魔術体系(人種最低の魔導師ゲテの末弟子(すえでし)による実証)
ぼくは呆然として目の前の惨状を眺める。
あったはずの森が無い。
針金男によって刈り取られていた木々の根はおろか、遠く離れた地平線が望める。
まるで元々が草原地帯であったよう。
風に刈られ、火に燃やされ、水に流され、それらが何度も何度も繰り返された先には跡形も無い。
ただ。
たった一人を除いては。
驚嘆だった。
恐怖すら感じる。
森すべてを平らげるほどの奔流をその一身に受けたはずの男が、森の外縁であった場所で踏みとどまり、未だ立ち続けていた。
満身創痍。
体の至る所から血を吹き出し、振り下ろしていた両腕の内、利き腕が失われている。
なぜ生きているのかが分からない。
その顔は苦悶に満ちていて、吐く息は細く短く―――今にも引き取りそうだった。
「な、ぜ……?」
鈍く錆ついた声は弱々しい。
古ぼけたカラクリが軋むよう。
「な、ぜだ……?」
繰り返される問い。
べつに答える必要は無い。
アレイを足蹴にした男に、何の義理があるんだ。
「走馬灯って知ってるか?」
知らず口をついて出た言葉は、だから義理では無い。
命がけで戦った相手に対しての、自分でもわからない感情が溢れているだけ。
「人はさ。死にそうになると、それを回避しようと今まで生きて来た全ての記憶を引き出そうとするんだ。なにか死から逃れる方法は無いか。それこそ死に物狂いで」
吊り上がっていた照明が落ちて来た時。
ぼくはあらゆることを思い出した。
始めて友達が出来たこと。
両親に色々と迷惑を掛けたこと。
幼小中高大と、後輩で居続けた女の子のこと。
避けるという選択肢も確かにあった。
それを選ばなかったのは、庇った先に後輩がいたから。
「どうやって生まれたか、どう育ったか、何を学んだか。ぼくは全てを思い出した。だからさ。ぼくもさっきのことほとんど覚えていないんだけど、脳が今まで見知った全ての魔術を、勝手に総ざらいしてくれたんだよ」
舞台の演者は自分の台詞だけを覚えておけばいい、ということは無い。
脚本全ての台詞を頭に叩き込んでいなければ、自身がいつ話せばいいのか、どういった流れで、どんな雰囲気を形作ってるかなどを把握できないからだ。
今でも一言一句、諳んじることが出来る。
生前の記憶ですらそうなのだ。
生まれ直し、こちらで学んだことはもちろん。
アレイを救いたいと、がむしゃらになって積んだ経験が思い浮かばないはずがない。
「あんたは弱者の術だと言ったけれど、頭の中で唱えることが出来なければ、これは使えなかった。ああして挑発したのも、あんたに本気になって貰って、ぼくを死に近づけさせる為の―――もう聞こえないかな」
男は立ったまま動かない。
『なぜ』そう繰り返されていた問いかけはもう聞こえない。
「閣、下……」
無念そうに。
自身の主へ言葉を遺して。
ぼくは近くへと歩み寄って男の胸の辺りで耳を澄ませる。
心音が止まっていた。
男は死んだ。
死んでしまったのだ。
立ち尽くす男を横たえ―――ぼくはその胸の上に組ませるように手を置く。
組ませる?
片手しか無い男にそれは出来ない。
ぼくは気付かぬ内に、ぼくの両手を組んでいて、男の胸にそれを添えている。
組んだ手の平で、力一杯に胸を押し込む。
打つ。
打ち込む。
何度も。
何度も。
たとえ胸骨が折れた音がしようとも。
息を吹き返せと言わんばかりに。
いや。
待て待て。
何を考えてるんだ、ぼく。
今回はたまたま上手くいったから良かったものの。
次に戦えとか言われたら、絶対に負ける。
分かってんのか。
馬鹿なの、お前。
「分かってるよ。馬鹿馬鹿しいってのは」
なのにこんな真似をするのはなぜか。
あんな挑発などしたから。
そうすれば知らないままでいられたのに。
あの針金男が。
ぼくと同じで。
閣下とやらをとても大切に思っていることを。
ぼくは共感してしまったのだ。
センチになった。
もしもぼくがここで倒れていたら、アレイはきっと悲しむ、と。
そう思った。
そう思ったらもう駄目だった。
助けずにはいられない。
こんな高飛車な奴を救う為じゃない。
自分の心を救う為にするのだ。
後悔が無い様に。
アレイに顔向けできるように。
「糺す。恵みを齎す雨雲よ。貴方のおかげでぼくたちは、飢えることなく作物を育むことが出来ています。村民を代表し、伏して感謝いたします。そして、今回はそのお力を持ってして、一人の雄々しき魔族を救って欲しいのです。恵みを齎す雨を伴う、命を吹き込む一条を。この男に賜らんことを」
雷の魔術。
この世界では攻撃に特化したものだが、ぼくらの世界の知識さえあれば、医療目的としても使うことができる。
立場が変われば見方が変わる。
それは生まれた世界が移ろうとも、変わらない事実だろう。
願わくば。
針金男も、その主とやらも、こちら側の立場に立ってくれんことを。




