人種最低の魔導師ゲテの高弟(ホモ)による要求
「俺の要求に一つ応えれば、今のお前にぴたりと当てはまる魔技を授けよう。了承したならば頷け」
要求が欲求に聞こえるこの出だしからして、もはや不安しか無い。
しかし、自室で上げた叫びが、熱が、まだぼくの心で燻っている。
こんなことで腰が引けたりはしなかった。
ぼくが黙って頷き返すと、高弟は満足げにその要求とやらを繰り出す。
「俺の耳元でこう囁け。『お、お兄ちゃんなら……ぼく、別にいいよ』と」
ドン引きだった。
引けたりしないはずの腰が、及び腰へと形状を変える。
太ましい声の男が、殊更に可愛らしく発声したのもキツい。
口いっぱいに虫唾が広がる。
吐きそうだ。
心の中に燻っていた熱が冷めて、頭が一気に覚えた気分。
すげー逃げ出したい。
「何を躊躇っている」そう言ってからすぐに何かに思い至ったのか「そうか。耳元というのは、背表紙の辺りのことで―――」
「そういうことじゃないです」
見当違いも甚だしい。
あまりの気持ち悪さに絶句してたんだよ。
誰が耳元がどこかと聞いているか。
薄い本に完全勝利できる変態本め。
とは言わない。
彼の機嫌を損ねてしまえば、ぼくに有益な魔術を教えて貰えなくなるかもしれないからだった。
歯が打ち震える。
言えるのか。
ぼくに。
言った途端、何かを失いそうな気がしてならない。
「さあ。早くお前の全てを見せて見ろ」
ともすればライバル関係にある相手が叫ぶカッコいい台詞ではあったけれど、内容もさることながら、歪んだ口から漏れる息が荒々し過ぎる。
『全て』という部分は、ぼくの演技力を見せろと捉えていいんだよね?
決して裸体になってその全身をさらけ出せ的な意味合いではないんだよね?
怖気に全身が震える。
こめかみから顎に掛けて一筋の汗が流れた。
退きそうになる体を、足を踏みしめてその場に留まり、ぼくは―――ぼくは貼りつきそうになる喉を無理やりにこじ開け、彼の耳元で囁く。
「お、お兄ちゃんなら……ぼく、別にいいよ」
高弟が高らかな吠え声を上げる。
一心不乱の歓喜。
傾注する狂喜。
彼に目があったのならば、滂沱の涙を流していただろう。
唇しかないその体が、四肢が無いことを意に介さず、そのページを閉じる勢いを持ってして、跳ね、飛び、こちらへと迫る。
往年の怪盗を思わせる跳躍は脅威。
装丁を脱ぎさり、有りの侭の姿となった高弟はただこう叫ぶ。
「とぉぉぉぉぉぉぉぉたぁちゃぁぁぁぁぁぁぁ~~~んっっっ!!」
迫りくる恐怖に、ぼくは死を覚悟した。
しかし、面白げに行く末を見守っていたゲテが、自身が巻き込まれるのはごめんだとばかりに、抱えたぼくの腕から、女神の如く救いの手を差し伸べた。
「死んだ方がマシ級の拷問を愛弟子から受けるよ?」と。
途端、涎まみれになっていた高弟は勢いを殺し、石畳へとすちゃり着地する。
脱ぎ捨てた装丁をいそいそと着込み、流れるように唇を引き結んで「魔術というのは言葉にすることによって、初めて発現されると言われているが、俺はそう考えてはいない」と何事も無かったかの如く男前に話し始めた。
激しくつっこみたい。
しかし、ここでつっこんだところで損をするのはぼく一人。
黙って聞いていよう。
高弟はぼくが何も話さないのを不安に思ったのか、続きを話す前置きとして「姐弟子には黙っていてくれ」と唇を震わせて懇願してきた。
秋ごろに書庫内で、全員を棚へと戻らせたアレイの鬼神の如き姿が思い浮かぶ。
「分かりましたので、先を、お願いします」とぼくはぼくで怖いくらい冷めた声で、アレイを恐れる高弟を脅した。
怯え切った高弟は、心無し早口になったようで、そこから一気に結論まで話してくれる。
高弟の自論はとてもぼく向きだった。
現在のぼくが会得出来て、かつ圧倒的瞬発力を持つ相手にも、また、上位者との関係性においての不利を覆すことが出来ると、そう納得できた。
ぼくはその収穫に満足して、早速、外で実践練習をしようと、書庫内から踵を返す。
「ちょっとだけ待ってくれないかな?」ぼくに抱かれたゲテがそう言ったので、ぼくは足を止める。
ゲテは高弟に向かって首を傾げつつ問いかけた。
「その自論は初めて聞いたけど、なんで僕には教えてくれなかったのかな?」
責める風では無く、純粋な興味からの言葉。
それに対しての高弟の返答は配慮に欠けると言わざるを得ない。
「師とは言えども、なぜ俺が女に自身の秘匿を話さなければならないのか?」
応じる高弟の声は心底、不思議そうな口ぶりだった。
言い方を考えた方がいいと、ぼくは心の中で合唱をした。
「糺す。唇よ。捥げろ」
ゲテの淡々とした詠唱。
高弟たち全てが苦悶の声を上げ、そして、声なき呻きへと移り変わる。
本の表紙から口という口が取り外され、ゲテの口内へと収まっていく。
無理やりに剥がされた様子で、さぞ痛いのだろう、全員が全員、その身を横たえて、雨に濡れた子犬の如くにページを震わせていた。
他の弟子たちは完全にとばっちりを受ける形。
南無。
そして、ぼくは今のやり取りを見て彼女に思うことが出来た。
「ところでゲテに聞きたいことが」
「何だい。変わり種君」
「あんな風に口が取れるなら、ぼくが口を手作業で付ける意味は無かったんじゃ無いですかね」
「意味ならあるよ」
「『僕が楽しいから』でしょ」
「鋭い」
満面の笑みを浮かべてぼくを指差すゲテの幻影。
それに向けて、ぼくは胸に抱えていたゲテの本体である魔導書を投げ付け、そのまま後ろを振り返ること無く書庫から出て行った。
今後、よほどのことが無い限り、決してここには足を踏み入れまい。
そう固く決意をして。




