安らぎ 【六】
――アルベルト山脈・風神の門――
休暇もとうとう最終日を迎えた。太陽は天高く上り、青年を頭上から見下ろしている。
ケンは風神の門と呼ばれる絶壁に出来た縦状の亀裂に体を向け仁王立ちし、目を閉じてその時が来るのを待っていた。
一分、二分、三分……十分が経過しようとした。すると後方より足音が聞こえてきた。その数二つ、ゆっくりとではありが確かに彼の方へと足を進めている。
その時が来た。ケンはゆっくりとまぶたを上げると体を反転させ、足音のする方へと向けた。彼の衣服は土塗れで全体的に黄土色掛かっており、また所々に破れて出来た穴からは擦りむけや、打撲の痕が見られる。その姿はまるで何十年という月日の間、荒野を旅してきた流離人を思わせる。 その眼差しは依然に増して鋭くなっていたが、それ以上に温かみが備わっていた。
「ふむ、その目つき――何かを勝ち得たようじゃの。よかろう、お前が得たもの見せるが良い」
ゴンは顎鬚を撫でながら目の前の青年をまじまじと眺めていた。その表情はいつも通りの恵比須顔であったが、目には力強さが加わっていた。
老人の隣にいるリリスもゴンほど彼の変貌振りには気がついていなかったが、ケンの表情が今までの中で最も輝いていると感じていた。
ケンはリリスに笑みを送ると背を向け、再び風神の門へと体を向けた。ゆっくりと、ではあるが一歩一歩確実に絶壁へと足を運ぶ。そして、亀裂から十メートルのところで足を止めると、腰に手をやる。右足を前に出し、姿勢を低く構えて目を閉じ、精神を研ぎ澄ませながら、その時が来るのを待った。
ケンはその状態のまま、ピクリとも動かい。彼の周りには張り詰めた雰囲気が漂い、それはゴンやリリスにも伝わり、彼らが呼吸するのをやめさせた。
辺りは静まり返り、リリスが喉を鳴らす音がはっきりとゴンの耳元へと伝わる。依然、ケンは動こうとせず、突風が吹くのを待ち構えている。その姿はまるで獲物の姿を捉えて機会をじっと待つ獣そのものだった。
そしてその時はやってきた。溜めに溜めた息を噴出すような突風がケン目掛けて勢いよく突っ込んでくる。彼はぱっと、目を見開くと全神経を切っ先へと集中させた。辺りの空気は煮えたぎった水のごとく、どっと震え上がる。
「天魔無双流〜竜の太刀〜奥義、風竜!」
鞘から勢いよく飛び出した刃は音の領域を超え、触れる空気を斬り裂いた。すると横に振られた刀身からは巨大な波動が生まれ、彼目掛けて襲い掛かってくる突風へと放たれる。波動は突風にぶつかると軽くあしらうようにして突風を掻き消し、勢いを落とすことなくそのまま、絶壁へと衝突した。
ドゴォォォォンッ!
けたたましい衝突音と共に辺りを砂埃が覆いかぶさる。崖からはパラパラと何かの欠片が崩れ落ちるような音が聞こえてくる。砂埃が落ち着き、視界が回復してくるとリリスは目の前に広がる光景に驚かされた。
ケンの放った衝撃波がぶつかった崖には横に一筋の溝が出来上がっていた。それが縦に入った亀裂と重なって巨大な十字を形成している。それは一種の芸術作品のようにも思えた。
ケンは目の前の光景に満足するとともにゆっくりと刀身を鞘へと納めた。そして師匠の下へと足を運び、やり遂げた表情で彼の顔を見つめた。
老人は一時の間、崖にできた十字をまじまじと眺めながら顎鬚をなでていた。そしてケンの方へと体を向けると彼のやりとげた表情に笑顔で返した。
「ほほ、やりおったわこの若造め。うむ、あっぱれ。合格じゃ!」
ケンはその言葉を聴くと全身の力が抜けたかのようにその場に崩れ落ちた。どうやら今までの修行で溜まった疲れが気を緩めたことで一気に彼の体を襲ったようだ。
リリスは彼の元へと駆け寄ると彼の上体を抱え、その頭を自分の膝元へとやった。
「ケン、しっかりして!大丈夫!?」
一瞬、彼女はケンが力尽きたかと心配したがすぐにその感情は打ち消された。彼女の耳元にとても気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。どうやらケンは単に眠ってしまったようだ。ゴンはやれやれといった感じでケンを起こそうとしたが彼女はこのまま寝かせてあげようと目で合図した。リリスは自分の膝元で眠るケンの寝顔を見ながらその表情があまりにかわいらしかったので、先ほどどでかい衝撃波を放ち、崖に溝を作った張本人と同一人物とはとても思えなかった。
彼女は心地よさそうに眠るケンを眺めながらクスリと笑みを浮かべた。風神の門からは先ほどのような突風は吹き出ず、荒行を達成した青年を祝うかのように爽やかなそよ風が吹き出ていた。
――兵器開発局・研究室――
「ついに完成や〜!」
満面の笑みで喜ぶその男はゴロンと研究室の床に倒れこむ。その顔には疲労が浮かび上がっていたが、彼自身は全く気にしていない様子だ。その男の隣でイスにもたれ掛かっている大柄の男は全く笑っておらず、疲労が完全に表に出ていた。
そんなマックに目もくれず、ケネスは体を起こすと出来上がった完成品の数々を眺めだした。何度も頭を抱えてやっとの思いで造り上げた特殊弾シューター。ケネス自作の特殊弾を正確に且つ遠方へと飛ばすこの兵器は空気を圧縮して飛ばすという簡素な仕組みで、またリボルバー式になっているため、異なった特殊弾を装填することでどの弾を放つか自由に選択することが可能になっている。
その他にも様々な任務を考慮して造られた装備があり、これらは特戦のメンバー分製作されてある。
「しっかし、まぁ、あんさんがここまで役に立つとは思いもせぇへんかったがな」
ケネスは隣のマックを見ながらしみじみと感心した。意外にもマックの頭は柔軟でその柔軟さが兵器開発に多いに貢献したためだ。
「思ってなかったのかよ! 誘ったのはてめえのほうだろ…」
マックはケネスの言葉にムカつきを覚えたがあまりに疲れていたため、それ以上は言葉にならなかった。初めの頃は全く乗り気でなかったマックだったがしぶしぶ作業を手伝う内に次第にのめり込んでいき、終いには自分から率先して作業を行うようになっていた。彼は何故自分がそのような行動に走ったのか不思議に思いながら、自分の性分に合わないことをしてしまったと大変後悔していた。
「さて、ほな残りの分の製作に取り掛かりましょうか♪」
マックは勢いよくイスから崩れ落ちると物凄い形相でケネスの方を向いた。残りの分って何だ? 彼はてっきりこれで作業が終了したと思っていた。そんな彼にケネスの言葉は正に地獄への片道切符を渡されるようなものだった。
「ちくしょう! こんなことなら来るんじゃなかったぜ…」
マックはこの時ほど心底後悔し、泣きそうになったことはないだろう。その場に崩れ落ち固まった彼はケネスに無理やり立ち上がらされると観念して残り三分の一の作業へと取りかかった。結局彼らは研究室で翌日の朝日を拝むことになり、マックが精神崩壊を起こしかけていたということは言うまでもない。あはれ、マック……。
――ゴンの屋敷――
ケンは風呂場で体にこびり付いた汗と汚れを流すと替えの服に着替えて居間へと向かった。居間に向かうとそこにはリリスが一人、ちゃぶ台に置いてあるお菓子を食べていた。彼女はケンと目が合うと頬を赤らめて顔を下に向けてモジモジとし出した。彼はそんなにお菓子を食べられているところを見られるのが恥ずかしいのだろうかと不思議に思いながらリリスと向かい合うように腰を下ろし、ゴンが来るのを待った。
リリスは未だにモジモジとしていたが時折、顔を上げてケンの方をチラチラと見ている。そんな彼女の行動を不審に思っていたケンだがゴンが現れたことにより、そちらのほうに意識を回すことにした。
老人の手には細長い木箱が抱えられており、老人は腰を下ろすと、ちゃぶ台の上に木箱を置いた。ゴンが木箱のフタを取ると中から一振りの刀が現れた。
刀は全身純白で、うっすらと光沢を発している。鞘には楕円形の紅い宝石が埋め込まれており、その輝きは何ともいえず、人の心を奪うほど魅力的だ。ゴンは刀を木箱から取り出すと、鞘から刀を抜いて見せた。中からは銀色に光る刃が現れ、ケンの心をぐっとつかんだ。刃には傷一つないのだが決して真新しい印象を与えず、むしろ年代物の印象を与えた。そして妖しく光る刃先を見るかぎりではこの刀は何千、何万もの戦士たちの血を吸ってきたと言っている。ケンはこの刀には人を魅了する何かがあると本能的に感じていた。
「こいつは《グラディス》と言ってな、製造されたのは何千年も前とされている。こいつに使われている金属は特殊なもので我々の文明には存在しないものじゃ。それでいて錆びず、傷一つなく輝いているとは大した技術じゃよ。まぁ、そのためか、この刀をめぐって多くの血が流されてきたんじゃがな」
ゴンは意味深な発言をしながらもその表情はいつものように笑っている。彼は刀を鞘に納めるとケンの目を見つめながらグラディスを彼へと差し出した。
ケンはそっと新たな刀を受け取るとゴンに頭を下げてお礼を言った。そして、借りていた刀を老人に返し、グラディスを腰に差した。
「これがオレの新しい力…グラディス……」
ケンは自分の腰に差された刀をまじまじと見つめると再び、ゴンに頭を下げた。リリスはそんな彼をじっと見つめていた。ケンの表情につられてか、何故か彼女もうれしそうに笑っていた。
それからゴンとしばらく雑談をして時を過ごし、夕暮れ前を向かえると彼らは私物を片付け帰る支度をした。
玄関から外に出るとケンはお別れの挨拶を師匠と交わし、エアバイクへと跨った。同じくリリスも挨拶を交わしてケンの後ろに腰を下ろすとしっかりと彼の腰に手を回した。
「師匠、お世話になりました。また、機会がありましたら会いにきますので!」
「ほほ、またいつでも来い。あ、リリスちゃんも大歓迎じゃから♪ 達者でな!」
老人の手を振る姿に見送られながらケンはエアバイクで駆け出し、師匠の下を後にした。目指すは彼らのホームへ、ケンは胸高らかにエアバイクのエンジンを吹かすと風を切りながらオルフィスのある本部へと疾走した。
ケンとリリスが帰っていく姿を老人は笑顔で見送った。しかし、彼らの姿が遠のいていくとその表情は寂しい表情へと変わった。
「また、一人ぼっちか。さみしいのぉ…」
老人は彼らの姿が視界から完全に消えるまで見つめていた。そして視界から消えると残念そうに家へと足を進めていった。
ゴンが家の中に入ろうとした時、後方に人の気配を感じ、彼は振り返った。よく見ると誰かがこちらに歩いてやってきている。老人は目を細めながらこちら側にやってくる人影に目をやった。そして人影の輪郭がはっきりした時、再び彼の表情に笑顔が戻った。そして杖を突きながら早歩きでその人影のほうへと足を運んだ。
「なんとまぁ奇遇な、ケンが帰ったかと思えば今度はお前がやってくるとは…」
老人は満面の笑みでその青年を迎えると彼を家の中へ誘った。
「おじゃまします…」
青年は笑みを老人に返すと一礼して中へと入った。この後、この青年もゴンによる暖かい(?)通行儀礼を受けることになるのだが今の彼がそのようなことを知るはずもないのは言うまでもない。非常に礼儀正しいこの青年は全身黒のスーツに身を纏い、これまた黒いサングラスを掛けていた。
その髪はケンと対を成すように大空のような“蒼色”をしていた……。
一部主な登場人物の紹介
〜アルフォード王国〜
―特殊戦略部隊―
ケン・シュナイダー:第一部の主人公:16歳:男性:紅色の短髪:黒色の瞳:アルフォード王国の機動歩兵として前線でその自慢の剣術を巧みに使って活躍していた。その腕が買われアルフォード国王直属の部隊で特殊戦略部隊、通称『特戦』に配属される。彼が軍に入隊したのには悲しい過去が関わっている。彼が使用する剣術は天魔無双流と呼ばれるものでそのあまりに巨大な力のために神にも魔にもなれると言われている。またその所持する剣もこの世界で流通している両刃の剣ではなく、片刃の剣、刀である。情に熱い男でこの情こそが彼の長所でもあり短所でもある。新たな刀、《グラディス》を手に入れる。
アルマン・ギルガネス:隊長:26歳:男性:黒色の中髪:茶色の瞳:人柄がよく誰にでも好かれる人物。任務のために冷酷になろうと努力しているがいざとなると人命を優先してしまう。ギルガネス家の人間で超人的な運動能力を持つ。その運動能力は発射された弾丸を簡単に避けられるほど…。刃物から銃までありとあらゆる武器を使いこなすエキスパートでもある。【アルフォードの戦神】(もしくは戦神)という二つ名でディーベルクの兵士から恐れられている。以前、リースというレギオスの妹と恋人関係にあったが任務中誤って彼女を殺害。これによってレギオスの恨みを買い、親友から敵へと変わってしまう。レイナに特別な感情を抱き始めている。
レイナ・フランク:副隊長:25歳:女性:紫色の長髪:緑色の瞳:隊の中では頼れるお姐さん的存在。狙撃の名手でその集中力は三日間、同じ射撃体勢でいられるらしい。アルマンに特別な感情を抱き始めている。
マック・エイガー:ムードメーカー:20歳:男性:茶色の短髪:青色の瞳。大柄で長身。細かいことは気にしない豪快な性格。基本的にバルカン砲などの重火器を使用して戦うが他にも白兵戦用に大薙刀を使用する。ケネスによく振り回される悲しい人。
レオン・マッケイン:天才:17歳:男性:水色の中髪:銀色の瞳:IQ200を越える超天才。言葉数が少なく、無愛想。その頭と魔法で数々の戦いを勝利へと導いてきた。また、ハッキングを得意とし、セキュリティー解除や、情報の奪取なども行う。いつも読んでいる古文書は唯一自分の記憶を辿る手がかり。
ケネス・フロイド:曲者:20歳:男性:黄土色の中髪:黒色の瞳:妙な言葉遣いをするお調子者だが任務の時には隠れた冷酷さを見せることがある。爆弾に関しては確かな腕を持つ。特戦の曲者的存在。新兵器の開発に成功。マックをからかうのが得意。
リリス・クラフト:オペレーター:16歳:女性:朱色の中髪:水色の瞳:性格は非常に明るく、特戦のマスコット的存在。彼女の存在が隊員の戦場で受けた心の傷を癒しているのは疑いようがないだろう。オペレーターとしての腕も確かなものを持っている。ケンに対して特別な感情を抱き始めている。
ノリス・ヒッター:司令官:56歳:男性:灰色の短髪:茶色の瞳:若かりし頃は【戦場の稲妻】という二つ名で恐れられていた。今でもそのたくましい体つきは衰えておらず、また歳を取ったことでより一層その風格は増している。人としても戦士としても隊員達に影響を与える人物。ちなみに【戦場の稲妻】という二つ名は彼が使用するガントレットが電撃を流すことが由来。国王とはフィルスをやるほど親しい仲。
―その他の人物―
アルフォードIV世:国王:45歳:男性:黒色の中髪:黒色の瞳:現、アルフォード王国の最高権力者として王座に座る者。国は民あってのものと考えており、常に民の事を考えている。この戦争を終わらすために特戦を設立することを決意する。暇さへ見つかればノリスとフィルスをやっている。勝率は五割らしい。
リース・ザルバン:亡者:18歳:女性:金色の中髪:茶色の瞳:レギオスの妹にしてアルマンの元恋人。アルマンからもらった赤いバンダナを常に身に付けている。任務中、誤ってアルマンに射殺された悲劇の女性。彼女の存在はアルマンとレギオスの関係に多大な影響を与えている。