第三十二話 旧社跡
鳥居の向こうに、同じく朽ちかけた木を見つける。
「……この木……」
かつては、立派な大木だったのだろう。
けれど、今は大きな洞と、わずかばかりの幹、乾いた根を残すばかりで――以前、神域の「庭」で見た四季折々の姿は、もう望めそうにない。
その奥に、「社」らしき建物は残されていない。
ただ、朽ちかけた祠があるのみだった。
あまりにも、空虚な光景だった。
手入れする者も、もう、誰もいないのだろう。
土埃を被った屋根に、腐食によって崩れかけた板、取れかけて軋む扉……
その奥に、小さな抜け殻が、ぽつんと鎮座しているように見えた。
「……これは……」
庭の洞で見つけた巨大な抜け殻とは違う、小さな蛇の抜け殻。
眷属のものかな? とも、思ったけれど……
指先で触れて、なぜか、涙が滲んだ。
――さぁ早うお食べ! おまえも腹が減っているんだろ?
脳裏に浮かび上がる、前世の記憶。
――ねぇ、あたしはおまえの味方だよ。
これは……この、言葉は。
――だから……そんなに怯えないで。
私が、蛇神に言ったんだ。
記憶の蓋が開き、「朱乃」の存在が「秤」へと重なる。
孤児だった朱乃に、村の人は優しかった。
いいや、正確には、厄介者として扱う者もいたし、優しく接してくれる者もいた。……けれど、「優しい側」の人たちのおかげで、朱乃は村の人達を好きでいられた。
ある日、祭事の準備を手伝っている最中のことだった。
朱乃は、山でタヌキに襲われている小さな蛇を見つけた。
頭を踏まれながらも、懸命に身体をくねらせ足掻いていたのは――全身が真っ白な、それはそれは美しい蛇だった。
朱乃がタヌキを追い払い、白蛇を救ったのは、最初はただの気まぐれだった。
――ねぇ、あたしはおまえの味方だよ
白蛇は毒牙もなく、身体も小さく――無害で、無力な存在だった。
――だから……そんなに怯えないで
じりじりと後ずさる蛇に、朱乃は手を差し伸べ、笑いかける。
けれど、蛇は怯えたように藪へと飛び込み、逃げ去ってしまった。
その後。
育ての親である神主に、朱乃は白蛇のことを正直に話した。
――素晴らしき心がけです。白き身体を持つ蛇であらば、神様の化身やもしれませぬ。きっと、貴女に恩を返しに現れましょう
神主は、微笑みながらそう言った。
彼の言う通り、白蛇は再び、朱乃の元に現れ――
「おっと。そこまでだ。白昼夢は、終いにしてもらおうか」
低く、くぐもったような声が、私の意識を現実へと引き戻す。
「……! 誰ぞいるのか!」
「……こりゃあ……厭な気配だねぇ……」
途端に警戒を強め、臨戦態勢に入る髑髏、刹鬼。私の肩で、子蛇ちゃんも威嚇するような様子を見せている。
……背後にぞっとするほどの冷気を感じ、思わず飛び退いた。
「おお……勘が良いな。好い好い……愚僧は、嫌がるおなごも嫌いではないぞ?」
くつくつと嗤う、下卑た声……これは、まさか。
「……ッ、覚范……!」
途端に、私が今までいた空間がぐにゃりと歪み、裂ける。
裂け目から焼け爛れた腕が伸び、辛うじて僧形とわかる異形が姿を現した。
醜い。
その姿を見て、真っ先にそう思った。
頭はひしゃげ、貌がどこにあるのかすらわからない。
焼け爛れ、ところどころぽっかりと穴の空いた手足が、煤のように焦げた袈裟から伸びている。
「神域」で見た姿とは、まるで別人だ。
……いいや、むしろ、この歪さこそが、彼の本性を現しているのかもしれない。
私が思案する間に、髑髏は既に動いていた。
巨大な骨の手が、覚范の姿を捕らえる――が、覚范は指の間を滑るようにして、「餓者髑髏」の手からあっさりと抜け出した。
「……はぁ!? なんだこりゃ! 手応えが全然ねぇ……!?」
「……この気配……おそらくは、分霊だ。さすれば、まだ湧いてこよう」
呆気にとられている髑髏に対し、刹鬼は冷静に状況を分析する。
視界が呪われ、すべてが悪鬼にしか視えていなかったとしても、感覚を研ぎ澄ませて状況を知る……あれだけ壮絶な「呪い」を抱えていても、鍛錬を経て刹鬼はそこまでに至ったんだ。
刹鬼の言う通り、裂け目からは同じく歪な姿の「覚范入道」がわらわらと現れ、地面を埋め尽くす。その数は、数え切れないほどに凄まじい。
「走れ秤! そいつに捕まんなよ!」
髑髏の声に従い、走り出した。
途端に襲い来る分霊たちを、髑髏の「餓者髑髏」が叩き潰し、すり抜けた個体を刹鬼の爪が切り裂く。
「……くっそ、掴みどころなさすぎだろ! 数も多すぎる!」
「少々、分が悪いか……」
山道を転げ落ちそう……だと、思うのは、山道に苦手意識があるせいだ。
私は魂だけの存在。逆に言えば、肉体という枷もない。そう思えば、いくらでも早く走れる――はず!
けれど。
「逃がさんぞ。蛇神の元には行かせん」
「……ッ」
耳元に、歪んだ声がまとわりつく。
分霊の追いすがる速度が、早すぎる……!




