ACT.3 セーラー試着
ある5月の朝。俺は席替えした新しい席で、ラジコンカーのシャシーを黙々と組み立てていた。と言っても、自宅から持って来るためにある程度バラしたためで、少しの作業で元に戻る。
「お、やっと走るようになったの?」
「まあ割と前から走ってたけどね。結構走るからダンパーとギア関係交換したらすげー良いんだわ。」
走りこまれている中古とは言えど、出自が最近のタミヤTT-02シャシーは、スタンダードなモデルながら完成度は非常に高い。現行シャシーゆえタミヤもバリバリ売り出しており、これからチューンしていくには最適だ。
シャシーにタイヤ付きのホイールを取り付けている時だった。
「おはよー慧ちゃん。」
「うぃーっす。」
「…お、は、よ!」
「ハイハイ、おはよう巴くん。」
バス停で話してから半月、席替えで斜め前に彼が来たことから、俺と巴の仲は急速に縮まっていた。なぜか俺は彼に話しかけられると心拍数が上がってしまう。
巴の言動などはバリバリ男なのだが、見た目や仕草が8割女の子なのだ。10割が大和撫子だとするともうほぼ女である。言動や服装なんかをトータルで考えても6割は女だろう。正に二次元でしか見た事がない「男の娘」だった。
「あれ?前見た写真と違くね?」
「あのボディボコボコだったから新しく買って来た。フェラーリだぜ。」
毎朝、色々と他愛のない話をHRが始まるまでしている。本当に何て事のない話だったが、俺は巴といるとなんとも言えない不思議な気持ちになった。特殊な事情を抱えた彼とお近づきになれた優越感かも知れないし、はたまた単純に擬似的に女の子と話している気分になったからかもしれない。いずれにせよ、彼…いや、彼女との時間は特別だった。
放課後、フェラーリを走らせる。機械科が主に実習で使用する工作機械がある工場と校舎の間に挟まれた舗装路にコーンを置いてとりあえずセッティング。この道は工場への機械搬入以外は車も通らない袋小路だ。更に運が良ければ工場の先生でラジコンをやってる人がドラテクなどを教えてくれる。ここも伊達に工業高専を名乗っているわけではないという事だ。
校舎側の草むらに敷かれたレジャーシートの上に巴は腰を下ろし、ホイラー式のコントローラーを両手にフェラーリを目で追う俺を眺めていた。どう考えても退屈だろうに、なぜか巴も付いて来た。今回に限った事ではない。休み時間におやつを買いに行く時も、体育などの移動教室の時も、下校時も一緒である。ここまで好かれると悪い気はしないが、男に付きまとわれていると考えると少し複雑である。
「足硬い…あとギヤ比落として瞬発力を……」
コーンで作った簡易コースを走らせながらマシンの感触を確かめていた時、不意に巴が呟いた一言に俺は驚いた。
「セーラー服着てみたい。」
「…はぁ⁉︎」
軽い音とともに、フェラーリが100均のコーンを跳ね飛ばす。驚きのあまりラジコンを停めて聞き返した。
「何着たいってぇ⁉︎」
「ん、セーラー。」
俺が動揺するのを狙ったのか、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。三角座りの仕方は正に女子のそれだった。
「…え、いやなぜ今⁉︎」
「ずっと考えててさぁ。ほら、来月宿泊研修じゃん?そこでちょっと…ね。」
「…あー、まあ着るには絶好のチャンスだわな。」
なんだかんだで教師の監視が薄くなる宿泊研修のホテル。確かに女装姿を見せるのにはまたとないチャンスだろう。セーラーだとその辺歩くわけにもいかないだろうし。
「でさ、藤谷持ってるけどあれコスプレ用なんだよね。やっぱ、本物が着たいよね。」
藤谷は体育祭の選手宣誓(パフォーマンス大会と化してる)や、学校祭などでなんか色々変な事をしている男だ。話ではチャイナドレスもあるとかなんとか……そんなことしてないで勉強しろよな。
「ふーん…」
俺は再びフェラーリを走らせ始める。そしてしばらくして、女との縁が極端に少ない男子高専生にとって考えられる最も最良の策が浮かんだ。
「元カノに聞いてみよーか?」
「え⁉︎彼女いたの?」
「…変なのと昔ね。」
俺は中学時代の事を思い出し、一人苦笑した。
俺は元カノ…柏木 由乃にLINEで連絡を取った。セーラー服を拝借するためである。
元カノとは言え、今でも友達として関係は良好だ。由乃には現在別の彼氏がいて、再会してからたまにそいつの愚痴やら色々聞かされている。
《いいよ》
《中学のやつでいいよね?》
〈あ、うん。〉
まさかの即答だった。俺の知ってる由乃はこういう女だったから、今更驚きはしないが、それでも一瞬唖然とした。
《それでどうする?試着する?》
〈そーだなー、聞いてみるは〉
《おk》
俺は巴にその事を話した。
《行く》
〈うい〉
という事で試着が決まった。
寝る前に、俺はふと疑問に思った。なぜセーラー服なんだろうと。
確かにセーラー服は見慣れた可愛いコスチュームの一つで、pixivでもそういうコスが好きなフォロワーさんはたくさんいる。俺も母校の夏服は可愛いと思っていた。
巴と帰るときも、彼女はセーラー姿の女子中高生を見る度に可愛いを連呼する。そしてその度にセーラーへの熱意を語り続ける。その辺はオタクっぽいが、なぜこだわりがセーラーなのかがさっぱり不明だ。
それは俺もか。周りから見れば、なんでラジコンに金つぎ込んでだよってなるだろう。知らない人間が見れば、ただのおもちゃに過ぎない。
そんなことを考えているうち、俺は睡魔に飲み込まれていった。
体育祭終わりの土曜日、俺は巴を連れて元カノの住むアパートを訪れた。俺にとっては見慣れた、そして少々気の重くなる場所だった。
「やほー…え?その娘だれ?」
由乃はドアを開けるなり尋ねてきた。
「これが巴くんだよ。」
「ちぃーす。」
見るからに少女の姿をした巴に、由乃は口を押さえ絶句し、やがて物凄い勢いでまくし立て始める。
「ええええッッッ!マジィ⁉︎ヤバィちょー可愛いんだけど‼︎本当に⁉︎本当に男なの⁉︎◯◯◯ちゃんと付いてるの⁉︎……えーちょっと待ってマジ(ry」
柏木家にお邪魔し、由乃が使っている部屋に入る。壁に見慣れたセーラー服がかけられていた。赤いイメージがあるスカーフが青いのが俺たちの中学の制服の特徴である。因みに学ランは何の変哲もなかった。
「一応夏服と冬服用意しといたんだけどどっち着る?」
「うーん、どーしよっかなぁ…」
「夏服にすればぁ?セーラーの冬服って地味じゃね?」
紺色オンリーの冬服に比べれば、白とのツートンになる夏服の方が可愛いと思う。そして黒ストじゃなくてソックスで…
「おい慧!後ろ向いてろよ!」
「…えー。別に野郎の裸なんか見たってなんも得しねーから。」
「見られるこっちが嫌なんだよ!さっさと向けやオラァ!」
巴が無理矢理首を後ろに向けようとしてくる。
「わぁーったわぁーった!向くからやめろ!首折れる!」
そして仕方なく後ろを向く。
「あ、そーそー。スマホ没収ね。」
由乃が後ろからすっと俺の5cを抜き取る。
「はぁ⁉︎ちょっ…待てy」
「後ろ向けってッッッ!」
強烈な巴の蹴りが命中した……
数分後、着方などをレクチャーされながら巴はセーラーを着た。
「……」
「いやーん!ちょー可愛い!」
その姿はまさに近所を通学している母校のJCそのもので、リュックなどを背負って歩いていてもなんの違和感も無さそうだった。男故に胸はないが、実際まな板なんていっぱいいる。
「ほらぁ見て見て!本当に女の子だよ!」
由乃はスマホで撮った巴の写真を本人に見せる。
「お、おおおおお…すごいすごい。」
薄い反応と裏腹に、その表情は本当に嬉しそうだった。プリキュアとかの衣装を着て喜ぶ小さい子に似た、キラキラした目をしていた。こんな表情もするんだなと、俺は思った。
「やったー!セーラーだセーラーだ。」
巴は体をひねってスカートをひらひらさせながら言った。
「あ、そーだ!携帯返せよ!」
「んー?だーめ。撮られたら嫌だもん!」
いつの間にか俺の5cを由乃に譲り渡された巴が言った。ついに口調まで女になった。彼女はどうやら女装すると性格が変わるらしい。
「ふざけんな!ボスイベやんなきゃなんねーんだよ!」
「別にいいじゃんそれぐらい!器の小さいヤローだな!」
由乃が呆れたように言った。
「そうそう。あのさ、俺着方忘れちゃうかもしれないからさ、代わりに覚えといて?」
「…F☆U☆C☆K」
俺は巴に向かって中指を立てた。
その後色々世間話をしたりして、柏木家を出たのは午後5時半を過ぎていた。
「それじゃ6月の下旬くらいに借りるから。そういえば宿研ていつだっけ?」
「二十何日じゃねーか?」
「オッケー。それじゃあまあね!」
アパートの階段を下りる最中、巴は話し始めた。
「俺さ、中学ん時セーラー着て通うのが夢だったんだよね。でも、中学って校則キツイから、髪すら伸ばせなくてさ。」
「外泊禁止とかウザかったなー。ベルトの色まで指定しやがって。まあ派手なの持ってなかったけど。」
「だからさ、高専で良かったと思うんだ。3年でここまで伸ばせたし。」
その表情は、喜びの奥に過去のもどかしい思い出を湛えたものだった。
「まあお前が女になりきっても誰も文句言わないしな。ホモは禁止だけどね。」
「そうだー!てめえベタベタしすぎなんだよ、気持ち悪りーなー!」
「あぁ⁉︎オメェが近づいて来るんだろうが。俺は慧梨主っていう(脳内)嫁がいるんだからな!」
「じゃあなんで着替えるとき後ろ向こうとしねーんだよ!なんだよ、俺の下着姿見たかったのかこの変態!」
「黙れ黙れー!人が飯食ってる時に膝の上に座るお前に言われる筋合いなんかあるか!」
こうして巴は、セーラーを着る望みを果たした。後は、宿泊研修で披露するだけである。
俺も楽しみだった。巴の楽しそうな姿を見れるのはやっぱり嬉しい。それに充分絵になる。
胸が無いのは残念だが……
「誰がまな板だってぇえええええ⁉︎⁉︎」
「あ、ごめ…あっあああ…」
「ふーん。セーラーはまあ女の子のアイコンの一つだからねぇ。」
おうるで俺は巴が由乃にセーラーを借りた話までをした。
「その娘ってあれかい?なんたっけ…性なんとか障害ってやつかい?」
「性同一性障害。分かんないですね、本人診断受けてないらしいし。」
俺の話を、大人達は皆興味深々に聞いていた。日常生活でこんな体験は普通しないし、当たり前と言えば当たり前だが…
「でもなんでそれがこうなったの?私は良くわかんないけど、2人とも悪い娘じゃ無さそうだし。」
名前は忘れたが、一つ年上のお姉さんが尋ねた。
「まあ…でもいくら女の子みたいだからって、ほぼ初対面の男にセーラー貸します?」
「…うーん。そう考えるとその元カノちゃんヤバいね。」
お姉さんは苦笑いした。
「まあここまでは良かったんすけどね。元カノが変なスイッチ押しちゃったもんで、それにまんまと引きずられた俺も俺だけど。」
氷だけになったカップを回しながら、俺は話を続けた。
ほんの少しずつ、平和が崩されていく…
話はこれで一応一区切り…かな?
ここから少し雰囲気変わるかも。




