ACT.2 留年生
新学期が始まり、俺は晴れて旭川工業高等専門学校の機械科2年生に進級した。進級など普通と思うものもいるかもしれないが、高専の留年率は普通校の100倍とも言われ、留年生という言葉は高専内では珍しくもなんとも無い。
現に、俺のクラスも人数は変わっていなかったが、1年の頃のクラスメイトが二人消えて知らない名前が二つ座席表に書かれていた。
一番後ろ側にある自分の席に着き、俺は数学のプリントと教科書を取り出し、計算問題を解き始める。これは決して俺が勤勉だからというのではなく、ひと月ある春休みの課題が終わっていない為である。
「うぉぉいお前やってねえのかー?」
机の前に現れた佐川がからかってくる。
「うっせー!お前やったのかよ⁉︎」
「やってねぇーよ!」
堂々と言い張る佐川を見て内心ホッとする。仲間がいた。
「どこまでやった?」
「やってない!」
「あそ、俺もう終わるから。」
偉そうに言うと、佐川は……
「この…裏切り者ー!」
空になった三ツ矢サイダーのペットボトルで頭を殴られた。軽い音が響いた。
取り敢えず自力で解ける問題は全て終わらし、あとは提出期限の明日までに解けた人の解答を赤ペンで写せば完璧である。俺は顔をあげて伸びをした。
朝のHRまでまだ20分ほどあったので、俺は買ったばかりのタミヤのカタログを眺める事にした。安値でタミヤのラジコンを購入したものの程度が悪く、まずは全バラしして使えないパーツの交換から始める事となった。組み立て説明書がついていたのがせめてもの救いであった。
「純正で揃えて様子見した方がいいかな。」
「多分ね。まあ走り系じゃない俺が言うのもなんだけど。」
一緒にカタログを眺めていた竹野は答えた。彼もラジコンを嗜んでいるが、彼はトレーラーを購入し、現在組み立てている最中である。
ラジコン談義に花を咲かせている途中、教室内の騒がしさがどよめきに変わった。俺もその異変に気付き顔をあげる。
教室内に入ってきたのは、髪を肩の上まで伸ばした一人の女の子……なわけはない。機械科は俺らが入学するまでの二年間女子はおらず、俺たちのクラスにも女子はいない。だが今入ってきたのは明らかに女だった。
俺は来た時にちらりと見た座席表の名前は思い出そうとする。だが、前の方の出席番号に用などなく、そこのデータはほぼ空だった。
「…あ⁉︎」
「え……」
「ふぁッ」
俺を含め、周りにいた人間は皆唖然とした。
それから数日、俺は二人の留年生を観察した。
俺の席の近くにいる藤谷という留年生は、常に消臭スプレーを2本も持ち歩き、前の席にいるやつとよく話していた。前にいる菅田というやつは端的に言えばクラスの外され者。地味とか根暗というのではなく、出身校の一つ年下の、あった事も無い娘を神として崇めてたり、LINEでシてるとこ見せろよと言ったり、ジョークが面白くない上に自分が言われるとキレるという……とにかくウザいの一言に尽きる。話はそれたがそんなやつと意気投合する藤谷には、雰囲気が似てるという事もありちょっと近づくのを避ける事にした(藤谷が合わせてやってるという可能性も充分あるが)。
そしてもう一人の女みたいな男はというと…肝心の授業中が見えないので観察を諦めた。というか、しばらく見てる内に段々ただなよっとした男にしか見えなかった。声と見た目は女だったが、普通に後ろの席のやつと話していたし、何より格好が男物ばっかりだった。高専は私服校だし、何より普通校とは比べ物にならない自由があった。頭髪検査も服装検査も無し。だから女装しようと自由なのだが…
「まあ、男の娘キャラでも戸塚みたいなのもいるからねぇ。」
俺ガイルファンのクラスメイトが言った。
「どうでもいいや。なんか、期待したほどでもねえな。」
「そりゃそうだろ。あいつらだってそうなんだから。」
別のクラスメイトが俺のつぶやきに答える。あいつらとはこのクラスから留年していった人間で、彼らはただのサボりであった。
「でもカワイイな、なんかいい匂いしそう…」
変態で有名な河原というクラスメイトが言った。
「バカヤロウ‼︎」
一同は河原にツッコンだ。
ある日、同好会の部室の隣にある自分の教室に戻ると、例の男の娘と村田というクラスメイトがいた。村田とは去年のテスト期間に放課後まで残って一緒に勉強していたので面識があった。
「むっちゃん何やってんの?」
「んー?再履修の課題だよー?」
「……おう。」
彼は一年生で必要な単位を全て取りきれなかったため、その分を今やらされたているのである。彼のような進級の仕方を仮進級と呼んでいるがこれにも限度があり、これを超えると留年になる。
「で?君は何落としたの?」
「んー?覚えてるわけないジャーン。」
例の留年生は答えた。そりゃ留年するわと俺は思った。
「……ん?これxとy逆じゃね?」
「あら?……うん。」
しばらく再履修の勉強した後、三人は学校前のバス停にいた。留年生は自転車で俺と村田はバス勢。特に俺は6月になるまで絶対チャリは使わないと決めていた。5月だろうと、とにかく朝が寒いからである。昼間や、朝でも歩く分には良いのだが、風を切ると寒くて仕方がない。
「永南中?あー、ガラス割れまくったとこでしょ?」
「そーそー、まあ俺の時にも頭で割ったバカがいたけどね。」
意外と普通な感じの留年生と俺達は談笑していた。内容もごく普通の高専生らしい、ちょっとオタッキーなものだった。
「パソコン自作?なんか大変そうだな。まあラジコン組むのと変わんねえか。」
「多分ね、まあプログラムは大変だけど。」
「あー、まあね。あれって難しそうだよね。」
この留年生はパソコンを自作しているらしい。ラジコンを組んでいる俺でも作れるだろうが、それを機械の塊ではなくコンピューターにしろと言われたらはっきり言って無理だ。決められたコードから選んで打ち込むだけのGコードでさえ苦労している俺にそんなことはできない。機械実習でもNC機械ではなく汎用機械の方が好きだ。まあ、あの古いNCフライス盤のせいで嫌いになったのだが……
ディーゼルなエンジン音とともにバスがやってきて、耳障りなブレーキ音とともに停車した。
「じゃあね……名前、なんだっけ?」
「巴、朝顔 巴だよ。じゃーね。」
「また月曜日。」
そういって俺達がバスに乗り込むと、巴は自転車に跨り、軽快に漕ぎ出した。
これが俺と巴の、最初の出逢い。




