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プロローグ 日常

全七話

 正午を知らせる鐘が鳴ると、クォーツ時計店の扉が開かれる。


 扉にかけられた札を「営業中」に差し替えるのは、店主のクロックだ。


「やあ、おはよう。今日も朝寝坊かい?」


 いつも決まった時間に散歩をしている老爺がクロックに声をかける。

 ありふれた日常の風景だ。


「よう、イマヌエル爺さん。もうこんにちは、だな。それと寝坊してるわけじゃなくて、開店時間が正午なのさ」


 クロックも毎日同じセリフを返している。

 続いてこう言うのもお決まりだ。


「爺さんがここにいるってことは、お宅の柱時計は今もまだ一秒だってずれちゃいないってわけだ」


 イマヌエル爺は胸を叩いて返す。


「ああ、そうとも。何しろこの国一番の時計職人が作った柱時計だから、そう簡単に壊れやしないとも」

「そいつは聞き捨てならないな。一体どこのなんて奴なんだい?」

「そりゃあ決まってる。セイコウ市のクロックって時計職人さ」


 クロックは歯を見せて笑うのだ。


「おっと、こいつはいけねえや。お客さんだったのかい」

「時計のネジを締めるのが上手だってのに、頭のネジは締め忘れたかい?」

「うるせいやい」


 いつもの掛け合いだ。一体何年続けているかもわからない。

 それでもたった一度だけイマヌエル爺が正午に店の前を通らなかったことがある。

 クロックが理由を聞いたところ、ある本に熱中しすぎて時間を忘れてしまっていたらしい。


「ほいじゃ、イマヌエル爺さん。気をつけてな。時間は忘れちゃダメだぜ」

「ハッハッハッ、大丈夫。今日も元気いっぱいさ」


 イマヌエル爺が去ると、クロックもまた店に戻り、作業机に座る。

 机の上には色々な道具や部品が置かれており、散漫なようでいて、その実整理されていることがよくわかる。


「えーっと、今日の受け渡しはどれだったかな」


 帳簿を眺める。

 今日の返却予定は一つだけだった。

 商売が繁盛していることもあって、こんな日は稀だ。


 基本は懐中時計の修理を業務としているが、時々置き時計などの修理も請け負っている。

 気が向けば自分で作ることもあるが、部品も限られるので中々作る機会はない。


 イマヌエル爺の家で柱時計を作ってやったのは、個人的に彼に世話になったことがあるからだった。そう簡単には作らない。


 返却予定の懐中時計を分け、別の修理中の時計を取り出したところで、店のドアが開いた。

 クロックは道具を置いてそちらに顔を向ける。


「なあんだ、ベルトルトさんじゃないか」

「なあんだとはなんだね、全く」


 ベルトルトはセイコウ市の名士で、月に一度はクロックに懐中時計を預けに来る。

 クロックも職人であるから見るだけは見るが、彼が手がけた時計が毎月検査を必要としないことはベルトルトにもわかっている。

 しかし、それでもクロックに懐中時計を預けるのは、愛妻が彼自身に贈った最後の品だからだ。


「いつも通り、ちゃあんとできてますよ」


 手渡された懐中時計を、ベルトルトは一度だけ蓋を開いて確認する。

 秒針は動いておらず、短針も長針も動いてはいなかった。

 普通ならば「壊れている」とみて間違いないのに、彼は満足げに一度頷いて代金を支払った。


「ああ、いつも通りだ。いつも通りだとも」


 一瞬、眦に陰りが差す。けれども、クロックは人好きのする笑みを浮かべて「毎度あり」と頭を下げるのだ。


 ベルトルトはいつものように店を出ようとする。

 クロックはそれを追って見送ろうとしたが、ふと彼が立ち止まったので首を傾げた。


「忘れるところだった」とベルトルトはヒゲを撫でて言う。「実は知り合いから〝そっち〟に詳しい時計職人がいれば紹介してくれ、と頼まれていてね」


 クロックは片方の眉をピクリと上げて、すぐにいつもの笑顔を戻して尋ねた。


「はあ、構いませんが、急ぎですかい?」

「いや、そうではないらしい。私も詳しくは聞いていないがね」

「こちらに来てもらえるんです? それとも俺が?」

「出張してくれると助かる」


 ではそのように、とクロックは頷いた。


「場所はそう遠くない。隣のエルジン市の郊外だ。汽車もあるが、乗合馬車の方が安くていいだろう」


 クロックは詳しい住所をベルトルトから聞いて告げる。


「二、三日は預かった分の修理があるんで、その後にお伺いしますよ」

「ああ、頼むよ。こちらからも伝えておこう」


 ベルトルトはステッキを片手に何やら思案しながら帰っていった。

 その後ろ姿を眺めながら、クロックはやれやれと肩を竦める。


「久しぶりに〝そっち〟の仕事かい。しかも常連の紹介とは、失敗できねえなあ」


 小さくため息をついて、今日の作業に戻るクロックだった。


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