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本番にて逆上(のぼ)せ上がる

 あーやだやだやだ。

 なんだってぼくはこんなとこにいるんだ。

 舞台の端に掛かる袖幕の陰で、ぼくは何度目になるか分からない後悔を繰り返していた。

 会場時間となり、観客が多目的室へと入って来る足音。

 ここから様子は見えないが、室内は淡い光に照らされているはずで、その雰囲気も手伝ってか、観客は声を潜めて話し合う。

 会場にはゲームのサントラから切り出した曲を、繰り返し繰り返し再生していた。

 囁くほどに小さな観客の声は、曲によってかき消されるはずなのに、カクテルパーティ効果によって、否が応でも耳に届く。

「楽しみだね」 「オチが気になる」 「ここの演劇部ってどうなの?」 「面白いよ。でも無料のチケットじゃなきゃ来ない」 「去年でだいぶ上手い人が卒業しちったからね」 「お前が現代劇が好きだからっしょ」 「あたしは好きだけどねーファンタジー」 「演劇でファンタジーとか無い無い」 「だねー。王子様とか騎士様とかアジア人で誰が演じられるっつーの」

 聞こえてるんですけどね。

 だったら来てくれるな。

 ああもう勘弁して欲しい。

 耳に指を突っ込んで、暗記したセリフを頭の中で繰り返す。

 ぼくだって面映おもはゆい思いでやっているのだ。

 元々は音響志望で入ったのに、人手が足りないからと、ここ三年の間で一通りの役職をこなした。

 しかし、この役者側に回るのは三年やってもなれやしない。

 他の仕事を兼任することが多い為に、演技の稽古と役職の作業とで兎にも角にも忙しい。

 おまけに三年生ともなれば、受験前。

 セリフをキチンと覚えているかで、不安で不安で仕方が無い。

 心臓が口から飛び出そう。

 というか吐きそう。

 むしろ吐く。

 えずく。

 おえ。

 本番さながらの通しゲネプロなら平気なのに。

 本番となるとどうしてこうなる。

 胃がひっくり返る思いだ。


 サントラ曲がフェードアウトし、『無伴奏チェロ組曲第一番ト長調』へと切り替わる。


 開演の雰囲気を感じ取ったのか、囁き合っていた声が、マナーに乗っ取って静まった。

 飛び出したい心臓が、より弾みをつけて腹を肺を胸を叩き出し、食道から喉元に迫る錯覚を覚える。

 チェロが空気に融け、消え入った。

 仕込み図通りに配された照明が舞台をゆっくりと照らし出す。

 主人公である賢者役の彼女が、パーライトによる強い光の下で独白を始めた。

「全ての英知を極めし我。しかれども退屈には勝てぬ。誰ぞ我の渇きを理解し、興じる相手と成らん者はおらぬか。生きとし生ける全てのモノに布告を。我を楽しませよ。ともすれば、我が英知を賜らん機会を得られるやもしれん」

 ぼくがいる袖とは反対側にある横当てスピーカーから「わたくしこそがこの身体をってして、あなたの無聊ぶりょうを慰めてみせましょう」「卑小ひしょうな大道芸人なる者ではありまするが、ご照覧頂ければ恐悦至極」「我こそが剣技をって貴方様に斬り掛かり、安穏とした生に危難をお与えいたします」

 これらの台詞は人手が無い為に、OBやOGの声が吹き込まれた録音テープを使っていた。

 声だけだというのに、各々の様相が頭の中で想像される。

 卒業生たちの演技は見事としか言い様がない。

 これから自分が比べられるのだと、考えるだけで恐ろしい。

 ぼくの役どころは、賢者の弟子になりたいと願う凡庸ぼんような少年。

 これは愛を知らない賢者が、愛する者を育てる源氏物語的ストーリーであり、また少年の成長物語でもある。

 準主役級の役目。

 場面転換、暗転無し、使うは小道具と衣装のみ。

 二人だけで行う会話劇。

 ごまかしは効かない。

 ぼくでは荷が勝ちすぎる。

 しかし、今更だ。

 後輩である彼女と演じる最後の舞台。

 覚悟を決めろ。

 録音テープが途切れ、賢者が横当てがある下手側に向けて、朗々と言葉を紡ぐ。

「潤わん。誰ぞ他には。我の渇きを満たさんと言う者はこれに」

 ぼくは戦慄わななく唇を湿らせ、声を張り上げた。


「ここに! ここにおりまする!」


 舞台上手より賢者の元へと馳せ参じ、地面に額を擦り付ける。

 ぼくの登場と共に、地明かりがステージ床面ゆかめんをほんのりと照らし出す。


 下手から上手へと振り返った賢者は、少年を見下ろし誰何すいかする。

「祖は誰か」

「何者でもありません。代々が凡百ぼんぴゃくたる農家の出にございます」

「師は何ぞ」

「おりません。私に作物をはぐくすべを教えてくれた者は両親になりますれば」

かんばせを見せ、望みを言え」

 ぼくはゆっくりと顔を上げ、セリフを言おうとした。

 

 床を突き上げるような地揺れ。

 

 天井に吊り下がった照明の一つがたがを外す。


 それはぼくを見下ろす後輩の頭へ。


 不安げにこちらを見下ろしている彼女は気付かない。

 

 彼女を見上げていたぼくだけが気付けた。


 ただそれだけのこと。


 生まれてからのこれまでを振り返っていた。

 後輩の泣き叫ぶ声が聞こえる。

 ぼくは何をしていたんだったか。

 そう。

 そうだ。

 ぼくはセリフを言わなければならなかった。

 なぜか靄が掛かったように意識がハッキリしない中で、何百回何千回と繰り返した台詞は息をするように自然と口からこぼれ出た。


 願わくば。

 万夫不当の大魔導師に。


「その願い。我が聞き届けよう」


 そしてぼくの意識は失われ、人生が流転るてんした。

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