第二十八話 岐路
「決めた。私……死を、受け入れようと思う」
私の言葉に、蛇神ははっと目を見開く。
「……! 本当に……本当に、それで良いのか?」
「……そりゃ、死にたくなかったよ。まだまだ生きていたかったし、やりたいこともあった。でも……仕方ないよ。事故って、そういうものだから」
誰にでも等しく、時には突然訪れるのが「死」という災厄だ。
受け入れずにさまよい続けたことで、私は、蛇神に余計な心労を与えてしまった。
何もしてあげられないのなら、少しでも、肩の荷を下ろしてあげたい。
人として――正しい在り方に、還らないと。
「お前さまがそれを望むのであれば……それが、お前さまの真に望む結末であるのならば、わらわが言うべきことは、何もない」
蛇神は目を伏せ、静かに座していた。
その手は、わずかに震えている。
「……ごめんね。いっぱい、苦労をかけちゃったね」
「そんなことはない! お前さまのおかげで、わらわは再び『神』となる決心がついたのじゃ!」
慌てるように前に出た手を、そっと握る。
体温の低い指先が、ぴくりと震えたのが分かった。
「ありがとう。私のことは、もう、いいんだよ」
「……。お前さま……」
何か言いたげに、蛇神はなおも口を開こうとする。
……けれど、喉まで出かかった言葉を飲み込むようにして、姿勢を正した。
「せめて、祈らせてくれぬか。お前さまの旅立ちが、より穏やかなものであるように……」
「うん。……嬉しい」
蛇神は、ついぞ、別れの言葉を言わなかった。
私も、言うことができなかった。
襖を開け、廊下を進む。
途中、後ろ髪を引かれる思いがして――駆けだした。
振り返ったら、決心が揺らいでしまう気がしたから。
***
「独りにして悪かったな、刹鬼の。……魔が差しちまったんだよ。『怪異』でいた方が楽かもな……ってよ」
「……髑髏の。吾は、貴殿がおらねば正気を保つことすら叶わぬのだ」
「わぁってるよ。……おれだって、そうだ」
「……髑髏のは……狂っていた方が楽だと、思うておられるのか?」
「……楽だろうな。それでも……こうやってあんたの相棒でいる方が、よっぽどいい気分だ」
門のところまで来ると、門番たちが何やら話し合っているのが聞こえる。……取り込み中かな?
何だか真剣な話みたいだし、邪魔しない方がいいかも……?
「……おう、どうした嬢ちゃん。帰りかい?」
遠巻きに様子を見ていると、髑髏の方が私に気付き、気さくに話しかけてきた。……話は終わったってことで、良いのかな。
「門を出る意味を、知っておるのか」
刹鬼の方は、慎重に問いかけてくる。……そうだね。何も知らないまま通るのと、知ったうえで通るのとでは、違うからね。
ふと、気になった。
彼らには、どれほどの「巡り」の記憶があるのだろう。
……少しだけ話していくのも、悪くはないのかもしれない。
「髑髏と刹鬼は、知ってるの? 蛇神が刻を繰り返してきたこと……」
「そりゃなあ。何回か相談されたよな、刹鬼の」
「時折妙なことも言っておられた。『異なる世界に認知させるゆえ、げぇむを創る』などと……」
「ありゃ傑作だったよな! 話聞いて笑いが止まらなかったぜ!」
「髑髏の。蛇神さまは真剣なのだ。あまり笑うものではない」
「へいへい。刹鬼のも、大概真面目だからなぁ」
私が問いかけると、しっかりと答えてくれる二人。
っていうか、ゲーム作ってたの? それは初めて聞いたけど?
「まあ……全部の記憶があるわけじゃねぇが。秤、お前さんに謝っといた方が良い気がするのは確かだな」
「吾もだ。……いつかの『巡り』では、すまなかった」
「悪ぃな。おれも刹鬼のも、本質は怪異だ。たぶん、深入りすんなって言われてたろ?」
飢えに憑りつかれた武者と、悪鬼に狂わされた武者。
そんな彼らとこうして普通に話せること自体、本当は異常なのだと思う。
……でも、きっと、人々に恐れられる怪異だった彼らが、こうして私を気遣えるまでになったのも、蛇神がそう望んだからだ。
彼らが怪異でなく、人の魂として恢復できるように――
「刹鬼。言ってたよね。門を出る意味を、知ってるのかって」
「……ああ」
「大丈夫。受け入れることにしたんだ。……そうすれば少しでも、蛇神の負担を減らせるでしょ」
蛇神は、災害に見舞われ、怨嗟の坩堝と化してしまった村を救おうとしている。
本当は、私なんかを気にかけている余裕なんてないはずなんだ。
それでも手を差し伸べてくれたのは、優しさ以外の何物でもない。
……ずっと甘えてしまうわけにはいかないよね。
「秤。お前さんは……生きたかったんじゃねぇのかい?」
「……もう、仕方ないよ。死んじゃってるんだから」
「ま、おれみたいな化け物になる前に人の理に戻るのが、正しい在り方ではあるわな」
自嘲する髑髏。
髑髏の感じた飢餓は、私が感じたこともないほどの壮絶なものだ。……彼の選択を――「他者を喰らってでも永らえようとした」咎を、飢えたことのない私がとやかく言うのは傲慢だろう。
「死ぬに死ねなくなるのも、堪えがたい苦痛ゆえ」
「……そう、だよね……」
刹鬼の言葉も、心にずしんと来る重さをしていた。
刹鬼だって、なりたくて鬼になったわけじゃない。血に纏わりついた、自分にはどうしようもできない「呪い」――私が彼と同じ立場だったなら、狂わずにいられただろうか?
佇む私の足元に、髑髏が片方しかない視線を向ける。
何を感じたか、髑髏は、軽い口調で……それでも、しっかりとした重みのある言葉を投げてきた。
「でもよ……お前さん、本当に納得してるのかい?」
「……え?」
それは、私の心を見透かすような問いだった。
「お前さん、あの神様を心配してんだろ。そばにいてやりてぇんじゃねぇのか」
「……。貴殿は亡者だが、それ以上に……蛇神さまの、大切な人であらせられる」
二人の言葉が、私の心の核を揺さぶる。
私は……私は、本当は、どうしたいの?
賑やかな教室の情景が、狭い部室の光景が、次々と脳裏に浮かぶ。
まるで、「私」の本心を喚び覚ますように……




