番認定されたスライムに、溺愛されているようです?
しゃがみ込んで、足元の薬草を一本ずつ、根を残してていねいに摘んでいく。
今日の依頼は、薬草の納品。場所は森の浅いところで、魔物もほとんど出ない、安全な採取依頼だ。派手な稼ぎにはならないけれど、わたしはこういう仕事が好きだった。
無理はしない。欲張らない。それが、冒険者を長く続けるコツだと思っている。おかげで、依頼主さんたちからの評判も、まあまあ悪くない。
「よし、このへんは、あと一束かな」
籠がいっぱいになってきたところで、顔を上げた。木々のあいだから朝の光が降りてきて、空気がおいしい。絶好の採取日和だ。
倒木の根元で、なにかがきらりと光ったのは、そのときだった。
近づいて、思わず声が出た。
「わあ、綺麗なスライム! 宝石みたい」
大きなダイヤモンドを、そのまま丸くしたような子だった。木漏れ日が当たるたびに、透明な体の中で光が七色に割れて、きらきらと散っていく。
ただ、どうにも様子がおかしい。地面にぺたんと広がったまま、ほとんど動かない。輝きも弱々しくて、いまにも消えてしまいそうだった。
「怪我してるのかな。……あ、そうだ」
腰のポーチから、低級ポーションの小瓶を取り出す。
「ちょっとしみるかもしれないけど、ごめんね」
栓を抜いて、とろりと中身をかける。
ぷるっ、とスライムが震えた。ゆっくり、ゆっくり、体が持ち上がっていく。ぷるぷる、ぷるぷると、輝きが少しずつ戻ってくる。
「よかった、元気になってきた!」
嬉しくなって、つい手を伸ばした。見た目は硬い宝石そのものなのに、指を押し当てると、ぷにゅんと沈む。ひんやりして、やわらかくて、すべすべで。
(なにこれ。癖になる)
夢中でぷにぷにしていたら、スライムがぴたりと動きを止めた。目なんてないのに、じっとわたしを見つめている気がする。
そして次の瞬間、体の真ん中から、ぽうっと光る丸い玉が浮かび上がってきた。スライムはそれを、ずいっと、わたしの手のほうへ押し出してくる。
「え、なに? くれるの? お礼?」
ふわふわと優しく光る、綺麗な玉。受け取ろうとして、わたしは、はたと気づいた。
どくん、どくん、と脈打っている。
(……ちょっと待って。これ、核じゃない?)
ギルドの講習で習った。スライムの核は、命そのもの。取り出したら、死んでしまう。
「えっ、お礼? それ出したら死んじゃうでしょ!?」
スライムは、ぷるぷると嬉しそうに揺れている。死にそうな気配はまるでない。むしろ幸せそうで、それがかえって怖い。
「だめだめ。戻して! 戻してってば!」
おそるおそる、両手で核を包んだ。あたたかくて、やわらかくて、手の中でどくどく動いている。落としたら終わりだ。心臓がばくばくする。
(落ち着け、わたし。体の中に返せばいいだけ)
核ごと、スライムの体に両手をぐっと押し込んだ。ひんやりした体の中に、手首までずぶずぶ沈んでいく。
「お願い、戻って……!」
するり、と核が体の真ん中に収まった。ぽわっと、やわらかな光が全体に広がる。
「はあぁ……よかった……」
へなへなと座り込んで、手を引き抜いて――そこで気づいた。
「あれ? 指輪がない」
小さな青い石の指輪。冒険者になった日に、祖母がくれたお守りだ。いつも右手にはめていたのに。
見ると、透明な体の中ほどで、青い石がぽつんと光っている。手を押し込んだときに、一緒に抜けて入ってしまったらしい。
「うわあ、ごめん! 取れるの、これ? ええと、どうやって……」
おろおろしていると、スライムの体がぐにゅりと動いた。指輪がゆっくり浮かんで、表面に近づいてくる。ぽん、と外に出てきたそれを、スライムは細く伸ばした体の先で、器用に受け止めた。
そして、わたしの左手をすくうように持ち上げて、指輪をつるんと通した。
ぴったりと左の薬指にはまった。
(右手だった気もするけど……まあ、ぴったりだからいいか)
「え? 返してくれるの? ありがとう」
にっこり笑いかけると、スライムの体が、ぱあっと眩しく輝いた。プリズムの光が森じゅうに散らばって、小さな虹がいくつもかかる。
「わ、すごい。喜んでるの? 変わった子だなあ。でも、いい子だね」
* * *
【スライム視点】
あのとき、僕は、もう駄目かもしれないと思っていた。
魔力を使い果たして、体がぴくりとも動かなくなっていたのだ。それでも不思議と怖くはなかった。森は静かで、光は綺麗で、いい場所で終われそうだと、ぼんやり考えていた。
そこへ、足音がした。やさしい足音だった。続いて、声。
「わあ、綺麗なスライム! 宝石みたい」
――世界が、ひっくり返った。
『……え?』
声が、体の芯まで届いた。あたたかくて、明るくて、陽だまりみたいな声。
重い体をなんとか持ち上げて、見上げる。そこにいたのは、栗色の髪をした、ひとりの人間の女性だった。
『これは運命……! 番だ!』
間違いない。体じゅうのすべてが、そう叫んでいた。この人だ。この人こそが、僕が生まれてきた理由なのだ。
彼女は、迷わず小瓶を取り出して、あたたかな薬を注いでくれた。
『なんて優しいひとなんだろう。見ず知らずの僕に、こんなに……』
薬が染み込んで、少しずつ、体に力が戻ってくる。それ以上に、胸がいっぱいになる。そこへ、彼女の指が触れた。ぷにぷに、ぷにぷにと、何度も。
『触れられている……! ああ、幸せだ……』
スライムの番の儀式は、お互いの体を寄せ合って、核を交換し、それを元の持ち主に返すこと。核は、僕たちの命そのものだ。命を預けて、命を返してもらう。預けた相手を信じて、預かった相手は決して裏切らない。その信頼が、そのまま永遠の誓いになる。
『伝えなくちゃ。僕の、全部を』
迷いはなかった。核を、彼女のほうへ、そっと差し出す。
彼女の目が、まん丸になった。
「え、なに? くれるの? お礼?」
『お礼じゃないよ。僕の命だよ。受け取って、愛しいひと』
彼女は、両手で核を包んでくれた。震える手で、壊れものを扱うみたいに、とても大切そうに。
『受け取ってくれた……! こんなに大切に……!』
しかも、真っ青な顔で「だめだめ」と叫んでいる。
『ああ、照れているんだ。かわいいなあ』
そして彼女は、核ごと、僕の体の中へ手を沈めてきた。
『返してくれる……!』
体の中に、彼女の手のぬくもりが広がった。核が、元の場所へ、優しく収まる。命を預け、命を返された。スライムとしての、僕の分の儀式は、これでちゃんと終わった。
けれど、彼女は人間だ。人間には、核がない。彼女の命を預かることは、できない。
『それでもいい。僕の分だけでも、誓いを立てられた。それだけで、僕は十分幸せだ』
彼女が運命の番であることに、変わりはないのだから。僕はそう思って、胸をいっぱいにしていた。
――そのときだった。
彼女の指から、するりと小さな輪が抜けて、僕の体の中に入ってきた。青い石のついた、古くて、あたたかな指輪。
『これは……』
彼女が、ずっと身につけていた、いちばん大切なもの。これを、核の代わりに預けてくれたのだ。
『命の代わりに、大切な宝物を。ちゃんと、気持ちを返してくれたんだ』
胸が、じんと熱くなる。預かったのなら、今度は、僕が返す番だ。
指輪を外へ送り出して、彼女の手をそっと取る。以前、森を通った旅人が話していた。人間の番は、左手の薬指に誓いの輪をはめるのだと。
つるん、と通す。ぴったりだった。
預けて、返した。命と、宝物。お互いに預けて、お互いに返したのだ。
『成立した……! 僕ひとりで立てるつもりだった誓いが、二人のものになった。僕たちは、番になったんだ』
すると彼女は、にっこりと笑った。
「え? 返してくれるの? ありがとう」
――ありがとう。
その言葉と笑顔が、体じゅうに染みわたって、僕はぱあっと光った。喜びが抑えきれずにあふれて、プリズムが森を七色に染める。
『僕は、世界一の幸せ者だ』
運命の番に出会って、命を預け合い、誓いの輪まで交わした。こんな素晴らしい日が、ほかにあるだろうか。
『妻のために、生きよう』
それが、僕の、新しい人生のはじまりだった。
* * *
それからが、大変だった。いや、大変というか、ついてくるのだ。
薬草の採取に戻ったわたしの後ろを、ぷるん、ぷるん、とスライムがついてくる。立ち止まると止まる。歩くと跳ねる。
「ついてきても、おもしろくないよ?」
ぷるぷる。
「森の中、危ないよ?」
ぷるぷる。ついてくる気は、満々らしい。
まあ害はなさそうだし、と放っておいたら、スライムは、わたしがしゃがんで薬草を摘むのを、じいっと見ていた。そして、すすっと隣に来ると、体の一部をにゅっと細く伸ばして、薬草を根もとからそっと摘みはじめた。
「え」
葉を傷つけず、根を残して、ていねいに。わたしが摘んだ束の隣に、同じ形の束が、ぽんと置かれる。
「え、すごい。上手じゃない?」
ぷるん、と胸を張るみたいに、スライムが体をそらした。
それだけじゃない。スライムは、ぴょんと跳ねて先に進み、少し離れた岩陰で、ぷるぷると震えて見せた。行ってみると、見たこともないほど青々とした薬草が、ぎっしり群生している。
「こんなところに、群生地が……?」
しかも、質のいいものばかりだ。わたしが選んで摘んでいたのを、ちゃんと見ていたのだ。いちばん質のいい薬草の見分け方まで、一度で。
「この子、天才?」
感動して撫でると、スライムが、ぷるるるる、と嬉しそうに震えた。
その日の採取は、いつもの半分の時間で終わってしまった。
帰ろうとして、気づく。スライムが、まだついてくる。森の出口でも、道に出ても。
「……うち、くる?」
ぷるん! と、いちばん大きく跳ねた。
わたしは笑って、スライムを抱き上げた。重さは、小さなクッションくらい。ひんやり、ぷるぷる。腕の中でおとなしくなった体は、大きな宝石を抱いているみたいなのに、ぜんぜん硬くなくて。
「よし。街まで、一緒に行こう」
* * *
街の冒険者ギルドは、夕方で、ちょうどにぎわう時間だった。
スライムを抱えて入っていくと、あちこちから視線が刺さる。そりゃそうだ。透明な体が、ランプの光を受けて、きらっきらに輝いているのだから。
「おい、見ろよ。また、なんか拾ってきたぞ」
「宝石のスライム? まあ、彼女だしなー」
「ああ、彼女だしな」
そこは、納得しないでほしい。
納品に行くと、受付のリタさんが、薬草の束とスライムを、順番に二度見した。
「ソフィさん、薬草の質がいつもよりいいんですけど。それと、その腕の中の、すっごく綺麗な子はなんですか」
「森で見つけて、ポーションをかけたら、ついてきちゃって」
「拾ったんですか? それとも、テイムしました?」
「テイムは、してないです。気がついたら、一緒にいて」
「では、従魔登録になりますね。街で連れて歩くなら、登録が必要なんです」
リタさんは書類を取り出して、ふと顔を上げた。
「この子、名前はあるんですか?」
「ないです。まだ」
「つけてあげたらどうです? 名前があったほうが、この子も喜ぶと思いますよ。魔物でも、名前をもらうと絆が深まるって言いますし」
(絆、か)
腕の中のスライムが、ぷるっと震えた。わたしの顔を見上げて、じっと待っているみたいだ。期待されている気がして、わたしは考えた。
透明で、光って、きらきらしていて。
「ダイヤみたいだから、ダイヤ……は、そのまんまだなあ。そうだ、おばあちゃんが話してくれた遠い国の言葉で、ダイヤモンドのことを、ディアマンって言ったはず」
スライムが、ぴたりと動きを止めた。
「ディアマン。……どう? ディアマンって、呼んでもいい?」
きらっ、と、体の中の光が弾けた。ぷるぷる、ぷるぷると、これまででいちばん激しく震えている。
「あ、気に入った? よかった! じゃあ決まり。今日からあなたは、ディアマンだよ」
リタさんが、さらさらとペンを走らせた。従魔登録票の名前の欄に、『ソフィの従魔・ディアマン』と書き込んで、わたしたちの目の前に、すっと差し出す。
受け取った紙を見ていて、ふと思いついた。
(この子、わたしの名前も、ちゃんと分かってるかな)
せっかくだから、教えておこう。わたしは登録票をディアマンの前に広げて、書かれた名前を、順番に指さした。
「ほら、ここに書いてあるよ。これが、わたし」
自分の胸に手を当てる。
「ソフィ。わたし」
ぷる?
それから、もうひとつの名前を指さして、ぷるぷるの体を、指先でちょんとつついた。
「ディアマン。あなた」
ぷるぷるぷるぷる! ディアマンが、今日いちばん激しく震えて、体じゅうの光が、ぱちぱちと弾けた。
「覚えてくれた? えらいねえ」
「はい、ディアマンの登録完了です。仲良しですね、お二人とも」
リタさんが笑うと、周りの冒険者たちも、口々に声をかけてくれた。
「ディアマンか、いい名前だな」
「ソフィと仲良しだな。見てるこっちまで、ほのぼのするぜ」
「ありがとうございます。いい名前になったね、ディアマン」
わたしは紙をそっとポーチにしまって、腕の中の子を見下ろした。
(名前をつけただけなのに、こんなに喜んでくれるんだ)
なんて、かわいい子だろう。
* * *
【スライム視点】
あの日は、僕にとって、生涯忘れられない記念日になった。
ギルドに入ってすぐ、受付の女性が、妻を呼んだ。
「ソフィさん」
『ソフィ』
それが、妻の名前。ずっと「妻」と呼んでいたけれど、本当の名前を知ったのは、あのときが初めてだった。ソフィ。なんて、いい響きだろう。声に出して呼べないのが、もどかしいくらいに。
それだけでも、胸がいっぱいだったのに。
「この子、名前はあるんですか?」
名前。僕に、名前。
妻が、考えてくれている。僕のために、真剣な顔で。
「ディアマン」
『ディアマン……』
それが、僕の名前。妻が、僕に、名前をくれた。
スライムには、本来、名前がない。名前とは、誰かから授かるもの。それも、いちばん大切な相手から、いちばん大切な贈り物として。
『妻が、僕に、名前をつけてくれた……!』
しかも、おばあさまから聞いた特別な言葉で、宝石を意味する名前を。僕を宝石みたいだと言ってくれたのだ。
それだけじゃなかった。
女性が、一枚の紙に何かを書いて妻へ渡した。妻はその紙を僕の前に広げた。
「これが、わたし」
妻が、自分の胸に手を当てる。
「ソフィ。わたし」
『ソフィ。わたし。……教えてくれているんだ。僕に、妻自身の名前を』
「ディアマン。あなた」
指先が、ちょん、と僕に触れた。
『ディアマン。あなた。……僕だ。僕のことだ!』
ペンで書かれた『ソフィの従魔・ディアマン』。妻の名前と、僕の名前が、同じ紙の上に、並んでいる。
『並んで、書かれている……!』
従魔、という文字の意味は、よく分からない。けれど、きっと人間の世界で、夫婦を表す立派な言葉なのだろう。
ソフィ、と、ディアマン。妻の名前と、僕の名前が結びついた。声には出せなくても、これで僕たちは、お互いの名前を呼び合える。
体が勝手に震えて、光が止まらなかった。
周りの人たちも、祝福してくれた。「いい名前だな」と、「仲良しだな」と。みんな、笑顔で。
『みんなが、僕たちを夫婦だと認めてくれている!』
体の中の光が、とめどなくあふれる。妻の腕の中は、あたたかい。そっと、その胸に身を寄せた。
ソフィ。僕の妻の名前。ディアマン。妻がくれた僕の名前。
これから一生、何度でも、妻が呼んでくれる。毎年、この日が来るたびに、お祝いしよう。
幸せすぎて、ちょっと溶けそうだった。
* * *
ディアマンとの暮らしは、思った以上に楽しい。
まず、お風呂。森の土がついたままじゃかわいそうだと思って、たらいにぬるま湯を張ってみたら、ディアマンは、ざぶんと飛び込んでぷかぷか浮いた。石けんで、ごしごし洗ってやる。
「かゆいところはないですかー」
ぷるぷる。ぷるるっ。気持ちよさそうに、体がとろんと広がる。洗い終わると、水を弾いて、前よりもっときらっきらに輝いた。
「すごい、ぴっかぴか。洗い甲斐があるなあ」
寝床は、籠にふかふかのタオルを敷いて、枕元に置いてやった。「ここがディアマンのベッドだよ」と言ったのに、夜中に目が覚めたら、ちゃっかりわたしの布団の中にいた。
「……ベッド、あっちだよ?」
ぷるぷる。動かない。ひんやりした体が、ちょうど足元で気持ちいい。
まあ、いいか。結局、毎晩そうなった。
お茶の時間も、いつの間にか二人の日課だ。
わたしは、冷たい紅茶を、麦わらのストローで飲むのが好きだった。ある日、ふと視線を感じて見下ろすと、膝の上のディアマンが、わたしの手元を、じいっと見つめている。
「これ? ストローっていうんだよ。こうやって飲むの」
ちゅー、と吸って見せると、ディアマンは、ぷるっと震えた。そして、体の一部を、にゅうっと細く伸ばしはじめる。先がすぼまって、まっすぐな、透明の管になった。
「え、まねっこ?」
ディアマンは、きりっと姿勢を正して(背筋はないけれど)、膝に置いた小皿の、蜂蜜を溶かした水に、管の先をそうっと差し入れた。
ちゅー……。
金色の蜂蜜水が、透明な管を上っていく。体の中に入ると、ふわりと溶けて、きらきらした光の粒になって、ゆっくり広がった。まるで、体の中に、小さな夕焼けができたみたいだ。
「うわあ、綺麗……! ディアマン、上手にストロー使えるねえ。お行儀もいい」
ぷるん! と得意げに胸を張る。かわいい。この光景が見られるなら、毎日お茶の時間にしたいくらいだ。
そして、いちばんの変化は、採取だった。
ディアマンが手伝ってくれるおかげで、仕事はびっくりするほど楽になった。薬草の見分けも、群生地の場所も、森のことなら、この子のほうがよく知っている。納品は早く、質もよくなって、依頼主からの評判まで上がってきた。
「ソフィさんのところは、ほんとに助かるわ」と、薬屋のゲルダさんが目を細める。「あのスライムちゃん、いい子だねえ」
「そうなんです。自慢の相棒で」
ある朝、わたしは布と革で、小さなバッグを縫った。肩から斜めにかけられる、ディアマン専用のバッグだ。
「抱っこだと、両手が使えないでしょ? だから、これ」
ディアマンは、バッグをじいっと見つめて――ぴょん! と飛び込んだ。ぴったり収まって、上のほうだけ、ぷるんと出す。
「ぴったり! 作ってよかった」
* * *
【スライム視点】
僕の毎日は、お祝いのようだ。
『妻が、僕をお風呂に入れてくれた。ごしごし、ていねいに、やさしく』
『ベッドも作ってくれた。でも、いちばん安心するのは、やっぱり妻のそば。毎晩、おそばで眠れる僕は、世界一の幸せ者だ』
お茶の時間も、大好きだ。妻は、ストローという細い管を使って、とても上品にお茶を飲む。妻と同じものを、同じようにしたくて、僕は体の一部を細く伸ばして、管を作ってみた。
『作法は、ちゃんと守らないと。妻の隣にふさわしい夫でいたいからね』
蜂蜜水が、ちゅー、と体の中に入ってくる。甘い。そして、妻が優しく笑ってくれる。
「上手にストロー使えるねえ。お行儀もいい」
『褒められた! 妻と、同じ時間を、同じように楽しんでいる!』
蜂蜜の甘さより、妻の声のほうが、ずっと甘かった。
そして、ある朝。
『今日は、僕のために、バッグを縫ってくれた!』
針と糸を持つ妻の横顔を、僕は何時間でも眺めていられた。僕のために、時間を使ってくれている。
『愛されているなあ』
誰かに嫉妬するなんて、考えたこともない。妻が薬屋のおばあさんと笑っていても、冒険者たちに「彼女だしなー」と言われていても、妻が楽しそうなら、僕も嬉しい。だって、妻の隣が僕の場所だということは、ちゃんと知っているから。
『妻のために、できることがあるなら、なんでもしたい。今日も一日、頑張ろう』
* * *
ピンチは、よく晴れた日の昼下がりに、突然やってきた。
依頼は、月光草の採取。森の浅いところで摘める、いつもどおりの、安全な仕事だった。
バッグにディアマンを入れて、鼻歌まじりに歩く。
「今日はいい天気だねえ」
ぷるん。
「帰ったら、ゲルダさんのところで焼き菓子でも買おうか」
ぷるるん。
そのときだった。ディアマンが、ぴくんと体を硬くして、森の奥へ向き直った。
「ディアマン? どうしたの」
答えるかわりに、体がきらっと強く光る。次の瞬間、地面が、ずしん、と揺れた。
茂みを割って現れたのは、わたしの背丈の倍もありそうな、巨大な猪だった。黒い毛並みに、反り返った牙、赤く光る目。
「うそ。なんで、こんな浅いところに……!」
こんな魔物は、森のずっと奥にしかいないはずだ。慌てて後ずさり、腰のショートソードに手をかけたけど、指が震えて、うまく抜けない。
猪が、地面を蹴った。
逃げなきゃ、と走りだして、ぬかるみに足を取られた。
「きゃっ!」
派手に転んだ拍子に、ショートソードが手から滑って、地面に落ちる。顔を上げると、猪はもう、目の前に迫っていた。
(だめ――)
ぎゅっと目をつぶった、その瞬間。
ばちっ、と、まぶた越しにまばゆい光が弾けた。
おそるおそる、目を開ける。
わたしと猪のあいだに、誰かが立っていた。こちらに背を向けて。
光をまとっているような、透き通った肌。髪は日差しに透けて、きらきらと輝いている。背が高くて、肩幅も広くて、右手には――いつのまにか、わたしのショートソードを握っていた。
(誰……?)
その人が、ちらりと振り向いた。
横顔を見て、わたしは息をのんだ。わたしと同じ、少したれ気味の目元。髪の色は、わたしの栗色を、うんと明るくして、光をまぶしたみたいだ。もしわたしにお兄ちゃんがいたら、こんな感じだったかもしれない。
その人は、わたしを見て、やさしく微笑んだ。「大丈夫」と言うみたいに。それから、ふたたび猪に向き直る。
猪が、突進してきた。
彼は、一歩も引かなかった。左腕を、ぐっと前に突き出す。腕がきらりと結晶みたいに硬くなって、猪の牙を、がきんっ、と受け止めた。火花が散る。
そして右手のショートソードを、ひらりと一閃。
猪が、大きくよろめいた。体勢を立て直す間も与えず、彼は剣の腹で、ばしん! と猪の鼻先を打ち据える。
ぷぎいいい、と情けない悲鳴を上げて、猪はくるりと背を向けた。そのまま、一目散に森の奥へ逃げていく。
静けさが戻った。鳥の声が、少し遅れて聞こえてくる。
彼は剣を静かに下ろして、わたしのほうへ歩いてきた。そして、ぬかるみに座り込んだままのわたしの前に、片膝をついて、手を差し出す。
その手を、思わず握ってしまった。
ひんやりして、すべすべしていて、でも思ったよりずっと大きくて、頼もしい。
「ありがとう。……ディアマン、だよね?」
青年が、こくこく、とうなずいた。声は出さないけれど、きらきらした瞳が、ほっとしたように細められる。
その笑顔を見た瞬間、胸が、きゅん、と鳴った。
(……あれ?)
そのとき、ぽんっ、と軽い音がした。
光がほどけて、手の中の感触が、ひんやりと、やわらかなものに変わる。気がつくと、わたしの膝の上には、いつものぷるぷるのスライムが、ぺしゃんととろけたように広がっていた。
「ディアマン!」
魔力を使い果たしたのだろう。ぐったりと震えているディアマンを、わたしはぎゅうっと抱きしめた。
「ありがとう! 助けてくれて、ありがとう!」
ぷるん。
「頼れるねー! ほんとにすごかったよ! ……大好きだよ、相棒!」
頬ずりしたら、ディアマンの体が、ぽかぽかとあたたかくなった。
* * *
【スライム視点】
僕は、ぐったりしながら、これ以上ないほど満ち足りていた。
妻を、守れた。
猪の足音を、誰より先に聞いたのは僕だ。妻が転んだとき、世界が止まって見えた。迷いはなかった。ありったけの魔力で、人の姿になる。妻の護身用の剣は、毎日そばで見ていたから、使い方は覚えていた。妻の剣で、妻を守る。
『かっこよく、守れたかな』
声は出せないけれど、手を差し出したとき、妻は握り返してくれた。あの手の、あたたかさ。
そして、いま。
「大好きだよ、相棒!」
『……妻が、僕に、大好きって言った!』
相棒というのは、きっと人間の言葉で、いちばん近しい人のことだ。体の隅から隅まで、幸福が駆けめぐっていく。
『大好きって! 大好きって言った!』
ふにゃふにゃに溶けながら、僕は、妻の胸にぎゅうっと身を寄せた。とくん、とくん、と、妻の心臓の音が聞こえる。この音を、一生、守っていこう。
『今日も、幸せだなあ』
* * *
その夜、わたしは、ベッドの上で枕を抱えて、天井を見つめていた。
(……カッコよかったな)
大きな背中と、振り向いたときのやさしい笑顔。差し出された手。思い出すたびに、胸のあたりがむずむずする。
(いやいや、まさか)
ぶんぶん、と首を振った。ディアマンは、スライムだ。かわいい相棒だ。ちょっと姿が変わったくらいで、それが変わるわけじゃない。
視線を足元に落とす。毛布の上でぷるぷるのスライムが、わたしの足にもたれていた。透明な体の中を、ランプの光がゆらゆら泳いでいる。
「……ねえ、ディアマン」
ぷるん?
「今日は、ほんとにありがとうね」
ぷるるっ。
返事の言葉はない。でも、体の中で、光がきらきらと跳ねた。
指をのばして、そっとつついてみる。ぷにゅん。やわらかい。さっきの青年の、あの大きな手とは、全然違うのに。
(……でも、ちょっと似てる?)
まあ、同じ子なんだから、あたりまえだけど。
ふと、左手の指輪が、ランプの灯りにきらりと光った。祖母にもらったお守りの指輪。
(そういえば、いつからこの指にしてたんだっけ)
考えかけて、あくびが出た。
「……ま、いっか。おやすみ、ディアマン」
ぷるぷる、と、ディアマンが笑うみたいに揺れた。
* * *
【スライム視点】
妻の足元は、僕のいちばん好きな場所だ。
ランプが消えて、すう、すう、と静かな寝息が聞こえてくる。ひんやりした僕の体に、妻のぬくもりが伝わってきた。
『おやすみ、僕の奥さん』
妻の左手には、青い石の指輪。誓いの証は、今日も小さく光っている。
僕がどれだけ幸せか、きっと妻は、まだ全部は知らない。だったら、毎日、少しずつ伝えていけばいい。
『明日は何をしようかな。妻の好きなお菓子を探しに行こうか。新しい薬草畑も、見つけてあげたいな』
明日も明後日も、その先も。愛する妻のためにできることが、まだまだたくさんある。
『今日も世界一、幸せだ』
きらり、と光が小さくまたたいて、静かな夜が二人をそっと包んだ。




