ACT.1 話の始まり
真夏の北海道は、色んな色の緑が組み合わさって、一見同じ色ばっかりなのに華やいでいる。冬の雪景色が有名かもしれないが、実際道民には冬は殺風景だ。むしろ行動が制限される冬は、少なくとも俺は嫌いだ。
北上する宗谷線の車内で俺…野々原 慧太は、ウォークマンから流れるBOOWYをイヤホンで聴きながら車窓を眺め、そんな事を思っていた。
農家の建物と真っ平らな田園風景が流れていく。天井の扇風機の風はぬるく、各駅停車で停まる度、暑さで汗が出てくる。それでも快晴の青空を見ていると、孤独ゆえに感じる寒さを忘れることは出来た。
ただそれは、相応の豊かな感性があればこそで、それすらないものの心は、底冷えするような風が季節を問わず吹いている。それは関わった他の人間にも伝搬させ、未知数な風は嵐のようにそのものの心を乱し、大寒波のように凍りつかせる。
紅茶花伝のキャップを開け、ミルクティーを飲む。160円分の甘みが口に広がる。本物のミルクティーを飲んだことはないが、俺はこれが一番好きだ。よくアイツに取られて追いかけてたな…と、そこまで思い出して首を振る。また思い出してしまった。
あの日…全てはあそこから始まった。
アイツが崩壊を始めた日…
あの女、あのメンヘラさえ何もしなければ、俺たちは俺たちでやっていけた。何もない平和な生活が送れたのに……
学校が変わったのに、なぜお前は邪魔をする、中学の時も、そして今も……俺の平穏は、全てお前に壊された。お前なんか、手許に残ったって意味はないんだ……
俺は再び車窓の外に意識を戻した。相変わらず田園風景が続いていた。
名寄の駅は自動改札機なんてなく、乗る時は駅員が一枚ずつスタンプを切符に押していき、降りる時は手作業で回収する。
駅員に名寄までの切符を渡して駅の外へ出る。旭川を出た時ほどではなかったが、それでも暑いの一言に尽きる。だが旭川に比べれば人も車も少なく、圧迫感をもたらす建物も無い。気分的な暑苦しさが無い分余計に涼しく感じられた。
真新しいバスターミナルの隣にあるバス停の時刻表を見る。上名寄方向のバスで、今から一番早く来る西興部行きが来るのは50分後だった。都会ならば暇つぶしできるが、そこは田舎の欠点、湾岸マキシなど無い。ゲーセンはここからしばらく行ったところのイオンにあるが、さすがに暇つぶし程度で行って戻れる距離ではない。
とりあえず、駅前の商店街を散策する事にした。
このご時世の例に漏れず、名寄の駅前商店街もシャッターが目立つ。人もまばらで少ないし、この地を知らない限り、とても駅の側を歩いているとは思えないだろう。道幅のある道路を何台ものバスやタクシーが行き来し、誰もが知るデパートや飲食店が入るビルが立ち並び、たくさんの人間がそこを行き来する。そんな光景を見慣れた俺にとってここは全く異常であり、かつ天国だった。独特の静けさは、北海道では大都市に分類される旭川には無い。
個人経営の小さなお店が、シャッターを挟んでいくらか並ぶ。だがどれも、俺のような若い人間が立ち寄って楽しむところでは無い。俺はただその雰囲気を楽しみながら歩き、時間を潰す。こういうものを見ているうちは、喧騒にまみれた日常を忘れさせる。
まだまだ時間があったので、途中のアイスクリームの広告が背もたれに描かれた古めかしいベンチに座り、残りの紅茶花伝を飲み干す。携帯を肩掛けカバンから取り出しホームボタンを押す。画面にはドリスピのガソリン満タンの報せとバンダイナムコからの広告のメール、そして“ゆのちゃそ”からのLINEだった。
とりあえずパスロックを解除しトークを開く。《(」・ω・)」ひー(/・ω・)/まー!》と、どうやら暇らしい。回答に困る内容に「チッ…」と思わず舌打ちをし、《お、おうw》と適当に返事をしてやると、タイムラインを確認して再びカバンにしまう。
いつか必ず消してやる…そう思いながら俺は立ち上がり、再び歩き出した。
50分程暇をつぶした後、やってきたシルバーとオレンジのバスに乗り込んだ。車内は少しオシャレをしたお年寄りと、エナメルのスポーツバッグを肩にかけたジャージ姿の学生達が何人かいるくらいで人はまばらだ。
ディーゼルエンジンの音と共に揺られること30分、目的のバス停に到着した。“上名寄15線”。畑が広がる中に現れる学校のような建物の前でバスは停車する。いくら入れたかも表示してくれないケチな機械に運賃を放り込み降りると、バスは黒い排気ガスを吹きながら走り去る。たかってくる虫たちを払いのけ、蜂のようなアブの羽音に時折身体をビクつかせながらその建物へと向かう
学校のような建物は昔本当に学校で、現在は下川町農村活性化センター「おうる」としてこの一帯の公民館的役割を果たす。実際は正式名称通り農林業振興の拠点として機能しているらしいが、俺の印象に残っているのは銃剣道の練習に体育館を利用している名寄駐屯地の陸自隊員で、たまに味噌やジャム作りなどがこの建物の本来の役割を思い出させる。もっとも俺が知らないだけで、実際は用水路の清掃についてなど、農業についての会議なども行われているそうだが。
中に入っても、エアコンなどない屋内はやはり暑かった。ただ直射日光や建物の照り返しがない分マシだったが。
玄関に隣接する事務室に入ると、親戚のおばさん(40代)が出迎えてくれた。
「あら、もう着いたの?早かったじゃん。」
「昼前に家出たからね。」
事務室には他にも何人かいた。みんな俺よりも年上の人ばかりだが、一番さが小さいのはここで働いてる人の娘さんで自分より1歳年上の高3だ。後は世間話に来た中年や年寄りばかりだが、何年もここに来ている俺にとって知らない人はいない。向こうも俺の事をよく知っている。強いて言うならその高3のお姉さんが一番知らない。
「今度はちゃんと15線で降りれたんかい。」
「いや〜、さすがに二回もやらかしたら覚えますよ。」
眼鏡をかけた豊よかなおじさんがひやかした。俺は以前もバスでここまで来たが、去年はここを通り過ぎ、先月来た時は二つ前の何もないところで降りてしまった。
おばさんは氷が入ったアイスココアを入れてくれて、空いた事務机に座らせてくれた。軋む事務椅子に腰掛け、リュックサックを机に置く。膨らんで重たそうに見えるが、実際雑誌数冊以外は着替えだから割と軽い。
「何さ、またなんか休みんなったんか?」
さっきのおじさんが尋ねた。
「いや今度は夏休みなんで。うちの学校セメスターとか行って大学と同じになったんすよ、今年から。」
「ああそう。でもあれだべさ、今から休み始まっちまったら、もう終わる頃秋じゃない。」
「そーなんすよねー。シルバーウィークも意味を成してないし。」
俺の通う学校、旭川高専は今年からセメスター制というものを導入し、俺が入学した時とだいぶ変わってしまった。
まずは昼休みの五分延長、それ自体は良かったが授業終了も五分ずれ、結果帰るのが遅くなってしまった。更には中間試験が二週間に延長、授業と平行して行うことになった。もっともこれは長いだけで、むしろ一日のテスト科目が一つになり勉強しやすくなった。そして一番迷惑なのがこの夏休みである。
もっとも、休む期間は去年と変わらず45日前後あるので文句は言わないが。
「ところであの子と仲直りできたの?」
ミネラルウォーターを飲みながら親戚のおばさんが聞いてきた。その問いに、俺は思わず顔をしかめ、ため息をついて答えた。
「なーんも?ただ何考えてんのかはなんとなく分かったけどね。」
「え…?どんな話?」
例のお姉さんが尋ねてきた。やはり同年代のこういう話には興味を持つのだろう。
「梶山さんも聞きます?」
「何?そんなような話あるのかい、今時の若い子は。」
「こう、世の中進歩するとこうなっちゃうんだ。」
親戚のおばさんがおじさんに言った。
「いや、別に話さなくても良いけどね。あんま話すと辛いべさ。」
「別にぃ?むしろぶち撒けた方が楽かな。学校じゃ当事者いるから、バレたら何されるかわかんないけど。」
みんなが聞きたがる俺の話…
2年生の一学期、たった4ヶ月…いや、正味2ヶ月半の物語。出会って壊されて別れていったアイツの話。特殊に特殊が混ざった、俺にはもう二度と縁の無い、関わりたくもない話。
裏切られ、
踏みにじられ、
壊れされた、
アイツへの哀れみ______
弄び、
裏切って、
それでも尚自分は正しいと思いこむ、
あの女への憎悪______
そして______
一緒にいて、
なのに捨てられて、
なにより、
抱いてはいけない感情を抱いた、
俺自身への嫌悪______
それをぶち撒け闇を振り払う為に、俺は親戚の住むこの下川にやって来た。親戚の家で畑仕事の手伝いをしながら、みんなの事を忘れる為に。
なにより、自分のこの胸の痛みを和らげる為に。
「じゃあ取り敢えず一番最初から行きますかい?」
アイスココアを半分ほど飲み干し、俺は自らの周りで起こった事を語り始めた。




