目覚めよ演劇部員より魔族へ 2
ぼくの泣き叫ぶ声が聞こえたのか。
ベッドの縁から覗きこむようにこちらを見下ろしたのは、一人の少女だった。
水に濡れた烏の翼のように黒く艶めかしい髪が、愚図ったぼくの鼻先をくすぐった。
黒曜に勝る輝きを持つ瞳。
それを縦に割った瞳孔は黄金を湛え、闇に潜む食肉類を思わせる。
猛獣の檻の中へと放り込まれた気分にさせられたが、それと同時に美しさも感じた。
絶景を望んだ時に溢れる言い様のない感動。
生ける芸術作品が、ぼくの目元をそっと拭う。
拭った指先は、薄闇に染まった絹を羽織っているかのように滑らかで、いつまでも触れられていたい欲望が沸き立つ。
これまで生きてきた中で、いや、今後一生を掛けても出会わないであろう絶世。
ただ。
その頭には、人では在り得ない一対の雄々しい角を生やしていた。
「死の淵に差し迫ってでも、生を懇願するのではなく、己が夢を語る。何という胆力。何という心。人種でありながら世界を超えた我の言霊を受け、魔族への転生を果たしたお前を、我は心より敬い、愛そう」
―――何を言っているのか、半分も呑み込めなかった。
しかし、疑問を呈そうにも口から出る言葉は、だーだの、うーだので伝わらない。
「良い。お前は今まさに生まれ、創り出されたばかりなのだ。言葉を発するには、もう二、三日。会話を交わせるほどになるには、七日ほどの時が必要になろう。現状について話そうにも、問うことが出来なければ話も進むまい」
少女が「これに」と呼ばわると、近くに控えていたのだろう誰かがベッド脇に寄り、ぼくの視界に入る。
メイドだった。
それもコスプレ等では無い、スカートの裾が床に着きそうなほどに長い本格的なメイド服。
頭には白いふりふりの付いたカチューシャをはめており、髪の毛が目に入らないように上げている。
皺一つない乳白色の額が惜しげも無く晒されていた。
縁の丸い眼鏡までもが白く、清潔感に溢れている。
黒髪の少女とは対照的に、穏やかな印象のある、自身より少し年上であろう女性だったが、やはりというか、その額の脇からは控えめながらも、羊を思わせる角を生やしていた。
「コレがお前の世話役となる。何かあれば頼るがいい」
「ミルコレッドと申します。以後、貴方様の側付きとなります」
膝を少し屈伸させたミルコレッドは、「ミル。そうお呼び下さい」とスカートの裾が床につかないよう指で摘まみ上げた。
するとそれを見た少女は鷹揚に頷き、それから、自身の名を高らかに告げた。
「名乗るのが遅れた。我は魔王配下であるン・ガル伯爵の下にて、子爵としてグンヌダルグの村を任されている。名をアレイ。お前の家族となる存在だ」
期せずして、最後に演じた舞台と同じ。源氏物語に登場する紫の上的ポジションに付いたぼくは、彼女を敬い、支え、助け、そして、愛する少年期を過ごすことになった。