料理本(レシピ)を探して、魔導書に遭う
仕事を山積しているアレイに許可を求めるには相応の時間が掛かるだろう。
その間に何としても見つけ出さなければならない。
ミルには悪いことをしたと思いつつ、しかし、サプライズの為だと自分の良心を誤魔化した。
書庫の立ち入りが禁止されているということは、おそらくここを使用する際に、お目付け役が付くだろう。
ぼくと話せるのはアレイとミルだけ。
その二人を前にしてレシピなど探せはしない。
仕方が無いことなのだ。
そうして、若干の罪悪感を抱えつつ、ぼくは書庫の扉を開いた。
取っ手に付いていた鍵があったが―――まあその、あとで違うのを出世払いで買って返すということで一つ。
昔のぼくならば絶対にやらないだろう、鍵を破壊するという行為。
先日の戦闘でもそうだ。
生前のぼくなら絶対に逃げ出している。
どうにも外見に性格が引っ張られているのかもしれない。
やんちゃで好奇心が旺盛。
今のぼくはまさに子供そのものだった。
書庫の扉を潜ると、そこにはとても広いスペースがあった。
地下の書庫は、上に建っている屋敷の半分ほどの規模がありそうだ。
図書館にしては小さいが、通っていた学校の図書室に比べてはよほど大きい。
整然と並んだ書架は、十四。
静謐さを伴った地下は、雰囲気だけでなく、地上よりもずっと涼しい。
太陽の光が入らないし、調理場にあった流し台でも分かる様に、ここらには豊富な水源がある。
地下水脈による土の冷却効果などもあるのだろう。
夏は涼しく、冬は暖かい。
適温に保たれる地下は、本を保存する場所として優れていると、どこかで聞いたことがある。
理に適った使い方なんだろう。
ただ本には適温かもしれないが、生き物にしては少し肌寒い。
早めに用事を済ませよう。
そうして、ぼくは天井にまで届く書棚を一段一段、眺めていく。
探し始めて早々に、ぼくは溜息がついて出た。
使用人たちと話が通じない時点で、予測しておくべきだったかもしれない。
本の背表紙にはミミズがのたくった様な模様があるばかりで、まったく読むことが出来なかった。
装丁のデザインかと、一縷の望みを託して中身を開いてみる。
やはり背表紙に掛かれている模様は文字らしく、中身はそれでびっしりと埋め尽くされていた。
手早く済ませようとは思ったけれど、一瞬で終わらせようとは露ほども考えてはいなかったのに。
なんて無駄足。
今ぼくが歩いているのは、端から数えて行って十四番目の書架。
諦められずに最後まで見て行っているが、ここまでに収穫は無し。
レシピ本を見つけるというよりは、もはや日本語訳されている本を探し始めていた。
本末転倒も良いところだったし、それすらも叶わない結果を見ることになる。
十四番目の書架の端に辿り着く。
最後の一段を覗いてみても、日本語らしき言葉は一つも見つからなかった。
「一冊くらいあってくれよな」
そう独り言ちた。
途端。
ぼくの言葉に反応したように、気温が一気に引き下がった。
どこかに穴が開いたかのように、密室であるはずの書庫に、冷気を帯びた風が入り込む。
石造りの床が少しずつ凍り始めている。
歯が噛み合わず、ぼくの口からはガチガチと、不快な音が鳴り続けた。
足踏みを続けなければ、床に足が貼りつきそうになる。
図書を守る罠か何かだろうか。
吐く息が白い。
凍えそうだ。
この寒気。
この怖気。
どこかで感じたことがある。
あれはどこだった?
確か、アレイと再会した時。
彼女がぼくの部屋へ足を踏み入れた時。
状況が似ている。
ぼくがくしゃみをしたら、アレイは謝って部屋の気温を戻した。
重厚な雰囲気作りと言って、それを収める為にアレイは何と言った?
思考を巡らせ思い至る。
彼女が呟いた一言を。
ただ、出来るのか?
あれは彼女だから出来たことじゃないのか?
いいや、どっちみちダメで元々っ。
ぼくは寒さに噛み合わなかった歯を無理やりに閉じ、破れかぶれな気持ちで、彼女を真似て言い放った。
「糺す。解けよ」
すると巻き起こっていた風は止み、気温は徐々にではあるが元の状態へと戻っていった。
そして、十四番目の書架の中央部分。
ぼくの言葉に呼応したかのように、棚が横へと滑り始め、左右へと開かれて行く。
やばい。
明らかに隠し扉なるものが開かれようとしている。
これ、アレイにどう説明すればいいんだよ。
怒れる彼女の顔を思い浮かべ蒼白に冷や汗が浮かぶ。
ぼくは必死に扉が開かないよう、棚の出っ張り部分に指を引っかけて押し止めようとするが、びくともしない。
そして、棚の稼働が止まる。
開き切った隠し扉の向こう側には、こちらの書庫と同規模の空間が広がっていた。
十四の書架。
静謐な空気。
ただ一点だけ目に見えて違う部分がある。
棚に並べられた書物の数々。その背表紙は全て日本語で書かれていて、ぼくでも読み解くことが出来る本ばかりだった。
見間違いでは無いのか、と近くで見る為に、恐る恐るといった様に一歩を踏み出す。
「おや?」
誰かしらが首を傾げたように呟く。
「魔術言語が聞こえたから、てっきり愛弟子が来たのかと、ちょっかいを掛けてしまったよ」
軽快な声は涼やかで耳に心地よい。
「で、この扉を開くことが出来た君はいったい誰かな?」
ぼくはその問いかけに答えられない。
相手の様相に、言葉を失っていた。
「そうか。人に名を尋ねる時はまずは自分からと言うからね。では先に答えよう」
目の前で流暢に喋る眼鏡を掛けた女性には、幽霊のように脚が無い。
「僕は人種最低の魔導師と呼ばれたゲテと言うモノさ。人種と魔族の血肉に、異界の魂が雑じる変わり種君。どうか僕と友達にならないかい?」
脚の代わりに伸びた半透明状の、布のようなものが、本棚の一冊へと伸び生えていた。