2
ここ『安らぎの国』を象徴する「サン・フラハ寺院」には、毎日大勢の国民が心の安らぎを求めて足を運ぶ。かつて大陸を滅亡から救い、目覚めぬ眠りに就いたフラハ母神の本尊に礼拝することを習慣としているからだ。そのため、寺院を司る大巫女以下巫女達の扱いは、この国に措いては「不可侵なる聖域」である。つまり、フラハ母神に敬虔な気持ちを持ち続けることを忘れず、また母神に安らぎを求める者には老若男女分け隔てなく無償の愛を提供する――そういった重大な役目を負っている彼女らは、まさに清廉潔白な聖人であり、国中の羨望の的なのだった。
従って、多くの無垢なる少女達は巫女に憧れを抱いた。ユキもその一人だ。幼い頃から見様見真似で所作を学び、意味も分からず言葉遣いまで聞いたままに覚えた。その甲斐あって、彼女は十歳の時に見事、巫女見習いとして寺院に仕えることを許されたのだったが、年に一度行われる巫女試験には三度落ちて、いまだ見習いの座を脱せられずにいる。
気が付けば十三歳。自分より二つも年下の少女を、「姉巫女様」と呼び慕っている状況に強烈な劣等感を抱いていた。
無論、巫女には適性があり、能力には個人差がある。一度で試験を通る者もいれば、苦戦する者もいる。しかし、三度挑戦して不合格だった見習いの話は聞いたことがない。どれだけ苦戦しても、大概は二度も受ければ合格する。つまり――。
「私は落ちこぼれ」
その事実を受け止めないわけにはいかない。
巫女見習いは試験中に、様々な場面を想定したあらゆる所作、作法、言葉遣い、心構えを試される。その具体的な内容は試験当日になってみないと分からないが、心を痛めている信者への接し方、慰め方、光ある道への説き方等が通例である。また、基礎でもある。そのため、これを満足に行えない見習いは巫女失格ということになるのだが、その点彼女は致命的だった。少なくとも、致命的だと信じ込んでいた。
頭のつくりが少し違うのか、簡単なことでミスをする。それは例えば右手を差し伸べるところで反対の手を差し伸べてしまうような些細な誤りだが、ユキの場合、その小さな誤りが少しだけ多い。理解しているつもりでも、ふとした瞬間に身体が理解とずれた動きを行っているのだ。
姉巫女からはよく「注意力が散漫」だと言われる。決して他のことに気を取られたり、何も考えずぼうっとしたりしているつもりはないのだが、確かに「ずれ」が生じる瞬間というのは集中力に欠ける瞬間である。だがそれは細く長く伸びる意識の糸が、長く長く伸び続けることによって、やがては当然の結果として――瞬間的に――ぷつんと切れてしまうようなもの。それはもはや仕方のないことではないのか、とユキは思う。しかし周りの姉巫女達は、その仕方のないことを平然と克服しているように窺える。何故?
さらに悪いのが、一度ミスをすると焦りからドミノ倒し式にミスを重ねてしまうことである。そして小さなミスは山となり、気が付けば取り返しのつかない事態に陥っている。つまり、どうしようもないくらいに劣っているわけではなく、原因を細分化すれば、一つ一つのミスがほんの些細な内容であるだけに、尚更諦めがつかないのだった。
己が巫女であろうと、みっともなく執着してしまう。
執着。……その感情のどれほどみすぼらしく、浅ましいことか!
執着している時点で、自分は清廉潔白なる巫女失格ではないのか? と、自問せずにはいられない。
いや――はっきり言って、浅ましい感情はそればかりではないのだ。
ユキは、自分より見習い経験が短いにも拘わらず、悠々と試験を合格する姉巫女達(元妹巫女達)に強い嫉妬心を抱いている。それにも気付かず、聖人の顔をしながら「諦めないで」「応援しています」と寄って集って無遠慮な言葉を投げかけてくることが、本当に腹立たしくて、鬱陶しい。巫女に「執着」している浅ましさを見抜かれた上で、遠回しにちくちくと皮肉られている気分になってくる。
勿論、彼女らに悪意がないことは百も承知である。百の善意で言葉を投げかけ、そこに隠されたメッセージ性がまるでないということは、理解していた。
しかし、しかしだからこそ――負の感情が微塵もないからこそ、執着に呪われ嫉妬に狂う自分が、いかに不健全で救いようのない愚か者であるのかという、残酷な事実を直視させられて、頭を抱えたくなるのだった。
彼女らが親切にすればするほど、細い指でゆっくりと首を絞められるように、息ができなくなる。
「ああ……」嫉妬。執着。劣等。憎悪。『安らぎの国』の礎となる巫女からは程遠い感情の流動に、我ながら嫌気がさしてくる。「……なんと醜い。なんと醜い」
こんな自分が試験に合格するとは、到底無理な話ではないのか?
こんなにも心は汚れ切っているのだから、この世に生を享けた瞬間から、今の状況に陥ることは決定づけられていたのではないのか?
ユキが自然に呼吸をするには、この寺院はあまりに純潔だ。
「善意に潰される」
思わず零れ出た言葉だが、笑う元気もない。