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第三 お風呂とごちそうと、身ばれなう。

男、既望に所謂お姫さま抱っこをされたまま、ギリシア彫刻の建物を移動して別の棟へ移動しました。先程までいたところは全体的に白かったのに対し、たどり着いたそこは朱と黒を基調にしていました。造りはやはり、美麗な彫りのあるそれでしたけれど。

(ゆず)、いるか」

玄関扉を開けるなり呼びつける声に、答える代わりに小走りの足音一人ぶん。ややあって、淡い金髪の美しい女性が姿を現しました。

「おかえりなさいまし……あら?」

90度のお辞儀をして、屋敷の主らしい既望を迎えてから女性は、私を見て目を丸くします。上品に着物の袖で口元を覆いながらのそれは、着ているのが着物なのも相まって平安時代のお姫さまのよう……いえ、髪色的には西洋の令嬢でしょうか?

「こちらは?」

「客だ、もてなしてやれ」

端的に答えた男の顔を見上げ、思わず「はあ?」と声をあげてしまいました。だって彼は私を「飼う」と言い、私自身も奴隷とされる覚悟をもってここに臨んだのですから。

けれど柚と呼ばれた女性が嬉しげに手を叩いて(いつの間にやら)控えていた侍女らしき人たちに指示を出しはじめてようやく、既望が返事をしました。

「俺はまだ仕事があるから戻るが、不都合があればそこの柚に遠慮なく言え」

「はあ……いや、じゃなくて」

返事じゃありませんでしたね。

「あたしは奴隷なんでしょう。なのに、もてなすなんて……っにゃ」

抗議の途中で奇声をあげたのは、不意に地面に下ろされたからで。おぼつかない足はバランスを取れず、あがりがまちに躓いたそのとき……

「あらあら」

ためらいなく、柚さんが私の土で汚れた体を受け止めてくれました。慣れない人の体温と甘い香りに、どきまきしてしまいます。

「って、離してください、汚れちゃいます!」

なにせ下着同然のボロで土蔵に放り込まれ、妹の引き渡し前に男たちに蹴飛ばされたりしたせいで泥遊びした子供に等しい様相です。優美な彼女の着物や白い手が汚されるのは忍びない……けれど。きゅ、となおのこと抱き留める手を強めて、柚さんは微笑みました。それはこちらが二の句を告げない気配を発する、強かなものでした。

「では、夕刻には帰る」

「はい、お任せくださいませ」

再び90度の礼を取る柚さんに手をとられたまま、呆然と彼を見送ります。と、引き戸を締める瞬間眼があって。

背筋に、電流のような痺れが走ります。

そのきれいな月が扉の向こうに消えて間もなく、腰が抜けて私は座り込んでしまいました。

「あらあら」

上品に柚さんに手をとられ立たされ、廊下を案内されます。脳裏には彼の眼。十六夜の、月の眼。

「あの、柚さん」

「柚、で構いませんわ。お客様」

摺り足で板の間を通り、案内されたのは湯殿だった。さきほど私が手をかざした―――先の三人組曰く『泉』―――ものより大きい長方形の、レンガ造りのそれに身ぐるみ剥がれて突き落とされました。

「えいっ」

「んにゃあああああ!?」

どぼん、と水音ひとつ。大した深さがないことで溺れはしませんでしたが、いや、怖いって。

白く光る、入浴剤でも入れているのか光沢とぬめりけのあるお湯というには泥のようか質感の中でばしゃばしゃと、にぎにぎしく柚さんと侍女たちに体を洗われます。純白のお湯は石鹸効果もあるのでしょうか、それだけで体をこすれば泡立ち、汚れを掬って溶けていきます。やがて体をあらかた清めて、侍女たちを下がらせた柚さんはどこからか一輪の花を取り出しました。淡い黄色のそれは彼女の髪色に似た、水仙でした。それを、ためらいなく握り潰し、粉を私の髪に撒き始めました。

「あ、あの柚さん……!?」

「あら、『花鹸(かけん)』はお嫌い?」

「……カケン?」

お互いに首を傾げ、ややあってから

仙花(せんか)の擂り身は、髪を清めるのに一般的な薬品、です。潤いや艶を保つ作用もあり……」

ご存じないですか?と尋ねる顔は稚気を孕んだ可愛らしさで、思わず素直に頷いてしまいます。

「では、お客様は異国の方なのですね……」

異国、というより異世界です。

もちろん、そんなことは言えないので口をつぐんで曖昧に微笑んでいますと、思案げだった柚さんがややあって、

「ひとまず、御髪(おぐし)を清めましょう。慣れない習慣でしょうが、ご勘弁くださいませね」

英断です。『慣れない習慣』をあっさり受け入れられるのは、彼女の潔さと丁寧かつ迅速な手腕もあるのでしょう。侍女としても有能なんですね、憧れます。

「―――というか、柚さんは。既望さんの奥さん、なんですか?」

柚、でいいですのに。

苦笑をひとつこぼしてから、柚さんは緩く首を振ります。

「わたくしは、(あるじ)様にお仕えする身。奥方様など、名乗るだけでも不遜の限りです」

水仙……仙花の粉が、髪の泥や汚れを細かい泡に含んで流れ落ち、終いとばかりに柚さんが手を打てば、ふわりと甘酸っぱい薫りに包まれました。

シャボン玉のように汚れを落とした泡が宙を舞い、白い泥湯の中や排水溝に吸い込まれていくのをうろんに見つめながら、問います。

「あたしは、既望さんに買われたんです。奴隷として」

ふわふわ、泡みたいに私も飛んでいきたい。妹が、心配ですし。

「だから、こんなに優しくしていただく所以は、ないんですよ」

泥湯に口まで沈めて、自嘲の言葉を濁せば柚さんは何も答えません。ただ黙って、白い布で私の髪を拭います。

「……お客様、わたくし、嘘を吐きました」

突然の告白に、真意を図りかね首をかしげれば、秘め事のように柚さんは

「わたくし、主様と契約を交わした精霊なのです。人間では、ないのですよ」

吐息がかかり、彼女の金髪が私の頬をくすぐりました。

「だから、一緒です」

「い、っしょ?」

「ええ。お仕えする立場、という点でも。その鎖の強固さも」

だから、と身をはなし、湯船の端に身を寄せてこちらの双貌を覗き込まれて。息がつまるというよりは、得体の知れないものが近付く―――彼女の自己申告に従えば、本当に正体の知れぬ生物ではありますが―――畏怖。水が染み込むようなそれに身構え、けれどその美しさに眼を閉ざすことは叶わず、身構える私に彼女は呟きました。

「あなたの傷付いた心を、癒すことは私の役目ではないから。せめて寄り添っても、いいかしら」

「……え」

聞き返せばすでに柚さんは、身を離して湯殿の入口へ。

「さあ、湯冷めしないうちに」

とせかされれば強くは出れず、外に出ました。

真っ白な柔らかい布にくるまれ、体を拭かれてすぐに着替えさせられます。真っ赤な一重に白い(かさね)、鮮やかなそれは手触りから高級なことが分かるので萎縮してしまいます。が、例の有無を言わさぬ調子で柚さんが支度をしてくださいました。鏡台の前、良い花の香りがする化粧水を塗りたくられてから、人生初の化粧に挑戦。昨今の女子大生には珍しいスッピン勢だったのですよ、私。

とはいっても、白粉とうっすら紅をひかれた程度で厚化粧というわけでもなく……いわゆるナチュラルメイクというやつです。そうすればまあ、なんということでしょう、地味で平凡だった顔立ちが一瞬にして―――

「馬子にも衣装」

「卑下はよろしくなくてよ」

ずびし、とわりかし痛い言葉の突っ込み。そりゃ、まあ、奇麗だと思いましたけどもさ。奇麗なのは化粧と柚さんの手腕で、素材わたしは関係ないでしょう、この場合。

そんな私の内心などお構いなしに、髪飾りやら挿し花やら選ばれて、どこぞの平安時代の子女がごとく飾り立てられました。

「だから、あたし、奴隷なんですってば」

「あら、奴隷が着飾ってはいけないなんて法、ありませんわ」

なら、その逆もまた然りでしょう。

言い返したい私を余所に、ずんずん奥座敷に案内されて、地下牢にでも入れられるのかと思いきや。

「……宴会場?」

と見まごうような、お座敷に連れてこられました。御馳走が膳に並べられ、たくさんの侍女さんたちはそろって壁の花。私を無理やり膳の前に座らせた柚さんもそこに習おうとするから、つい袖を掴んで引き留めてしまいました。

「ちょお、なんですかこれ!?」

「見ての通り、ごはんですよ」

「奴隷に出すものじゃ、ないでしょっ」

抗議を重ねれば、溜め息のあとから柚さんはこちらに目を合わせるようかがんで、言います。

「いいこと、先刻も申し上げましたが、わたくしは主様と契約で結ばれています。人間同士の口約束や書面でのそれ以上に、この鎖は強固なのです。何の気なしにでも彼がわたくしに『死ね』と言えば、自害してしまうような」

ぞ、と背筋が泡立ったのは、その言葉の重さに反し、彼女の態度は子供に諫言を言い含めるそれからぶれないからか。あるいは、『死ね』という耳馴染みのある命令にか。

「……つまり、あのひとがあたしを『世話しろ』と言った以上、それに反した行動はできない、と?」

「察しがいいわね」

いい子、いい子と頭を撫でられてしまいました。

居心地の悪さからつい、目をそらしてしまいます。母性には、慣れていないのです。

「さ、御飯にしましょう」

言って、屈めていた腰を伸ばす彼女、そのまま壁際の花に加わるかと思いきや隣りに腰を下ろしました。

「ひとりの食事は、味気ないですものね」

優しい笑みに、じわりと胸裏で何かが、あたたかく染みる音が聞こえました。


ごちそうを平らげ(色々あって忘れてましたけど、私きのうの朝から何も食べてなかったんですよ)、柚さんに差し出された花の香りのする茶をのみつつ、縁側で一息つきます。

リラックスした脳みそが考えるのはやはり妹のこと。男大勢に囲まれて彼女は無事なのでしょうか……まあ、大丈夫だとは思いますが。彼等は巫女いもうとを崇めていました。よほどの馬鹿でなければ手は出さないでしょう。なんとなく、大のおとな五人が呆けた小娘相手にオロオロする様を想像して、苦笑しました。

「あら、はじめて笑いましたね」

なんて言われて、つい赤面。

そんな仏頂面だったかしら。

自分の頬をつねっていると、微笑ましいと慈愛に満ちた目で見られ赤面です。

「あ、あのっ」

「はい?」

「あたしの妹も、このせか……ここに、一緒に来て。色々会って、妹は『巫女』って存在らしく、連れて行かれちゃったんですけれど。『巫女』って、なんなんですか?」

「―――……」

はっ、と息をついて目を見開いて、私を見る柚さん、その透明な青い目はビスクドールを彷彿とさせます。

「あなた、は。異界の、人間?」

なぜばれた。

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