第四 七百年前の本当にあった話
おひさしぶりです。こんなペースですが、よろしければお楽しみください。
花を摘んで色と成す。
色と混ぜて彩と成す。
彩で染めて織となす。
最後に闇へ届けよう。黒に囚われたかなしいひとに。
心を籠めた織物を掛けてあげる。
『織の国、創世神話・第一章 染花の娘』の部より抜粋。
♢
此処は『織の国』。七つの小島に、ひとつの島が囲まれた小国。
それぞれの大陸が一つの『色』を名に冠し、属性として分けられる。
『赤』を宿す大陸は、一の貢と呼ばれ文字通り、火の属性を持つものが。
『橙』を宿す大陸は、二の貢と呼ばれ地の属性を持つ。
『緑』を宿す大陸は三の貢と呼ばれ風の属性を、水の属性を持つ四の貢はその名の通り、『青』を宿していた。
『黄』を宿す大陸には雷の属性の五の貢が、『藍』を宿す大陸には毒の属性を持つ六の貢、七の貢は闇の属性を宿し、『紫』の大陸に住まうとされた。
「―――そして、そのすべてを統率するここ、『都』は七の大陸に囲まれた中央に存在しています」
「ほへあ」
「分かりにくかったですか?」
苦笑しつつ、嫌な感じのまったくない柚さんの穏やかな気配に癒されかけ……けれど気合一閃、己の頬を張ります。なにせ、今後の生活にかかわってくる知識ですからね。
「あなた、は。異世界の、人間?」
問われ、泡を食う私に助け舟を出したのは、帰還した既望でした。
「そうだ。巫女として扱う必要はないが、面倒見てやってくれ」
整った顔立ちを相変わらず厳めしく固め、言う主人と私の顔を交互に見てから、にこりと頷く彼女の瞳には何の翳りもなく、こちらが不安に思うほど。
「っていうか、いい加減にしてください。あたしは奴隷でしょ、面倒も見なくていいし、早く処分なり牢に放り込むなりしてください。居心地が悪いです」
苛立ちも露わに、先刻から溜まりに溜まった不信感をぶつければ、けれど愉快そうに片眉を跳ね上げて意地悪く唇を歪めるのみ。主であるこの男が、本当に嫌いだ、と確信した瞬間でした。
「そうやって、思うように口に出せばいいのだ。先刻だって、言えばよかったのだぞ、『自分が巫女だ、水を沸かせたのは私だ』と」
「……言えるわけ、ないでしょう。分かってるくせに、馬鹿なこと言わないで」
「妹のためか」
頷きます。当たり前です、あそこで私が巫女に名乗りを上げれば、妹はどんな目にあっていたか。
『巫女様』と群がる男達の目に、神聖視以外の感情があったことくらい、あの子にも分かるはず。贔屓目などなくとも分かる、あの子の美貌。性奴隷か、よくてあの男達の中で最も地位の高い者の妻に無理矢理されていたことでしょう。
「大事なあの子を、見知らぬ世界でひどい目になんて、合わせやしない」
「随分と、信用ないな、我々は」
「いきなり身ぐるみ剥がされて牢に放り込まれれば、そんなもの灰燼に帰すわ」
「違いない」
忍び笑う既望を、座ったまま上目遣いに睨みあげれば、顎を掴まれ一寸ほどに顔の距離を縮まされました。
「だから、抗え。利用しろ。俺を、そこの柚を、お前が使えるものは全て使いつぶせ。妹を守りたいのなら」
相変わらず笑いも口調も皮肉げでしたが、その視線の紳士さに、私の鼓動は速度を速めました。
黒い瞳は冷たく鋭い、刃のようで。そのくせ、こちらの背を支える強さを孕んでいる、矛盾。
何故かいたたまれなくなって、絡んだ視線をそらすまでその不整脈は続きました。
「……今は、もう大丈夫でしょう。巫女とやらになったあの子は、守られる。あたしがいなくても」
「果たして、そうか?」
捨て鉢な私の言葉への反言に、思わず目線が戻ります。妹の安否が気になるのも相まって、鼓動は痛いほど。
「どういうことよ」
「お前は知らないだろう。この世界のことも、巫女がどんな存在で、あの娘がこれからどういう処遇を受けるのか。なのに、簡単に安堵するのか。処女が守られれば、それでいいのか?」
あからさまな言葉選びはさておき、確かにそうです。巫女という言葉から、そして男達のかしずくさまから火織は、これから姫君のような、大事にされる存在になるのだとばかり思っておりました。
けれど思えば、巫女とは神職、つまり仕事があります。どんな仕事なのか、生活の保障はされるのか、それにその仕事が終わればあの子は、どうなるのか。不安要素はあげればきりがありません。
「あ、の」
ますます奴隷からかけ離れた態度をとっているなあ、とは自覚してますが、もうこの際変える気も置きません。最初に色々ぶっちゃけた相手ですし。
しかし。
ここでこの男に、素直に『教えてください』というのは、良いように誘導された気がして腹が立ちます。嫌いですしね。
ぷるぷる震えながら言葉を絞り出そうとする私(と、それを見下ろして陰険ににやつく既望)を見守っていた柚さんが、助け船を出してくれました。
「あの、よろしければ私がお教えしましょうか?」
自分でも現金だと自覚する明るい笑顔を浮かべると同時、頭上から舌打ちが聞こえました。
「……あの、結局巫女ってなんなんですか?」
「そうね……わたしたちが今いるこの『都』にね、七百年も前のことだけれど、ある病が蔓延したの。百日間も高熱と咳にうなされて、多くの民が死んだわ。生き残った者たちも骨と皮ばかりに痩せ細り、髪も疲労から色素が抜けて、真っ白になって。目のかゆみが酷くなるものもいたから、掻きすぎて真っ赤になっていた。病になっていない者たちからは、その姿を『鬼仔』だと迫害を受けたりね」
「そんな……酷い」
せっかく生還したのに、そんな扱いを受けることに憤った私の頭を、哀しげな表情で柚さんは撫でてくれました。
「そうね。でも、そんな八つ当たりをして恐怖を紛らわせでもしないと、まだ罹っていない者達の恐怖は、ひとしおだったから。死んでいく家族や、友人たちを見届けるしかなくて、中にはそうして、大事な人を失った痛みを抱えきれなくて、なんであいつらだけ生き残ったんだって、思う人だっていたのよ。……そんな、醜い争いのうちね、人柱を立てることが決まったの。生贄には、当時の島を取り仕切っていた、神社の神主夫妻の息子が、選ばれたわ」
「……は?その子は、病気でも、鬼仔でもなかったんですよね?」
「ええ。でも、彼は生まれたころから病弱でね、髪の色も白に近い灰色で、目も燃えるような赤色で。本当なら神社に相応しくない、それこそ鬼仔として生まれてすぐにでも殺されるはずだったのだけれど、当時十五歳だった長男が『生まれてきた命を人の勝手で摘むことは、神主のすることですか』って大反対してね。こっそり奥座敷で生かされていたのだけれど、例の病で生き残った人たちの恰好が彼の姿に似てるから、彼がやっぱり鬼仔で、病を広げているってことになってね。処分されることになったの」
処分。人ひとりを殺すには適しない言葉に、自分の表情が暗くなったのを理解しながら、取り繕えない。その痛みを察してしまえるから、覚えが、あるから。
そんな私の思考に気付かないまま、柚さんの言葉は続けられました。
「神社の本殿の前で、『もののけが巫女―――この巫女は神社の巫女さんね―――に生ませた異形の子を、憐れみと慈悲から生かしていたが、この仔はその恩を仇で返し、病を蔓延させた』と神主は縛り上げた次男を弾劾し、村人たちも石礫を投げることで彼を迎えた。特に病理から生き延びた、村八分にされていた人たちからの一方的な暴力の末、実父によって鎌で首を落とされそうになった次男を助けたのは、それまで儀式の邪魔になるからと押さえつけられていた長男。唯一次男を愛していた男は、切りつけられる少年と父の間にその身を割り込ませ……自分を、切らせたの」
吹き出す血、その兄を見た鬼仔は、次の瞬間、目を焼かんばかりの白い光を放ったという。
「雷が落ちたような発光ののち、村人たちは、ばっさりと肩から袈裟に切られた長男の傷口がみるみるふさがり、彼が息を吹き返すのを、見たの」
「……次男さんは、本当に特別な力を持っていたって、ことですか」
「兄を助けたい一心で覚醒したのか、病気が流行った時点で力を得ていて、やはり原因は彼だったのかは分からないけれどね。兎に角、長男は蘇生したの。けれど、」
ふとそれまで、陰惨な歴史を淡々と述べていた柚さんの口が、はじめて淀みました。青い目が、陰る様になんとなく唾を意識して嚥下。
「摂理に背いたおこないには、罰が下る。蘇った兄の身体は呪われたわ。身を起こし、彼が目を見開いたとき傍にいた父と目があった―――その、次の瞬間父は叫んだ、恐ろしいものをみたように。尋常でない悲鳴をあげながら、手にした鎌で神主は自分の喉を、切って死んだの」
凍りついた境内、我に返って駆け寄った母が、傍仕えの娘たちが、その恋人だった男たちが長男に近づくたびに。目を合わせる度に、この世のものとは思えない絶叫と共に、自ら命を絶っていった。あるいは殺し合ったのだ。
「それを鬼仔は、『もうこれで誰も、兄上を傷つけること叶わない』と称し笑ったそうよ。そして、自分と同じ『鬼仔』と蔑まれた、病から生還した者達……彼らは、長男を蘇生した光を見た瞬間から、彼に平伏し永久の忠誠を、誓ったの。異能を操り自分達をこんな姿にしたかもしれない少年に、畏怖と畏敬を抱いた。病に蝕まれたときにきっと、魂に『鬼仔』としての自分の創造主に、忠誠を誓うよう刻まれたんだって」
「……」
「兄は言った。『お前は何がしたい』。弟は答えた。『兄上さえいればそれでいい、自分の世界は兄だけだから』。そう言って、弟は兄にそうしたように、雷のような光を元病人たちに落とした。目を焼くような光の柱が消えた時、白い髪が六つの色に染められた。それが、後に言う『貢』―――異能持つ鬼仔たちの、誕生よ」
朱色の男二人には発火能力。橙色の姉弟には土や岩を操り、緑色の父娘は草花を蠢かした。青色の老夫婦は水を湧かし枯らせ、黄色の双子の男児は雷を落とした。藍色の青年と老婆が撒いた霧は死へと至る毒であり―――最後に己の髪と瞳を紫に染めた次男が漆黒へと境内を落とした。
死んでいく村人、その人数が『貢』と同数を越えたころ―――自失していた長男が我に返り、やめろと泣いて叫んで縋ろうとしたけれど、真っ暗な中でなにもできない。なぜ、と自問し自分が弟の処刑をとめなければ、こんなことにならなかったと思い至り絶叫したとき。
「次男の闇を祓う、光と共に一人の少女が異界から現れたの」
「それが、巫女」
そういうと、よくできました、と柚さんは優しく頭を撫でてくれました。
その巫女は背後に光を負ったまま、白い手を長男に、眼鏡をかけた。それはどんな神力があったのか、焼け付くような目の痛みを、人を狂わせる力を封じるものだったらしい。その証拠に目を合せて巫女は長男に微笑んだとされる。
「それから巫女は、虐殺をする『貢』たちに言ったわ。『これ以上殺して、お前たちはどうするつもりだ?』って」
得た異能に酔いしれて、こんな小さな島ひとつ征服したところでたかが十人と少しで、食料も生活する算段も付きやしないだろう?そんな、生活感に満ちたお説教を垂れたと聞いて思わず、吹き出してしまいました。
だって、それまであまりにも凄惨で、重い話が続いたから。
異世界堕ちなんて小説みたいなことに巻き込まれたのが、自分達姉妹だけじゃないって知って、少し安心したから、というのも実はあるけれど。
「ふふ、おかしいでしょ?神器を長男に与えた時は、天使様みたいな眩しさだったのに、お説教に入った途端、所帯じみて。……でも、彼女の言うとおり、労働力がないと生活はままならなかったもの。食事をしないと鬼仔も死ぬし、木の実が自生するままってわけにもいかないしね。それに、当時から今もだけれど、この島は周囲の七つの小島に生える植物を使って、染め物をして布を作ることを生業にしていたから。近隣の大国に輸出して、代わりに生活物資を貰ってね。なおのこと、人手は必要だった。……当時は、突然の乱入者の言葉に、後光に似合わない言葉選びに吹き出して脱力して、『貢』たちは殺人衝動から脱却できたのだから、結果オーライだしね」
それでも、人殺しの罪は消えない。
もちろん、そこまで追い込んだ村人たちの迫害や、神主らの次男に責任を押し付けるやり方にも問題があった。けれど、そこで割り切れないのが、人間である。
「生き残った村人たちは彼等を拒絶した。けれど異能への恐れもきっちり刻まれているから、無碍にもできない。そこで巫女が妥協案として出したのが、七つの小島に能力ごとに『貢』たちを移住させ、外敵から守ってもらうこと。染め物の原料たる花々は、この列島にしか咲かない珍しいものらしくて、結構高く売れるのよ。それを狙って海賊やら来ることが、それまでもたびたびあって、見張りを月ごとに立てていたんだけど、それを聞いた巫女がちょうどいいでしょうって」
『離れて暮らしたいけれど、他国に渡って今後攻め入られる脅威になられても困る。ならば、都合いいでしょう?』
それでも、生活の要たる草木を鬼仔に守らせることを渋るものもいた。そんな者達には巫女が言った。
「『ここで鬼仔と『貢』を殺しても、死んだ人たちは生き返らないのだから―――それでも償いを求めるなら、生きる糧を全身全霊を持って守らせればいい、それで死んだとて、あなたがたのせいじゃないのだから。それに、鬼仔を生んだのは、幽閉された神社の次男を無視し、病から必死になって生還した者達を見捨てたあなたたちなんだから、耐えて見せればいい。糧を託すことを、己が生み出した悪鬼と自身の、罰にすれば。そうすれば、神様も見捨てやしないでしょう』と。事実、彼女の言うままに鬼仔たちを配したその日、取った植物で染めた布は、大国の美姫たちが目の色を変えて取り合うほど極上の織物にしあがったそうよ。それから十年、鬼仔に守られた『織』の国は平和に暮らしていたの……って、あれ」
ず、ず、と啜る音。イエスわたしが鼻を鳴らしてるんです。目からは滂沱の涙、雨霰。だって、よかったって思うもの。あのまま村人と鬼仔の全面戦争になったら、長男さんは罪悪感で死んじゃいそうだし、この島は実は殺伐としたデス・タウンだとしたらね、妹が心配で私も発狂ですよ。それになにせよ、物語はハッピーエンド推奨派ですから、わたし。
あらあら、と言いながら鼻紙をくれた柚さんに一礼。失礼して、チーン。涙もろいんです、国営放送のドキュメント番組でボロ泣きするのをよく妹にからかわれてました。
「落ち着いた?」
「あい……すみません」
「いえいえ」
「でも、よかったです。それで、倖せに成れたんですよね、みんな」
ほ、っとしたままに顔面筋を緩ませ微笑めば、柚さんは紺碧の瞳を困ったように泳がせて、「ごめんなさいね」とのたまいました。
「っえ、」
ま、さ、か。この上まだ、争うというのでしょうか。
歴史の授業で習った、闘争と党葬が連なる歴史。人類は集まれば、戦うことでしか成長できない。異世界に来てまで、そんな世知辛い思いをせねばならないのか、と思わず頭を抱えそうになりました。
「この上なにか、あると……?」
恐る恐る問おうとしたとき、もはや傾ききった夕日の見える縁側、そこからでも米粒程度には視認できる人影数名。なんと。
「あの……柚さん」
「はい」
「この庭、ずーっと草原が続いて海辺まで既望の敷地なんですよね」
「ええ」
「じゃあ、今見える人影二、三人。海から来たってことになりますよね……?」
「そうね」
「あの、しかもあの人たち、なんか尋常じゃないスピードで来てますよね。その、どう見ても火の波に乗っているように、見えるんですけど―――っ」
そうこう話しているうち、わずか三十秒で米粒大の人影はあっさりとわたしの目の前に着地しました。十歩くらい離れた場所に、赤毛の男二人と、気絶した男の子を乗せた……
「火の蛇?」
「御名答、新しい巫女殿」
そう言って、屈強なマッスルボディの岩男が一歩踏み出して跪く。そのくせ不遜な目でニタリ、とこちらを見て笑った。
「はじめまして、火の『貢』が一人、荒尾だ。そっちに控えてるひょろいのが安和。あれでも男なんで、気を付けてやってくれ」
「……黙れ、荒尾」
もう一人の赤毛の男性、こちらはひょろりと背が高いばかりで肉付きはよろしくない上、中世的な顔立ちの安和さんが、荒尾さんをねめつけて制します。陰鬱そうな表情と長い髪に覆われた顔もあり、たしかにちょっと性別間違えそう。なんて、思考にふけっている場合じゃなかった。
「なにかご用ですか?」
「あれ、そこの柚なりこの館の主に、聞いてると思ったんだが……まあいい」
一瞬きょとん、と目を見開いて呆けた顔がちょっとチャーミングな荒尾さんですが、切り替えた表情はどこか獰猛な笑みで。思わず、立ち上がり一歩下がってしまうほど。
「さっさと片付けた方が、後続も楽だろう。巫女殿、悪く思うなよ」
予感は的中、邪悪な笑みのまま荒尾さんは掌をわたしに向け、ごう、と火炎を放ったのです。十歩の距離を秒速で突き抜けるそれに、ああ、死ぬのかとどこかで達観した時のこと。
「抗えと言ったのを忘れたか、小娘」
ドン、と走った右肩への衝撃。それと同時に投げつけられた言葉にいつの間にか閉ざしていた目を見開くと―――。
「え」
しりもちをつくわたし。恐らくわたしを突き飛ばした、さっきまでわたしが立っていた場所に仁王立ちする既望。無表情の彼の顔と、上半身を容赦なく焼き尽くした――――真っ赤な炎。
火の粉をまきちらしながら、拍手のような音を立てて燃え盛る人体に、わたしは意味のない言葉しか紡げない。
「っえ……な、んで?っあ、あ」
喘ぐように数度呟いて、あとは声に成らなかった。