人種(ひとしゅ)最低の魔導師ゲテ 1
人皮装丁本。
愛書家である異常殺人鬼を演じる機会が出来たぼくは、インターネットで調べている内に、そういった種類の本があると知った。
読んで字の如く、人の皮で作られた本。
元の世界での例を挙げるならば、愛する妻の皮膚を使って遺品として残したり、写経をするために己の皮膚を使ったり、ちょっとユーモアが入ってるのでは解剖された死体を使用した解剖学テキストなんかがあったり。
はは。
笑えない。
こっちの世界に負けないほどにファンタジーだ。
おかげさまでその時の演技は部長に褒められたが、しばらくの間は本に触れるのも避けていた。
知識としては知っていたが、まさか実物を拝む日が来るなんて思えるわけがない。
しかも幽霊付き。
やはりファンタジー度合ではこちらが上か。
幽霊は心外だと言わんばかりに眉根を上げて、自身の正体を告げる。
「誤解をしているよ変わり種君。僕は幽霊なんかじゃない。なんせ死んでないからね。本が体であり、魂であり、心臓さ。今こうして君の前に現れている僕は光魔術を使って起こしている幻影にすぎないよ」
そう。
彼女の半身は半透明の帯状になっていて、棚に置かれた本に近づくにつれ徐々に細くなっている。
山中を覆う霧に似ている。
手を伸ばして触れてみようとしても、ただその体をすり抜けるだけ。
「ませているね。どこを触っているんだい」とニヤけるゲテ。
ぼくは慌てて手を引っ込めて、そのとんでもない思い違いを否定する。
「誤解ですからっ」
ちょうど身長的にぼくの手の届くところが、上半身と下半身の分かれ目だったので、そうなっただけだ。
決して眼鏡で短髪の中世的な女性が好みであり、触りたかったというわけでは無い。
―――いや、好みではあるけれど、だからって下腹部辺りを疚しい気持ちで触ったりはしない。
初対面で、そんなこと、出来るはずもない。
人見知りがどうとか言う以前の問題だ。
ぼくが必死こいて彼女に向かい、そう説き伏せていると「冗談だよ」と、それはそれは厭らしい笑みを浮かべてみせた。
「ムキになった顔も可愛いね。友達と言わず、僕のペットにならないかい?」
「それ関係悪くなってますよね」
「友達は裏切るけれど、ペットは可愛がるよ」
「その言い方だと可愛がるというだけで、裏切らないと言ってないことになりませんかね」
「鋭い」
喜色満面にこちらを指差すゲテ。
この感覚。
卒業した演劇の部長に似ている。
猫が可愛いあまりに、構い過ぎてハゲさせる類の人。
関わり合いたくない。
ぼくが回れ右をして帰ろうとすると、背後から詩を歌うように抑揚を付けた声が、書庫全体に響き渡る。
「糺す。僕は本たちが好きだ。愛している。そして、今、書庫を去ろうとしているこの子もまた、僕に愛されている本たちに愛されたいようだ。だから、―――一緒に構って貰おう」
小気味良い韻が踏まれたゲテの言葉を皮切りに、整然と棚に並んでいたはずの本が舞い踊る。
小鳥の様に忙しげに飛び立つそれらは、じゃれつく子犬の様な勢いで、ぼくの顔に腕に足に、ページを開いて甘噛みするよう纏わりつく。
そうしてうつ伏せに倒されたぼくは、大型犬にでも乗り掛かられているような状態となり、本がピラミッド構造に重なっていく。
本と言えども、それはどれも重厚で、何百冊何千冊と重なれば、いくら強靭な体に生まれ変わったと言えども身動きが取れない。
顔を残した状態で、完全に固定されたぼくは、空中で腹を抱えて笑い転げるゲテを睨みつける。
「ああ怖い怖い。怖くて涙がちょちょ切れそうだよ」
「早く出して下さい」
「君が僕の奴隷になると誓えばね」
「待遇が下がってるっ」
「僕の評価は時価なのさ。時に下がり。時に下がる」
「下がりっぱなしですよねっ?」
「最低の魔導師だからね」
僕、上手いこと言ったとばかりに瞳を見開き、笑みを吊り上げる。
周りに浮かぶ本に同意を求めて、それに呼応した本たちは万雷の拍手をゲテに送る。
ばさばさ。
ばさばさ、と。
「それで返答は如何にするかな?」