潜入 【七】
――レイナ班――
ケンたちが一段落ついた頃、レイナたちは相変わらず、ユーファングに追われていた。……訂正しよう。正しくはマック一人がユーファングに追い回され、レイナはその様子を物陰から覗いていた。
レイナはちょうど先ほどかかってきた通信を取るために囮役をマック一人に任したのだった。
「そうそっちは片付いたのね。…分かったわ、こっちは大丈夫だからアルたちは先にポイントに向かって」
通信を終えたレイナは先ほどアルマンに自信満々に大丈夫と言い切った時とは打って変わって、深くため息をついた。どうやら内心では彼に余計な心配をかけたくなかったため無理をしていたようだ。
「っということだから二人とも急いでこいつを何とかするわよ。レオンあとどれくらいかかりそう?」
『…はぁ、はぁ……、あと…二、三分待ってください……。それまでは何とか持ちこたえてください…』
通信から伝って聞こえるレオンの声は彼の疲労が極限まで来ていることを明示していた。だがレイナはあえて彼に余計な言葉をかけないようにした。確かにレオンはまだ十代の子供であるが列記とした軍人である。軍人である以上、彼は十代にして自らの命を国に捧げることになる。ここで彼に大丈夫、と声をかけることは軍人である彼を侮辱することになるのだ。
「分かったわ、レオン。ワタシたちのことは気にせず、詠唱に専念しなさい。っということだからがんばるわよ、マック!」
『それならそんなとこに隠れてないでこっちを手伝ってっ…ぬおおおおおおおっ!』
レイナが物陰から顔を出すとマックが大柄な体格に似合わず、ユーファングの攻撃を機敏に回避している姿が目に映った。
右から左へ、左から前へ、前から右斜め前…と見せかけて左へ。その絶妙な回避テクニックを披露するマックであったがその表情はこれっぽっちも余裕が見えない。むしろ、鬼の形相のような顔で自分の体にムチを打っているようだ。
「ほれ、どうした。そんなんじゃ踏み潰されるぞ!」
「くそ、てめえ絶対〜にぶっ殺す! 何が何でもだこんちくしょう〜! いいか、見てろ! 俺様の根性見せてやる〜!」
ユーファングの搭乗者に弄ばれていることに当等堪忍袋の尾が切れたマックはいったいどこにそのような余力が残っていたのか、肉体の限界を超えて急加速した。
「なっ、加速しただと〜!? あいついったいどこにそんな体力が? ええい、ふざけたやつめ! ―――っ!! 何だ!?」
目の前で起きたマックのガッツある行動に意識を持っていかれていた敵兵はいつのまに後ろに立っていたのか、レイナから不意の一発を食らってしまった。
実際は機体にダメージを与えたわけではないので意味はないのだが不適に笑う彼女の表情に敵搭乗者は一種の恐怖を感じた。
相手はこちらに決定的なダメージを与えることは出来ない。そのうえ生身である。どう考えても向こうに勝機はないはずである。そのことはユーファングの搭乗者もよく分かっていたはずである。だが、今目の前にいる女兵士は機動戦車を目の前にしても恐怖に支配されることはなく、直立して狙撃銃を構え、その銃口をこちらに向け動こうとしない。モニター越しから見えるその彼女の眼は完全に獲物を狙う狩人の目であり、敵兵は一瞬、蛇に睨まれて動けなくなった小動物のような感覚に陥ってしまった。
「っち、ちょこざいことを。そんなことをしてもこのユーファングに傷一つ付けられるものか!」
どこからともなくあふれ出す焦りによって搭乗者に先ほどまで存在した余裕はどこにもなく、いち早くこの恐怖を生み出すレイナを始末するため一心不乱に彼女にアームの矛先をぶつけた。
だが何度攻撃しても彼女に攻撃は当たらない。アームの矛先が彼女に当たる前に一足早く彼女がふわりと回避してしまうのだ。敵兵はますます彼女の恐怖に飲み込まれていた。
「ダメージを与えられなくても感情的になった人間の動きを読むことなんて造作もないことよ。そんな単調な攻撃でワタシを仕留めようなんて百年早いわ!」
レイナの言葉に余計に焦りを感じた搭乗者は搭載されている全弾丸を彼女に放とうとした。
突如、またしても背後から強い衝撃が彼を襲った。何事かとユーファングの機体ごと振り返るとそこには先ほどまで自分が弄んでいた大男が背中に背負っていたガトリング砲をこちらに向けているではないか。
「てめえ、姐さんを仕留めようなんざ良い度胸してんじゃねぇ〜か! だがな、例え御天と様が許そうが、神獣様が許そうが、この俺様がいるかぎり姐さんには指一本触れさせやぁしねえ〜!」
ここぞとばかりに決めるマック。一見冷静に見ればその姿は単なるバカでしかないのだが、敵兵は完全に彼の迫力に押されていた。
そんなマックに半ば呆れながらもどこか関心を覚えたレイナは敵兵に気づかれないように彼にハンドサインを送った。
サインを受け取ったマックは了解の意味のアイコンタクトを送るとすぐさまユーファングの股をくぐりぬけ彼女のほうへと回った。そして一斉にユーファングに向けて砲撃すると残りの余力で敵兵に背を向ける形で駆け出した。
砲撃の衝撃でわれに返った搭乗者はすぐさま機体の向きを転回させるとレイナたちの追跡を開始した。まさかそれが陽動であるなどとはその時の彼は微塵も思っていなかった。
レイナたちがレオンの下へユーファングを誘導していた時、銀眼の青年は方膝を地面につけ、崩れ落ちていた。
「…はぁ、はぁ……。やっと結界詠唱を詠み終えた…。あとは…降臨詠唱を詠むだけ…―――っ! ぐっ…、こんな…ところで……倒れてなるものか…。僕のために……囮になってくれている…副隊長や、マックのためにも……僕は…やらなくちゃいけないんだ…」
必死に上体を起こし立ち上がったレオンは最後の力を振り絞り意識を集中させた。結界詠唱を終えた彼の周りには無数の光の粒子が彼を囲んでいた。光の正体は大気中に存在するフェインであり、いつにもまして妖々しく輝いているのは上級魔法が大量のフェインを使用するため、より多くのフェインが彼の詠唱に呼応しているためである。
夕焼けによって赤く照らされる中、レオンの周りには更に多くのフェインが彼の詠唱に誘われ集まってきている。フェインの光の柱に包まれる中、彼は最後の仕上げへと乗り出した。
ちょうどその頃、レイナたちも既に限界を超している脚にムチを打ちながら着々とレオンの下へユーファングをおびき寄せていた。
敵搭乗者は未だに彼女らの策に気づいておらず、ただ彼らを始末することで頭がいっぱいだった。
そしてレイナたちは夕日を背に佇む光を纏う人影をその目に捉えた。
「レオン、約束どおり連れてきたわよ。最後の仕上げ頼むわよ!」
「頼むぜ、レオン〜! 上級魔法の発動準備、終わらせておいてくれよ!」
各々、銀眼の魔術士に自分たちの想いを託すとユーファングの不意をつき、それぞれ左右に散開した。
敵搭乗者も一瞬、どちらを追跡するか迷ったが目の前に佇むレオンに気づき、考えるまでもなく、彼にターゲットを合わせた。
ユーファングがこちらに向かってくることなど気にもせず、レオンは残りの詠唱を一気に詠み始めた。
「…その身に消えることなき灼熱の炎を宿し獄炎の精霊よ〜、汝のその全てを焼き尽くす炎を持って我に仇なす愚者を焼き滅ぼさん〜、ゴウエンフレイム〜!」
レオンが最後の一文字を読み終えると、彼を包んでいたフェインの光柱は燃え盛るように激しく閃光を放つと彼の周りから消え失せた。その刹那、ユーファングの周りにこの世のものとは思えないまがまがしい炎が現れた。紅く燃え盛る炎は機体を包み込むと、更に勢いを増し、巨大な火炎柱へと変化した。
灼熱の炎に包まれたユーファングは数秒も経たぬうちに、その頑丈な装甲を溶かされ、自らも火を放ち、巨大な火炎柱の一部となった。
敵搭乗者は断絶魔も放つことなく、まがまがしき炎に跡形もなく喰われてしまった。そして獄炎はユーファングを跡形もなく喰い尽くすと勢いよく、天へと向かい再び無数の粒子となりほのかに光を放ちながらやがて消えていった。
先ほどまでユーファングが存在した場所にはその残骸どころか消し炭一つすら残っていなかった。まるで本当にユーファングを自らの炎の一部にしたかのように。
「何て威力なの…。これが上級魔法…」
「鋼鉄でできた機動戦車が跡形もなく燃えてやがった! すげぇぜこりゃ! ――!? おい、レオン!」
レイナたちが目の前で起きた衝撃的な出来事の余韻に浸っていた時、突如レオンが力なく地面へと崩れ落ちた。
間一髪のところでマックが彼の体を支え、地面に激突することを防ぐことができたがレオンの表情は青ざめ、意識はない。マックは慌てふためきながらレオンの肩を揺さると必死に彼の名前を呼び続けた。
そんなマックの肩にレイナは軽く手を置くと彼にとりあえず落ち着くように促した。
「大丈夫よマック、ただ疲れて眠っているだけだわ。それにしてもここまでして上級魔法を発動させるなんて大したものだわ、レオン」
マックはレオンに命の別状がないことを知るとその場に崩れ落ちて安堵した。そして気持ちを落ち着かせると深い眠りに落ちたレオンの両腕を自分の肩に通し、自分の背中に乗せた。
「よっこらっしょっと、へ、よく頑張ったなレオン。安心して俺の背中で眠りな。それじゃ姐さん、急ぎましょう。隊長たちが待ちくたびれてますぜ!」
一段落付いたことでマックの表情にはいつもの笑顔が戻っていた。ところがレイナは両手の手のひらを上に向け、やれやれといった様子で彼に首を振って見せた。
「どうやら、ここの主はワタシたちをそう簡単には帰してくれないみたいよ?」
レイナの目線の方向を振り向いてみると何と多くの武装した兵士と数機のディーベルクの現主力機動戦車がこちらへと向かってきているではないか!?
「全く、本当にしつこいんだから。まぁ、いいわ。こうなったら四の五の言わず走るわよ!」
レイナの先導の下、マックたちは急いでオルフィスの着陸ポイントへと駆け出した。もはや彼らの体力は当の昔に限界を超えているわけであったが、時間がない今そのようなことは言っていられない。
今ここに彼らと、彼らを追跡する敵勢力との最後の鬼ごっこの火蓋が切って落とされるのであった……。
――バベル基地・管制室――
男は一人ほのぐらい部屋の中でモニターに映る信じられない現実に驚きを隠せないでいた。
「ば、ばかな…、私のユーファングが二機ともやられるとは!? えぇい、こうなれば我が基地の全戦力をやつらにぶつけてくれる!」
「ずいぶんと楽しそうだな…」
男は突如、発せられた声に心臓が止まるかと思った。今この部屋にいるのは自分一人のはずであり、誰かが入ってきていたのなら音で気づくはずである。いったい誰が…? 男は恐る恐る体を声の発せられた方向へと向けた。
「!! あ、あなたは…黒騎士?!」
そこにいたのは全身鎧のような形状の黒いバトルスーツを身に纏い、その上からこれまた黒のマントを、そして極め付けに漆黒の虎を模した仮面で素顔を隠した、頭の先から足のつま先まで黒で固めた男こと、通称“黒騎士”が張り詰めた空気を纏いながら仮面越しにこちらも見つめていた。
「ふっ、この基地で何やらやましいものが造られているというから来てみたものの、何だこの有様は…。無様にもほどがあるぞ」
「はっ、申し訳ありません! これも我が部下の不始末、誠に申し訳ありません。ですがご安心を我が基地の威信にかけてもやつらの首を挙げて見せま――っ!!!!」
突如、男の口が彼の意思に反して言葉を出さなくなった。その上、男はわずかに宙を浮いていた。よく見ると男の口は暗闇でも目立つ黒い手で覆われている。
「…部下の不始末? それは違うな……、これは貴様の不始末だ。貴様の身勝手さが多くの同士の命と、この有様を引き起こしたのだ。…それと貴様が上層部に無断で製作していた兵器、あれは完全なる大量殺戮兵器だ。そのような兵器、我がディーベルクの誇りを傷つけるだけだ! ……貴様はまたしても我らの誇りに泥を塗りつけるきか? 貴様のような私利私欲で動く男などディーベルクには必要ない。これらの責任、貴様の命で払ってもらうぞ…」
「?! ま、まっふぇ――っ!!!!!…………」
男が言い終わる前に黒騎士は彼の口をふさいでいた手を離し、彼に背を向けていた。直後、男の体から勢いよく血しぶきが舞い上がった。よくみると男の肩から腰にかけて一本の刀傷が付けられているではないか。消えかかる意識の中、男は自分の身にいったい何が起きたのか全く分からなかった。そして男は地面に倒れて息を引き取る最期まで自分が黒騎士に斬られたことに気づくかなかった。
「ふん、最期の最期まで哀れな男よ…。安心しろ、貴様が丹精を込めて築き上げたこの兵器の情報も一緒に送ってやる……」
黒騎士は刀身についた男の血を振り払ってから不気味に輝く刀を鞘に収めると、管制室のコンピューターからユーファングに関する全ての情報を消去した。そして立ち去ろうとした時、ふと足を止め何かを考えたかと思うと刹那の速さで振り返り、そして既にその手には刀が抜かれていた。
「特務隊か…。ふっ、おもしろい。次会うときはせいぜい楽しませてもらうとしよう」
そう言って黒騎士は再び刀を鞘に収めると何食わぬ顔で部屋を後にした。
扉がしまった直後、管制室のコンピューターは真っ二つに割れ無残に崩れ落ちた……。