針金男ズィズィの伝記
ゲテの指示通りに全員分の唇を付け終わる。
ぼくが汚いものでも払うように手を叩くと、粘膜が糸を引いて、嫌な音を立てた。
最悪だ。
今すぐに調理場に行って、手についた汚物を洗い流したい。
ぼくは鬱屈した気持ちになりつつも、流し台へ行く間も惜しむ。
早く。
もっと。
強くなりたいから。
そして、ぼくはミルとの魔術戦闘について高弟たちに語った。
すると、先ほどぼくの胸を食んでいた、ホモホモしい一冊がこう確認した。
「お前の世話をする女のように、上位者との関係性を築くには月日が必要になる。現状のお前の技量―――その流暢な言葉を使って対抗するしかない。そうだな?」
ぼくは頷き「針金男に対しても有効な手段があれば教えて欲しいです」と頼み込んだ。
針金男の外見や雰囲気、その得体の知れない動きを伝えると、高弟たちの中でホモを含めた数冊だけが、その魔族を知っていた。
針金男が勇名を馳せていたのが二百年前であり、その時代を生きている人間がその数冊だった。
ここより北へと進んだ地の領主を任されている辺境伯。
その懐刀と呼ばれているのが、件の針金男ということだった。
名前はズィズィ。
二百年前。東から海を渡って来た五百にも至る蛮族を、ただの一人で誅したと言う逸話があるらしい。
高名な魔導師であるゲテが彼を知らなかったのは、その時分はこの地では無く、違う大陸にて旅をしていたからだと言う。
あんたは一体、何歳なんだと問いたい。
が、話の腰を折るつもりはない。
ぼくは高弟へズィズィについて語ってもらうよう、先を促した。
「男の部下の伝記を読み解く機会があったが、あれは魔導師では無いと推測される。鍛錬に鍛錬を重ねた身体能力と、魔導師による肉体改造を受けた、強力な改魔兵だ。『一歩を踏み出したかと思えば、我らが将は彼我を瞬く間に詰め、敵の眼前に立ち、その首を悉く刎ねた』そう記されている」
ぼくは針金男の前に立ち塞がった時のことを思い出す。
花を手折るような気軽さで、振られた腕。
その先にはぼくの顔があった。
その先を想像するだに、自然、背筋に寒気を覚えた。
「記述が真実であるならば、ズィズィ相手には強力な魔術を行使出来ない」
魔術の威力を上げるには正しい発音もさることながら、上位者の気分を高揚させる必要がある。
ただ『火矢』と言うだけでは、木人程度の魔獣を打ち倒す威力しか得られない。
ゲテの声を真似るにしても、長く語り尽くす必要がある。
上位者を褒めそやす、その時間は戦闘中には致命的になるだろう。
「ただの一歩で距離を詰められてしまえば、唱える時間などない。魔導師にとってズィズィは相性が悪過ぎる。正面から相対すれば師ですら術無く殺されるだろう」
それでようやくゲテが男をヤバいと言った理由が分かった。
こんなにも多くの弟子の尊崇を集める人種最低の魔導師ゲテ。
その彼女が敵わない相手に、ぼくなどが勝てる道理はない。
勝てる道理は無い、けれど。
しかし。
だからと言って、ぼくが諦める理由にはならない。
ぼくの目を見てそう判断したのだろう。
高弟は唇を僅かに笑ませて「お前は俺の好みの人相をしている。だから一つ条件を呑んだなら、とっておきを教えてやる」と舌なめずりをしてきた。
浅ましくも交換条件を提示してくる敬愛すべき兄弟子。
今までの男前な語りが台無しだった。
享年十八歳。
生後一年未満。
ぼくこと道端答他は、前世を通して初めての貞操の危機に陥っていた。




