6 囲まれた世界
「今日は1日別行動にしよう」
朝食を済ませて部屋に戻ると明良は爽馬に提案する。週末の日曜日、外は絶好の行楽日和だ。
「たまにはひとりにさせてよ。息が詰まる」
「明良さんが、そうしたいなら……」
爽馬は渋々頷いた。
外は気持ちが良い上天気だ。自然に囲まれた寮の辺りを当てもなく散歩する。
高台から遠く海を見下ろすと大型船が航海している。あの船は何処からやって来て何処へ行くんだろう。なんの因果かこの町にやって来たが、帰る場所は別にある。船旅はいつか終わりを迎えるだろう。けれど明良の終着は今だ闇の中だ。
「みんなどうしてるかな……」
ワンワン!
犬の鳴き声が聞こえる。
明良が辺りを見回すと、白と黒のコントラストが美しいシべリアンハスキーが尻尾を振って近付いて来る。リードをずっているから散歩の途中で逃げ出したのかも知れない。よく見ると左右の目の色が違うオッド・アイだ。劣性遺伝の悪戯だ。今の明良の身体と心のバランスの様に危うい違和感を抱く。
「お前、何処から来たの?」
よく人に懐いている。初めての明良にも警戒心はなさそうで、頭を撫でてやると気持ち良さそうに目を閉じて体を摺り寄せてくる。はたしてこのハスキーは明良の正体を見抜いているのだろうか。
男か、女か。
オッド・アイの瞳に自身を映して問い掛けてみる。
「失敗作みたいでしょう? お前は気がついたかな」
手入れの行き届いた毛並みが艶やかだ。人と違う獣の温もりが手のひらから伝わってくる。
「レナ! 」
飼い主らしいその声に反応してピンと耳を張るハスキー犬と声の方に顔を向ける。同年代と思われる女の子が息を切らしてこちらに歩いて来ているのが分かった。
「こんにちは。この子はあなたのワンちゃんなの?」
「そうです。すみません。怪我とか大丈夫ですか?」
「うん。平気。かわいい子だね」
「元気が良過ぎて何時も散歩の途中で逃げ出しちゃうんです。貴方、学園の生徒さん?」
「うん。女の子に会うのは久しぶりだよ。うれしいな」
明良の素直な感想だった。元気で明るいクラスメートは朝から晩まで騒がしく、寂しさを感じることはなかったが、少々付き合うのに疲れて来ていた。
「……」
「あっ! ごめんね。変な意味じゃないからね。むさ苦しい男ばかり見てるから癒されるって言うか、話してるとほっとするって言うか……」
「それ、りっぱなナンパだよ」
「そうか。……そうだよね。初対面の女の子に話し掛けているんだもんね。人生初のナンパだよ」
「本当に?」
「本当だよ」
それからふたり見詰め合って笑い出した。そうしてふたりでいろんな話をした。
女の子独特の少し高い声。柔らかい仕草なんかを見る度に嬉しくなる。
何だか癒される。
男子と話していてこんな感情は生まれない。やはり男と女は違うのだろう。男だらけの今の状態は異常なのだ。
時間を気にしないで何時までもこうして話していたいと明良は心から思った。
久し振りに外に出たせいか夕食時にはすっかり疲れてしまった明良は恒例の手紙の受け渡しの声を聞きながらウツラウツラしてしまう。
「明良しっかりしろ!」
「駄目だ。寝てる。どんだけお子様なんだよ」
「いいよ。僕が部屋まで運ぶから」
「明良肌モチモチだな。そこらの女子より綺麗なんじゃないか。男にしておくのは勿体無いな」
「成人式で再会した時、女になってるかもな」
「有り得る! カミングアウトして告白したりして」
「相手は勿論爽馬だよな」
「くだらない話はいいから行くよ。身体が冷たい。風邪を引いちゃう」
何時までも終わらない話に付き合っていられない。完全に寝落ちした明良を背負い部屋に向かう爽馬。
明良をベットに寝かせて寝顔を見つめる。頬に掛かるサイドの髪をよけてそのまま頬に触れてみる。ここに来る前は白くて滑るようにしっとりしていたのに手入れもされなくなった肌は少しカサ付いている。
「もっと僕を頼ればいいのに」
父親の頼りない面ばかり目にして来た明良は必要以上に良い子であろうと無理をして頑張って来た。どんなに強がっても所詮は女の子だ。男子とはそもそも構造が違う。人1倍正義感が強く、人を思いやる優しい子が力でねじ伏せようとする男に対抗出来るはずも無い。
努力を重ねて、それでも補えない体力の差に涙を流した日々を爽馬は知っている。その姿がいじらしくて、手を差し伸べずにはいられなかった。爽馬の中で明良は、主従の関係を取り払っても、護るべき弱者だった。
明良は、美人でも人形のようにかわいい容姿でもない普通の女の子だ。けれど、誰よりも綺麗な心を持っている。爽馬にとってこの世にただひとりの特別な女の子が明良なのだ。
ショートにカットされた髪に顔を埋めて明良の匂いに酔いしれる。身体付きは変わっても明良の匂いは昔のままだ。
「僕なしでは生きられなくなればいいのに」
爽馬の勝手な願いが明良の耳元に届けられる。囁く声が震えるのはそれだけ想いが強いからだろう。
「僕を突き放さないで」
乗り上げた爽馬の重さに安物のベットが軋む。薄紅色の明良の唇から視線を逸らすことが出来ずに吸い寄せられてしまう。
「明良」
この名をひとりの夜、何度呼んだか知れない。明良を目の前に呼ぶ日が来るなんて夢にも思わなかった。
美味しそうな果実が実っている。放っておけば誰かが気付いて手を出すだろう。
見ない振りなんて出来るはずもない。
ここに咎める者は誰もいないのだ。
爽馬は当然のように甘い果実を割り、舌を使って果肉を貪る。濡れた息遣いが静まる部屋に響く。
甘くて蕩けそうに柔らかい。
お伽話のお姫様は王子の口付けで目覚めたが、残念なことに爽馬は家来その1だ。そしてお姫様の目覚めを望んでいない。
このまま誰にも知られてはいけない秘密を抱えて護られていればいい。
欲に溺れた爽馬はそう望んでいる。
真実が美しく正しい答なんだと考えるのは感違いもいいところだ。
「明良……」
この手の中に囲われていればいい。幾らでも明良の望むままに甘やかしてあげよう。その為に力を培って来たのだ。そして自分は見返りにご褒美を頂く。
夢中になって熟れた果実を貪り続ける爽馬だった。




