火種を落とす
煙草屋の店内。くぐもった空気に、煙がゆるく溶けている。
カウンターに寄りかかりながら、三剣は煙草を指先で弾いた。
「──でさ、あの頃の話覚えてるか、紫呉」
「どれのこと?政宗との思い出が多すぎて困るなぁ」
「は、よく言う」
言葉の端が緩む。長く続いた距離感が、そのまま出ている。肩が触れそうで触れない、昔から変わらない間合い。
「ほら、あれだよ。川んとこで──」
「ああ、政宗が落ちたやつ?」
「違う、お前が落としたんだろ」
「結果的には同じだよね」
留めが外れる。三剣もつられるように口角を上げ、身体を預けた。
そのやり取りを、ドアにもたれたまま、七条は黙って見ている。会話には入らない。唯、視線だけが向いている。
カウンター越しに、神崎がちらりと三人を見やる。
(……入んねぇのな)
煙を吐きながら、状況を眺める。
「というか」君下が、何気ないふりで口を開く。「政宗って、ほんと変わらないよね」
「紫呉に言われたくないね」
「そうかな?」
そのまま、距離がじわりと詰まる。
「そういやさ、伊澄」
その空気を見て、神崎が声を投げる。
「お前、そのあとどうなったんだっけ?」
あくまで自然に。いつも通りの調子で、会話に引き戻す。
「……別に」
短い返答。視線も寄越さない。
「なんだよそれ」
三剣が振り返る。奥で、何かが固まる
(……ああ)
そこで理解する。何も言わず様子を見る。
「冷たいなぁ、伊澄クン」君下の声に愉しさが混じる。「せっかく話振ってもらってるのに」
そのまま何気ない動作で、指先が、三剣の手に触れかけた——
ドアの方で、小さな音した。七条が煙草に火を点ける。吸い込んで、吐く。灰が、長く伸びて落ちる。それでも、気付かない。
(……あー)
神崎だけが、それを見ている。
気付いたときには、もう七条の手が伸びていた。掴んだのは、君下の手首。
「——やめろ」
視線は君下に向いている。けれど一瞬だけ、三剣を見てすぐに逸らす。
「……何が?」
君下が、楽しげに首を傾げる。
「何もねぇよ」
短く、それだけ。話されない手の力は強まる。
三剣が、その様子を見て——視線を伏せる。「……はいはい」
君下の肩をぽんと叩く。
「じゃ、紫呉行くよ。零くんも」
唯、その場の温度を崩さないまま流す。神崎は軽く、手だけを低く上げた。
「ん、じゃーね」
ひらりと手を振りながら、三剣は七条に手を引かれるまま店を出て行った。
「……ほどほどにしとけよ」
ぽつりと、神崎。
「どっちに?」
君下の声が弾む。
「両方だよ」
同じはずの空気に、わずかな歪みが残っていた。
◆
「………楽しそうだったな」
七条の声が、どこか奥で引っかかるように落ちた。
「嫉妬してる?」
三剣は横目で様子を測る。軽く探るような響き。
「してる」
「じゃあ、もう少し話してればよかったかな、なんて」
三剣の口元に、意地の悪い気配が差した。
さっきまでの店内の温度は、まるで幻のように消えている。
手首を握る力は強まったまま、三剣は七条の後ろを歩いた。歩幅は一定で、速い。
「痛いんだけど」
やっと口に出すと、七条は足を止めた。手首がじんわりと熱を帯びている。
「…離せよ」
三剣の声に、七条は手を離した。だがすぐ、肩を掴まれ体を壁に押し付けられる。背中が冷たい壁に触れ、逃げ場はなくなる。
顔を上げると、目の前に七条が立っていた。
「楽しそうだったな」
同じ言葉だが、先ほどとは温度が違った。重みがある。
「幼馴染だって、言っただろ」
「解ってる」
七条は引かず、視線も逸らさない。
「じゃあ、何が気に入らないんだ」
三剣は目線を上げ、逃げない意思を見せたまま問いかける。
七条の指が顎に触れ、軽く持ち上げる。
「触られそうになってた」
「触られてない」
「なる」
応酬の後、場の空気がぎゅっと締まる。互いの間にある距離が、自然と意識される。
「お前は、そういう顔をする」
三剣は言葉に込められた力を感じ、体が固まる。
「どういう顔だ」
七条は答えず、指先で頬の傷をなぞった。刻まれた線をなぞる感触に、三剣は思わず身を引き締める。
「俺以外に向けるな」
命令ではない。それでも抗えない力がある。三剣は暫く黙り、唇の端を軽く引き結ぶようにして応じた。
「無理だな」
わざとだと分かっていても、それだけで空気が変わる。七条の表情が引き締まり、張りつめた空気が全身に伝わる。
「言うな」
「事実だろ」
「俺は自由だから」
その瞬間、七条の手が後頭部を掴み、強く引き寄せ唇がぶつかる。深くはないが、力強く、噛みつくようなキスに息が止まる。
離れたあと距離は近いまま、視線が絡む。
「それでも、嫌だ」
「知ってるよ」
今度は三剣から唇を重ねる。静かで柔らかいキス。
「だから面白いんだろ」
離れた瞬間、七条の肩が緊張する。
「なあ、龍二」
「何だ」
「嫉妬してる顔、結構好きだよ」
七条は一瞬、力を抜けずに固まった。




