第一 異世界トリップ、妹と。
おなかすいた、寒い、暗い。
うずまく不満は飲み込んで、膝を抱えて身を縮めた。
―なんで、こんなことに?
遠野水仔、20歳。大学二年生……ただし、ほとんど通っていない。
ひきこもりです、ニートです。時代の最先端の病におかされてます。
で、そんな私には妹がいます。火織っていうんですけどね。
同じ親の血をひいているとは思えないほどまあ、美人でして。毎日のように告白されたりラブレター受け取ったり、おまけに頭もいい。
天は二物を与えないって嘘ですよね。美人で頭もいい妹の出がらしみたいな自分を見つつ、つくづくそう思います。いや順序逆ですけど。ちなみに妹の年齢は15歳、この春から花の高校生です。
その妹とね、穏やかに自室でお話ししていたら突然、地震が起きまして。
「おねえちゃん、あぶない!」
って私の頭を抱えて庇うんですよ、逆でしょうに。
床に亀裂が走って、二階だものでそのまま一階に落下、かと思いきやなかなか着地しない。
落ちて、落ちて、落ちて……兎を追いかけて穴から落ちていくアリスみたいと現実逃避していました。
やがて重力に振り落とされたのは自室の四畳半ではなくて、木々を掻い潜り堅くごつごつした地面。
顔から落ちたので砂とか草が口に入って大変でした、妹は私にうまいこと乗ってくれて助かりましたけれど。
クッションくらいの価値は私にもあるのか、と感動。
しかし、そうそう感動もしていられません。
なにせ大きな揺れでしたもの。床が割れるほどって、震源地はまず自分たちの住む地域から近いでしょうし。
出張中でほとんど家にいない両親の安否も気になります。
「っていうかここどこよ」
「ここが何処かも知らずに入ったか、物を知らぬ鼠め」
妹の鈴をふるような声とは大違いの、冷たく低い声が背中を刺しました。
振り返れば妹の蒼白な顔、その首元には鈍く光る長細い刃……って私の背中にもつきつけられてますね。
先ほどの寒気は物理的な理由か。
気付けば藪の中、江戸時代の侍めいた格好の男達数名に囲まれておりました。
で、あれよあれよという間に投獄、みぐるみはがされ今に至ります。
「ごめんね、火織……あたしがもっとしっかりしてれば、あんただけでも逃がせたのに」
何度目か分からない後悔を口にすれば、妹は気丈にも頬をふくらませ、
「もう、何度も言わせないで、おねえちゃん。なんでこんなことになったのか分からないけど、見ず知らずの場所で一人逃げ出せても意味ないよ。檻の中でも、ごはんがもらえなくても、おねえちゃんと一緒のほうがずっといいよ」
と叱ってくれます。できた妹ですよ、ほんとに。
「それより、状況を整理してこれからのことを考えよう」
「うん」
「まず……おねえちゃんの部屋で地震にあって、床が抜けて地面に衝突するまでブランクがあったよね。落下のショックで体感速度が狂ったからかと思ったけれど……この状況に関係あるのかな」
「関係あるって?」
「たとえば、地面に落ちた時ふたりとも頭を強打して、実は今昏睡している夢の中だとか」
「……」
無言で妹の頬をつねってみます。
「ういっひゃい!」
「よし、夢じゃない」
「確認するなら自分でしてよお……」
すまん、妹。愛ゆえだ。
けれど、
「いでっ」
「あはは、自分でつねるのにも手加減なし?」
「加減しそこねた……」
赤くなった頬を互いに撫でて、小さく笑います。
……あるいは、すでに地震で崩れた建物に下敷きにされて、あたしたち死んでるとか……?
なんて、縁起でもないことが浮かんだのを戒めるためつねったことは、内緒です。
「じゃあ、視点をかえてこれからのことを考えようか」
「……脱走?」
錆びついた柵と洞窟の、原始的な牢獄の外には門番どころか猫一匹いません。
「つっても、鍵かかってるだろうし……」
がちゃ
「……おねえちゃん?」
「……あきました」
セキュリティとは、と虚空に問いたくなります。
とはいえ、好機であることには違いない。
脱出するなら、今でしょ!と古いネタを口の中で転がしました。
「どうする、いっちゃう?」
振り返って問えば、妹も呆けているようで。
あるいは、考えあぐねているのか……まあ、刀をつきつけられたときの恐怖を考えれば、ためらいもしますわな。
しかたない、姉が一肌脱ぎましょう。
「とりあえず、様子を見てくるよ。脱出するにも情報が足りないしね」
「え、危ないよっ」
「だいじょぶだいじょぶ。危なくなったら逃げてくるし、そもそもあいつらがあたしたちを殺すつもりなら、見つけた時にそうしてるよ」
なのにこうして生け捕りにして、半日以上拘留しているということは何か生かしておきたい理由があるはずです。
それなら、多少の罰則覚悟で外に出る勇気を出すべきでしょう。
勿論それを愛妹に強要するつもりはないので、強がって微笑んでみます。
「おねえちゃんに、まっかせなさい!」
尚も心配の声を上げる妹に手を振り、檻の扉を開ければギイ、と錆びついた音に驚きましたが、見張り等が駆けてくるようなこともありません。
そのまま四つん這いで檻の外に出て、土の床に立ち上がりました。
履いていたスリッパも靴下も盗られたので、裸足の足に土蔵は少々冷えます。着せられた袖なしの襤褸に包まれた体をこすりつつ、大きな石造りの扉を押し開けました。
基本的に白い大理石らしき素材で作られた建物は、世界史の教科書に出てきたアレに似ています、そう。
「和装なのに、ギリシア神殿かっ」
行きは内心だけで突っ込んでいたそれを、ようやく声に出せたのですっきり。
淡いオレンジ色の明かりに照らされた地面も壁も天井も、丹念な彫刻の彫られた純白の石造りです。
ぺたぺたと間抜けな足音を立てながら長い廊下を歩き、突きあたりへ行くとひと際大きな扉がありました。
出口か宝物庫を想定してしまうのは、ゲームのやりすぎでしょうか。
習慣からノックをしようとして、やはりやめて前置きなく門戸開放すれば―――誰もいませんでした。
家具もないその部屋には一つ、空っぽの穴がありました。
穴といっても四角で、整然と整えられた石で囲われた、どちらかと言えば浴槽を彷彿とさせるもの。
「一般家庭の風呂より大きい、小さめの温泉くらいかしら」
ひとりごち、なんとなくその虚に手を伸ばした、その時。
炭酸ジュース入りの缶のプルを開けたときのような、小気味よい音と同時に水が一筋ふきだしたではありませんか。
徐々に穴を満たしつつ、容赦なく自身の手を濡らすそれに、「センサー?」と呆け後退すれば、いつの間にか背後に男がひとり。
私達を捕えた男達と同じ、石造の建物にそぐわない袴姿。腰には刀……その柄を取る手が、得物を引き抜こうと動き思わず顔を右手で庇ってしまいました。
むちのようにしなりをつけて、男は私の腕を蹴り上げました。走る痛みに顔をしかめれば、鼻で笑うでもなく「牢に戻れ」と指差されてしまい、己の足で檻にはいるという……若干屈辱的な結末を迎えた、私の脱走劇でしたとさ。