ゲテの提案
ぼくはハグの代わりにゲテを胸に抱え直して、地下にある書庫を目指した。
一頻り笑い終えたゲテが、こう話したからだった。
「前に言ったろう。五分も悩んで解決しないことは、今は出来ないことなんだよ」
もちろん覚えている。
けれど、その言い分を認めてしまったなら、ぼくは何も出来なくなってしまう。
散々っぱら笑い倒しての助言が前の使い回しかよ、とゲテに噛み付こうとする前に、彼女は続けた。
「そして、こうも言ったのを覚えているかな?」
ゲテは指を一本、ぼくに向かって差し向けて言う。
「つまらないことを考える暇があるのならば、魔術の一つでも覚えるのが良いよ、と。ミルを出し抜けるくらい、針金男に負けないように、アレイを守りたいと思うのならば、ね」
突きつけられた指先を見つめ、その言葉にぐうも出ないぼく。
そうだ。
ミルに突っ掛ったり、こんな風に寝てる時間があったなら、より魔術を鍛えた方がよほどいいじゃないか。
なんでそんな簡単なことに気付けなかったんだ。
ぼくの得たりといった表情を読み取ったのだろう。
ゲテは出会って今までで一番、先生らしい言葉を発した。
「差し当たっては地下にいる君の兄弟弟子を頼るがいいさ。針金男に関しての正体は僕では思いつかないけれど、ひょっとしたら誰かしらが知っているかもしれないよ?」
そう言ってから口端を上げて、得意げな様子で―――盛大にせき込む。
「ベッドの下。今日はミルが掃除をしてくれていないのだろう? 埃が半端ないから、そろそろ僕を救い上げてくれるかな」
そういう理由でぼくは愛らしいハグじゃなく、埃まみれで汚らしいゲテを抱え上げることになったわけだった。
「君ね。僕が君の考えを見透かしてるのを分かった上で考えているだろう?」
いけませんかね。
「強かになられると僕がつまらない」
それは大変、結構なことです。
「君が素直になってくれたのは喜ばしいけど、あんまり早く大人になられるのは上手くないかな」
「知ったこっちゃ無いです」
「そうだね。じゃあ、とっておきのことを教えて上げよう」
そうしたらきっと、君はまた慌てふためく気持ちになるよ、と空恐ろしいことを言って来る。
さっきのような恥ずかしい思いはもうたくさんだ。
「ほんと結構ですから」
「アレイのことなんだけどね」
「是非に教えてくださいお願いします何でもします土下座で良いですかそうですか」
「卑屈になれとは言っていないよ」
だからぼくに立ち上がるように言ったゲテは、針金男とアレイの会話についてつぶさに解説を始めた。
いやいやいや。
「待って下さい」
「何かな?」
しれっとして疑問の声を上げるゲテ。
いやあんた分かるだろ。ぼくの言わんとしてること。
「ぼくに盗み聞きは駄目だって言ってましたよね?」
「人聞きの悪いことを言わないで欲しいな。僕は正々堂々と彼らの話を聞いていたよ」
「どうやって?」
「さてどうやってだろうね」
茶化さないで下さいと言いそうになるが、いや彼女は単純にもっと自分で考えろと言いたいのだろう。
彼女との会話を思い出す。
針金男相手に盗み聞きするのはヤバいと言っていた。
それはぼくが未熟だからという意味合いだったのだろう。
ゲテには対応策があった。
それは何か。
「助言」
ゲテは疑問を重ねなかったことを評価してくれたのか、いつものような渋面では無く、弟子を助けようという慈しみある表情でもってそう言った。
「私は人を書物に変える変態魔術がある」
決してヘンタイでは無いよ、とくだらない念押しはさておき。
変態は芋虫が蛹になって蝶へと変わるアレだろう。
まったく別物に変わることが出来る。
そして、盗み聞きでは無く、堂々と。
「装丁を執務室にある書棚の一冊と同じにして入れ替え、そのままそこに潜んでいた―――とかですかね」
「鋭い」
パンと一つページを閉じて、柏手を打つようにぼくを褒めて言う。
「大変だったんだよ? 彼女は君と顔を合わせないようになってから、食事も執務室で取るようになったからね。朝の五時くらいに起きて、執務室の本と入れ代わって、愛弟子が業務を終わらせる夜の十二時まで。いくら体が本とは言えど、まんじりとも動けないのはストレスが溜まるよ」
まったくもってよくやるよ、とは言わなかった。
むしろ良くぞやってくれました、とゲテを熱烈に抱き締めていた。
そしてぼくは言う。
「苦労話とか良いですから、アレイと針金野郎のことを教えて下さい」
しょうもない問答に焦れていたぼくは思わず本音を漏らしてしまっていた。
ゲテは目を細めるようにしてぼくを見下ろし「僕の本を抱いている癖に、他の女の話かい?」と気にした様子もない。
思わず投げ捨てようとして、ぐっと堪える。
またぞろ気が変わられても面倒だ。
「はい。ぼくが悪いので、続きを話して下さい」とおざなりに言う。
彼女を悪し様にあしらったのが拙かった。
ゲテは唇を突き出すようにして、鳥肌もんの台詞を言い放つ。
「君が僕を胸辺りに抱いているからね。実はこうやってしゃべっているのも、話すたびに君の乳房が上唇に触れる感触を楽しんで―――」
力の限り地面に叩きつけた。




