意外とよく見てるな、カザランド
爽やかな空気に満たされた室内で、明るい日差し射し込むある朝、私はカーテンを開けに来た若い侍女に難癖をつけていた。
「お前、私のことをバカにしているのだな!」
「いえ、そのようなことは!」
「いいや!私がなかなか起きられないから、無理やり起こそうというのだろう!まだ毛布の中にいるのがわからないのか?私は背中の痛みがまだ引かないというのに!魔術師に治療されなかった私がそんなに可笑しいかっ、不敬であるぞっ」
今日はいつもより少し早くカーテンを開けられたのだが、私は目が覚めていたので実際には特に気にしていない。
今までだってわざわざ、こんなことに目くじらを立てはしなかったし、背中の痛みに関しては彼女が言われてもどうしようもないことだった。完全なるクレーマーだ。理は向こうにあるだろう。
しかし今の私はいくら宥められても謝られても、テコでも動かないぞという心境で侍女を思い切り睨みつけている。
「殿下、お静まりください」
「うるさいうるさいっ!その女はクビだっ!もう2度と私の前に顔を出させるな!」
「殿下!」
カザランドに宥められ、駆けつけてきたマリーナに叱責されながらも、私はなんとか我を通した。これでいい。
マリーナの険しい顔と何がなんだか理解出来ていない侍女を残し、困り顔のカザランドを引き連れて私は寝室を後にした。
着替えは別の部屋で他の侍女にさせた。
カザランドは約束通り私のワガママに付き合って、毎日私の挑戦を受けて立ってくれていた。ついでに、私の酷い剣さばきを見るに見かねて、剣の稽古もつけてくれる。
最初は私が一方的に無策にかかっていっていたのだが、やはりカザランドが構えや型、足運びに至るまで指導してくれたので、私の予想以上に早く、私の剣を振るう姿も様になってきた。
残念ながら今日は侍女もいないので、私の勇姿を披露できる相手もいないわけだが、まぁ見たところで感想を言ってくれたりはしないのだろう。
「殿下は筋が良いですね。覚えも早いですし」
「本当か?初めて言われたぞ!」
「そうなんですか?バランス感覚に優れていますし、小回りもききますね。あとは体力と筋力をつけていただかなければなりませんが、それより安静になさって体調を早く万全にしていただきたいです」
誰かに指導をされた上で、こんなに手放しで誉められたことはない。後半の言葉は聞き流して、耳に良い言葉だけが耳奥に留まる。
くすぐったくてポカポカしてくるような、なんとも充実したもので私の中が満たされていく気がする。
嬉しくてつい頬が緩んでしまうし、顔が興奮で紅潮しているのも解る。
あまりの自分の賢さ故に私自身も忘れそうになってしまうが、私はまだ8歳で子供なのだ。王太子以前に子供としての私が、大人からの優しさに無条件に喜んでしまう。
いやいや、落ち着け。気を緩めてはいけない。私は何時なんどき何があってもおかしくない立場なのだ。いくら馴れない、私を手放しに肯定してくれる環境に置かれたからといって、決して浮かれてはならないのだ。冷静になれ、クールダウンだ。
そもそも私は、あのチート設定のワガママバカ王子なのだ。ヒロインにちょっと誉めそやされただけでやる気を出して、どの分野においてもハイスピードで才能を開花させてしまうような、できて当たり前人間なのだ。
そう、出来て当たり前。やれば出来る子なのだ。
「まぁ、当然だな!」
胸をそらして得意満面になるが、カザランドは困ったように笑いながらしゃがみ、私に目を合わせてきた。
「ですから殿下、今日はもうやめて明日にしましょう。御身を大切になさってください」
背中の痛みはまだあるが、我慢出来ない程でもない。
明日で医術師に言われた1週間になるのだから、明後日には家庭教師の授業に参加しなければならないだろう。
ではそろそろ、次の課題に取り組むべきだ。今日のところはカザランドの言うとおりにするとしよう。
了承の意味を込めて、うむ、と頷けば、カザランドはすぐには立ち上がらず声を潜めた。
「殿下、お聞きしてもいいですか?」
「なんだ?」
「なぜ、宰相閣下に、あのようなことを仰ったのですか?」
とても真剣な顔だった。
私が目を覚ました日以降、お祖父様は現れてはいない。
なのでカザランドが言っているのはほぼ1週間前のことだと思うのだが、その時カザランドは自宅謹慎中で私の側には居なかったのだ。
だからお祖父様と私の会話を直接聞いていないはずだし、「あのようなこと」が何を指すのか私には判断しかねる。いや、予想はつくけど。
両目をすがめ、相手の述べんとすることを探ると、カザランドが更に困ったように笑い掛けてきた。
「ラトアットから聞いたのです。殿下、あなた様は確かに少し怒りっぽい所はありますが、根はお優しい方です。自分の周りに居る使用人の名前だって、ちゃんと全員覚えていらっしゃるじゃないですか。何故知らないふりをしたのですか?」
なるほど、2人は従兄弟だからそういう話をする機会もあっただろう。多分復帰前に聞いたのだと思うが、今までよく黙っていたものだ。
それに今も、侍女の目がない時を見計らって質問を投げ掛けてくる配慮を見せている。
カザランドも伊達に貴族社会で生きてはいないのだな、と思わず関心してしまったが。これは少しまずい事態だ。
「それに今日も……いやここ最近ずっと、殿下はらしくありません」
「カザランド、生き残りたいなら口をつぐめ」
私は敢えてにこやかな笑みを浮かべて、まだ言葉を続けたそうにしているカザランドを遮った。
護衛対象である私を、よく見ている。さすが勤勉な近衛騎士だ。人柄だけでなく、その優秀さにも好感が持てる。
カザランドはこれ以上ないほど両目を見開き、私の顔をまじまじと見つめてきた。
「大きな流れに逆らうだけの力も備えもないのなら、注意が逸れるまでひたすら息を潜めていることこそ懸命だ。それから、主観と客観の区別も大事だ。そなたのそれは主観でしかないが、私が実行しているのは客観だ。より多くの客観に沿うことこそが、いつも通り“私らしい”と見なされる秘訣だ、覚えておくといい」
強権派に更に強固な首輪を填められそうになっていると説明するには、中立派の家柄のカザランドに説明するには時間が足りない。
なんとなく私の置かれている立場を察してはいるのかもしれないが、派閥の問題事に深く関わらないことで中立を保っているのが彼らなのだ。そんな人間に、今私の現状を説明したところで何の益も生まない。
悪いが、カザランドにはまだ伝えない。その意志を変える気はない。
「それを踏まえた上で、そなたは普段通りに振る舞うのだ。それができないなら王太子付きを辞めるのだな。私は今は、そなたの命まで抱え込めるほどの余力がない」
「一体、何が起きているのですか?」
彼は何故、こんなに私を心配してくれるのだろう。実の母でさえ気にかけない私を。
何故、気付いてしまうのだろう。実の父でさえ知らない、私の人間性に。
本当に人がよすぎると思う。巻き込むのが申し訳なくなってくる。
神妙な顔をするカザランドに、私は潜めた声のまま告げる。
「今は教える気はない。気づけないなら知らない方がいい。時期がきたら教える。納得できたのなら今まで通りにしろ。出来ないなら私の前から去ることを許可する」
「そのようなこと、出来ようはずもありません。殿下は俺が命を掛けてお守りすると決めた御方です。どこまでも、お供致します」
私の無茶苦茶な言い分にも真摯な様相を崩さず、カザランドは私の無事を守る為に居てくれると宣言した。
そこまで思ってくれてるのかと思うと、なんだか感動して鼻の奥がツンとしてしまう。
カザランドは人たらしなのかもしれない。
それとも私がチョロいのだろうか。愛に餓えている自覚はある。
これでカザランドに裏切られたら私は立ち直れないかもしれない。いや、妙なフラグを建設するのはやめよう。
あまり長居しては人目につくと判断して、立ち上がったカザランドと部屋へ戻ることにした。
私の模造刀はいつも通りカザランドが持ってくれ、トリスタンテ宮殿への道中私は手ぶらだった。
しかし護衛が手を空けていなくていいのだろうか、何もないとは思うが少し心配ではあった。
戻ってすぐ飛んできたのは、マリーナのお小言だった。
「殿下、何を考えておられるのです」
「なにか問題でもあったか?」
「問題だらけです。これだけ人が手薄になりましたら、殿下のお世話に差し支えます。業務も滞りましょうし、替わりの使用人はすぐには手配出来ないものなのですよ」
朝の苦言の続きがまさか昼過ぎまで尾を引いているとは思わなかったが、調度いい。私もマリーナに言いたいことがあったのだ。
連日些細な理由で侍女や護衛達に言いがかりをつけては数を減らしていたのだが、とうとうマリーナの堪忍袋も緒が切れてしまったようだ。
今も私の部屋には、本来複数侍っているはずの使用人の姿がなく、マリーナのみである。手が足りていないのだ。
珍しく本気で怒っている王太子付き筆頭侍女に、なに食わぬ顔をして私は軽く返した。
「そうだろうな。それだけ忙しくなれば、聞き耳をたてる暇も減ろうというものだ」
「殿下?」
私の言葉に勢いを削がれてしまったのか、怪訝な顔をしている。
マリーナの淹れてくれた紅茶を飲みながら、傍らに立つ彼女に微笑みかける。
「悪いが疑われないように、どの派閥も関係なく適当に切らせてもらった。せっかく王権派の人員を割いて私につけてくれていたというのに、恩知らずなことをしたな」
明確に謝罪の言葉を口にはしないが、実質これは一臣下であるマリーナに謝っているのだ。
僅かに息をのみ、私の次の発言を待って黙り込むマリーナ。
「どうせ一時的なことだ、あまり派手に繰り返して注目や警戒をされても困る。そろそろお祖父様も苦言を呈しにくるだろう。そうしたら大人しくする予定だが。その前に、やりたいことがあるのだ」
今ならお祖父様の監視が、万全には行き届いていない状態になっている。
しかし使用人を不当に減らしたのは、治癒魔術師を寄越されなかったことによる八つ当たりと思われているだろう。
なにせクビを言いつけた相手をまた見かけたら、今度は別の難癖をつけて自発的にも異動するように仕向けたのだ。徹底して内容のない八つ当たりをしておいた。
強権派にもその内容が伝わっていることだろう。
使用人を減らしたことに意図があったのだと理解したようだが、ワガママなだけではなかったということが信じられないのだろう。珍しく呆気に取られたような、彼女らしくない気の抜けた顔をしていた。
なにせいつもマリーナにはお小言をもらっていた。
もっと王太子らしくあるようにと。私は叱られる度にカザランドに愚痴っていたが、だからといってマリーナのことを嫌ってはいないのだ。
私を気に掛け、良くしようとわざわざ声を掛けてくれる。
無関心という愛情とは正反対のベクトルを持つ対応を母からされていた私としては、構ってくれるマリーナの存在は有難いものだ。
だからもっと構ってもらいたくて、マリーナの前では殊更生意気に振る舞っていた。例え国の未来を憂えての苦言であっても、私に関心を寄せてくれる彼女のことが好きなのだ。
彼女なら、正しいことができる。信用できると思うのは、そのブレない愛国心にある。
その為なら王太子相手でも臆せず意見を言える、高潔さが好ましい。
「メンディエンズ公爵と直接会って話がしたい。彼はいつならご在宅だろうか?マリーナは、それくらい解るのだろう?」
「少々お待ちいただいても宜しいでしょうか?確認して参ります」
「うん、頼む」
微笑みかけると、途端にいつものように引き締った表情になり、一礼して部屋から出ていくマリーナ。
お菓子のスコーンをゆっくり頬張っていると、程なくして彼女は戻ってきた。
予想以上に早い。さすが出来る女である。
「3日後に、午後から屋敷にお戻りになられるとか」
「そうか。ならその日に、私は唐突に婚約者に会いに行きたいと思い立つから、そのつもりでいてくれ。人が手薄だから、仕事に差し支えよう。供は最低限、マリーナとカザランドだけでいい。他は留守番だ。それだけ残せば手はギリギリ足りるだろう?」
「はい、殿下」
「では頼んだ。この事は内密に。カザランドにも伝える必要はない。あいつはすぐ顔に出るからな」
「承知致しました」
まるで私と日頃そういったやり取りをしていたかのように、疑問を差し挟むことなく淡々と応じる彼女の姿に、プロの仕事を見た気がした。
そしてどういうわけか、凛とした彼女の表情の中に嬉しそうな誇らしそうな色を見つけて、気のせいかもしれないと思いつつ私も嬉しくなった。
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