選択権
雨の夜から二週間。
三剣龍之介は、あることに気付いていた。
──見られている。
最初は気のせいだと思った。詐欺師という職業柄、警戒心は強い。わずかな違和感にも敏感に反応する。だが今回は違った。
朝、カフェに入る。数分後、店の奥に黒い影が現れる。
夜、ホテルを出る。何処かから視線を感じる。
そして仕事を終える頃には、必ず背中に同じ気配が刺さっていた。三剣はコーヒーを一口飲み、静かにため息をついた。
「……そろそろ出てこいよ」
店の奥の席で、黒いコートの男がゆっくり立ち上がった。七条龍二だ。
「よく気付いたな」
「気付かないと思った?」
七条は当然のように向かいの席に座る。三剣は軽く眉を上げ、呆れたように言った。
「監視?」
「違う」
即答だった。
「見ているだけだ」
「それを監視って言うんだよ」
七条は小さく笑った。「お前の行動が知りたいだけだ」
「ストーカーだな」
「執着だ」迷いなく言い切る。
七条は更に続けた。
「お前が誰と話すか、何処へ行くか、誰に触れるか。全部気になる」
普通の人間なら恐怖を感じる言葉だ。だが三剣は動揺せず、寧ろ観察するように七条を見据えていた。
「龍二」
初めて、本名で呼ぶ。その呼び方に、七条の目がわずかに揺れた。
三剣はコーヒーを口に流し、静かに言った。
「それ……良くない執着だ」
「そうか?」
「うん。重すぎる」
七条は笑う。「知ってる」
「直す気は?」
「ない」
三剣は小さく息を吐いた。「困るな」
「何故だ?」
三剣はテーブルに指を置き、落ち着いた声で言う。
「主導権」
七条の目が細くなる。
「何だ?」
「君だ」
三剣は更に言葉を重ねた。
「完全に主導権を握ろうとしてる」
七条は否定しない。支配する側の男として、それは自然な事だった。
しかし三剣は笑った。「でも、それは無理だ」
七条の声が低くなる。
「何故?」
三剣は迷わず答えた。
「俺がここに居るから」
静かな沈黙が流れる。
三剣は真っ直ぐ七条を見据えたが、一瞬だけ、視線を外す。
「……Domでも、本能を抑えられない奴も居るらしい」誰に向けたとも分からない声音だった。
そして、何事もなかったように戻す。
「Subってさ、従う側だと思われがちだけど違うんだ」
七条は目を逸らさない。
三剣は続ける。「信頼する相手に身を預けるだけ」
七条が、そこで初めて口を挟む。「この街じゃ、そういう扱いが多いけどな」
三剣は頷いた。「……だろうね」
そして更に一歩踏み込むように言った。
「つまり、俺が選ぶ」
七条の瞳が暗く光る。
「俺を選ぶのか」
「条件次第」
「条件?」
三剣は少し身を乗り出した。距離が近い。
「簡単だ」静かに言う。「俺の自由を奪わない」指を一本立てる。「詮索しすぎない」二本目。
「そして、俺を縛るなら──それ以上に俺を守る」
沈黙が続く。
やがて七条は笑った。「……面白い」低く呟く。「俺に条件を出すSubは初めてだ」
三剣は軽く肩を揺らす。
「普通のSubじゃないから」
七条はゆっくり立ち上がる。そして三剣の耳元で囁いた。
「でも一つ、勘違いしてる」
三剣は動かずに、冷静に視線を返す。
七条が続ける。
「主導権は俺だ」
三剣は小さく笑った。
「そうかな」
そして静かに言う。
「龍二、今、君……俺の言う事を全部受け入れてる」
七条は止まった。完全に図星だった。
三剣はゆっくり立ち上がる。
「だからさ」
少し楽しそうに、微かな笑みを浮かべながら言った。
「Domでも、君は俺の前では弱い」
七条の目が危険に細くなる。
だがその奥には確かな愉悦が光っていた。
「……本当に」
低く呟く。
「手放せないな」
三剣はドアへ向かう。
振り返らずに言った。
「ここに居る」
そして続ける。
「ただし、誰にも縛られるつもりはない」
ドアが静かに閉まる。
七条はその場に立ち尽くした。
やがて、低く笑う。
「……いい」
小さく呟く。
「離れずに居ろ」
その目は、狂気に近い光を帯びていた。
「そのまま俺を狂わせろ」




