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番認定されたスライムに、溺愛されているようです?

作者: くみの
掲載日:2026/11/01

 しゃがみ込んで、足元の薬草を一本ずつ、根を残してていねいに摘んでいく。


 今日の依頼は、薬草の納品。場所は森の浅いところで、魔物もほとんど出ない、安全な採取依頼だ。派手な稼ぎにはならないけれど、わたしはこういう仕事が好きだった。


 無理はしない。欲張らない。それが、冒険者を長く続けるコツだと思っている。おかげで、依頼主さんたちからの評判も、まあまあ悪くない。


「よし、このへんは、あと一束かな」


 籠がいっぱいになってきたところで、顔を上げた。木々のあいだから朝の光が降りてきて、空気がおいしい。絶好の採取日和だ。


 倒木の根元で、なにかがきらりと光ったのは、そのときだった。


 近づいて、思わず声が出た。


「わあ、綺麗なスライム! 宝石みたい」


 大きなダイヤモンドを、そのまま丸くしたような子だった。木漏れ日が当たるたびに、透明な体の中で光が七色に割れて、きらきらと散っていく。


 ただ、どうにも様子がおかしい。地面にぺたんと広がったまま、ほとんど動かない。輝きも弱々しくて、いまにも消えてしまいそうだった。


「怪我してるのかな。……あ、そうだ」


 腰のポーチから、低級ポーションの小瓶を取り出す。


「ちょっとしみるかもしれないけど、ごめんね」


 栓を抜いて、とろりと中身をかける。


 ぷるっ、とスライムが震えた。ゆっくり、ゆっくり、体が持ち上がっていく。ぷるぷる、ぷるぷると、輝きが少しずつ戻ってくる。


「よかった、元気になってきた!」


 嬉しくなって、つい手を伸ばした。見た目は硬い宝石そのものなのに、指を押し当てると、ぷにゅんと沈む。ひんやりして、やわらかくて、すべすべで。


(なにこれ。癖になる)


 夢中でぷにぷにしていたら、スライムがぴたりと動きを止めた。目なんてないのに、じっとわたしを見つめている気がする。


 そして次の瞬間、体の真ん中から、ぽうっと光る丸い玉が浮かび上がってきた。スライムはそれを、ずいっと、わたしの手のほうへ押し出してくる。


「え、なに? くれるの? お礼?」


 ふわふわと優しく光る、綺麗な玉。受け取ろうとして、わたしは、はたと気づいた。


 どくん、どくん、と脈打っている。


(……ちょっと待って。これ、核じゃない?)


 ギルドの講習で習った。スライムの核は、命そのもの。取り出したら、死んでしまう。


「えっ、お礼? それ出したら死んじゃうでしょ!?」


 スライムは、ぷるぷると嬉しそうに揺れている。死にそうな気配はまるでない。むしろ幸せそうで、それがかえって怖い。


「だめだめ。戻して! 戻してってば!」


 おそるおそる、両手で核を包んだ。あたたかくて、やわらかくて、手の中でどくどく動いている。落としたら終わりだ。心臓がばくばくする。


(落ち着け、わたし。体の中に返せばいいだけ)


 核ごと、スライムの体に両手をぐっと押し込んだ。ひんやりした体の中に、手首までずぶずぶ沈んでいく。


「お願い、戻って……!」


 するり、と核が体の真ん中に収まった。ぽわっと、やわらかな光が全体に広がる。


「はあぁ……よかった……」


 へなへなと座り込んで、手を引き抜いて――そこで気づいた。


「あれ? 指輪がない」


 小さな青い石の指輪。冒険者になった日に、祖母がくれたお守りだ。いつも右手にはめていたのに。


 見ると、透明な体の中ほどで、青い石がぽつんと光っている。手を押し込んだときに、一緒に抜けて入ってしまったらしい。


「うわあ、ごめん! 取れるの、これ? ええと、どうやって……」


 おろおろしていると、スライムの体がぐにゅりと動いた。指輪がゆっくり浮かんで、表面に近づいてくる。ぽん、と外に出てきたそれを、スライムは細く伸ばした体の先で、器用に受け止めた。


 そして、わたしの左手をすくうように持ち上げて、指輪をつるんと通した。


 ぴったりと左の薬指にはまった。


(右手だった気もするけど……まあ、ぴったりだからいいか)


「え? 返してくれるの? ありがとう」


 にっこり笑いかけると、スライムの体が、ぱあっと眩しく輝いた。プリズムの光が森じゅうに散らばって、小さな虹がいくつもかかる。


「わ、すごい。喜んでるの? 変わった子だなあ。でも、いい子だね」


* * *


【スライム視点】


 あのとき、僕は、もう駄目かもしれないと思っていた。


 魔力を使い果たして、体がぴくりとも動かなくなっていたのだ。それでも不思議と怖くはなかった。森は静かで、光は綺麗で、いい場所で終われそうだと、ぼんやり考えていた。


 そこへ、足音がした。やさしい足音だった。続いて、声。


「わあ、綺麗なスライム! 宝石みたい」


 ――世界が、ひっくり返った。


『……え?』


 声が、体の芯まで届いた。あたたかくて、明るくて、陽だまりみたいな声。


 重い体をなんとか持ち上げて、見上げる。そこにいたのは、栗色の髪をした、ひとりの人間の女性だった。


『これは運命……! 番だ!』


 間違いない。体じゅうのすべてが、そう叫んでいた。この人だ。この人こそが、僕が生まれてきた理由なのだ。


 彼女は、迷わず小瓶を取り出して、あたたかな薬を注いでくれた。


『なんて優しいひとなんだろう。見ず知らずの僕に、こんなに……』


 薬が染み込んで、少しずつ、体に力が戻ってくる。それ以上に、胸がいっぱいになる。そこへ、彼女の指が触れた。ぷにぷに、ぷにぷにと、何度も。


『触れられている……! ああ、幸せだ……』


 スライムの番の儀式は、お互いの体を寄せ合って、核を交換し、それを元の持ち主に返すこと。核は、僕たちの命そのものだ。命を預けて、命を返してもらう。預けた相手を信じて、預かった相手は決して裏切らない。その信頼が、そのまま永遠の誓いになる。


『伝えなくちゃ。僕の、全部を』


 迷いはなかった。核を、彼女のほうへ、そっと差し出す。


 彼女の目が、まん丸になった。


「え、なに? くれるの? お礼?」


『お礼じゃないよ。僕の命だよ。受け取って、愛しいひと』


 彼女は、両手で核を包んでくれた。震える手で、壊れものを扱うみたいに、とても大切そうに。


『受け取ってくれた……! こんなに大切に……!』


 しかも、真っ青な顔で「だめだめ」と叫んでいる。


『ああ、照れているんだ。かわいいなあ』


 そして彼女は、核ごと、僕の体の中へ手を沈めてきた。


『返してくれる……!』


 体の中に、彼女の手のぬくもりが広がった。核が、元の場所へ、優しく収まる。命を預け、命を返された。スライムとしての、僕の分の儀式は、これでちゃんと終わった。


 けれど、彼女は人間だ。人間には、核がない。彼女の命を預かることは、できない。


『それでもいい。僕の分だけでも、誓いを立てられた。それだけで、僕は十分幸せだ』


 彼女が運命の番であることに、変わりはないのだから。僕はそう思って、胸をいっぱいにしていた。


 ――そのときだった。


 彼女の指から、するりと小さな輪が抜けて、僕の体の中に入ってきた。青い石のついた、古くて、あたたかな指輪。


『これは……』


 彼女が、ずっと身につけていた、いちばん大切なもの。これを、核の代わりに預けてくれたのだ。


『命の代わりに、大切な宝物を。ちゃんと、気持ちを返してくれたんだ』


 胸が、じんと熱くなる。預かったのなら、今度は、僕が返す番だ。


 指輪を外へ送り出して、彼女の手をそっと取る。以前、森を通った旅人が話していた。人間の番は、左手の薬指に誓いの輪をはめるのだと。


 つるん、と通す。ぴったりだった。


 預けて、返した。命と、宝物。お互いに預けて、お互いに返したのだ。


『成立した……! 僕ひとりで立てるつもりだった誓いが、二人のものになった。僕たちは、番になったんだ』


 すると彼女は、にっこりと笑った。


「え? 返してくれるの? ありがとう」


 ――ありがとう。


 その言葉と笑顔が、体じゅうに染みわたって、僕はぱあっと光った。喜びが抑えきれずにあふれて、プリズムが森を七色に染める。


『僕は、世界一の幸せ者だ』


 運命の番に出会って、命を預け合い、誓いの輪まで交わした。こんな素晴らしい日が、ほかにあるだろうか。


『妻のために、生きよう』


 それが、僕の、新しい人生のはじまりだった。


* * *


 それからが、大変だった。いや、大変というか、ついてくるのだ。


 薬草の採取に戻ったわたしの後ろを、ぷるん、ぷるん、とスライムがついてくる。立ち止まると止まる。歩くと跳ねる。


「ついてきても、おもしろくないよ?」


 ぷるぷる。


「森の中、危ないよ?」


 ぷるぷる。ついてくる気は、満々らしい。


 まあ害はなさそうだし、と放っておいたら、スライムは、わたしがしゃがんで薬草を摘むのを、じいっと見ていた。そして、すすっと隣に来ると、体の一部をにゅっと細く伸ばして、薬草を根もとからそっと摘みはじめた。


「え」


 葉を傷つけず、根を残して、ていねいに。わたしが摘んだ束の隣に、同じ形の束が、ぽんと置かれる。


「え、すごい。上手じゃない?」


 ぷるん、と胸を張るみたいに、スライムが体をそらした。


 それだけじゃない。スライムは、ぴょんと跳ねて先に進み、少し離れた岩陰で、ぷるぷると震えて見せた。行ってみると、見たこともないほど青々とした薬草が、ぎっしり群生している。


「こんなところに、群生地が……?」


 しかも、質のいいものばかりだ。わたしが選んで摘んでいたのを、ちゃんと見ていたのだ。いちばん質のいい薬草の見分け方まで、一度で。


「この子、天才?」


 感動して撫でると、スライムが、ぷるるるる、と嬉しそうに震えた。


 その日の採取は、いつもの半分の時間で終わってしまった。


 帰ろうとして、気づく。スライムが、まだついてくる。森の出口でも、道に出ても。


「……うち、くる?」


 ぷるん! と、いちばん大きく跳ねた。


 わたしは笑って、スライムを抱き上げた。重さは、小さなクッションくらい。ひんやり、ぷるぷる。腕の中でおとなしくなった体は、大きな宝石を抱いているみたいなのに、ぜんぜん硬くなくて。


「よし。街まで、一緒に行こう」


* * *


 街の冒険者ギルドは、夕方で、ちょうどにぎわう時間だった。


 スライムを抱えて入っていくと、あちこちから視線が刺さる。そりゃそうだ。透明な体が、ランプの光を受けて、きらっきらに輝いているのだから。


「おい、見ろよ。また、なんか拾ってきたぞ」


「宝石のスライム? まあ、彼女だしなー」


「ああ、彼女だしな」


 そこは、納得しないでほしい。


 納品に行くと、受付のリタさんが、薬草の束とスライムを、順番に二度見した。


「ソフィさん、薬草の質がいつもよりいいんですけど。それと、その腕の中の、すっごく綺麗な子はなんですか」


「森で見つけて、ポーションをかけたら、ついてきちゃって」


「拾ったんですか? それとも、テイムしました?」


「テイムは、してないです。気がついたら、一緒にいて」


「では、従魔登録になりますね。街で連れて歩くなら、登録が必要なんです」


 リタさんは書類を取り出して、ふと顔を上げた。


「この子、名前はあるんですか?」


「ないです。まだ」


「つけてあげたらどうです? 名前があったほうが、この子も喜ぶと思いますよ。魔物でも、名前をもらうと絆が深まるって言いますし」


(絆、か)


 腕の中のスライムが、ぷるっと震えた。わたしの顔を見上げて、じっと待っているみたいだ。期待されている気がして、わたしは考えた。


 透明で、光って、きらきらしていて。


「ダイヤみたいだから、ダイヤ……は、そのまんまだなあ。そうだ、おばあちゃんが話してくれた遠い国の言葉で、ダイヤモンドのことを、ディアマンって言ったはず」


 スライムが、ぴたりと動きを止めた。


「ディアマン。……どう? ディアマンって、呼んでもいい?」


 きらっ、と、体の中の光が弾けた。ぷるぷる、ぷるぷると、これまででいちばん激しく震えている。


「あ、気に入った? よかった! じゃあ決まり。今日からあなたは、ディアマンだよ」


 リタさんが、さらさらとペンを走らせた。従魔登録票の名前の欄に、『ソフィの従魔・ディアマン』と書き込んで、わたしたちの目の前に、すっと差し出す。


 受け取った紙を見ていて、ふと思いついた。


(この子、わたしの名前も、ちゃんと分かってるかな)


 せっかくだから、教えておこう。わたしは登録票をディアマンの前に広げて、書かれた名前を、順番に指さした。


「ほら、ここに書いてあるよ。これが、わたし」


 自分の胸に手を当てる。


「ソフィ。わたし」


 ぷる?


 それから、もうひとつの名前を指さして、ぷるぷるの体を、指先でちょんとつついた。


「ディアマン。あなた」


 ぷるぷるぷるぷる! ディアマンが、今日いちばん激しく震えて、体じゅうの光が、ぱちぱちと弾けた。


「覚えてくれた? えらいねえ」


「はい、ディアマンの登録完了です。仲良しですね、お二人とも」


 リタさんが笑うと、周りの冒険者たちも、口々に声をかけてくれた。


「ディアマンか、いい名前だな」


「ソフィと仲良しだな。見てるこっちまで、ほのぼのするぜ」


「ありがとうございます。いい名前になったね、ディアマン」


 わたしは紙をそっとポーチにしまって、腕の中の子を見下ろした。


(名前をつけただけなのに、こんなに喜んでくれるんだ)


 なんて、かわいい子だろう。


* * *


【スライム視点】


 あの日は、僕にとって、生涯忘れられない記念日になった。


 ギルドに入ってすぐ、受付の女性が、妻を呼んだ。


「ソフィさん」


『ソフィ』


 それが、妻の名前。ずっと「妻」と呼んでいたけれど、本当の名前を知ったのは、あのときが初めてだった。ソフィ。なんて、いい響きだろう。声に出して呼べないのが、もどかしいくらいに。


 それだけでも、胸がいっぱいだったのに。


「この子、名前はあるんですか?」


 名前。僕に、名前。


 妻が、考えてくれている。僕のために、真剣な顔で。


「ディアマン」


『ディアマン……』


 それが、僕の名前。妻が、僕に、名前をくれた。


 スライムには、本来、名前がない。名前とは、誰かから授かるもの。それも、いちばん大切な相手から、いちばん大切な贈り物として。


『妻が、僕に、名前をつけてくれた……!』


 しかも、おばあさまから聞いた特別な言葉で、宝石を意味する名前を。僕を宝石みたいだと言ってくれたのだ。


 それだけじゃなかった。


 女性が、一枚の紙に何かを書いて妻へ渡した。妻はその紙を僕の前に広げた。


「これが、わたし」


 妻が、自分の胸に手を当てる。


「ソフィ。わたし」


『ソフィ。わたし。……教えてくれているんだ。僕に、妻自身の名前を』


「ディアマン。あなた」


 指先が、ちょん、と僕に触れた。


『ディアマン。あなた。……僕だ。僕のことだ!』


 ペンで書かれた『ソフィの従魔・ディアマン』。妻の名前と、僕の名前が、同じ紙の上に、並んでいる。


『並んで、書かれている……!』


 従魔、という文字の意味は、よく分からない。けれど、きっと人間の世界で、夫婦を表す立派な言葉なのだろう。


 ソフィ、と、ディアマン。妻の名前と、僕の名前が結びついた。声には出せなくても、これで僕たちは、お互いの名前を呼び合える。


 体が勝手に震えて、光が止まらなかった。


 周りの人たちも、祝福してくれた。「いい名前だな」と、「仲良しだな」と。みんな、笑顔で。


『みんなが、僕たちを夫婦だと認めてくれている!』


 体の中の光が、とめどなくあふれる。妻の腕の中は、あたたかい。そっと、その胸に身を寄せた。


 ソフィ。僕の妻の名前。ディアマン。妻がくれた僕の名前。


 これから一生、何度でも、妻が呼んでくれる。毎年、この日が来るたびに、お祝いしよう。


 幸せすぎて、ちょっと溶けそうだった。


* * *


 ディアマンとの暮らしは、思った以上に楽しい。


 まず、お風呂。森の土がついたままじゃかわいそうだと思って、たらいにぬるま湯を張ってみたら、ディアマンは、ざぶんと飛び込んでぷかぷか浮いた。石けんで、ごしごし洗ってやる。


「かゆいところはないですかー」


 ぷるぷる。ぷるるっ。気持ちよさそうに、体がとろんと広がる。洗い終わると、水を弾いて、前よりもっときらっきらに輝いた。


「すごい、ぴっかぴか。洗い甲斐があるなあ」


 寝床は、籠にふかふかのタオルを敷いて、枕元に置いてやった。「ここがディアマンのベッドだよ」と言ったのに、夜中に目が覚めたら、ちゃっかりわたしの布団の中にいた。


「……ベッド、あっちだよ?」


 ぷるぷる。動かない。ひんやりした体が、ちょうど足元で気持ちいい。


 まあ、いいか。結局、毎晩そうなった。


 お茶の時間も、いつの間にか二人の日課だ。


 わたしは、冷たい紅茶を、麦わらのストローで飲むのが好きだった。ある日、ふと視線を感じて見下ろすと、膝の上のディアマンが、わたしの手元を、じいっと見つめている。


「これ? ストローっていうんだよ。こうやって飲むの」


 ちゅー、と吸って見せると、ディアマンは、ぷるっと震えた。そして、体の一部を、にゅうっと細く伸ばしはじめる。先がすぼまって、まっすぐな、透明の管になった。


「え、まねっこ?」


 ディアマンは、きりっと姿勢を正して(背筋はないけれど)、膝に置いた小皿の、蜂蜜を溶かした水に、管の先をそうっと差し入れた。


 ちゅー……。


 金色の蜂蜜水が、透明な管を上っていく。体の中に入ると、ふわりと溶けて、きらきらした光の粒になって、ゆっくり広がった。まるで、体の中に、小さな夕焼けができたみたいだ。


「うわあ、綺麗……! ディアマン、上手にストロー使えるねえ。お行儀もいい」


 ぷるん! と得意げに胸を張る。かわいい。この光景が見られるなら、毎日お茶の時間にしたいくらいだ。


 そして、いちばんの変化は、採取だった。


 ディアマンが手伝ってくれるおかげで、仕事はびっくりするほど楽になった。薬草の見分けも、群生地の場所も、森のことなら、この子のほうがよく知っている。納品は早く、質もよくなって、依頼主からの評判まで上がってきた。


「ソフィさんのところは、ほんとに助かるわ」と、薬屋のゲルダさんが目を細める。「あのスライムちゃん、いい子だねえ」


「そうなんです。自慢の相棒で」


 ある朝、わたしは布と革で、小さなバッグを縫った。肩から斜めにかけられる、ディアマン専用のバッグだ。


「抱っこだと、両手が使えないでしょ? だから、これ」


 ディアマンは、バッグをじいっと見つめて――ぴょん! と飛び込んだ。ぴったり収まって、上のほうだけ、ぷるんと出す。


「ぴったり! 作ってよかった」


* * *


【スライム視点】


 僕の毎日は、お祝いのようだ。


『妻が、僕をお風呂に入れてくれた。ごしごし、ていねいに、やさしく』


『ベッドも作ってくれた。でも、いちばん安心するのは、やっぱり妻のそば。毎晩、おそばで眠れる僕は、世界一の幸せ者だ』


 お茶の時間も、大好きだ。妻は、ストローという細い管を使って、とても上品にお茶を飲む。妻と同じものを、同じようにしたくて、僕は体の一部を細く伸ばして、管を作ってみた。


『作法は、ちゃんと守らないと。妻の隣にふさわしい夫でいたいからね』


 蜂蜜水が、ちゅー、と体の中に入ってくる。甘い。そして、妻が優しく笑ってくれる。


「上手にストロー使えるねえ。お行儀もいい」


『褒められた! 妻と、同じ時間を、同じように楽しんでいる!』


 蜂蜜の甘さより、妻の声のほうが、ずっと甘かった。


 そして、ある朝。


『今日は、僕のために、バッグを縫ってくれた!』


 針と糸を持つ妻の横顔を、僕は何時間でも眺めていられた。僕のために、時間を使ってくれている。


『愛されているなあ』


 誰かに嫉妬するなんて、考えたこともない。妻が薬屋のおばあさんと笑っていても、冒険者たちに「彼女だしなー」と言われていても、妻が楽しそうなら、僕も嬉しい。だって、妻の隣が僕の場所だということは、ちゃんと知っているから。


『妻のために、できることがあるなら、なんでもしたい。今日も一日、頑張ろう』


* * *


 ピンチは、よく晴れた日の昼下がりに、突然やってきた。


 依頼は、月光草の採取。森の浅いところで摘める、いつもどおりの、安全な仕事だった。


 バッグにディアマンを入れて、鼻歌まじりに歩く。


「今日はいい天気だねえ」


 ぷるん。


「帰ったら、ゲルダさんのところで焼き菓子でも買おうか」


 ぷるるん。


 そのときだった。ディアマンが、ぴくんと体を硬くして、森の奥へ向き直った。


「ディアマン? どうしたの」


 答えるかわりに、体がきらっと強く光る。次の瞬間、地面が、ずしん、と揺れた。


 茂みを割って現れたのは、わたしの背丈の倍もありそうな、巨大な猪だった。黒い毛並みに、反り返った牙、赤く光る目。


「うそ。なんで、こんな浅いところに……!」


 こんな魔物は、森のずっと奥にしかいないはずだ。慌てて後ずさり、腰のショートソードに手をかけたけど、指が震えて、うまく抜けない。


 猪が、地面を蹴った。


 逃げなきゃ、と走りだして、ぬかるみに足を取られた。


「きゃっ!」


 派手に転んだ拍子に、ショートソードが手から滑って、地面に落ちる。顔を上げると、猪はもう、目の前に迫っていた。


(だめ――)


 ぎゅっと目をつぶった、その瞬間。


 ばちっ、と、まぶた越しにまばゆい光が弾けた。


 おそるおそる、目を開ける。


 わたしと猪のあいだに、誰かが立っていた。こちらに背を向けて。


 光をまとっているような、透き通った肌。髪は日差しに透けて、きらきらと輝いている。背が高くて、肩幅も広くて、右手には――いつのまにか、わたしのショートソードを握っていた。


(誰……?)


 その人が、ちらりと振り向いた。


 横顔を見て、わたしは息をのんだ。わたしと同じ、少したれ気味の目元。髪の色は、わたしの栗色を、うんと明るくして、光をまぶしたみたいだ。もしわたしにお兄ちゃんがいたら、こんな感じだったかもしれない。


 その人は、わたしを見て、やさしく微笑んだ。「大丈夫」と言うみたいに。それから、ふたたび猪に向き直る。


 猪が、突進してきた。


 彼は、一歩も引かなかった。左腕を、ぐっと前に突き出す。腕がきらりと結晶みたいに硬くなって、猪の牙を、がきんっ、と受け止めた。火花が散る。


 そして右手のショートソードを、ひらりと一閃。


 猪が、大きくよろめいた。体勢を立て直す間も与えず、彼は剣の腹で、ばしん! と猪の鼻先を打ち据える。


 ぷぎいいい、と情けない悲鳴を上げて、猪はくるりと背を向けた。そのまま、一目散に森の奥へ逃げていく。


 静けさが戻った。鳥の声が、少し遅れて聞こえてくる。


 彼は剣を静かに下ろして、わたしのほうへ歩いてきた。そして、ぬかるみに座り込んだままのわたしの前に、片膝をついて、手を差し出す。


 その手を、思わず握ってしまった。


 ひんやりして、すべすべしていて、でも思ったよりずっと大きくて、頼もしい。


「ありがとう。……ディアマン、だよね?」


 青年が、こくこく、とうなずいた。声は出さないけれど、きらきらした瞳が、ほっとしたように細められる。


 その笑顔を見た瞬間、胸が、きゅん、と鳴った。


(……あれ?)


 そのとき、ぽんっ、と軽い音がした。


 光がほどけて、手の中の感触が、ひんやりと、やわらかなものに変わる。気がつくと、わたしの膝の上には、いつものぷるぷるのスライムが、ぺしゃんととろけたように広がっていた。


「ディアマン!」


 魔力を使い果たしたのだろう。ぐったりと震えているディアマンを、わたしはぎゅうっと抱きしめた。


「ありがとう! 助けてくれて、ありがとう!」


 ぷるん。


「頼れるねー! ほんとにすごかったよ! ……大好きだよ、相棒!」


 頬ずりしたら、ディアマンの体が、ぽかぽかとあたたかくなった。


* * *


【スライム視点】


 僕は、ぐったりしながら、これ以上ないほど満ち足りていた。


 妻を、守れた。


 猪の足音を、誰より先に聞いたのは僕だ。妻が転んだとき、世界が止まって見えた。迷いはなかった。ありったけの魔力で、人の姿になる。妻の護身用の剣は、毎日そばで見ていたから、使い方は覚えていた。妻の剣で、妻を守る。


『かっこよく、守れたかな』


 声は出せないけれど、手を差し出したとき、妻は握り返してくれた。あの手の、あたたかさ。


 そして、いま。


「大好きだよ、相棒!」


『……妻が、僕に、大好きって言った!』


 相棒というのは、きっと人間の言葉で、いちばん近しい人のことだ。体の隅から隅まで、幸福が駆けめぐっていく。


『大好きって! 大好きって言った!』


 ふにゃふにゃに溶けながら、僕は、妻の胸にぎゅうっと身を寄せた。とくん、とくん、と、妻の心臓の音が聞こえる。この音を、一生、守っていこう。


『今日も、幸せだなあ』


* * *


 その夜、わたしは、ベッドの上で枕を抱えて、天井を見つめていた。


(……カッコよかったな)


 大きな背中と、振り向いたときのやさしい笑顔。差し出された手。思い出すたびに、胸のあたりがむずむずする。


(いやいや、まさか)


 ぶんぶん、と首を振った。ディアマンは、スライムだ。かわいい相棒だ。ちょっと姿が変わったくらいで、それが変わるわけじゃない。


 視線を足元に落とす。毛布の上でぷるぷるのスライムが、わたしの足にもたれていた。透明な体の中を、ランプの光がゆらゆら泳いでいる。


「……ねえ、ディアマン」


 ぷるん?


「今日は、ほんとにありがとうね」


 ぷるるっ。


 返事の言葉はない。でも、体の中で、光がきらきらと跳ねた。


 指をのばして、そっとつついてみる。ぷにゅん。やわらかい。さっきの青年の、あの大きな手とは、全然違うのに。


(……でも、ちょっと似てる?)


 まあ、同じ子なんだから、あたりまえだけど。


 ふと、左手の指輪が、ランプの灯りにきらりと光った。祖母にもらったお守りの指輪。


(そういえば、いつからこの指にしてたんだっけ)


 考えかけて、あくびが出た。


「……ま、いっか。おやすみ、ディアマン」


 ぷるぷる、と、ディアマンが笑うみたいに揺れた。


* * *


【スライム視点】


 妻の足元は、僕のいちばん好きな場所だ。


 ランプが消えて、すう、すう、と静かな寝息が聞こえてくる。ひんやりした僕の体に、妻のぬくもりが伝わってきた。


『おやすみ、僕の奥さん』


 妻の左手には、青い石の指輪。誓いの証は、今日も小さく光っている。


 僕がどれだけ幸せか、きっと妻は、まだ全部は知らない。だったら、毎日、少しずつ伝えていけばいい。


『明日は何をしようかな。妻の好きなお菓子を探しに行こうか。新しい薬草畑も、見つけてあげたいな』


 明日も明後日も、その先も。愛する妻のためにできることが、まだまだたくさんある。


『今日も世界一、幸せだ』


 きらり、と光が小さくまたたいて、静かな夜が二人をそっと包んだ。


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― 新着の感想 ―
液状宝石?の体に、高度な知能、そして変身魔法か。 元は人間だった…って訳ではなさそうだけど、通常のスライムでもなさそう。特異進化個体なのかな~? 彼女の反応が普通だったから、変身形態は一般的な人間を…
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