決着
針金男は煩わしそうに呟く。
「愚かな判断だ」
ぼくが立ち止まったのを見た針金男は、ゆっくりと森の―――森だった場所からその姿を現す。
「あのまま背を見せて逃げていれば、自らが死んだことに気付くことなく逝けたものを」
木々の障害の無い平地でならば、確かに男は言葉通りに実行し得ただろう。
もしも対抗策を閃いていなかったとして、ぼくは果たしてここで立ち止まれていただろうか。
針金男が、一歩、右足を後ろに下げる。
その足は力強く地面に突き刺さり、今にも弾けるのを堪えているようにも見える。
あれが爆ぜた時が、ぼくと針金男との決着が着く。
「最後に聞かせて欲しい」
「なんだ」
ぼくは頭では別のことを考えながらも、勝率を上げる為に、男へ向かって呟いた。
「アレイはぼくの為に、あんたの閣下とやらの求婚を断ったってことでいいのかな。それか単純にあんたの主が不細工で好みで無かったとか?」
針金男の足下が、その力でもって爆散する。
地面が抉り飛ばされるほどの力。
爆薬が爆ぜたに等しい勢いを持ってして、男がぼくに向かって飛んで来る。
一歩手前で立ち止まるつもりも無いのだろう。
しかし、まだギリギリ足りない。
針金男が右腕を振りかぶる姿を頭の中で追えてしまっている。
ぼくは無音で唱えていた風の上位者への賛辞によって、男が触れるほんの少しの間に魔術が行使できた。
男はぼくが魔術を行使する可能性を考慮していたのだろう。
突発的に起こった風の行方も見えていた。
しかし、針金男には対処が出来ない。
なぜなら。
意識が飛びそうになるほどに力強い突風が自身の左側から起こり、男の振りかぶられた腕と合わさってぼくの身体を右へ吹き飛ばした。
おおよそ男が一歩で詰めて来た分だけの距離を薙ぎ飛ばされたぼくは、無様にも転がり土や草に塗れた。
しかし、まだ頭で考えることが出来る。
くらくらする。
意識がある。
首の皮一枚、つながっている。
先に自身に向けて風の魔術を行使することで、男の右腕による必殺を、自分の身体ごと左へ流したのだ。
男の利き腕が右であることを事前に知っていて、かつ、頭の中で唱えるという技法があったからこそ叶った奇跡。
次は無い。
男が全力を出していないことを、ぼくは知っている。
「俺の一撃を受け流した……?」
唖然とした男は、戸惑いの表情を次第に黒く染め上げる。
「俺の一撃を」
二百年前から使い続けている、絶対の信頼を置いた一撃。
それを避けられた。
格下の相手に。
「あんたの実力がそんなんじゃ。あんたの閣下もさぞ弱いんだろうね」
それは戦士として生きた男にとって、最大限の侮辱を自身の主に向けられたに等しい。
男が足を踏み込む。
不動のはずの大地が揺れた。
地面に突き刺さるようにした足は二本。
そう。
男は一歩で距離を縮める。
そして、一歩で縮めるということは、それは跳躍と同じことであり。
つまりは。
両足で跳ねた方が断然に速度は増す。
分かっていた。
そして、待ってもいた。
男が魔術を呟くと同時に、足下にあった大地が消し飛ぶ。
向かって来る男がいるというのに無音だ。
風を切る音が無い。
こちらに音が届かない。
音速を超越した突進。
目に捉えられているのは自分の死が近いためだろう。
世界がゆっくりとして流れていく。
男が倒れ込む勢いすらも利用して振り下ろそうとするは両の腕。
左右から覗く死神の鎌は、ぼくの逃げ場すべてを奪っていた。
交差するように、交錯するように。
男はぼくの首を刈り取らんと、それらを振り下ろす。
その表情はこの世全てを滅ぼし尽してもまだ足りないと言わんばかりの怒りに、醜く歪んでいた。
ただの主従関係であれば、あんな安い挑発に、こんな顔を浮かべたりはしないだろう。
そこは。
そこだけは。
好感が持てた。
ぼくにその腕が届く。
触れる。
未だかつて無い死が眼前に訪れた。
瞬間。
ぼくの中で時が遡った。
ぼくがここで生を受けてから。
見た。
聞いた。
読んだ。
受けた。
学んだ。
乞うた。
感じた。
教えた。
真似た。
会得した。
実践した。
ありとあらゆる全ての魔術が幾つもの奔流となる。
手を振りおろしていた男の目が驚愕に見開かれ―――魔術が全てを洗い流した。




