バレンタインデー
「はい、チョコ」
そう言って彼女がぶっきらぼうに差し出したのは、可愛らしいラッピングが施された小さな包み。
「ほら、早く受け取りなさいよ」
放課後になって、それも人目につきにくい駐輪場で渡したのは、彼女も恥ずかしいのだろう。そっぽを向いている彼女だが、頬は薄紅に染まっていた。
「あ、ありがとな」
まったくの不意打ちに俺はそうとしか言えず、小包みを手に取りまじまじと見つめる。
「なによ」
「あぁいや、貰えるとは思ってなかったから。嬉しいわ」
幼なじみという間柄のせいか、彼女も俺も互いを異性として意識するにはあまりにも近すぎる関係になってしまった。
「そう……ならよかった」
だからこそこうして照れた時の彼女の破壊力は凄まじい。
言葉こそ素っ気ないが満更でもなさそうな顔をしている。
「あんた甘いの苦手だから濃いめのビターチョコにしといた」
「流石わかってらっしゃる」
そう言って包みを開けると中には丸いチョコレートが入っていた。袋を開けるとカカオの匂いが鼻腔をくすぐる。
「あーでもそうなると何か返さなきゃな。なんか欲しいものとかあるか?」
「そうね」
彼女は額に指を当てて思案顔になる。と、なにか思いついたのかパッと顔を上げてこちらを向いた。
「ちょっと貸して」
「あ、おい!」
彼女は言うが早いかチョコレートの入った包みを俺の手からひったくった。
「お返しはいいから一つ、私のお願いを聞いてよ」
「まぁ無理難題じゃなけりゃできる限りは応えるけど」
「じゃあ目を閉じて」
「は?」
「いいから目を閉じる。そんで私がいいって言うまで目を開けない事」
「わ、わかった」
半ば困惑しながらも俺は彼女の言うとおりに目を閉じる。
「いい? 私がいいって言うまで絶対に目を開けるんじゃないわよ」
「わかったわかった」
「それじゃ……いくよ」
なんの合図だよというツッコミは、彼女の温かな吐息を近くに感じると同時に消し飛んでしまった。
「んむっ!?」
俺の唇が柔らかな感触を覚えた。と思ったら口の中に丸い物体が侵入してくる。拒むこともできず口の中でそれを転がすと、かなりビターなチョコレートの風味が広がっていった。甘さを極力抑えた、決して市販されることはないであろう味。
そして唇に触れているものが離れたと思ったらまた柔らかなものが押し当てられる。
「もう目を開けていいよ」
彼女のその言葉で俺は目を恐る恐る開ける。目の前には可憐な見慣れた顔。長い睫に澄んだ瞳。
「どう? 期待した?」
そう言うと彼女はいたずらが成功した子供のように笑う。俺の唇には彼女の指が押し当てられていた。
「お前なぁ……」
「どう? チョコの味はどうだった?」
はぁ、と俺はため息を一つ漏らして彼女を睨む。
「甘い。甘すぎだ」
その言葉に彼女は不思議そうに首をかしげる。
おそらく本当に気づいていないのだろう。自分の口の端にチョコレートがついていることに。
リハビリ代わりに。他の作者様の作品に触れて砂糖を吐きすぎた……。