第19話 世界は恋に落ちている
カウンターで時間を尋ねてみると丁度良いタイミングで上映が始まるようだった。普段アマンダの家で見るようにポップコーンとコーラを買い、俺たちはいくつかある劇場のうちの一つに入った。
「Wow, カップルが沢山です……」
「まぁ、そうだろうなぁ」
流石は恋愛映画。俺たちのように好きな人と見に来る人が結構多い。そしてやはり同じ制服の人たちも多かった。劇場の端の方に二人並んで座り、とりあえずは腰を落ち着ける。
最初は少し賑やかだった劇場内も照明が落ちた辺りから落ち着き始め、ついにはしんと静まり返った。そして、スクリーンに光が当てられ、上映が始まる。
(アマンダとこういう映画を見るのはちょっと恥ずかしいな……)
スクリーンにはおそらくこの物語の主人公であろう女子高生が映し出される。よく見ればテレビで見たことのある女優さんだったりする訳だけど、そういう話はここでは無し。そしてしばらく見続けていると今度は主人公とくっ付くであろうイケメンが現れた。
ひょんなことで出会った二人が徐々に仲良くなっていく過程を見ながら、頭の中ではアマンダの事を何となく考えてしまっていた。流石にこの俳優程にイケメンではないだろうけど、もしかしたら俺たちの間の物語もこのような一本の映画になってしまう程に濃くなるのだろうか。
(アマンダの様子は……うん、やっぱり映画に集中してる)
食い入るようにスクリーンを見つめている彼女を一瞥した後に自分もスクリーンに視線を戻す。口の中がドロドロに甘くなるような世界がそこでは繰り広げられていた。見ているこちらが恥ずかしくなる程のシーンが続き、それに俳優の歯の浮くような台詞が畳みかけてくる。
思わず顔が赤くなるような応酬。半ばお決まりとなったストーリー展開。それでも、この作品に飽きたと思うことは無い。スクリーンの中の恋物語はくっ付いては離れ、くっ付いては離れを繰り返し、そしてラストシーンがやって来た。
(大ケンカの後に主人公が看病に走る、か……)
ひょんなことから対立した二人が距離を置くようになるが、彼が具合を悪くして寝込んでいることを知ると、やる事全てに手が付かなくなった彼女は彼の家に飛び出して行く。そうして必死の看病の末、具合が良くなった彼とお互いの剥き出しの心のやり取りをする。
最初は正直になりきれてなかった主人公、そして彼女に対して誤解をしていた彼はそこで本当の意味で打ち解け合い、二人の想いがその口から語られる。
(……ん?)
なんとなく肘置きに腕を乗せていると、俺の手の甲にアマンダの手が重なった。
そのまま肩にこてんとアマンダの首が乗る。
(アマンダ?)
斜め下に彼女の方を向く。アマンダはちらりと上目遣いで俺の事を窺っていた。そして、何か物欲しげな顔で俺をじっと見つめてくる。
「どうした?」
なるべく周りに配慮して小声で尋ねてみる。
「キス……して?」
「えっ?」
唐突な彼女のお願いに思わず周りを見回してしまう。
するとどうだ。俺たちの周りでも、映画館の暗闇に隠れるようにこっそりとキスをしているカップルがちらほらといるではないか。おまけに映画も物凄くいい所まで進んでいて、これに乗じてやることやっちまおうという気になってしまったのか。
「ダーリン?」
「あ……」
スクリーンにちらと目をやる。どうやらそちらもキスシーンに入っているようだった。
濃密なキスを交わす二人。それにあてられたのはアマンダだけではなかったみたいだ。俺も、アマンダとキスをしたくて堪らない。この雰囲気に全てを任せてしまいたい。
アマンダと目を合わせる。重なっていた手の指が絡み合う。胸がドキドキでいっぱいになっていく。衝動が、抑えられない……!
「アマンダ……」
「ダーリン……」
どうすることも出来ず、闇に紛れ、アマンダと密かに唇を合わせてしまった。
口の中に甘い味が広がっていく。周りの事がどうでも良くなっていた。映画を見ている事さえも忘れて、アマンダの事しか考えられなくなっていく。
(駄目だなぁ……彼女の事で頭が一杯だ)
自分でもうんざりする程に、俺はアマンダの事が好きになってしまっていた。周りからどう見られようと関係ない。今、自分の心から溢れ出ている彼女への想いを奥底に押しとどめることなんか出来ない。この想いを、すぐに彼女へ伝えたい!
「んっ、ちゅ、んん……」
アマンダが握っている手に力を籠めてきた。負けじと俺も力を籠める。
そうしているうちに、段々身体の向きも彼女の方へ変わっていて、気が付いたら、両手を絡ませるような形で俺とアマンダはキスに没頭してしまっていた。
(アマンダ……アマンダ……)
目の前の彼女が愛おしい。世界で一番可愛くて、活発で、魅力的なガールフレンド。
もう満足か、という位にキスを貪った俺たちは一旦離れる。そして、映画を見ていたのだという事に気が付いて、少し慌てたように座り直した。だけど映画はもうエンドロールに入ってしまっていた。困ったことに肝心の映画の最後の辺りが全く頭に入っていない。
スクリーンに投影されていた光が消え、劇場に光が戻る。
「ダーリン、凄かった……」
「ううっ……」
もしかしたら、俺、かなり恥ずかしい事をしていたのではないだろうか。
そんな事を考えていると、しばらく席を立たずにここに座っていたい気持ちになった。
※
そう言えば学校帰りに映画を見ていたのであった。その事実を俺は時計を見た時に思い出す。もう、午後六時近い。徐々に夏が近づいているとは言えまだ日は短く、夕焼けが薄く見える程度で夜と言ってもいい頃合いだろう。
さっきの映画のラストは二人とも全く頭に入っていなかった為、とりあえずスマートフォンでネタバレサイトを見てその辺りの補完を済ませる。やはりハッピーエンドであった。数年後に二人の結婚式が上がる所で映画は終わったようだ。
アマンダはそれを聞きながらスキップをしている。おかげさまで彼女のセーラー服おっぱいがぽよんぽよんと嬉しそうに跳ねている。いや、嬉しいのは俺でした。
「映画、楽しかったです、ダーリン!」
「ああ、そうだな……」
それはおそらく、キスをしたことも含めてだろう。
「あの映画のラスト、結婚式で終わるみたいですね」
「そうらしいね」
「だったらダーリン、考えがあります!」
アマンダは俺の前に回り込み、ずいっと俺の顔を覗き込んできた。
映画館での火照った顔ではなくて、自信にあふれた素敵な顔をしていた。
「私たちで、あの映画のラストよりも幸せになります!」
「そう来たか」
「私たちならなれます! ハリウッド顔負けの作品を作りましょう!」
近くを通りかかった若い人たちが何か怪しむような目でこちらを見て来る。周りの事を考えるとやっぱり恥ずかしかったけれど、アマンダがそこまで俺との将来について考えてくれるのが嬉しくて、思わず照れを顔に出してしまう。
「ダーリン、聞いてますかー?」
「聞いてるよ。よし、それじゃあ今日はアマンダの家まで送っていくよ」
それを聞いたアマンダは疑問符を浮かべながら聞き返す。
「ん? 送ってくれるのはいつものことですよ?」
「いいや、ちょっとだけ違う。手を繋いでいくんだ」
「手を繋ぐ……」
「そう。映画でやってた『恋人つなぎ』をして、アマンダの家まで行こう」
歯が浮きそうな台詞だった。だけど、なるべく顔に出さずに彼女に笑顔で伝える。こういう台詞を外国の人は普通に言えるんだろうなと思っているのは内緒だけど。
「恋人つなぎ、わ、分かりました、ダーリン」
「ん、アマンダ、もしかして照れてる?」
「て、照れて……Ah, 照れてるのはダーリンもです!」
お互いに慣れない事で動揺してしまっていたらしい。同じ感情を抱いていたことさえ嬉しい中、手をそっと差し伸べて俺とアマンダで手を繋ぐ。そして、指を絡め合って恋人つなぎの形にした。
――思った以上に恥ずかしい。今はまだいいけど、人とすれ違う時気まずいなぁ。
「Umm...」
「あ……」
二人でどうしたらいいか分からないまま、何も話すことが出来ず、無言で歩き続ける。それでも険悪なムードは全くない。逆に、相手の事が好きすぎてどうしたらいいか分からなくなってしまっていた。
そうしているうちにウォーカー家に着いてしまう。俺もアマンダも、あまりに時間を短く感じたことに目をぱちくりとさせてしまっていた。
「Oh...あっという間でした」
「そう、だったね」
「ううっ、ダーリンとお話をし足りないです……」
残念そうにアマンダは肩を落とす。悲しいのは俺も一緒だった。
「また明日だよ。また明日、いっしょだ」
「明日……そうですね。それまでお別れです」
まだ悲しそうにしているアマンダ。彼女のこのような姿は度々見ることがあるけれど、何回見ても、何もせずにはいられなくなってしまう。
アマンダの両肩をそっと掴み、不意打ちのキスを送った。
「んっ……ダーリン、ずるいです!」
「アマンダが悲しそうな顔をしてたから、つい」
「こんなことされたら、もっと、別れたくなくなってしまいますよ……」
彼女のその言葉を聞いて失敗したな、と思った。俺も、このままアマンダと別れたくなくなってしまった。抱き付いてくる彼女を抱きしめ返して数十秒、家のドアが開いた音で俺とアマンダは我に返る。
「んー、二人とも、家の前でお盛んだねー」
「Emiliaaaaaaaa!?」
「あ……」
ドアの隙間からニヤリと意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見守るエミリアさんに、俺は、周りが見えなくなりすぎるのも考え物だという事を痛感させられてしまった。