第四十話 覚悟
夜は更けていき、「巡り」の時が刻一刻と近づいてくる。
私とましろは本殿に戻り、休息をとることにした。
髑髏が綺麗に掃除してくれたおかげか、惨状の痕は残されていない。
それでも、ましろはつらそうに目を伏せ、くるりと踵を返してしまった。
「すまぬ。まだ……無理のようじゃ」
震える手をそっと握りしめ、外へと導く。……今はただ、傷ついた心を癒して欲しかった。
「庭に行く? 気分転換できるかも……」
私の問いに、ましろは静かに頷く。
その手を引いて、四季の庭へと向かった。
春の庭にて、舞い散る桜を眺める。……本当の木はこんなに大きくなかったし、こんなにたくさん花をつけていたわけじゃなかったと思う。
それでも、ましろの中の思い出は違った。
朱乃と見上げた桜は、こんなにも美しく、雄大だったのだろう。
「この庭は……わらわがもっとも美しいと思った刻を切り取り、創り上げた。髑髏には、大袈裟じゃと言われてしもうたが……」
「大袈裟で別にいいじゃん。……私は、綺麗だと思うよ」
庭も、ましろも。
……そう言おうとして、黙っておく。
「こんな時に揶揄うでない!」なんて、言われてしまいそうだしね。
「そういえば……どうして蔵の鍵を、『夏の庭』に隠しておいたの?」
「刹鬼から刀を遠ざけておきたかったのじゃが……特に隠したというわけでは……。まあ、その……脱皮の際に落としてしまったのじゃ」
「あ、単純にうっかりだったんだ……」
あの大きな抜け殻を思い出せば、脱皮も相当大変なんだろうと察することはできる。
何かを置き忘れてしまうのも、無理はないのかな。
「あの蔵は産卵や抱卵にも使うておったでの。新たな場所を見つけねばならず、困り果てたものじゃ」
「しれっと爆弾発言しないで?」
いや、眷属がいる以上、当たり前なんだけどね?
卵生なんだから、産卵して抱卵するのも生態として何もおかしくないんだけどさ……!
「む? わらわは何か、おかしなことを言うたか?」
きょとんと目を丸くするましろ。
その瞳の純粋さが、グサリと胸に突き刺さった。
「……ううん。たぶん、私が煩悩に塗れてるだけ……」
「お、お前さまが悪いことなど何もなかろう!?」
「うう……優しくされると余計に刺さる……」
「どういうことじゃ!?」
はは、と乾いた笑いを漏らしつつ、ましろの追及からは目を逸らす。
考えてみれば、ただの繁殖行為に特別な意味を見出してしまうのも、人間の業なのかもしれない。
「……ちょっと、元気にはなれてきたみたいだね」
「そう、じゃな。お前さまのおかげじゃ」
顔を覗き込むと、ましろははにかむように笑ってくれる。
良かった。……ましろのつらそうな顔は、できれば見たくない。
「蔵の鍵で思い出したのじゃが……『次』の巡りでは、刹鬼に刀を返してやらねばの」
「……! それ、大丈夫なの……?」
蔵に仕舞われていた刹鬼の刀。
多くの人の血を吸い、同じくらい刹鬼の血を吸った刀身には、刹鬼を蝕む呪いの一端が宿っている。
……もはや、妖刀と言ってもいい代物だ。
「無論、危険じゃ。……されど、敵を斃すのに、あれ以上の獲物はあるまい」
ましろは覚悟を決めた表情で、淡々と語る。
「髑髏が隣におる以上、刹鬼が敵を見誤ることはない。……そして、刹鬼が隣におる以上、髑髏が道を誤ることもない」
凛と佇むその姿は、まさしく、「神」の顔だった。
***
「夏の庭」で鍵を手にし、「秋の庭」を経由して、「冬の庭」へと向かう。
「次の『巡り』で最後やもしれぬゆえ……この洞を、使うことにした」
ましろが指さす先には、かつて髑髏と共にくぐった洞がある。
くぐった者の魂を映す……髑髏は、そう言っていたような気がする。髑髏の世界は飢餓に満ちた殺伐としたものだったけれど、くぐる相手が変われば、また違う悪道が見えるとも……。
「この洞、一体何なの……?」
「わらわから零れた『神の力』が積もり、新たな空間を生み出したのじゃ。些細なものじゃが、回収すれば少しは足しになろう」
なるほど、と思った。
四季の庭はましろが創ったものだし、洞の中はお気に入りの脱皮スポットみたいだし、力の残滓が溜まっていても何もおかしくはないよね。
「脱皮って、結構大変そうだもんね」
「……お前さま、脱皮については、その……あまり、大声で言わんでくれるか」
目線を逸らし、頬を赤らめ、もじもじと身を捩るましろ。
……えっ。恥の感覚、独特じゃない……? 産卵より脱皮の方が恥ずかしいんだ……?
「さ、さて、行くぞ! 髑髏と刹鬼ばかりに無理をさせるわけには行かぬ。忠義には、報いてやらねばな」
「……うん、そうだね。もちろん、私も頑張るよ!」
幻で生み出された雪をかき分け、ぽっかりと空いた洞の中に身体を滑り込ませる。
視界が一瞬、闇に閉ざされ――やがて、開けた。
素朴で、簡素な造りの神社の前に、根を張って立派にそびえ立つ神木の姿が見える。
視点はやけに低いけれど、頬を撫でる風も、匂いも、どこか懐かしい。
これは……朱乃が生きた時代……?
……が、周りを見渡す前に景色は崩れ、キラキラと光を放ちながら闇の中へと還っていく。
ましろが、「力の残滓」の回収を始めたのだろう。
ふと、光の欠片に手を伸ばす。
指先が触れた瞬間、遥か彼方の記憶――千年間の記憶が、私の中に流れ込んできた。




