん・・・・・ 」


 私は日誌を胸に抱きしめて泣きました。


 あの女の子についての記述もありました。

 早逝した私の父の家系は憑き物筋だったらしく、彼女はその被害者でした。女の私が口にするのははばかられるほど、おぞましい仕打ちを受けた挙句、そうとう酷い殺され方をしていました。この世のすべてを恨むほどにわざと苦痛と恥辱を与え続け、そして、なぶり殺しにし、人為的に怨霊をつくりだす、そういった外法の犠牲者でした。


 あの子は去り際にやっぱり泣いていたのです。だから、あの女の子の名誉のためにも、彼女の受けた仕打ちの細かい内容を語るのは差し控えたいと思います。母も私と同じ気持ちだったらしく、そのくだりの文面には母の嫌悪感がにじみでていました。


 日誌には、十七を迎える前に、父の家の血をひく女子は亡くなってしまう、そうも記されていました。あの女の子が呟いていた、「とあまりななとせ」とは、「十余り七歳(とせ)」、つまり「十七歳」の事だったのです。

 

 記述によると、信じられないことに、あの子は十六歳でした。それなのにあんな子供のような背丈だったのです。どれだけの虐待にあの子がさらされていたかを想像し、ぞっとなりました。

 

 あの子は十七歳になれば解放してやると言われ、ただその言葉だけを頼りに生きていたのです。そして、十七を迎える直前に、呪術を完成させるため、嘲笑されながら嬲り殺しにされたのでした。


 だから、あの子は、自分が迎えられなかった十七歳を、加害者の父の家系の娘が迎えるのが、許せなかったのでしょう。母はたぶん父から詳細なことを聞いていたのだと思います。ですが、日誌は、その件については、あまり深い内容には触れてはいませんでした。父の実家に尋ねようにも家系が途絶えているので、今となっては真相は闇の中です。


 でも、私にとってはたいして意味のないことでした。

 もう二度とあの子は現れないとなぜか確信していました。

 母が私を愛してくれていた、その事実に比べれば些事でしかありません。


 あの子は言っていました。母が私の呪いを引きうけたと。

 母が不治の病にかかったのは、ひょっとしてそのせいではないかと、私は思いあたったのです。私は目を皿のようにして、震える指で、日誌を隅から隅までめくりましたが、その記述を探し当てることはできませんでした。


 ですが、日誌のたくさんの文字に埋もれた、ペン先を何度もこすりつけて塗りつぶされた一箇所、そこをページの裏側から透かし、隠された文字を読み取るのは不可能ではありませんでした。


「 麻衣子に嫌われるのが死ぬほどつらい。でも、くじけたら、麻衣子が呪い殺される 」


 愛する者に憎まれることが、その呪いを母が身代わりに受ける条件だったのです。その言葉を目にして、私は自分の直感が間違っていなかったことを知り、日誌を抱きしめて、声をあげて泣きました。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 そして、母へのわだかまりが溶解した、母によく似た面立ちの私が気付いたことがあります。

 いつも睨んでいたと思っていた母の顔、それは涙を堪えている私の顔にそっくりでした。

 母がどんな気持ちで私を躾けていたか、私はその真意をようやく知ることが出来ました。


 私はひとりぼっちではありませんでした。

 こんなにも愛してくれた母がいつも私のそばにあったのです。

 だから、もう私は寂しさに立ち尽くすことはありません。


 それから、私はよく笑うようになりました。

 友人にも恵まれました。

 そして、綺麗になったと褒められる度に、


「 この顔は母が与えてくれたものなんですよ。よく似てるって言われるんです 」


 と私は今、笑顔で応えています。


 母から受け継いだ容姿は私の自信となったのです。

 だって、鏡に映った自分を通して、私はいつも自慢の母に会うことが出来るのですから。


 母の手を見ることはもう二度とありませんでした。

 けれど、私を守るように抱きしめるその手を、たしかに今も感じます。

 だから、いつか私に子供が生まれたら、母のことを語ってあげたいと思います。

 優しく強かったあの手の思い出とともに。


 学校に向かう坂道で自転車を押すのをやめ、私は手で額の汗をぬぐいました。

 緑の初夏の汗ばむ兆しを陽光が伝えてきます。

 私は、顔と同じように母似である自分の手を、そっと天にかざしました。

 母がほんとうは私にそそぎたかったぶんまで、きっと生まれる子を愛してあげよう。

 小さな決意をしながら、私は広げた指ごしに、桜吹雪の終焉を見上げるのでした。


○おまけ


麻衣子「 お母さん!! また私の自転車、登り坂こいでるとき、こっそり押してたでしょ ! 電動自転車で通学してるって、変な噂されてるんだよ ! ヒルクライム麻衣子とか変なあだ名つけられるし。お母さん過保護すぎなの ! 私だっていつまでも子供じゃないんだから !・・・・そ、そりゃ、気持ちは嬉しいけど。それから、階段の下から来る男の子たちの目をふさぐのやめたげて。ちゃんとスカートの中にはスパッツはいてるから平気なの ! あー、もう ! 頭なでると誤魔化せると思ってまた・・・・・しょうがないなあ、まったく 」



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