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千一夜の薔薇  作者: 冬野 暉
第四夜 かげろう蜜月
11/14

01

※残酷・流血描写あり。

 振りかざした刃が白く光る。

 風が止んだような静寂、刃の真下にいる男の喉が大きく鳴った。ラガートはわずかに眸を眇め、晒された男の首めがけて躊躇なく刃を振り下ろした。

 鈍い音とともに、朱い砂の上にもっと鮮やかな血飛沫が散った。

 頭部を失った男の体が倒れこむ。砂と血にまみれた骸を前に、周囲から歓声と慟哭が沸き起こった。

 刃を伝う露を払い、ラガートは長剣を鞘に収めた。

「お見事でした、二の若!」

 満面に喜色を広げた短髪の少年が駆け寄ってくる。

 成人を迎えたばかりの年若い戦士だ。確か、今回が初陣だったはずである。

「怪我はないようだな」

「はっ、はい! お気遣いありがとうございます!」

 少年に続いて〈青鷹〉の戦士たちが次々にラガートを取り囲んだ。歓呼を叫びながら肩や背中を力強く叩いていく。

「やったぞ、若!」

 背後から頭を抱えこまれたかと思うと、ぐしゃぐしゃに髪を掻き混ぜられた。慌てて外れかけた頭布を押さえると、右頬に剣創のある壮年の戦士が笑っていた。

「俺たちの勝利だ!」

「……ああ」

 ラガートは薄く笑んだ。

 二十歳を過ぎた面差しからはすっかり少年期の名残が消え、精悍に成熟した男の色香を帯びていた。右眉の上から頬骨のあたりまで深い傷痕が走り、漆黒だった瞳は濃灰色に変わってしまっている。視力を損なわずに済んだのは不幸中の幸いだ。

 ラガートはぐるりと同胞を見回した。

「皆、よく最後まで戦ってくれた」

 よく通る青年の声に、男たちはシンと静まり返った。彼らの向こうで縄にかけられている捕虜――〈白蠍〉の民の嗚咽や怒号が虚しく響く。

 此度の戦は〈白蠍〉の部族との因縁に決着をつけるものだった。三日間にも及ぶ激闘の末、〈白蠍〉の居留地は〈青鷹〉の戦士たちによって陥落した。

「見よ、鬨の栄誉は我らにこそ与えられた!」

 ラガートは声を張り上げ、足元に転がっていた男の首――〈白蠍〉の族長の首級を高々と掲げた。地を揺るがさんばかりの喝采がとどろく。

 だれかが持ってきた槍の穂先に首級が吊るされると、〈白蠍〉の民の間から甲高い叫び声が上がった。ひとりの娘が縄を巻かれた姿で飛び出す。

「お父さま!」

 薄紅色のスカーフを被り、ひと目で上等とわかる身形の少女だった。もんどり打って砂地に倒れこみながら、必死に首級へ近づこうともがく。

「〈白蠍〉の族長のひとり娘だ」

 剣創の戦士がラガートに小声で耳打ちした。

 幾人かの〈青鷹〉の戦士が引っ立てようとすると、少女は獣のように歯を剥いて戦士のひとりの腕に噛みついた。

「このッ」

 腕を噛まれた男は気色ばんで少女の頬を張った。華奢な体はあっけなく吹き飛ばされ、スカーフの下から豊かな栗色の髪がこぼれ落ちた。

 捕らわれた人々が悲鳴を洩らす。殺気立った勢いで剣を抜こうとしている男を、ラガートはとっさに制止した。

「待て、殺してはならん」

「しかし……」

「捕虜の処遇については族長の指示を仰がねばならない」

 男は渋々と引き下がった。地面にうずくまっている少女に歩み寄ると、熟れた石榴のような深紅の眸が烈しく睨めつけてきた。

 はっきりとした目鼻立ちは華やかさよりも幼さが勝っている。おそらく十五にも満たない齢だろう。頬を撲たれた拍子に切れたのか、まだ紅を差していない唇の端が赤く染まっていた。

「お父さまを返せ!」

 憎悪をこめて吠える少女に、ラガートは冷やかに告げた。

「敗者の首級は七日七夜晒される。それが古からの習いだ」

「――ッ」

 少女の顔がみるみる青ざめる。言葉を探すように唇をわななかせる姿があまりに憐れで、ラガートは微かに眉をひそめた。

 落ちたままのスカーフを拾い、砂を払って少女の頭に掛けてやった。砂漠の民において髪は隠すべきものであり、特に女の髪を目にすることができるのは夫か近しい親族のみとされていた。

「おまえの父は勇敢に戦い抜き、砂に膝をついた者の定めを厳粛に受け容れた。その最期の栄えを汚すことは、何人たりとも許されない」

「……よくも!」

 ふわりと薄紅色が翻る。飛びかかってきた少女の首筋へ、ラガートは鋭い手刀を打ちこんだ。

 短く息を詰め、少女は意識を失った。倒れかけた体を抱き止めると、思わずため息が口を衝いて出た。

「このを頼めるか」

「あっ、はい」

 声をかけると、短髪の少年は慌てて少女の身柄を受け取った。剣創の戦士は渋い表情を浮かべている。

「情けをかけすぎるなよ、若」

 ラガートは苦笑いでごまかした。じわじわと打ち寄せてくる疲労感に思考を切り替える。

 居留地では〈青鷹〉の民が今か今かと自分たちの帰りを待っている。まずは伝令を飛ばし、戦勝を知らせなければ。

 ――深く澄んだ、夜露に濡れた花の色のまなざしが胸を灼いた。

(早く、あのひとに会いたい)

 ひっそりと願いながら、ラガートは頬に飛んだ返り血を拭った。

 嘆きの色に染まった砂原をあかあかと照らす陽が、痛みを覚えるほどまぶしかった。

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