初戦闘を初体験
次に狩る獲物は確かに可愛くは無かった。
近隣の畑を荒らす害獣なので、罪悪感も湧き難い。
胸に抱えた子鼠―――名をハグとした、この子が魔獣を見て怯えている。
殺す分にはやり易そうだった。
ただし。
「なんだか非常に不味そうなんですが……」
見た目でいうならば、蜘蛛にしか見えない。
アレイが蜘蛛と呼んだそれは、節くれだった足が四対あり、それら全てに黒い産毛が生えていた。
見ているだけで痒くなる。
「何を言う。少しばかり草の臭みが強いが、それを覆い隠すほどの甘みがあり、咀嚼した際に瑞々しい汁が口全体に広がる。アレが雌で卵持ちならば噛みしめる度に弾ける食感を楽しめるだろう」
「そ、うですか」
卵を歯で潰す想像をしてしまって、憂鬱。
口の中の歯と歯が合わないよう、浮かび上がらせる。
蜘蛛は分類学上では、昆虫というよりは、ヤドカリなどの甲殻類を祖に持つということなので、陸上を歩くカニと思えばいいや無理があるな、それ。
蜘蛛と違う点を探そうにも、それは見た目では無く、獲物を捕獲するのに糸を張り巡らさないところくらいだった。
ぼくらが蜘蛛を見つけた時に、それは子鼠を襲っていた。
蜘蛛は口元から吐き出した糸を、子鼠の目に向かって吹き飛ばす。
目を粘着性のある糸で覆われた子鼠はパニックを起こし右往左往するが、蜘蛛はその足元へも糸を飛ばし、絡め取る。
もがけば、もがくほどに糸が体にへばりつき、ついに子鼠は身動きが取れなくなった。
すると蜘蛛は自身の倍ほどもある子鼠の顔にしがみ付き、ゆっくりと捕食していく。
苦鳴と、咀嚼音。
痙攣し、徐々に動かなくなる子鼠の体。
まるでパニック映画のワンシーンだ。
魔獣というよりは魔虫と呼びたい。
まあ、初めて殺す獲物が獣じゃなくって良かった、とぼくはハグの背を落ち着かせるように撫でつける。
そして、アレイにハグを預かってもらい、腰に差した鞘から剣を取り出した。
「良いか。危ういと感じたなら距離を取れ」
「はい」
「危うい、というのは命の危機というよりは、怪我をしそうということだぞ」
「理解しました」
「怪我、というのはだなトータ」
「大丈夫ですので、そろそろ裾を放していただけますか?」
頑なに裾を握り続けるアレイの指を解いたぼくは、そうして蜘蛛と対峙した。
彼女は心配していたが、事前に蜘蛛が子鼠を狩る方法を見ていたので、戦闘に問題は無さそうだった。
実際、あっさりと終わる。
蜘蛛は後ろ脚を低く、前脚を高く伸ばし、角度を付けてからぼくの顔目がけて糸を吹き放つ。
ぼくは戦闘のど素人だけれど、来ると分かっているものならば簡単に避けられる。
まして、この身体ならば尚更だ。
体を半歩分だけ横にずらして糸を避け、蜘蛛に向かって剣を振り下ろす。
逃げようにもすぐには動けない体勢を取っていた蜘蛛は、なす術もなく、その体を剣によって両断された。
「見事」
そう言って満足げな笑みを浮かべるアレイとは裏腹に、ぼくの心情はどんどんと落ち込んでいった。
裂かれた蜘蛛の体から血が噴き出ていくのだが、それはいい。
生物として当然だ。
しかし驚くなかれ、その溢れ出る血潮は、目も覚める様な真っ青。
しかも何だか粘り気があるようで、蜘蛛の体毛の間で糸を引き合っている。
きっつー。
ますますもって食欲が失せたのは言うまでもない。
本当にこれを食べなければいけないのか思うと、憂鬱になる。
―――いやしかし待てよ。
よくよく思い返して見れば、アレイは「我が子が獲った物を食べたい」としか言っていない。
つまるところ、ぼくは獲物を狩るだけで、食べなくて良いのではないか。
うん。
そう考えると気が楽になって来たぞ。
そうして、ぼくは両断された蜘蛛を指し示し「アレイはこれをどうやって食べるのでしょうか」とさり気に主語を彼女一人にしておく。
それの報復でも無いだろうが、ぼくはアレイの返事に手痛いダメージを負わされた。
「無論。獲物はどれも獲れ立てが良い。活きが良ければ、もがく足が頬の内側をなぞり、一種独特のこそばゆい食感を楽しむことが出来る」
アルミホイルを噛みしめる方が万倍マシな感触が口の中いっぱいに広がる。
うあー。
うあーーっ。
うあーーーッ!
ぼくは叫び出しそうな内心を必死に堪えた。
落ち着け。
これは食文化の違い。
言えば、アレイが傷つくかもしれない。
そんな顔はさせたくないし、見たくも無い。
しかしそれと同時に、絶世の美少女が蜘蛛を踊り食う様を見せられるのも嫌だった。
「ち、ょうりとかしないんですか」とぼくは僅かながらの抵抗を試みる。
「我はお前が獲った初めての獲物を最良の状態で食したい」
そう言われると弱い。
ぐうの音も出せない。
そんなことを美少女に言われて、誰が抵抗できようか。
ああもう仕方が無い。
ここは覚悟を決めて、アレイの踊り食いを黙って見よう。
なあに、堪え切れなくなったらハグの時と同様に目をそらせばいい。
そうしてぼくは一人納得する。
「お前もきっと気に入るだろう」
「是非! ぼくに調理をさせて下さい!」
光の速さでアレイに縋り付き、懇願した。
食文化への理解にも限度があった。
誰しも譲れない一線というものがある。
それが正に今だった。
「しかしな」
そう渋がるアレイを最後まで喋らせず、食い気味にぼくは提案を言い連ねる。
「ぼくは! ぼくがアレイの為に獲った最初の獲物で! アレイの為にそれを調理し! 最良よりも美味しく仕上げたいのです!」
そこでアレイは片眉をほんの少し上げて「我の為、とな」と綻びそうになる頬を、内側を噛むことで堪えている。
手応えはあった。
もうひと押し。
ここで退くわけにはいかない。
「はい! ぼくは生前、鉄人と呼ばれる程に料理が得意でした! こちらの世界では初めて調理するのですが! 初の獲物を初の手料理にしてアレイに食べて頂きたいのです! きっとアレイのお気に召す料理を作ることが出来るでしょう! 是非に! お任せ下さい!」
もちろん、嘘だ。
料理などしたことが無い。
ただただ蜘蛛をナマで食べたくない一心から出た罪のない出任せ。
罪悪感が、蜘蛛を食べる想像によって塗り潰される。
「初の手料理」そう呟くアレイは口元を手で覆ってから「お前がそうまで言うのなら、そうしよう」と喜色が声に漏れていた。
ぼくの心の中のガッツが、マウンドに沈めた挑戦者をしり目に、勝利の雄叫びをあげる。
ぼくは勝負に勝った。
勝ったんだ。
万雷の拍手の中で、ぼくは今にも泣きそうだった。
しかし。
「その代わりと言っては何だが一つ条件がある」
心の中のガッツが、突如として起き上がった挑戦者に横合いから殴りつけられたような表情で「え? なになに? どうして? もう勝敗決まっていたよね?」と、つぶらな瞳でぼくに問いかけてきた。
そんな目で見たって答えられない。
ぼくだって同じ気持ちなんだから。