欲しがりサンタさん
ぴんぽーん
「はーい」
チャイムが鳴ったので、僕は玄関の扉を開けた。そこには赤いポンチョコートを着た女の子が立っていた。
「………?」
こんな小さな女の子が、こんな日も暮れた時間に、一人暮らしの僕に何の用だろう。突然の意外な訪問者に僕は少し戸惑った。女の子は僕の顔を見ると、何だか照れくさそうにもじもじしながら、コートの襟口から首元にぶら下がる小さな二つのボンボンを手でいじった。
「どうしたの? 迷子になったかな?」
「違います」
「ん?」
「サンタさん」
「ああ、サンタ」
いやいや、納得してはいけない。変な子が来たな、と僕は思った。
そう、確かに今夜はクリスマスイブ。街の雰囲気もクリスマス一色だ。一人さびしく部屋の中でカップラーメンをすすりながらテレビを見ている僕には何の関係もない事だが、僕ぐらいの年頃の男女は今頃手を組み笑い合い、あるいはレストランで食事を、街路でイルミネーションを、ホテルで二人っきりのひと時を、楽しんで幸せな気分に浸っている事だろう。
「あの、サンタさん」
「ああ、そう」
僕の目の前で自分の事をサンタと名乗る女の子は、僕の態度を見て困ったようなしぐさを見せた。
「サンタさん……」
「それで? 何の用?」
「ええと……」
「うん」
「プレゼント……」
「ああ、くれるの?」
なぜ僕が少女からプレゼントをもらえるのかさっぱりわからないが、せっかく来たサンタだ。もらえる物はもらっておこう。僕は彼女の前に自分の両手を差し出して、何かを受け取るしぐさをした。ところが。
「え、ええっ?」
女の子がちいさく叫んで動揺し始めた。明らかに僕の言動が意外だというそぶりを見せている。
「どうかした?」
「……あの、ううん……反対……」
女の子は相変わらずの困り顔のまま、消え入るような声で僕に言った。
「そしたら……いたずらしなきゃ……」
「は? 君に?」
僕はほんの少しよからぬことを考えたが、いやまて、どうもおかしい。子供がこんな時間に一人で出歩くこと自体が変なのだ。だとすれば、大人が近くにいるのか、僕に用がある他の誰かがこの子をここによこしたのか……サンタなどと名乗らせて、いったい何のために……。僕は試されているのか?
「ねえ。ここには一人で来たの?」
僕は真相を確かめるべく女の子に色々訊いてみる事にした。
「うん。一人で」
「どうして僕の所に来たの?」
「だって」
そう言いながら、女の子は僕を指さした。いや、僕の後ろの部屋を指さしているんだ。後ろを振り返ると、何の変哲もないワンルーム。
「ああ、明かりがついてたからか」
「起きててよかった」
僕が玄関の扉からちょっと顔を出すと、僕の階の部屋はみんな電気が消えていた。そりゃそうだ。今夜はクリスマスなのだから、みんな部屋に閉じこもっているはずがない。この子は一つだけ明かりの灯る僕の部屋を選び、何らかの理由でここに来た。
「それで? 何の用?」
「だから……サンタさんだから……あの……」
彼女は肝心の事を訊こうとするとしどろもどろになる。よっぽどの恥ずかしがり屋なのか、それとも口に出せないような用事なのか。
「ちゃんと言ってくれないとわからないよ」
僕が少し急かすと、女の子は決心したように言った。
「プレゼント……それと……いたずら……」
「へ?」
この子の言ってる事、何だかどこかで聞いた事があるような……。
「……ねえ、普通は僕がプレゼントをもらうんだよ」
「ええっ! 違うもん!」
女の子は首をぶんぶん横に振った。
そうか、わかった。彼女はクリスマスとハロウィンをごちゃ混ぜにしているのだ。
「トリックオアトリート、いたずらかお菓子か」
そう言ってホラーチックな仮装をした子供たちが家々を回る、ハロウィン。この子はクリスマスに家々を回ってプレゼントをねだるつもりなのだ。しかし。僕は女の子の格好を見た。サンタクロースを模した可愛い赤のワンピースを着て、その上に白いファーの付いた赤いポンチョコートを羽織っている。ご丁寧に彼女のヒザ近くまで覆うブーツまで赤い。うーむ、何だか赤ずきんにも似ているな。これじゃホラーどころかメルヘンだ。
「……お菓子、あったかなあ」
彼女の目的がわかったので、僕は何かをあげるために部屋に戻り、あちこちを引っ掻き回して子供の喜びそうなものを探した。しかし、僕の家にはラーメンと缶ビールの山しかない。
「困ったな、うちには何もないんだ」
僕が女の子の所に戻って来てそう告げると、女の子はとても失望したような顔をした。
「ううっ」
「ごめんね」
女の子は黙ってうつむいてしまい、そのまま立ち尽くす。その姿が気の毒でたまらなく、僕は彼女に何とかしてプレゼントをあげたくなった。そして彼女にこう言った。
「ここにはないけど、何か買ってきてあげるよ」
「ほんと?」
女の子の顔がぱっと輝いた。その笑顔を見て、僕も何だか嬉しくなった。
「他の家に行かなくてもいいよ。めんどくさいだろ?」
「うん」
もしこの子がサンタでなく赤ずきんなら、狼だってうようよしているはずだ。一人で送り出すのは危険すぎる。自他ともに認める人畜無害の草食系である僕といるのがこの子にとっては一番いいに違いない、と僕は勝手に判断した。プレゼントを買ってあげた後、彼女の家まで送っていってあげよう。それでこのイベントは終わりだ。
「じゃあ、ちょっと行こうか」
「うん」
僕は洋服棚からコートをわしづかみにすると、そのまま部屋の電気を消し、女の子と共に部屋を出た。並んで歩きだすと、女の子が僕の指先を掴む。こんな小さな子にとって、暗闇を一人で歩くのはとても恐ろしい事だろう。まったく、この子の親は何をやっているんだ。
「さて、何が欲しいのかな。やっぱり、お菓子?」
僕は歩きながら女の子に笑いかけ、優しく訊いた。
「ん? ちょっと待って……」
女の子はさかんに辺りをきょろきょろと見回し、何かを探している様子だ。
「うん。じゃあ、何か欲しいものが見つかったら教えてよ」
僕は女の子の手を握りながら、大通りに向かって歩いて行った。
クリスマスイブの夜はまだまだ長い。人々もたくさん歩いているし、大通りまで出れば開いている店だってたくさん見つけられるだろう。本来買い物に大金を使う事などめったにない僕だが、歩いている人々の陽気な様子や空中をきらびやかに彩る電飾たちのせいか、僕はいつしかこの子のためにどんなものでも買ってやりたい大らかな気持ちになっていた。
「ほら、あの飾り、見てごらん。色が変わってきれいだね」
「あ、ほんとだ! きれい!」
女の子は僕の指さした方角を体を大きく反らせながら見上げ、心底嬉しそうな声を上げた。その様子を見て、僕も嬉しくなる。
「ねえ、肩車してあげようか」
「うん!」
女の子の前で背中を向けてしゃがむと、女の子が勢いよく僕の肩に飛び乗った。
「うわっと」
思わず前に倒れ掛かりそうになりながらも持ちこたえ、彼女の両足首を両手で軽く持ってゆっくりと立ち上がる。
「うわぁ、高い!」
女の子は大喜びし、僕の頭を両手ではたいた。
それにある種の心地よさを感じながら、僕は思った……変なクリスマス。僕はサンタを乗せたトナカイだ。
~~
大通りは人でいっぱいだ。カップルや家族連れや、みんなワイワイとおしゃべりしながら楽しそうに歩いている。こんな所に一人で来たらきっと寂しくて耐えられないに違いないが、女の子を連れている今の僕は、キラキラ光る街から普段感じた事のない暖かみを味わっていた。
「ねえ、あっち! ほら、あっちも! きれい!」
女の子は探し物など忘れてしまったかのように、様々な種類の電飾やデコレーションを指さしては大騒ぎしている。それらにいちいち相槌を打っているうちに、僕は女の子が可哀想になってきた。
この子は一人で寂しく知らない家を回ったりしないで、こういう所に家族と来るべきなんだ。幸いにして彼女は僕を安全な人物と認めてくれたようだから、しばらくこの子の喜ぶ事に付き合ってあげよう。今夜、何の予定も入っていない僕はそれにぴったりの人材といえる。
「ねぇ、僕も肩車してよ! あの子のお父さんみたいに!」
ある親子連れとすれ違った時、小さな男の子が僕たちの方を指さして父親にせがんだ。
「しょうがないな、次の店までだぞ」
その子の父親が僕たちと同じように子供を肩車した。はしゃぐ男の子。
そうか、僕とこの子は親子に見えるのか。僕は何だか照れくさくなった。
「お腹空かない? 何か食べたいものはないかな?」
しばらく歩き回っているうちに女の子の口数が少なくなってきたので、僕は彼女に訊いた。
「お腹空いた……」
彼女は少し疲れた様子で言った。
「どこかでご飯食べようか。どこにしようか……」
僕がきょろきょろと辺りを見回していると、女の子がつぶやく。
「パン屋さん……」
「パン屋? ええと、パンか。ふむ、この近くにあるかなあ……」
「ケーキも売ってるの」
「ケーキ……うん、そうだ。いい所がある」
この大通りを少し行った交差点の角、あそこにケーキがおいしいと評判のベーカリーがある。入ったことはないけれど、近くを通る時にはいつも焼きたてのパンのいい匂いがする。あそこならおいしいパンもたくさん売られているだろう。店の一角はカフェテリアになっていたはずなので、うまくすればあそこでゆっくりできるかもしれない。
「よし。連れて行ってあげるよ、サンタさん」
「うん、ありがとう」
僕は女の子の喜ぶ顔が早く見たくて、ウキウキしながら足早にその店へ向かった。
けれど、そこに着いてみると店の中は人でいっぱい。外からガラス越しに見えるパン棚を確かめてみるとどの棚も空っぽだ。
「あーあ、パン、もうないみたいだよ」
「ううん、入る」
「でも、何も食べられないかもしれないよ」
「いい、入る。降ろして」
「うーん、じゃあ入るだけ入ってみよう」
女の子が店の中に入りたそうにしているので、僕はその場でしゃがんで彼女をゆっくり降ろし、小さな手を引いて店の中に入った。
「いらっしゃいませ」
若い女性店員が僕たちに挨拶をする。僕たちに近寄ってきた彼女に向かい、僕は質問した。
「あの、何かパンを買いたいんですが。残っていますか?」
女性店員は答える。
「申し訳ありません。もうパンは売り切れてしまいまして。お菓子であれば少々残っておりますが」
僕は女の子の方を見た。女の子は女性店員をじっと見つめている。
「だってさ。どうする? お菓子にする? それとも他の所に行ってみる?」
「ここ」
「じゃあ、お菓子を買おうか」
「パン」
「……うーん、困ったな」
「パンがいいの、パン、パン~!」
大声を出してふくれる女の子を周りにいる他の客たちが微笑みながら見ている。僕は恥ずかしくなった。
「あのね、パンを買ってあげたいけど、もうパンはないって」
「うそ、うそ!」
「嘘ではないのよ、お嬢さん。お父様のせいではないの。本当にごめんなさいね」
店員は女の子の前にしゃがんで頭をそっと撫でながらそう言った。
やれやれ、ここでも親子か。
「あそこにあるじゃないの、パン」
客の一人がカウンターの向こうによけて置いてある数個のパンを指さして言った。店員は立ち上がるとそれをちらりと見て、客に言った。
「いえ、あのパンはご予約いただいたもので、程なく取りにいらっしゃいますので、残念ながらお売りできないのです」
「あれ! あのパン!」
女の子がパンを指さしてせがみ出した。子供は可愛いが、我侭な所もあって面倒を見るのは大変だなと思わされた。
「ごめんなさい、あれはね、他の人のパンなの」
必死に女の子をなだめようとする店員に対して申し訳ない気分でいっぱいの僕は、バツの悪そうな顔をしながら店員に軽く会釈をした。店員は気にしないでというそぶりをした後、女の子に向き直る。
「ね。お菓子ならあるのよ。見せてあげるから」
「ねえ、誰の? 誰のパン?」
「えっとね、ここにもうすぐ来る人の……」
「誰? 誰?」
「うーん、あなたの知らない人だけど……」
そう言って女性店員がポロリと苗字を言った。それを聞いて僕は驚く。こんなに珍しい苗字はめったにあるもんじゃない。
「あの。予約者のお名前、もう一度教えてもらえますか?」
店員に言うと、彼女はしゃがんだまま不思議そうな顔をして僕を見上げ、その人物の名前を僕に告げた。
「ああ、そうなんだ」
僕は店員の横で並ぶようにしゃがみ、女の子に言った。
「あのパン、一緒に食べよう」
そして横を向いて。
「すいません。あれ予約したの、僕です」
そう言いながら財布から自動車の運転免許証を取り出し、店員に見せた。
「あ……ああ、そうでしたか。申し訳ありませんでした。私、気付かなかったもので」
店員は僕の電話番号も聞いてから慌てて立ち上がり、カウンターの方へ走った。
僕はパンなんか予約した覚えはない。
~~
程なく店員が紙袋を抱えて戻ってきた。
「ご予約間違いございません。お待たせいたしました。こちらです」
「ちょうだい」
「はい、どうぞ」
女の子は紙袋を受け取る。僕と店員が精算のためにレジに向かおうとした時。
ばさっ
女の子が紙袋を床に落とした。動揺したのか、それを見つめたまま立ち尽くしてしまっている。
「あーあ、せっかく……」
慌ててしゃがんでパンの入った紙袋を拾おうとすると、店員もそれを拾おうと同時にしゃがんだ。その拍子に僕と彼女は腰を低くした格好のまま顔が近づき、お互いに目が合った。
「いたずら!」
あの時、そんな声が聞こえたような気もする。いや、気のせいかも知れない。
突然、僕は前につんのめった。そして。
「おおっ!」
周りの客たちが驚きとも感嘆とも取れる声を上げる。その声を聞いて、ハッとした。
僕と店員の彼女は、キスをしていた。
もちろん、アクシデントだ。誰かが僕の背中を押したのだ。
「……!!!」
慌てて離れると、店員は床にへたり込んでしまい、呆然とした顔でどこか空中を見つめている。
「あ、あのっ! すみません! わざとじゃなくて、つまづいて! いやほんとに!」
「……はい……」
「やったっ! ははっ!」
後ろではしゃぐ声がした。どうしてこんな事になったのか思い当った僕は、ものすごい勢いで振り返り、叫んだ。
「な、何て事を!……あっ、ちょっと!」
女の子がいつの間にかパンの入った紙袋を拾い上げ、それを抱えて店から出て行こうとしている。
「ちょっと、待って!」
慌てて立ち上がり、女の子を追いかけようとすると、女の子は扉の前で立ち止まって振り返り、満面の笑みを浮かべて言った。
「ママとキスしたサンタさん! プレゼントありがとう! またね!」
そして、扉を開けて店から出て行った。
「ちょっと!」
僕も続けて扉から外に出る。
~~
「………………」
「……あの、どうなさいました?」
さっき僕とキスをした女性店員が扉の外で立ち尽くしている僕のそばにやってきて、遠慮がちに話しかけてきた。
「消えちゃいました。あの子」
「えっ……」
間髪入れず扉から出たはずなのに。こんなに見通しのいい大通りなのに。女の子の姿はどこにもなかった。店の前を歩いていた誰に訊いても、皆そんな子は知らないと言うばかり。
「さっきの……その……あれは、あの子のいたずらで……」
「ええ、お気になさらないで下さい」
「……あの子、僕の子じゃないんです。今夜初めて会った子で」
無性に誰かに聞いてもらいたくなり、僕は女の子との一連の出来事を店員に説明した。
「そうですか。でも……何となく似ていらっしゃいましたよ、お客様とあの子」
そう言ってにっこり笑う店員を見て、僕は不思議な気分になった。
最後に女の子が見せた笑顔と今横にいる店員の笑顔が、そっくりに見えたからだ。
「……店、今夜は忙しそうですね」
「はい。でも、もう売るものもありませんので……間もなく閉店です」
「その後のご予定は?」
「いえ……特には……」
「僕もです……あの……もしよかったら……」
「ふふっ、順序が逆ですよ」
彼女が自分の唇に指を当てながら微笑んだのを見て、僕は真っ赤になった。
そんな僕の態度を見たからか、彼女も恥ずかしそうな顔をしながら言った。
「お店を閉めるまで、中でお待ちいただけますか?」
彼女が扉を開けた瞬間、事のいきさつを見ていた客たちが一斉に僕たちに向かって拍手をした。
「よっ! カップル成立おめでとう!」
「ま、まだですよっ! お客様! これからですっ!」
あの子、僕にプレゼントをくれたのかな。いや、あの子にとって僕がサンタだったのかな。
店に入る前に少し振り返って空を見上げると、ひんやりと澄んだ空気の向こう側にきらきらまたたく星たちがたくさん見えた。
でも そのサンタはーパパー
ってオチです