冬来たりなば春遠からじ、なんてのは嘘だ
久しぶりに外が晴れたので屋敷の外に出てみる。
日陰になっているところどころに雪が残っていたが、着込んでいればなんてことの無い季節になって来た。
火の上位者との約定も終わったのだろう。
体の熱が戻ってきていた。
「無理をするな」
病み上がりであるぼくを心配するアレイの目線は、ぼくと同じ高さにある。
寝る子は育つというか、ベッドで過ごすことの多かったこの冬で、ぼくの身長はとうとうアレイに追いついたわけだ。
アレイとしては、ぼくの成長を喜ぶような、それでいて背が並んだことを悔しく思うような複雑な顔を浮かべていた。
ぼくは殊更に明るく元気であるかを示すように走り回り「座学ばっかりで飽きてたんで、これぐらい許してくれよ」と懇願する。
寝込んでいたこともあるが、屋敷の外は凍えるような吹雪が荒んでいたので、アレイが決して外に出してくれなかったのだ。
お陰様で体調は万全。
ただし魔術の方はいまいちだった。
座学ばかりで技量が上がった感じがしない。
ゲテの教育方針としてはアレイ同様に実践あるのみで、ぼくもその影響を受けたのか、ご多分に漏れず実際にやってみないと実感が持てないタイプになっていた。
勉強ばかりでは自信に繋がって来ない。
ただし、知識に関してはだいぶ増えた。
これはゲテの自論だけれど、僕らが神の姿が見えないように、神もぼくらの姿は見えていないと、彼女は考えている。
だから誰が魔術を行使しようとしているかは、声で判断している。
ゲテは指先を切るような所作をしてぼくに問う。
「血判をしたことはあるかな? そう、指の模様を用いて本人を示すアレだよ。声もその模様と同じで、個人を特定する重要な要素に成り得るんだよ」
それは生前の世界にも防犯として使われていたので知っていた。
声紋。
声による個人の判別。
元の世界で例えるならば、裁判での証拠としての価値は、指紋鑑定に次ぎ、筆跡鑑定よりも高い。
つまりそれだけ人によって個人差があるということに他ならない。
神はこちらが見えない分、耳が良いとゲテは言う。
自身が気に入っている者、自身を信仰する者、自身と敵対する者。
「糺す」と宣言した者が何者であるかによって、上位者は魔術の成否、威力の増減などを変化させる。
木人たちを葬った時、「火矢」と唱える声が地声へと移り変わり、擦れていくにつれ威力は目に見えて減っていった。
発音や滑舌もそうだが、上位者が、糺している相手が慣れ親しんだゲテでは無く、ぼくであると気付いた為だろう。
ぼくの疑問にゲテはそう答えてくれた。
上位者はかなりの精度で声を聞き分ける為に、そもそもがぼくのように誰かに成りすましての魔術の行使は至難の業であるとも、ゲテは語る。
「だからこそ、君のその相手の声色を真似る技術は驚嘆に値するのさ。僕が何度も確認したくなるくらいにね。一体どこで、そんな技術を覚えたんだい?」
事あるごとに問い掛けられるその言葉に、しかし、ぼくは声を似せる時の発声方法を教えはするけれど、それを覚えた由来までは話さなかった。
言えない。
言えるわけがない。
一日一回は誰かの声帯模写をするよう部長に言いつかり、部員全員の前で笑いを取らされていたなんて。
いじめじゃん。
あれ。
無茶ぶりに過ぎる習慣だったけれど、今、思い返せば人見知りしていたぼくを馴染ませる為の方法の一つだったんだろうな、とは思う。
当事者としては堪ったもんじゃなかったけれど、その心遣いだけは有難いと思えた。
同様に。
あのまま死ぬはずだったぼくを、こうして昔を懐かしめるようにしてくれたアレイにも、ぼくはとても感謝をしていた。
雪道を足下を確かめつつ歩くアレイ。
彼女が滑って転ばないように、彼女の前にある雪を火の上位者に頼って融かしエスコートする。
そうして、魔術を行使していると、ふと、隣を歩いていた彼女が立ち止まった。
一歩先んじる形となったぼくは「どうかした?」と後ろを振り返って尋ねる。
「トータは優秀だ」
何の脈略も無いアレイの言葉に、ぼくは「はい?」と言葉を上ずらせて返事をする。
ぼくの語尾が浮き上がった言葉に対して、アレイは話を淡々と続けた。
「師事した一日目にして、グンヌダルグの森へと赴き、木人の群れを焼いて葬った。これは驚異的なことである。まして、お前はその時、師に魔術を教わったのではなく、盗んだのだ。何十年も研鑽を積んだ刀鍛冶から、その弟子が何十年もかけて目で見て技を盗むように。あっさりと。今も、そうだ。呼吸をするような自然さで、雪を融かして見せた。本当に、凄い」
アレイの意図が読めない。
ぼくのことを手放しで褒めるのはいつものことだけれど、それにしてはいつもの子煩悩に溺れている感じがしない。
これから言う言葉の緩衝材のように。
まるで魔術を学ぶことが良くないことのように。
「あまり急くな。たまには休むが良い」と魔術を行使するぼくの手を引き、屋敷の中へと連れ込もうとした。
その言葉にぼくは、ぼくの成長をアレイが苦々しく思っていると、そんな印象を受けた。
身長を抜かれたことを嫌がっているのか。
まさかそんなことはあるまい。
じゃあなぜ?
そう考える間もアレイはぼくの手を強く引き続けた。
正直、ぼくは冬の間に座学でした内容を実践する為に、森へと繰り出すつもりでいた。
しかし、力強くぼくの手を握りしめるアレイの手は小さく震えている。
寒さのせいか。
それとも別の何かか。
分からない。
だから、ぼくも無理にその手を振り解こうとはしなかった。
なあに、魔術の練習なんてもう少し雪が融けてからでもいい。
ゆっくりで構わない。
大魔導師になるなんてのは、夢でもなんでもないのだから。
魔術を覚えるのは、アレイの役に立てると思ってやっていることだ。
ひょっとして彼女はぼくの親離れでも心配しているのかもしれない。
彼女が、ぼくが急いで勉強するのを嫌がるのなら、その通りにすればいい。
あんなにも想われているのに、ぼくが抵抗する謂れはない。
そうして、ぼくはアレイに手を引かれるまま、屋敷の中へと戻ろうとした。
その時。
「子爵」
いつの間にそこに立っていたのだろうか。
ぼくらが振り返ると、そこには針金のような男が立っていた。




