見ること、見えること
とくり、とくり、とくり。
緩やかに、命の流れる音がする。
(もうそろそろかな。…て、さっきも思った気がするけど。)
丈夫な所だけが取り柄、というのが自他共に認める自分の長所だが、その長所は重症を負った今も見事に発揮されているらしい。血が止まる気配はないのに、不思議と意識ははっきりとしていて、今までになく澄んでさえいる。今なら高い天井に描かれている花びらの枚数すら数えられそうだ。
…それはともかく。頭が冷静になるにつれ、非常に気になり始めている事がある。
(さっきから、すっげー視線感じるんですけど…?!)
身体を動かせる状態ではないため、本当に見られているのかは確かめようもないが、存在感のありすぎるその気配は、恐らく気のせいではない。一言も発する事なく、ただただ向けられる視線は非常に不気味である。
…それが自分を瀕死に陥らせた相手なのだから、なおさら。
(一体何のつもりだ?もーこの際、聞いちゃおっかなー。)
一つ息を吐き出して、自問自答してみる。
…結論。聞いて怒りを買おうと、聞かずに終わろうと、向かう結末は同じだ。なら、多少無茶したっていいだろう。
「あのーすんません。ちょっと聞いてもいいっすか?」
もし体を動かせたなら、小さく手を挙げているような、最大限謙虚な声で話しかけてみる。
すると、一瞬の間をおいて、視線の主が少し驚いた様子で身じろぐ気配がした。
「………まだ話す力が残っていたのか……。」
足を向けた先の方向から、淡々としながらも、耳通りの良い、落ち着いた声が聞こえてくる。
そう言えば、視線の主は自分とあまり歳の変わらなそうな青年姿だったなぁ、と思い出す。ちょっと暗そうな影を背負っていたが、なかなか、というか、かなりのイケメンだった。間違いない。
その姿を見た瞬間、『お前もイケメンかよ!』と第一声を発したのは、誰であろう、この俺だ。美男美女の仲間の中、一人平凡な顔立ちだった俺には色々と、色々と、それはもうイロイロと、思う所があったのだ。
俺の攻撃に少しの私情が混じってしまったのは無理のない事と、ぜひご理解頂きたい。
「いやぁ、丈夫さだけが俺の取り柄なんで。ははは…っていだだだっ!」
「…無理をするな。そんな状態で質問とやらをするつもりか?」
愛想笑いで自爆していたら、呆れたような声が返ってくる。
(無理するな、って…。)
さっきまで死闘を繰り広げていた相手に対する言葉としては、なかなか変わっている。
その上、俺がまだ話せる状態だと分かっても動く気配もない。
単に瀕死の俺になど興味がないだけかもしれないが、それならそれで一層、見られている意味が分からない。本当、何がしたいんだろうか。
「ご心配をどうも。まぁ、こんな状態なんで。最期に気になる事は解決しときたいなーと思いまして。ダメっすかね?」
「……変わった人間だな。残り僅かなお前の時間だ。自由に使えばいい。」
(今度は自由に使え、ときたか。)
口調は硬いが、言ってる事だけ抜き出したら普通に親切な青年みたいだ。…容赦無い攻撃をしてきた姿とのギャップに、どうにも調子が狂う。
「えーと…寛大なお心遣いをどーも。それじゃ、早速。」
ひとつ咳払いをして本題に入る。何であれ、耳を傾けてくれると言っているのだ。せっかくの好意、ありがたく受け取っておこう。余計な事を考えていられるほど、俺に残されている時間は長くはない…はずだ。
「何で、さっきから俺の事ずっと見てるんすか?」
「……この地まで来て、最期にする質問がそれなのか。」
思いきって聞いたのに。ガッカリしたとでも言いたげな口調でそんな事を言われる。理不尽な。
「いや、だって、気になるもんすよ?寝るに寝付けないというか。
ここまで辿り着いた他の方々が、あんたに何を質問してきたかは知らないっすけど。俺は簡単に言えば使い捨てってやつなんで。国やら何やらの難しい事はよく分からん、つーか興味ないんで。自分の疑問さえ解けりゃそれでいいんすよ。」
「使い捨て?それでお前は、ここに一人残されたのか?」
「いやいや、あれは逃がした、つーんですよ。俺超カッコ良かったでしょーが。まぁ、いざとなったら見捨ててもいいって前提は、少なからずあったでしょーけど。」
そんな事は、日常茶飯事で。今更くってかかるのもアホらしい。そもそも、俺とあの人方じゃ、背負っているものが全然違う。
あの人方を生きて帰す事が俺の役割で、生きて帰る事があの人方の役割だったから。
例え足止めに残されたって、それはそれで仕方がない事なのだ。
---時折、胸やけのような吐き気が身体中を巡ったとしても。誰一人、その感情の正当性を認める者はいない。そういう、仕方のない事なのだ。
「あれ?何で俺の方が質問に応えてるんすか。逆、逆!早くしないと俺死んじゃう!!」
そう抗議の声を上げれば、深く息を吐き出すような音がした。
何ですか。ため息ですか。こう見えて俺だって結構必死なんですけど?!頭はぼんやりしてきたし。呼吸も難しくなってきたし?俺の全気力を総動員して懸命に質問しているというのに。何という仕打ち。イケメンめ!まだもったいぶるようなら、このまま意識飛ばしてやるからな!誰も聞き手がいないのに語っちゃうという恥をかくがいい!!けけけ…げふっ!
…あー…本当もう、だめかも…?
「…自らの手で絶った命の終わりを見届ける事。それが、命を奪う者の責務であると思っているからだ。」
静かでありながら、偽りのない、真っ直ぐな意思の籠った声が耳に響く。その声に釣られるように、俺の薄れかけていた意識が浮上した。
「…自分を、殺そうとした相手でも?」
無意識に、そんな問いが口から流れ出る。それも、自分でも驚くほどの、弱々しい声で。
「関係ない。命は命だ。相手が誰であれ、何であれ、命の価値は変わるものではない。」
その返答は、至極当然の事のように言い切る、力強いもので。
---自然と口角が上がったのが、自分でも分かった。
(やっぱりあんたの方が、変わってる。)
よりにもよって、自分を死に至らせる相手に、俺の命にも価値があると言われるなんて。
---ずっと欲していた言葉を、最期の最期に聞く事になるなんて。全く以て可笑しくて、悲しくて、喜ばしくて、笑えてくる。
「…何故笑う?」
「いや、あんまりにも、あんたの印象が俺の聞いた話と違うなぁ、と思いまして。」
「話?」
笑いを収め、一呼吸して身体の状態を確かめる。ひどい寒気に、身体中が震えているのが分かる。時間切れはもう目前に迫っているらしい。…それなら。
残りの時間を、思わぬ餞の言葉をくれたこの御仁のために費やすのも悪くはないだろう。返礼とするには、あまりにもささやかすぎるけれど。せめて今できる、最大限の事で返したい。
俺は目を閉じ、話す事だけに意識を集中した。
「そ。俺達の国じゃ、あんたは残虐非道の支配者で、支配された街や村は雑草一本育たない荒れ地になってるって言われてるんすよ。」
だから討伐しなくてはいけない。人々の、幸福で豊かな未来のために。…それを、誰が言っていたのかは忘れてしまったけれど。そんな話を聞いたから、俺はここへ来た。人々を救うなんて、大義名分が理由ではなくて。ただ単純に、今よりマシな生活が送れたらいいと、そう思ったから。
「…そうか。」
ため息のような、小さな呟きが耳を掠める。
それはとても、短い一言だったけれど。
その一言に込められた響きは、よく聞き慣れた音で。
(…同じ、だったんだな。)
何故この御仁が暗い影を背負っていたのか、分かった気がした。
「1つ質問っすけど、あんた、この土地では、『何にもしてない』んじゃないっすか?」
「…。」
返答は、沈黙。
それを肯定と取る。恐らく、間違ってはいないはずだ。積極的に残虐な支配に打って出るような輩が、いちいち人の命を気にかけるはずもない。おまけに、人の噂話に対して、初耳のようなあの返答。この土地のすぐ近くの村でさえ、同じ話が上がっていた。少し情報を仕入れようとすれば、この程度の話、簡単に手に入ったはずだ。
この御仁は本当に、『何もしていない』のだ。
行動を起こす事も、知ろうとする事も、何一つ。
「何もしない、ってのは何をするのも許す、って事と同じだと思うんすよね。あんたは、あんたが閉じ籠ってるこの場所の外で、何が起こっているのか知らないんじゃないっすか?」
「どういう意味だ…?」
興味深そうに身を乗り出す気配がする。
俺は一つ息を吸い込み、ありったけの力をこめて拳を握る。
ここで意識を失うわけにはいかない。
絶対に、伝えなくてはならない事がある。この御仁は、これからも、この世界で生きていかなくてはならないのだから。
「例えば、あんたが支配してるって言われてるこの土地の事。どんな地形になってて、人がどんな暮らしをしてるか、知ってるっすか?」
「…お前が言っていた様に、大した実りもなく、僅かな人間が細々と暮らしている土地だ。」
「残念。表面的にはそうっすけど、実際はそんなかわいいもんじゃないっすよ。」
この土地に足を踏み入れて感じた違和感。
ここには、とんでもないカラクリが隠されている。この「残虐非道の王」さえも利用した、呆れるほどに強かで、愉快なカラクリが。
「どういう…」
「それと」
先ほどと同じ言葉が繰り返される前に、言葉を続ける。一つ一つの質問に答えていられる余裕はない。
そもそも、ここであっさり俺が答えを告げては、気力を振り絞ってまで話している意味がないのだ。
「あんたの部下達がどんな思いであんたを守っているか、知ってるっすか?」
絶対に先へは行かせない、とばかりに立ちはだかってきた敵達は強く、しぶとくて。これまで遭遇してきた、本能に従うまま攻撃する敵とは、一撃の重みがまるで違っていた。
決定的だったのは、俺達が敵にトドメを刺す寸前までいった時。突然、空間を割るようにして現れた扉の中へ俺達が吸い込まれた時、傷だらけの身体に構う事なく、必死の形相で敵は俺達を引き戻そうとしていた。彼らの主の名を必死に叫びながら。
そうしてたどり着いた先にはまた大きな扉があって。それを開いた先にはこの御仁がいて。
---誰が、何を守ろうとしていたのか、今なら限りなく正解に近い答えを出せる自信がある。
「…あんたの目には、どんな風にあんたの生きる世界が見えているのかは分からないっすけど。"見える事"と、"見る事"は違うんすよ。ここに閉じ籠って見えるものだけで、全部を結論づけるなんて、もったいないんじゃないっすかね。」
"見る"とは相手を知ろうと行動する事だ。視野に入った対象を認識するだけの"見える"事とは全く違う。
この御仁に---残虐非道と恐れられるほどに強大な力を持ながら、自分を殺しにきた敵1人の命さえ尊ぶ心優しい支配者に、何があって、閉じ籠るようになってしまったのか、俺には知りようもない。
でも、今のままでいいとは思えない。
元凶に対し、思うような事ではないかもしれないけれど。---この御仁なら、『今よりマシな生活』を、叶えてくれる気がするから。
嘆き悲しむ声を聞く事や血が流れる事が日常のこの世界で。当たり前のように笑い合い、真っ直ぐに忠誠を捧げられる場所を築く事のできる力を持っているのだから。
ただ目に映るだけの現実を見て、その本質を知りもしない内に、この世界を見放さないで欲しい。
息苦しくて、窮屈な世界だけど。
たった一言に救われて、この世界も悪くはないと思えたように。
自分次第で世界の見え方なんていくらでも変えてゆけるのだから。
俺のように、『仕方ない』なんて言葉で、納得したふりをして、諦めるような生き方を、しないで欲しい。
「俺にもうちょっと余裕があれば、あんたをこっから引っ張り出して、とことんそれを教えてやったのになぁ…」
思わず言葉がこぼれ落ちる。
見てみたかった。この御仁が全てを知り、作り出す世界を。俺が諦めた先にあった、その世界の姿を。この目で、見てみたかった。
「随分と、知った風な口を聞く。お前と私とで、見えているものに何の違いがあるというんだ。」
随分と近くで声がする。
重い瞼を無理矢理上げてみれば、俺を見下ろす、秀麗な顔が目に入ってきた。
「…間近でみるイケメンは精神的ダメージが半端ない。ちょ、顔面一発殴らせろ?」
気力体力精神力、全部尽きているハズなのに、謎のエネルギーが腹の底から湧きあがる気配がする。うむ。一発くらいならいける気がする。
「また意味のわからない事を…」
イケメン様が僅かに後退りする。ちっ。思わず目がギラついてしまった事は謝ろう。だからもっと近寄れ。数日顔の形変えるだけで勘弁するから。
そんな願いが効いたのか。イケメン様は一つ息を吐くと、俺の横に膝をついた。
「え…本当にいいんすか?」
「何がだ。……少し、気が変わった。信じがたいが、お前の命が尽きるにはまだ時間がかかるようだ。いい加減、見ているのも飽きた。」
その言葉に、サッと全身に緊張が走る。とっくに覚悟していたつもりだったが、やはりこれから息の音を止められるのだと思うと、良い気はしない。
瞬きも忘れて目を見開き固まる俺の前で、戦闘中に負傷したのか、赤黒く染まった手の平が俺の胸の傷口へとゆっくり下ろされる。そして---
「いだーーーっ!!」
思いっきり、体重をかけられた。
痛い痛いいーたーいー!!!確かにこの痛みで死ぬかもしれん。でも何これ。地味すぎる!!もっとこう、あるじゃん?!剣でズバーとか、魔法でズドーンとか!片膝ついてまでわざわざこんな地味な攻撃仕掛けなくったって?色々あるじゃん?!!嫌がらせかよ!!
「我慢しろ。私の血がお前の身体に巡れば直に楽になる。」
「あ、毒殺?それも地味ー!」
「私の血が毒だというのか?失礼な。お前の傷口を塞ぐために流しこんでいるというのに。」
傷口を抉る死の重力を緩める事なく、流麗な眉を僅かにしかめながら イケメン様が何かを言ってくる。…ん?
「傷口を塞ぐ…?」
「私の血は肉体の損傷修復機能を促進する。他人の身体では多少効果は落ちるが、ある程度傷が塞がり、造血も促すはずだ。」
「…そりゃ、ありがたいんすけど…何で、そんな事…」
「気が変わったと言っただろう。…お前は、見えているものだけで結論をつけるなと言った。なら、示してみろ。お前が見ているものと、私に見えているもので、何の違いがあるのかを。」
真っ直ぐな視線が俺を捕らえる。
吸い込まれそうなほど深い黒色の瞳は不安定に揺れているけれど。
無機質だった視線を思えば、感情の籠ったその目は、よっぽど上等だ。
傷みも忘れ、思わず頬が緩む。
この御仁は気づいているだろうか?俺の横に並び、治療を施す事こそが、"見る"という事であり、その効果なのだと。
ただ見ていただけだったのなら、俺達の間には敵同士という関係しか、成り立たなかっただろう。
多分こうして、変わっていくのだ。
この御仁が自身を取り巻く世界の本当の姿を見ようとするほどに。
そして周囲もまた、この御仁を理解しようとするほどに。
互いが互いの先入観を捨てて見る事で、世界は変わっていくのだ。
俺も、御仁も諦めた先にある、今よりマシな世界へと。
「…何をニヤついているんだ、気持ち悪い。言っておくが、私はこの地以外のいくつもの土地を巡り、多くのものを見てきた。今更、お前に教えられるものがあるなど思ってはいない。むしろ、お前が見ているものこそ幻想だという事を示してやる。覚悟しておけ。」
「引きこもりさんが何言ってるんすか。世の中は刻々と変化してんすよ。昔の情報なんか当てになんないっす。現実を見ろ、つーんです。」
「…本当失礼な奴だな。そんなふざけた名前で呼ばれたのは初めてだ。」
「何言ってんすか。外でのあんたのイロイロな呼ばれ方はこんなもんじゃないっすよ。…あ、そーいや、自己紹介してないっすね。」
「イロイロって何だ…。お前の名は知ってる。仲間に"ケンド"と呼ばれていただろう。」
断言するように口にした俺の呼び名に思わず目が丸くなる。
この御仁、本気で言っているんだろうか。確かに間違いではないのだが…。
固まった俺を訝しげに見てくる視線とぶつかる。オーケー、了解。本気だ。
「ぶっ……!あっはっはっは!"ケンド"が名前って…!どんだけ世間知らずだよ!それで今更俺に教わる事などない、って?ぶっ…!よく言うよ!!」
「…おい、コラ。」
刺し殺さんばかりの冷たい視線がビシビシつき刺さってくる。しかし、ツボに入った笑いはなかなか止まらない。傷を塞いでもらっていて良かった。そうじゃなきゃ、文字通り笑い死にしている所だ。
「いや、すんません。考えてみりゃ、あんたに、俺達人間の身分わけなんて関係ないっすよね。」
自分と部下の立場の差さえ、曖昧にしているのだから。敵がどれだけ大層な称号を持っていようと、卑しい奴隷であろうと。この御仁の前では誰もが等しく、価値ある命を持った者なのだ。
それは、とても、とても、得難い視野だ。
今、世界中で繰り広げられている泥沼のような争いを覆すほどに、重要な。
俺の視界に立ちはだかる、"身分"という仕切り幕を取り払った先で、何が見えるのか。どんな世界が広がっているのか。いつか、見れたらいい。
「"剣奴"は俺の身分に対する呼称っすよ。あんたとおんなじようにね。---『辺境の魔王』さん」
とんでもない片田舎の辺境に引きこもる魔王さんと、世界の本当の姿を見せ合いながら。
Fin