終焉の刻
世界を創りし神、永き眠りより、今目覚めたり。
かつて神は、大地を形づくり、山を築き、海を敷き、蒼穹を押し広げ、命を置き給うた。芽吹き、息づき、巡る営みをしばし眺め、やがて神は深き眠りへ落ちゆきたり。
されど時は流れ、定められし終焉の刻、ついに迫れり。世界の歯車が軋みを上げて、神は瞼を開かれたり。
電子レンジ、洗濯機、オーブン――人の手により動かされし電子の器。時迎えるまでしばし放置される存在。神もまた、人を捨て置いた。終わりの刻の訪るる、その日まで。
そう、終末の刻は来たれり。
最後の審判、地球最後の日、人類滅亡、神の怒り――呼び名は数多あり。 されど神の胸に怒りはなし。ただ、万物に等しく定められし終わりが淡々と訪るるのみ。
されど神の心には、なお慈愛残れり。せめて世界の終わり告げ、人々に安らぎの時を与えんとす。これ、神の深き憂慮。最後の思し召しなり。
されど神、眉をひそめたり。
人々の夢枕に立ちて語りかくれども、その声は誰の耳にも届かず。いと寂しきかな。
もはや人の胸に神を信ずる心なし。「神を崇めよ」と声高に唱える者あれど、その神とは着飾りたる老人ばかり。頭も心も脆き者ら、真なる神の姿を知らず。虚像に祈りを捧ぐるばかり。
神、その広き心をもって幾度も語りかくれども、人々の信仰は白衣をまといたる医者へと傾き、なおそれすら疑う狂人どもは、己こそ神なりと叫びて疑はず。
呆れたる神、深きため息を吐き、ついに地を揺らして人々を目覚めさせんとす。されど、それはただの序章にすぎず。すなわち第二、第三の太陽沈みて、海は牙を剥きて大地を呑み、火山は天を裂きて灼熱を噴き上ぐ。
世界の終焉迫りし刻。人々は、かつて神を心より信ぜし時代のごとく、灯したる火を高く掲げ、今、神へ祈りを捧ぐ――
――否。
彼らが手にするは、聖なる松明にあらず。ただの光る箱なり。
そこに映るは、SNS、ゲーム、カメラアプリ――。
人々は刹那の承認を求め、終わりゆく世界の只中にて薄ら笑みを浮かべ、享楽に身を委ねたり。
神、再び呆れ果て、最後に小さく呟きぬ。
「こいつら、ほんとうに終わっている」




