侵食する日常
「──そうだな、じゃあ土曜日にでも」
喉に冷たい感触が走る──背後からナイフを突きつけられていた。振り向かずに、背後の気配を察する。
ミラーに映った顔が、冷たく笑った。
「誰と話してた」
「幼馴染だよ。俺の友達であり情報屋」
「そうか。なら許す」
七条にしては珍しく、穏当な返事だった。
「相手次第じゃ殺してたのか」
「他の奴と話してるだけで気分が悪い」
ナイフの刃先が、喉元へ食い込んだ。相変わらず独占欲の強い男だ、と三剣は苦笑する。
「もう電話してないんだから、背中に張り付いてないで退いてくれ。降りられないだろ」
「離れたら何処かに行くだろ」
七条の腕はまだ三剣の身体を囲ったままだった。背中越しに、微かな体温が伝わる。
「家に帰るだけなんだけど」
「じゃあ、お前の家に引っ越す」
「いや唐突すぎるだろ」
「駄目か?」
七条は本気らしい。三剣は思わず眉をひそめた。
「駄目とかそれ以前に、仮に君が俺の家に引っ越すにしても、先ず部屋を掃除しなきゃならないんだけど」
「なら今すぐしろ」
「何で引っ越すのが確定事項なんだよ」
この男は本気だ──三剣は漸くそれを悟る。
「もう決めた」
これ以上言葉を交えても無駄だと判断した三剣は、七条の手の甲を軽く叩く。
七条は理解したのか、回していた左腕を解きバイクから降りた。そして三剣の手を引っ張り、エレベーターに乗った。
「玄関にキャラクターの人形が一体……」
七条はさっとリビングを物色する。
「煙草はどこに仕舞ってあるんだ」
「ここだよ」
三剣は指でテーブルを叩いた。
「龍二、殺し屋なのに節穴か?」
「兄貴にも言われた。目の前にあるのに見えてないって」七条の目が一瞬だけ曇った。「そんなことはどうでもいい。お前の部屋はどこだ」
言ってはいけないことを言ってしまったかもしれない。しかし今は触れずにおこう──三剣はそう決めて、部屋の案内を続けた。
だが、聞くより先に七条はすでに部屋の中に入っていた。
「クローゼットにアタッシュケースが一、二……二十。本棚。龍之介も本読むのか?」
「本が好きだからね」
三剣と同じ趣味だと知り、七条の目は一層輝いた。
「俺の本も、この本棚に収納していいか?」
「ああ、構わないけど。ならアタッシュケースどかさないとな」
「軽い。中身空か?」
「入ってるのはこれだけだけどね」
翌日、七条は本当に三剣の家に引っ越してきた。イタリアまで探しに来るくらいだから、引っ越しなんて朝飯前なのだろう。
「鍵くれ」
「はいはい。そのキーホルダーやるけど失くすなよ」
「分かった」
七条は鍵とキーホルダーを受け取り、同時に三剣を少し引き寄せた。
「一つ訊きたい」
「何?」
「これは同棲なのか?」
「え……!?というか、まず告白の過程飛ばして同棲って」
七条の思いもよらぬ発言に、声が裏返った。
「告白ならした」
「いつ?」
「ホテルで札束数えてただろ」
三剣は眉間を押さえ、暫し思考を巡らせた。
「あ、もしかして、“殺したくなるくらい好きだ”。これか。君らしいけど、もう少し分かりやすい告白はなかったのか?」
「分かりにくかったか。俺は二年前の、あの雪の日からお前を忘れられなかった。二年越しに漸くお前を見つけた。胸の昂りが抑え切れなかった。龍之介……お前が殺し屋じゃなくて詐欺師だって知っても、お前の愉しそうな顔を見るだけでゾクゾクする。お前だけだ…俺をこんな気持ちにさせるのは」
七条の言葉は途切れることなく紡がれた。飾り気も駆け引きもない、唯内側に溜め込み続けてきた感情を、そのまま吐き出したような告白だった。
熱を帯びた視線が、逃がすまいとするように三剣を捉えている。まるで標的を定めた時と同じ目だと気付き、三剣は内心で呆れていた。
殺意と恋情が、同じ形で向けられている。そして同時に、その一途さが不思議と心地よかった。ここまで真っ直ぐに求められることに、慣れていないはずなのに、拒絶する気にはなれない。
「君がそんなに喋るなんて珍しいな……」
三剣は、七条の言葉の多さに内心で軽く驚いた。普段は必要最低限しか口にしない男が、ここまで感情を乗せて話すのは極めて稀だ。言葉の一つ一つに、抑えきれない想いが滲んでいる。
「俺はあの日から、お前を殺したい程に好きで、好きで、好きで堪らなかった。一目惚れってやつだ。恋に興味なかったから、正直よく分からないが」
七条の声には迷いがなかった。ただひたすらに真っ直ぐで、不器用な熱量だけが込められている。
「はは……えらく情熱的な告白だな。まぁ、とどのつまり、俺もあの雪の日が始まりだったのかな。君の眼に惹かれていたんだ。だから龍二、君の告白を受け入れよう」
三剣の声音には、軽さの奥に確かな覚悟があった。冗談めかしながらも、その瞳は真剣そのものだ。
「本当か?」
「嘘はつかないよ」
七条はポケットからナイフを取り出し、三剣の左手の薬指に円を描くように切り付けた。
「……っ。君なぁ……今回は何?」
七条は自身の左手の薬指にも、同じようにナイフで円を描く。
「指輪の予約」
三剣は面を食らい、暫し言葉を失った。
「君がそんな情熱的な男だったとはな」




