地方ボス再び
「仕事が忙しくてな。顔を出す暇を作れなんだ。許せよ」
アレイが部屋に入るなり、空気が冷え込んだ気がした。
というか、実際に寒い。
ぼくが一つくしゃみをすると「忘れておった」とアレイは何者もいないであろう空へと向かって呟く。
「糺す。解けよ」
すると、室内の温度がアレイが入り来る前に戻り、背筋に感じた怖気が緩んだ。
ぼくが不思議に目を瞬かせていると「我は見ての通り幼い容姿をしているのでな。臣下に侮られぬよう、せめて雰囲気だけでもと、魔術によって重厚にしておる」なんて小者のようなことを言い出した。
いやしかし、仕方が無いことか。
身長は人間だったころのぼくの胸か、下手すれば腰のあたりくらい。
眼光が鋭く、角が生えている点を除けば、あどけない少女。
背伸びをしている子供にしか見えない。
幼女と言っても差支えが無いだろう。
頭を撫でたい。
「お前、今、我を侮辱しておらんか?」
部屋が再び寒々しい空気に包まれつつあったので、ぼくは慌てて首を横に振った。
「ならば良い。しかしミル。先ほどからこやつは身振りで応対しておるが、話せるようになったのでは無いのか」
「緊張なされておいでなのでしょう。人見知りをされる方のようなので」
ミルがこちらを見、「そこがまた可愛らしいのですけれど」とうっとりとした口調で述べる。
褒められているのだろうけど、男にとって可愛いは微妙。
とりあえず愛想の一つでも浮かべればいいのか、考えあぐねていると、アレイは得たりといったように頷く。
「我らは親子になるのだ。不信することは無い。口が利けるのであれば、まずは自身の名を言ってみよ」
まさかクラス替えの当日以外で、こんな風に名乗りを上げるとは思わなかった。
「道端答他と言います。よろしくお願いします」
ぼくはそう言って一つお辞儀をする。
アレイは確かめるように繰り返す。
「ミティバテトオウタ」
さっきまで流暢な日本語だったのに、なぜそこだけ片言。
「ミチバタトウタです」
「ミツィバトオタ」
「ミチバタトウタです」
「ミチバトオッタ」
一音一音を区切り、ゆっくりと発音してもアレイの舌がもつれるばかりで、一向に近づいて来ない。
終いにはイントネーションが滅茶苦茶になって来て、それでも諦めようとしないアレイに対し「家族はトータと呼んでいました」と改める。
アレイは頬粘膜を噛んで口内炎でもできたのか、右頬を擦りつつ「家族は、か。ならば我もそう呼ぼう」
そうして確かめるように何度もぼくの名前を呟き「トータ。トータ。トータ。うむ。覚えたぞ」と満足げに頷いた。
その笑みの邪気のないこと。
遊園地にでも連れて行きたい。
「さて、トータよ。色々と戸惑うこともあろうが、我の村についてのことはミルより聞いておるか」
ぼくはその問いかけに頷く。
発声訓練の合間や、寝物語にミルが説明をしてくれた。
ぼくがいるのは大魔王の親族である魔王の、その眷属であるフルビアタン公爵の、配下であるン・ガル伯爵の、その部下であるアレイが治める村、グンヌダルグ。
なんだか噛みそうなくらい長い前置きだ。
演劇部員としての自分を試されている気がする。
この村は大魔王の領地の中でも極東近くに位置し、交易路は通っていない。村民が農業などを営み、自給自足の生活をしている。
超が付くほどのド田舎である。
最後の部分だけを、素朴で自然豊かな土地である、と言い換えつつ、名産品や隣接する村との関係性、村長と部族長と子爵の違い、それぞれの代表者の名前、現在の村の掟など、アレイに答える。
するとアレイは胸を張り、誇らしげな様子で「然り。たった三日で言葉を話すばかりでなく、ミルの話も寸分違えず覚えておる。実に出来た息子よ」そうして、頭を撫でられた。
自分よりも年下に見える少女に頭を撫でられるというのは、気恥ずかしくも面映ゆい。
まして、こういった物事を暗記することは、生前の受験勉強や脚本を覚えることで培われていたので、何かズルをしているみたいで気が引けた。
一頻り撫で終わったところで満足したのか。
アレイはぼくの手を引いて部屋の外へと連れ出す。
「知識は十全。なれば、後は体で覚えることにする。ミル。留守を任せたぞ」
「お気を付けて、いってらっしゃいませ」
ぼくが返事をする間もなく、二人の間だけでやりとりが終了した。
当事者であるはずのぼくは、ただただ手を引かれるまま、生後三日目にして外の世界へと飛び出すことになった。
不安と共に、大きな期待を胸に抱いて。