第四十三話 死闘
闇に覆われた廊下を進む。
板張りだったはずの廊下は、表面が血に濡れているようにぬらぬらと滑って、なかなか先に進めない。
……と、子蛇に袖を引っ張られ、扉の影へと連れて行かれる。
え、何? ……と、問う前に、ひたひたと足音が聞こえ、思わず息を殺した。
ひしゃげた貌に、焼け焦げた袈裟……見覚えがある。あれは、覚范の分霊だ。
脳裏に、闘っている髑髏と刹鬼の映像が流れ込む。
「……『分霊』の野郎、出てきやがったな……!」
ぞろぞろと現れた覚范の分霊を前に、槍を構える髑髏。
「手勢がこれだけのはずがない。おそらくは、寺の中にも潜んでいよう」
刹鬼は冷静に呟きながらも、その手は「哀哭」の方へと伸びている。
「嬢ちゃんは大丈夫か……?」
「吾らにできるのは、秤殿を探す手勢をも削ること……すなわち、目の前の敵を斃すのみ」
「ハッ……分かりやすくてイイねぇ!」
「顕現――狂狗・呪血阿修羅……!」
髑髏は私の身を案じ、刹鬼は私を探す分霊を削るために、負担の大きい「呪血阿修羅」を解放してくれた。
……二人が頑張ってくれている。私も、できることをしなきゃ……!
息を潜め、分霊が通り過ぎるのを待つ。動きからするに、旧社で襲ってきた分霊ほど自我があるわけではないらしい。
……もしかすると、覚范も回復しきれていないのかも。「巡り」を起こせなくなる前提で攻撃してきていたから、私たちが「巡り」を起こしたこと自体が想定外だった可能性は充分にある。
勝機はある。慎重に、油断せず行こう。
身を隠しながら、依代が隠されていそうな場所を懸命に探る。けれど、めぼしいものは一向に見つからない。
焦るな、私。今まで見つけられていないんだから、簡単に見つからないのも当然だ。
脳裏に映像が流れ込む。
「が……は……ッ」
激しく喀血し、倒れ込む刹鬼の姿が見えた。
思わず悲鳴を上げそうになり、口を抑える。
「刹鬼……! 大丈夫か!?」
髑髏が庇うように刹鬼の前に立ち、亡者たちを退ける。
刹鬼は血反吐を吐きながらも、どうにか身体を起こし……震える声で、言葉を紡いだ。
「呪血……阿修羅……」
刹鬼は力を振り絞り、喉が裂けんばかりに叫ぶ。
「八面態――!!」
その瞬間、刹鬼の影から犬の首らしき影が次々と飛び出し、刹鬼の周りに浮かび上がる。
刹鬼は再び刀を構え、刹鬼の腰から生えた黒い影も、同じように刀を構える。
犬の首は七つ。……刹鬼自身を合わせて、八つ。文字通り、八面六臂の動きだ。
「ああ、糞ったれ……! 無茶苦茶しやがる……!」
髑髏は毒づきながらも、刹鬼の邪魔にならず、それでいてカバーできる立ち位置を保ち続けている。
……二人は戦力を削ぎながらも、全力で時間を作ってくれている。
考えろ。覚范は、人間の業を積み重ねたことで、人の道から外れた存在だ。人間である私になら、隠し場所がわかるはずなんだ。
ひたひたと、足音がする。
息を潜めながら……視界の端に、違和感を覚えた。
私の視界の端じゃない。髑髏と刹鬼が闘っている、背後。
「……墓?」
庭の端に、ぽつんと墓がある。寺に墓があるのは普通だ。……でも、どうしても違和感がある。
この呪われた宮寺に、墓なんて必要ないはずだ。
胸の奥が疼いた。
――私が死んだら……
昏い水の中で、死を目前にした時。
意識が薄れて、苦しさすら遠ざかるさなか。
……確かに、思ったことがある。
――お父さんやお母さんは……泊は……泣いて、くれるかな。お墓参り……して、くれるかな……
このまま水に沈んで、誰にも知られず死んでいくのは寂しかった。
見つけて欲しかった。家に帰りたかった。
泊は……妹は、私にツンケンしていたし、喧嘩もいっぱいしたけど、さすがにお葬式では泣いてくれるよね。……ごめんね、もう、喧嘩もできないね。
……なんて、思ったりもした。
きっと、覚范も同じだった。
どれだけ外法に堕ちても……いいや、むしろ人間だからこそ、覚范は外法に堕ちた。
人間だから、際限なく欲を求める。
人間だから、理屈を捏ねて自分を正当化する。
人間だから、誰よりも一番になりたがる。
――そして、人間だから。
人間だからこそ、本当は、誰かに愛されたかった。
だから、この宮寺にも墓が必要だった。
その墓を造ったのが、決して心の底から弔う者でなかったとしても、「弔われた」という事実に縋りたかった。
「依代は、墓の中だ……」
……だけど、動けない。
分霊の数があまりに多すぎる。
「……匂いがするぞ……。此処か……? 愚僧からは逃げられんぞ……」
……覚范らしき声が、鼓膜にねっとりと絡みつく。自我を持つ個体が近くにいると、嫌でもわかってしまう。
どうしよう。場所が分かったのに、こんな状況で墓まで辿り着くなんて無理だ。
「……髑髏の」
刹鬼の、息も絶え絶えな声が聞こえる。
「吾を喰え。今ならば、喰らえるはずぞ。……さすれば、貴殿はまだ……」
刹鬼の足元には、血溜まりができている。
……もう、立っているのすらやっとなのだろう。その脚は、今にもくずおれそうだった。
髑髏は、黙って刹鬼を一瞥する。
髑髏だって、力を消耗しているはずだ。……飢えは、とっくに限界を超えているはず。
「……嫌だね」
けれど、髑髏はその提案を跳ね除けた。
飢えよりも、大切な相棒を選ぶのだと、その瞳が何よりも雄弁に告げている。
「ちったぁ休んどけ。少しぐらいおれに頼れ」
斬骸の鎧が薄くなり、その代わり、髑髏の背後に骨の刃が形成されていく。
「あんたが傷つくと、こっちまで痛ぇんだよ。……いい加減分かれよなぁ……!」
亡者たちに向けて骨の刃を飛ばし、髑髏は槍を振りかぶる。
その姿を見――刹鬼は、確かに微笑んだ。
「……ああ」
それは、修羅の世界を生きる鬼の表情じゃない。
かけがえのない絆を得たことによる、安堵の表情だった。
……二人は限界に達しながらも、懸命に闘ってくれている。早くしないと。……どうにかしないと……!
縮こまる私の腕に、しゅるりと子蛇が絡みつく。
つぶらな瞳が、私を見つめる。
「任せて」と、言っているように思えた。




